第52章 ミチヒト、なんてたって仲間だよ!(その4)
さて、ミチヒトを誘い出して学校へ行くことになりましたが、なんと想定外に母親も学校についてきて様子を見ていることに。
朝の会、1限、2限となんとか進んでいきますが、休み時間・・・ちょっとした事件が起きるのですが、それはまた・・・。
私は残念ながら不登校から復帰する際のこのバンジージャンプのようであろう緊張感を、まるで経験したように表現することは出来ません。でも、教室に入ることが出来たことは一番大きなハードルを越えることが出来たように思うのですが。でも、それは百分の一なんでしょう。
第52章 ミチヒト、なんてたって仲間だよ!(その4)
月曜日の朝。一応土曜日のことは村上先生に報告はしてある。迎えは頼む。教室では学級みんなで自然に待つ・・・ということだった。
由美子と通子、二人でミチヒトを迎えるために家に向かう。両脇からエスコートだ。
ところが。
「私もついて行くわ。」
それが、着いて早々のミチヒトの母の言葉だった。はっきり言って想定外である。これじゃ、緊張感マックスだ。ミチヒトはもちろん、由美子にも通子にもだ。はぁ、このおばさん何考えてんのか?
通子のちょっとぶち切れた表情に気付いて由美子が背中を挟み入れる。
「ミチヒトくんのこと、とても心配なんですね。」
「悪い?母親ですもの。」
三人の先頭を歩く母親。由美子も通子も香水?の強い香りに参っている。嗅覚疲労・・・やがて慣れてくるはずだが、むせかえるくらいだ。通子なんか小刻みに息をしている。どっと空気を吸い込まないようにだ。
教室に入る。村上も出迎えて控え室の相談室に母親を通そうとしたが、母親は教室に行くという。村上は教室までエスコートして教務室に戻った。職員朝会があるためだ。
母親は後ろの入り口に立って中を見ている。ミチヒトが教室に入る。玄関でも多くの人が挨拶してきている。教室に入るとそれぞれがランドセルの中から教科書や文房具を取り出し、机の中にしまったり、着てきたコート類を雨具掛けに掛けたりしている。そのままミチヒトにオハヨーとか声を掛けている。中には早速近くにやってきてゲームの攻略の仕方なんかを聞いている者もいる。クッキー作りは再来週でひな祭りの少し前となる。それまでは慣らし運転で、学習や6年生を送る会の準備に取り組むことになる。そう6年生を送る会はひな祭りの頃に行われることが多い。
由美子と通子はミチヒトから目を離さない。男子ってガキだから想定外の行動を起こすことがある。しかもミチヒトから目を離さない人物がもう一名いるし。男子ってちょっと慣れてくると親愛の印としてカンチョーなどをしかけたりするものもいる。もっともカンチョーはいじめの一形態であるとされ、全面禁止となっている。女子に対するスカートめくりも当然無い。スカートめくりは女子の気を引きたい時に行うという真逆の行為であり、本当におろかな行為である。女子もスカートの時には体操着の短パンをはいたり、スパッツをはいているから平気なのだ。だからそんなことをするヤツは気を引くどころか、逆にマジギレされる。意味がない。したがって今は誰もやらない。死に絶えた文化のひとつである。(歓迎!)
ちなみに由美子と通子はスカートの時は普通だ。スパッツとか見せパンは履かない。誰もスカートめくりなんて行為はしないし、むしろ女性のたしなみにとして下着が見えるような所作はしない。その点は親から厳しく躾けられてきた。ちゃんと膝をしめ、スカートを整え、気を遣った所作を心がける。通子なんか、フリフリのお姫様ファッションで上品さが目立つ外観なのだけど、態度は反物質的にギャルっぽい。でも、外観の通り間違っても『ウンコ座り』はしないし、所作は女性っぽいというその三角ギャップが男子には人気なのだ。由美子は由美子で兄のおさがりが多く、ちょっとボーイッシュな格好が普通だ。運動も嫌いじゃないので男子に交じってポートボールをすることも多い。そうなると必然的にスカートでは動きにくいのでズボンを履く。もちろん、スカートの時は体操着となる。
すんなりとだったかはミチヒトの外観からは分からない。しかし、抵抗なく教室に入ったのはむしろ予想外だ。バッリバリに緊張してたはずだから。
教室の後方、入り口の外ではミチヒトの母親が瞬きもせず教室内を見ている。むしろ由美子や通子の方がバッリバリに緊張している。
村上が教室に入ってきて、朝の会が始まる。健康観察の時にはハンカチを掲げて健康状態を申告する。ハンカチを掲げるのは昔で言う『衛生検査』の代わりだ。くしゃくしゃなハンカチをかかげる者がいれば、係から
「それ、昨日(先週)と同じもの?」
とつっこみが入る。すると
「干してある場所から直接持ってきたから。柄が先週とちげーだろ。」
と。係も負けずに
「そのままポケットにつっこむんじゃなくって、せめてたたんできたら?」
「はーい。」
なぜか、素直に軟着陸する。
いよいよミチヒトの番だ、
「ミチヒトさん!」
ミチヒトは前の人のまねをする。
「はい、元気です。」
でもハンカチがない。
「ハンカチある?」
「・・・。」
「明日は忘れないでね。」
「・・・。」
「次、○○さん!」
ミチヒトの表情がこわばっている。
すかさず通子が駆け寄ってささやく。
「忘れちゃったの?」
ミチヒトの首がわずかに上下に動く。
「いいよ。気にすんなって。」
涙ぐんでいるように見える。通子がしゃがんだままミチヒトの肩に手を掛ける。
後ろでは母親が両腕を組んで様子を見ている。
1限の授業が始まる。算数だ。6年生は小学校のまとめの時期で新しい単元はない。全て復習と若干の応用問題だ。比や速さと時間といった単元はそれなりに苦労している。図形の応用問題は難しいけどパズルを解くのと似た面白さがある。それぞれの進度で進んでいく個別学習に近い。ある程度まとまった段階で一斉授業での確認がある。それまでは無礼講で、分からないところを先生に質問に行ってもいいし、友達に聞いてもいい。また、知っているところは惜しみなく友達に教えたり手伝いをしたりするも全く問題ない。「教えることは学ぶことに等しい」と村上先生は言う。確かに教えたことはよりはっきり理解出来ているように感じることが多い。ミチヒトはほとんど授業を受けていないので厳しそうだ。ただ、教えにくる友達には「こんなのも分からんの?」という態度は皆無だ。ミチヒトが分からんという表情をすると大抵の男子は腕まくりをする。親身になって教えているのが分かる。
・・・このクラスに限っては教えている方に本来問題はないと思われる。ただし、教えられている方はどうしてもコンプレックスを感じてしまうものだ。自分から穴の中に沈んでいく感じがどうしても強くなっていく。孤独を感じる時は無人島にいるときよりも都会のど真ん中にいる時の方が何倍も強い。それを感じて身を引くというのは大人でも難しい。小学生ならなおさらだ。身を引くことが善だという発想は難しい。
なぜか、ミチヒトはだんだん沈んでいくように見える。つまらなそうな顔にどんどんなっていく。しかし、教える方はむしろ高揚していく。
ここが先ず限界か。村上は判断してミチヒトに近寄る。
「どうだ?ちょっと顔色がよくないように見えるけど、どうする?保健室で休むか?」
「え、私たちがいるから大丈夫だよ。」
通子が立ち塞がる。
「いや、最初から飛ばすと・・・。2限は理科でテストだし、ちょっとだけ休むのも手だよ。」
「次の時間はちょっと保健室で休みたい。お腹が少し痛いような気がする。」
(実験もしていないし、理科の学習はおそらくなんとかゼミとかでやっていてもテストはお客様にならざるを得ない?わざわざ自己肯定感を下げる必要もないだろう。保健室で休むのは正解だな)
1限の算数の授業が終わりに近づく中で村上はミチヒトを立たせると教室を出ようとした。すると・・・
「孤独」って誰もが考えてみたことがあるんじゃないでしょうか。「孤独」って絶対ひとりで居るときよりも大勢の中でポツンとなった時が何千倍も切ない思いを感じるんだと思います。そういう意味では家に居るときのミチヒトは刹那成る孤独は感じてなかったのかもしれません。でも、「あれ、やっぱり自分はみんなと違うんじゃないか」と疑心暗鬼になり始めた時から「孤独感」はじんわりとボディーブローのように効いてくる・・・。でも、実はみんなもそれは同じなんですよ。だからたとえ嫌な相手でもつるもうとするんですよね。
さて、2限の後は少し長い休み時間が入ます。授業準備やトイレ休憩のなどの時間なのですけど、子どもたちって少しでも遊びたいんですよね。




