第57(最終)章 卒業式
卒業式です。人生でおそらく一度は経験した方がいいと思うのですが。
思い出、涙、歌声、花束、黒板・・・。
しかし、入学式準備じゃないけど・・・。
第57(最終)章 卒業式
すっかりと辺りは春めいてきた。どんよりと鉛色といわれる空が色を取り戻し、パステルのような明るさが一面を覆う。雪国の春の到来だ。
卒業生は親御さんとゆっくり登校する。学校では下級生たちが普段通り登校し、4・5年生を中心に校舎全体の清掃が簡単に行われる。その後、立ち居振る舞いが確認されたり式歌の練習がクラス事に行われたりしているうちに卒業生の登校となる。だいたいが早めに来て正門前の「第○回 卒業証書授与式」と書かれた立て看板の前で写真をとる。受付は5年生から選抜された者が務める。卒業生は教室に、親御さんは控え室へと案内される。教室に入ると5年生が描いた見事な黒板アートと桜の飾りが目に入る。この時期、残念ながら校舎の桜はまだつぼみだ。しかし、式場では用務員さんが予め切っておいた桜の枝が生けられ満開となっている。桜は温かいところにおいて、当日までの温度の積算で満開の時期がコントール出来る。用務員さんは手慣れたものだ。ピタリと満開の桜を演出する。
由美子も通子もいつものジンーズやゴスロリではない。小学校の卒業だというのに中学校の制服で式に臨む。附属中学校や中等教育学校に行く子たちは制服が違うからすぐに分かる。由美子も通子も学区の公立中学校の進学だから同じ制服だ。今はセーラー服はめずらしく、紺色のブレザーだ。女子のでもスラックスの子がいる。二人はスカートだけど。男子もブレザーという学校も出てきたが、由美子たちの進学する中学校の制服は昔ながらの学生服、学ランだ。
で、面白いのは男子だ。女子は身長の伸びはそれほど増えないのでそこそこなのだが、男子はほとんどがぶっかぶかの制服だ。袖から手が見えないーんだけど!って突っ込まれそうだ。この時期は女子の発育が早く、男子よりも身長の高い女子が多い。しかし、これが中学校の卒業式の頃となると完全に逆転する。あのぶっかぶかの制服が、今度はあまりにもパッツパツでズボンは7分かよ~ってなってしまうため、途中で買い換える場合も多い。
受付で胸に付けてもらった生花の香りがよい。造花じゃなくて生花はかなり高い。いやおうでも気持ちが高まる。
すでに在校生が体育館に整列し、保護者、来賓と続いて席に座る。最近は対面式といってステージに卒業生を並べ顔がよく見えるように配慮する学校が多くなった。しかし、この学校では昔ながらにステージ下に卒業生が座り、ステージに登壇して校長から卒業証書を有り難く授かるのである。卒業証書は重いのである。6年間の成長の証として権威あるものから授かる・・・誰もがもらえるような決して軽いものではない・・・まあ、誰でももらえるのだが、今は。
明治5年、学制が発布されたころは経済的な理由やその価値に疑問をもつ者も居て、学校に通えないことも珍しいことではなかった。そんな中で学校を出るということはそれなりに大変なことだったのだ。先人たちの努力と紆余曲折の中で学校制度は現在に至るが、世界一のシステムと歌われながらも、優秀だった零戦と同じで新しい教育システムが生まれないまま、大きな変化なく約150年が経過してしまった。今や全国の義務教育諸学校で約30万人もの不登校児童・生徒が生じている。
「卒業生、入場!」
司会の言葉を合図に「威風堂々」の曲にのり、卒業生が入場する。会場は大きな拍手とともに卒業生を迎える。緊張しながらもにこにこと卒業生が入場してくる。計算された間隔で次々と花道を抜け、用意されている席に着く。
(おい!通子、下級生に手を振るなって!)村上は心の中で怒鳴る。
村上はとにかく心配な子に目をやることにしている。そうやって心配していることで感情の矛先を分散させようとしている。
みんながビシッと行進してくる中で通子は下級に手を振ってにこにこしている。(ホントに緊張感のないというか、愛嬌たっぷりというか・・・、こういうやつが真っ先に危ないんだけど・・・)
会場は緊張に包まれた中、着席した卒業生は背筋も伸び、まっすぐ前を見ている。会場全体に起立の号令が入り、全員が起立し、敬礼を行う。そして、国歌斉唱。各国の国家を聞き比べると『君が代』はたいへん落ち着いた国歌だ。大日本帝国憲法時代の天皇主権のなごりを色濃く残す国歌であるが、今では多くの国民がそれとなく、君=天皇を君=日本として脳内変換しているのだろう。違和感はない。他国の国歌の歌詞は勇ましいし、曲調も元気だ。なんせ血を流しながら戦いによって勝ち取った国家と自由を賛美しているのだから。
最初は卒業証書授与だ。
「小学校6カ年の過程を終了し、卒業証書を授与される者・・・」
ではじまり、次々と登壇し、証書を有り難く受け取る。戻るときに、ステージ端で会場に向かって一言述べる。
由美子は通子よりも先だ。
「私はここでの学びを通し変わることが出来ました。それを『成長』というなら、その『成長』を支えてくださった先生方、家族をはじめとする全ての人々に感謝します。ありがとうございました。」
通子はうっと一瞬詰まった。
(おい通子、ちょっと早すぎる!)
「・・・みんなぁ!ありがとう。良い先生方や友達に恵まれて本当に幸せな6年間だったよぉ!私って生まれ変われたぞぉ!これからももっと変わるよー!」
(おい、叫ぶなよぉ)
すべての卒業生が名前を呼ばれた。残念ながら椅子だけが並べられていたミチヒトもだ。ただし、すぐに次の人が呼ばれたが。
校長先生の式辞があり、来賓の祝辞があり、祝電の披露なども行われた。
それが終わると卒業生はくるりと後ろを向き、在校生と対面する。お決まりの呼びかけだ。
時間短縮のためか、中学生のような送辞や答辞はない。
「うららかな春の日・・・」
在校生からの呼びかけがはじまり、ここまでスマホやビデオを構えていた保護者の間ではハンカチの活躍が始まる。
卒業生の間でも今までの想い出が駆け巡る。呼びかけに合わせて大スクリーンに1年生の頃からの卒業生の姿が映し出される。小学校での成長は巨大化の歴史だ。幼児から大人の一歩手前まで変化する。成長の早い女子はなおさらだ。
卒業生もそれに答える形で呼びかけを行う。
通子は既にダムが崩壊している。ほれ、言ったことじゃない。
「※▲・・水泳・×〃■・・がん・◆◎♀・・」
(呼びかけも何言ってるか分からん。水泳大会でがんばったことだろう、おい)
そして、呼びかけも進み、全校で掛け合いの歌になった。以前勤めていた先生の作曲したオリジナル曲だ。本格的に作曲を学んだ先生の曲だけあって、卒業生、在校生の歌が螺旋のようにきれいにハーモニーを奏で、盛り上がっていく。そしてクライマックスは先生たちも含め全員で校歌を歌う。ここではほぼ目が真っ赤で洪水となっているが、不思議なことに声のボリュームも音程も崩壊していない・・・。
長~い余韻の後、
「卒業生退場」
の声。
在校生の大きな拍手の中、卒業生はひとり、またひとりと会場を後にする。そして、最後の卒業生が出口の紅白幕の下でこちらを向き、深々とお辞儀をする。
卒業は教室に戻ると担任と最後の学級指導となる。会場の人々がはけ、写真館が記念写真の準備を整えるまでのわずかな間しかない。
「みんな、自分は幸せだ。自分は何回も卒業生を送り出してきたが、みんなも先輩たちと同じように素晴らしい教え子だった。ただ、今までよりもそれぞれ個性が強かったようだけど。まあ、担任に似て『くせ強』になったんだろうな。」
(そうだ~という笑いがみんなにこぼれる。特に後ろで参観している親御さんは笑顔でうなずいている方が多い)
村上が急に真面目な顔になる。(いや、ふだんも真面目なんだが・・)
「みんな、ここで再確認しておくが、『教育基本法』という法律に教育の目的というのが、明記されている。大きく分けて二つ。そしてそのひとつも二つに分けられる。大きな一つ目が『人格の完成』だ。『人格』とは漢字二文字でしかないが、難しい言葉だ。むしろ『人格者』という言葉から連想する方がイメージがわきやすいだろう。『人格者』ってどんな人をイメージする?」
また始まった~という顔ではあるが、不思議だ。
「立派な人!」
「いいね。でも、どんなところから立派と言えるのかな?」
「責任感があって正義感も強い人」
「教養がある人」
「礼儀正しく謙虚な人」
「俺が教えた以上に難しい言葉のオンパレードだな」
「謙虚で気配りが出来る人」
「献身的な人」
「志に裏付けられた努力家」
「信頼され、感謝される人」
「愛し、愛される人で村上ちゃんみたいな人」
「ちょっと待ってくれ、俺を人格者と言うな!だれもがそこを目指してはいるが、まだまだ道は遠いんだよ・・・でも、みんなの言ってくれたとおりのイメージだな。それらの完成を目指すというのが教育の一つ目の目的だ。一生かかる目的だと思うが、当然義務教育の学校もこの目的を目指して行われる。」
「最後まで堅い話が村上先生らしいー!」
「おい、茶化すな。で、もう一つの目的が『国民の育成』だ。ただし、この国民というのは・・・」
「日本人だね!」
「まあ、そうだな。『平和で民主的な社会を担う国民の育成』が目的だ。そういう日本人を育てたいというのが、目的なんだ。そして日本人と限定するよりは日本の国籍を持つ全ての人々と考える方が妥当だと思うが、『心身ともに健康な国民』を育てることもその目的だ。」
「ねえぇ先生、おいら、まだ『平和』ってまだピンとこないんだけど。」
「どういう意味だ?」
「先生ってよくスイスの話をしてくれたじゃん。スイスって永世中立国で戦争をしないってイメージがあったんだけど、めちゃめちゃ戦争の準備してるじゃん。日本は『戦争放棄』って言いながらやっぱり自衛隊なんかがあって戦争しないって言ってるのになんで戦争の準備しているのかいまだ分かんない。戦争したら平和じゃないじゃん?」
「そうだな。結論なんて出さなかった。いや、出しようがないって言った方が正しいかな。これは、君たちがこれから中学校や高等学校、大学で学んだり社会に出て働いたりしながら勉強し、自分の立ち位置を決めるしかないことなんだよ。ただ、戦争の準備をしておくのは戦争をするためじゃなくて戦争をしないようにするためだってことは学んだはずだ。それが正しく実行されているかどうかは別の議論として。時として相手の国の言いなりになり、いいようにされても戦争をしないのが平和なのか、強がりを見せておいて容易に攻められないようにしておくのが平和だとしても、もしそれがこじれて武力を用いた衝突に発展すればそれはもはや平和じゃない・・・。結論はないんだ。だから、しっかりと学び、自分の立ち位置をしっかり決められることが大切なんだ。」
「まあ、そんときの授業と同じ落ちだね。で、もうひとつは『民主的な社会を担う国民の育成』だろ。先生、『民主的』って実際に何をするかっていうと、はっきり言ってわかんねぇ。」
「いいねぇ!それでいいんだ。」
「いや、だって、今はすっごい物価高だろ?みんなはとにかく国にめぐんでくれっていってるじゃん。でも、そのお金、つまり税金とかって余裕ないんだろ?それなのに今めぐんでくれって言ってる人たちが多いから、つまり民意?だからっていってお金をばらまいて・・・いや、言い方が悪いなぁ・・・いくことが民主的なのかな。」
「人ってわがままだからな。『みんなが言っている』という言葉に踊らされ、際限なくそれを聞いていくことが『民主主義』かって言えば、どうなんだろう?それじゃ『レミングの集団自殺』にも等しいかもしれない。人間はレミングとは違う。」
「センセ、耳タコだけど、松下幸之助さんの『政治が不安定なのは国民の関心が低いからであり、国民自らが政治を「わがこと」として捉え、賢い選択を行うことでしか良い社会は作れない』とか、『民主主義は非常に優れた制度だが、国民が未熟であれば、その良さは活かされず、危険なものにもなり得る』って念を押したいんだろ。」
「ありがと。正にその通りだ。俺はその『国民』を育ててきたつもりだ。」
「先生、私たち、そんな『国民』となれるよう、頑張ります!」
なぜか、後ろの保護者たちが小さく拍手をしている。
「おーい、6年生!卒業写真の準備が出来たぞ。体育館へ移動してくれ。保護者の皆様もどうぞ!」
ちょうどその時だ、保護者のスマホが一斉に悲鳴をあげた。
スマホを確かめた保護者から順に顔が険しくなっていく。村上も電源を入れ確かめる。
『中国による台湾侵攻が始まった。台湾本土での詳細は不明だが、日本国内でも沖縄並びに九州、山口県の米軍基地および自衛隊の飛行場やミサイル基地も一斉に攻撃を受けて炎上中。民間施設にも多数の被害が及んでいる模様。政府は総理大臣官邸に閣僚を招集し、緊急事態対応の協議に入った』
「まじかよ。トゥランプがイラソ国を攻撃し、意図せず戦争が泥沼化し出したので、アジアまで手が回らないと踏んだか!なんてこった!」
先ほどまでビデオカメラを回していた一人のお父さんが飛び出していった。この地域では珍しい自衛官の方だ。これは本物だ。
こどもたちは何が起きたのかとあちこちを見回している。村上が制する。すぐに避難するかの決断を迫られている。教務室からの放送はない。
少し考えれば分かることだが、おそらく今すぐにここが攻撃されることは皆無だろう。中国は台湾を攻めるために邪魔なものを押さえたかっただけだ。いくらトゥランプが他国にかかりっきりとしても自国の基地および同盟国の基地が攻撃を受けたのだからアメリカが出てこないわけがない。できればこれ以上大きな戦いにしたくないのが中国の本音だろう。攻撃目標は最小限にとどめ、アメリカにはイラソとの戦いに力を注いで欲しいはずだ。ボクシングで言えばジャブで止めておくということだろう。
よって、日本の中央付近まで攻撃することはない・・・それが村上の結論だ。せっかくなら最後の卒業写真や見送りは邪魔されたくないというのが、本音だ。ただ、この後の行動はトップが判断することだが。
トップも似たような判断をしたのだろうか。少し経って校内放送が入った。
「先生方に連絡を致します。先ほどJアラートがあり、続いて大きなニュースが入りました。地震とかの自然災害ではありません。今、詳細を確認中ですので、連絡があるまで今の活動をしていてください。くりかえします・・・・」
(いや、普通だったら絶対安全だと分かっていたとしても先ず『避難』だろう。まあ、避難できる場所なんて無いに等しいんだけど。・・・これは、せめて卒業写真だけでもなんとかしろということか・・・。後で多方面からお叱りを受けるのを覚悟か。新崎校長、泣けるぜ。)
「よし!体育館へ行くぞ!せっかくのチャンスを無駄にするな。」
うろたえた姿はなくなり、全員が整然と体育館に向かった。ステージ下にアルミの踏み台とパイプ椅子が並べられ、校旗と式花が脇に運ばれている。
自分たちの入学式と同じ並び順で整然と並んでいく。伝統的にこの学校のPTAの最後の会報は、入学式の1年生の頃と卒業式の時の様子を比べられるようにしているのだ。各親子のメッセージも入る。ミチヒトのことでいろいろ議論もなされたが、校長の一言で結論は出された。
「確かにどんな時でもひとりひとりは大切にされねばなりません。だからと言ってみんながそのためにないがしろにされていいわけではありません。」
実際、村上もそれを端で聞いていた堀川にも「えっ」という衝撃が走った。
確かに入学時と卒業時を比較する年度最後のPTA広報誌は人気が高い。みんなが楽しみにしているのである。今回、それがチャラにされるということは次年度以降もそうならざるを得ないということだ。
新崎校長はその点を点を繋ぐ線を考えたのだろう。ミチヒトを大切にするのは当然だけど、それで歴史が途絶えてしまうことに異論を投げかけたのかもしれない。
昔観た映画で、トム・ハンクスの『プライベート・ライアン』という戦争ものがあった。
「プライベート」というのは、個人的なって意味ではなく、一番下っ端の階級の意味である。そのライアンを救う命令を受けたトム・ハンクスのチームがこのライアンを救うために多大な犠牲を払っていくという内容である。ただの下っ端の兵隊を一人を救うために大勢の兵隊が命を落とすのである。ライアンは大統領の息子でもなく、陸軍提督の息子でもない。ただの二等兵である。他と違うと言えば、四人兄弟のただ一人の生き残りである・・・ということだ。つまり、このライアンが戦死するとその家系は途絶えてしまう。当時のアメリカはその点を大切にしたようだ。
この場合も状況は同じだ。新崎校長はライアンではなく、トム・ハンクスたちのチームの命を選んだということだ。一人対大勢を天秤に掛ければ重い方に傾くという当たり前のことが昔は主流を占めていた。しかし、個人主義全盛の今はそうではない。ひとりの為に全員が犠牲を強いられるというのが当たり前なのである。不登校はミチヒトの選択であり、誰から強制されたわけでもない。それなのにミチヒトの為に、クラスが団結して頑張ってきた成果を享受できないという結論に、新崎校長は不憫を感じたのかもしれない。どちらが正しいかなんて決まっている事象って世の中にはほとんど存在しない。時代の価値観に合わせて長いものに巻かれるなんてやりかたもあるが、考え考えて考え抜いた挙げ句の結論は時代と逆行している場合もある。太平洋戦争で『非国民』と罵られた結論である。それらは投獄され、陰惨な拷問により獄死という結果を招いたかも知れない。それはその人の良心かもしれない。でも、当時の多くは、みんなが必死であった中で、嘘かもしれないと疑う意見であっても大多数が賛成し、破綻を避けようという意思の下で大勢の力をつくるという『方法』には理がないわけではない。要は集団の持つ偉大な力に入るか、あくまで一匹狼になっても純粋に理を求めるかの違いに過ぎない。責任をもってどちらを選ぶしかないのだ。
卒業記念の集合写真は取り終えた。だいたい三枚目はそれぞれピースサインだのゲッツだのいろいろなポーズを決めるが、なんとかそこまで撮り終えた。
全校に再び放送が入った。全校、体育館に避難せよとのことだ。それから機械室や多目的集会室等に再び分かれて二次避難する。ちなみに体育館ではガムテープ、飲料水、簡易トイレが配付されてから移動する。体育館に避難したときに一発食らったら全員アウトなんだけど・・・。目的は放射性物質の侵入を回避しようということか・・・。(情けない・・)
避難しながら通子が小声でささやく。
「ね、由美子ぉ、このあと最後の見送りで村上ちゃんに『ポッペチュウ』じゃなくて、『お口キッス』をねだろうと思ってたのに、何?これ!」
「私たちの卒業式を台無しにするなんて、私も許せないけど、これは現実問題。ここまで戦線が今すぐ拡大するとは私は思わない・・。せめて卒業写真を撮ることが出来てよかった・・・。この先ずっと残る思い出だもん!ホント邪魔しないでほしい!」
「珍しく由美子が噴火してるけど、ホントもう!最近の世界の指導者ってアホだわ。力で押せば力で返すに決まってんじゃん!」
「プーチンコ大統領だって、柔道を学んでいたんでしょ?『押さば引け、引かば押せ』って柔道の極意なんだけど。まあ、トゥーランプ大統領が柔道をやるとは思わないし、あの方が『押さば引け、引かば押せ』の極意を理解出来るとは思えないけど。ヨーロッパの首相達と比べると大人と駄々っ子幼児の差を感じる!きっとそのおかげでシーチンピンさんにもなんか変にスイッチが入っちゃったのかな?」
「でも、台湾ってそんなに自分の国にしたいんだぁ?」
せっかく綺麗な着物や洋服で着飾ったお母さんたちやビシッと決めてきたお父さん達も機械室に避難し終わった。『いっちょうら』が汚れちゃうじゃない。
「まあ、何かあった方が忘れられない卒業式になるというけど、これはありすぎだわ。」
通子が口をとんがらせている。いや、クラスのほとんどみんながそうだ。みんな同じ気分だ。為政者って権力を握るといつもこうだ。お前たちはいったい何がしたいんだぇ!ひざを抱えながらみんなの不満そうな顔がそう言ってるようだ。
スマホなどの情報が入ってくる。どうやら中国の電撃作戦は成功したようだ。大規模演習に見せかけて近づき、一斉にたたみかける。サイバー攻撃で通信やレーダー施設が沈黙した中、それらの施設は物理的に破壊され、間髪を入れずに上陸部隊が政府やメディアの要所を押さえたようだ。アメリカ軍も近くの基地はその機能が破壊され、身動き出来なかったし、自衛隊の基地や空港も攻撃を受けた。奇襲でほぼ身動きが封じられた状態だ。防御どころか反撃に転じることさえ出来なかった。中国もその後のことを考えてか、アメリカ軍や自衛隊の将兵、日本の空港などの民間人などに人的な被害が出来るだけ出ないように攻撃を加えたらしかった。こちらの予想をはるかに超える精度でのピンポイント攻撃だった。これだけの攻撃があったのに、死傷者は両手の指で数えられるほどだった。
そして、中国が台湾を押さえ、早々と統一を宣言した以上、アメリカ軍も自衛隊も台湾を取り戻そうとすれば、それはもはや明確な侵略行為に他ならない。安易な手出しは出来ない。
とりあえず、こちらが動かなければそれ以上の攻撃はしないという中国の宣言に対し、日本は動かないということを閣議で決め、国内の防衛体制の一部解除を決めた。機械室から解放されたのはもう夕方だった。
それから数日間、自宅待機が続く。この時期は子どもたちにとって一年間で一番開放感にあふれ、で気兼ねなく遊びまくれる時期なのだ。なにせ夏休みと違い、宿題の重~い鎖もないし、地獄のような猛暑もない。気候もいい。なのに自宅でもんもんとしていなければならない!
由美子はこのときとばかりに読書三昧ではあったが、なんか通子がいないとつまらない。
事前に中学校への登校日がある。その時にクラスの発表があるのだが、だいたい仲のよい子は一緒にしてくることが多い。だが、あまりにもべったりな二人だと離されてしまうこともある。
さて、最後の最後ははちょっと(いや、ちょっとじゃないでしょう!)あったけど、中学校への期待は膨らむ。
カレンダーの3月の一枚をバリッと・・・。
由美子は部屋に掛けてある中学校の制服に目をやり、しずかに3月のカレンダーをたたんだ。
~ おしまい ~
ミチヒトのように不登校のみなさんもいらっしゃるかもしれません。なんせ全国で35万人もの子供たちが悩んでいるんですから。
でも、心から卒業式を迎えている人たちがいることも事実です。それらはそれらで貴重な日々を送ってきたのですから。否定はしないでくださいね。また、中にはやっと我慢の開放の日を迎えている子もいるかも知れません。それぞれの思いが交差する日なのですが、この物語のような結末はあってはならないのです。
入学式準備の時も卒業式の時もですか。
でも由美子も通子も小学校を卒業し、中学校へと進みます。そして、この物語も終末を迎えます。
次回は物語を書いてきたmugi_LEOの振り返りです。ここで本当の完結となりますので、どうぞ最後までお付き合いください。




