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保健室のカーテン越しに、月曜の朝の光が淡く差し込んでいる。空はよく晴れているのに、俺の心は全然晴れやかじゃない。
いつもの机に向かい、いつもの椅子に腰を下ろす。すると、紅茶を片手に座っていた透子先生が、こちらに視線を向けてきた。
「もしかして何かあったかい?」
その問いかけは、紅茶をすする仕草と同じくらい、さらりと自然だった。
「いや、月曜だから憂鬱なんですよ」
「ふぅん。でも、そういう時の顔じゃないね」
カップを置いた先生の目が、俺の顔をまじまじと覗き込んでくる。ご丁寧にあごに指まで添えて。
「……土日バイトで疲れたんですよ」
「うーん、それも違う気がする。バイトで疲れたのは本当かもしれないけど、もっと他の要因があるように見えるかな」
俺の何を分かっていると言うのだろうか。
彼女はこうして時々、人の心を見透かしたような態度を取ってくる。実際に、見透かしているのかは分からない。鎌をかけているだけかもしれない。ただ、この状態の先生は面倒だ。それらしい話題を提供しなくてはならない。
「バイトでヤンキーに絡まれました」
「ヤンキー?」
その後、バイトでのことを透子先生に詳しく話した。
「なるほど。大変だったね」
「まあ仕事なんでしょうがないですね」
「気になったんだけどさ、その女の子って笠井天さんかな?」
「いや、名前は知りませんけど」
「そっか、そうだよね。一年生の笠井さん、最近学校来てないらしくて…もしその子だったら話聞いてあげて」
「…さすがに世間はそんなに狭くないでしょ」
◇◇◇
学校を後にし、今日もコンビニへ。疲れを感じながらもせっせと働く。
「ありがとうございました」
レジ接客を終え、ふと店の外を覗くと例の女の子がいた。
彼女は店前に落ちているポイ捨てゴミをさりげなくゴミ箱に入れる。
「…案外いいやつなのか?」
いや、これはヤンキーが良い行いをするとより高い評価をしてしまうアレかもしれないな。一つの面だけで判断するのは、考えが浅すぎる。
「…普段からまともな奴が1番偉いはずだ」
独り言を呟いた、はずだったのだが――
「その通りだな」
気がつくと、その張本人が目の前にいた。相変わらず、鋭い視線が俺を捉えている。
「……だからといって、あなたを評価しないわけじゃないですよ」
「…」
今度は話しかけたつもりなのに返事がない。まあいい。
そいつが良いやつ悪いやつ関係なしに、行ったことに対する評価は的確にすべきだ。そして、ゴミを拾ったという行為は、誰がやろうと確かに“良いこと”である。だから――
「ゴミ拾ったのは、普通にえらいです」
「……」
また沈黙。
返事をしないのか、それとも言葉を探しているのか。彼女は視線を逸らし、ポケットに手を突っ込んだまま動かない。
ここで俺はあることを思い出していた。透子先生との会話で、うちの高校に不登校の生徒がいるということ。名前はたしか――
「…笠井天」
話しかけたつもりはない。自分にしか聞こえないほどの声量で呟いただけだ。しかし、正面にいる彼女は見るからに狼狽えている。
「な、なんで私の名前知ってんだよ!」
透子先生、俺が考えているより世間は狭かったようです。
「遠い目をしてんじゃねーよ!私の質問に答えろよ!」
彼女は俺の胸ぐらを掴み、体を前後に揺らしてくる。相当焦っているご様子だ。
「俺も同じ学校の生徒なんだよ」
「本当…か?」
前後の揺れが収まった。加えて、胸ぐらを掴む手の力も抜けている。
「県立陽桜高等学校の生徒だ」
「そう…か」
「ついでに言うが、俺は2年だ」
「そう…ですか」
「別に敬語はいらないけどな」
シャツのシワを伸ばしながらそう言った。そして、ふと疑問に思ったことを聞いてみることにした。
「なんで俺が君の名前を知ったくらいで、焦ったんだ?」
「……たしかにな。なんでだろな」
彼女はふてぶてしく答えながらも、それに対する答えを考えているようだった。視線を落とし、指を顎に当て、唸る。やがて、ガバッと顔を上げる。目が合った。鋭くて、真っすぐで、綺麗な瞳だと思った。
「私はあんたのこと知らないのに、あんたは私のこと知ってるってのが……なんか気持ち悪かった」
その言葉に、俺は少し胸を突かれた。確かにそうだ。一方的に名前を知られている。確かに気味が悪いだろう。
「……そうか」
だから俺は、余計な言い訳をせず、ただ受け止めることにした。そして、ほんの少し間を置いて口を開く。
「じゃ、自己紹介しておく。陽桜高校2年、再名生直人」
わざと肩をすくめて軽い調子を装ったが、実際は心臓が少し速く打っている。彼女の強い視線に射抜かれたまま言うのは、思った以上に緊張した。
「……陽桜高校1年、笠井天」
しぶしぶ、という感じだった。
でも、ちゃんと名乗ってくれた。それは少しだけ嬉しかった。
「これでおあいこだな。俺が知ってることは、もうあんたも知った」
「……ふん。だからって、仲良くなったわけじゃねーぞ」
そう吐き捨てながらも、胸ぐらを掴んでいた手はすっかり離れている。代わりにズボンのポケットに突っ込んで、そっぽを向いた。
強がりか、警戒心か。
どちらにせよ、この瞬間から俺と笠井天の距離は、確かに少しだけ近づいたような気がした。




