第1話 ③
☆
朝もLHRも誰かさんがたいそう騒がしくて疲れた俺は、一人の時間が欲しくて図書室まで赴いた。
「――お、安部君」
「……ん?」
図書室に辿り着いて座る席を探していると、見知った顔を見つけた。5組の安部理志君だ。
彼は分厚い本に目を通している。
こうして会うのは学科紛争以来だ。あの時は顔合わせ程度で話す機会がなかった。
1科の男子だけど、地味な見た目で性格もあまり騒ぐタイプには見えない。少しウマが合うんじゃないかと思ったので気軽に声をかけてみるも。
「……誰?」
安部君は本に視線を落としたまま首を傾げる。素で俺の存在を忘れているっぽい。
「覚えてないかな? 学科紛争で1科と勝負した6組の高坂だよ」
俺が名乗ると、安部君ははじめて俺に視線を向けた。
「あぁ……君が噂の高坂君か」
「えっ、噂……?」
1科が2科の俺を噂してるって……絶対に悪い噂だよね。
「噂? ボクそんなこと言ってないけど」
「え、でも」
「くどいよ」
「……ごめん」
安部君は静かな口調ながらも強い拒絶で露骨に誤魔化した。なにそれめっちゃ気になるやつじゃん。思いきり言ってたじゃん。
……だけども真実を知ってしまうことを恐れるチキンハートも覗かせてるのが俺である。我ながら面倒くさい。
「安部君はなんの本を読んでるの?」
モヤモヤしか残らないのもあれなので、本の話題を振ってみた。
「タイトルで分からないの?」
「あ、えっと……」
なかなか棘のある言い方をするなぁ。安部君は毒のあるキャラなのかもしれない。
「……経済の本。経済や経営はいくら勉強しても過剰ってことはないからね」
「そうなんだ」
経済や経営か……。あまり興味は湧かないけど、将来確実に役に立つ分野だ。特に経営学は社会で生きる上で幅広い知識が習得できる。
「ボクからも質問いい?」
気が向いたら勉強しよう……と考えていると、今度は安部君から質問が。
「あ、うん」
頷くと、安部君は首を傾げて口を開いた。
「君、修学旅行でも1科とやり合う気?」
「1科とやり合う……」
それは全く思ってなかった。遠足の件で身に染みたんだ。学園外で揉め事の種を蒔くのは大変危険だと。いつどこで沢口君のような手合いが隠し撮りしてるか分からないし、学園外の人たちにも迷惑がおよぶ。
芸能人でもないのに隠し撮りを気に留めないといけないのは腑に落ちないけれど……。
「そのつもりはないよ」
「それでいいよ。余計なことはしなくていい」
俺の回答がお気に召したようで、安部君は口角を上げて薄く笑った。
「せっかくの修学旅行だ。こんな時くらいは学科のことは忘れて、思いきり羽を伸ばしたらどう? 新たな着目点が見えてくるかもよ」
新たな着目点……か。
「そうするよ」
「君は思ってたよりかは賢明のようだね」
「ははは……」
遠回しにバカにされた気がするけど深くは考えまい。
図書室で本を読んで教室へと戻る途中。
「高坂せんぱーいっ」
階段の踊り場まで降りたところで優しい声色が耳に届いた。
「南条さん」
ふわりとしたロングヘアーを揺らして俺に駆け寄ってきた女子生徒は1年生の南条栞さんだ。穏やかで心優しき女の子。学科総会で精神的に参ってた俺に元気を与えてくれた。
今時珍しいくらいに天使、いや女神だ。南条さんマイスイートエンジェル。
……やべ、自分で表現してて滅茶苦茶恥ずかしくなったぞ。
「図書室に用事だったんですか?」
「うん。静かな空間が恋しくなってさ」
谷田誠司とかいう賑やかしは滅多に図書室に来ないしね。
「あ~図書室の雰囲気いいですよね~。私も賑やかなところよりも静かなところが落ち着きます」
おっとりした南条さんらしいなぁ。
「気が合うね。……ところで、さ」
せっかく南条さんと会えたんだ。これだけは早めに伝えたい。
「この前はどうもありがとう。南条さんが励ましてくれたおかげで腐らずに済んだよ」
「いえいえー、どういたしまして」
沢口君にハメられて2科からの信用が地に落ちた俺に寄り添い、励ましてくれた女の子は今もニコッと控えめに微笑んでくれている。
「本当に助かったよ」
南条さんは恩人と呼べる存在になった。感謝の気持ちを忘れずにいたい。
「……では、ご褒美が欲しいです」
にまっと破顔した南条さん。
ご褒美か……要望があるならできるだけ応えたい。
「俺で対応できることであれば」
「やったぁ。ん~、どうしましょうかね~」
南条さんは目を閉じて可愛らしい薄桃色の唇に人差し指を当てる。あっ、柔らかそう……。
「――では、修学旅行のお土産を期待しますね~」
「…………お、お安いご用だよ」
平常を装ったものの、俺は内心穏やかではなかった。
一瞬、南条さんはキス顔を作ったのかと、彼女からキスでも求められてるのかと勘違いしたよ! 恋愛弱者はこういう時に慌てふためてしまってよくないね。
実際は単に考えを巡らせていただけだったというのに。勘違い男未遂で済んだのは不幸中の幸いだ。
それにしてもすっごく綺麗な顔だった。単に綺麗なだけじゃなくエロスも感じた。
「ありがとうございます~! 修学旅行、楽しんでくださいね~!」
南条さんは俺の心情などつゆ知らず、笑顔で手を振って教室へと向かった。
「なんだ、まだドキドキしてら……」
美人の仕草にドギマギしているのか、南条さんという一人の女の子に対してドキドキしてるのかは定かではない。
「こんな時こそ深呼吸なり」
俺は踊り場で一人深呼吸を繰り返した。
ドキドキこそ収まったものの、南条さんとの刺激が強いやりとりは何度も俺の脳内を駆け巡ったのだった。
☆
「おはよう、宏彰」
「おはよう」
「おはよう父さん、母さん」
「おっは~兄貴☆ いよいよ修学旅行だね」
はい、修学旅行当日がやってまいりました。昨晩は普通に眠れた。
「おはよう元貴」
「にひひひ~」
食卓の席に着くと、俺の正面にいる中学生がニタニタとムカつく笑みを浮かべてくる。
コイツは弟の元貴だ。中学三年生。
我が弟ながら言動は軽く、性格もチャラい。決して嫌な奴ではないんだけど……時折暑苦しいんだよね。
「……なんだよ」
「兄貴の学科は男子しかいない環境って言ってたけど、修学旅行では女の子もいるし、出会いがあるかもねっ♪」
「そんなわけないでしょ」
それを言ったら、学科こそ違えど同じ学園に女子がいるのに今まで何もなかった……とは言えないけど、それでも浮ついたエピソードはない……はず。
一瞬、星川さんとのデート、遠藤さんとの屋上、遠足の昼休憩、南条さんとの抱擁が頭に浮かんできたけどすぐさま振り払った。ここで彼女たちが俺に気があると考えるのは典型的なうぬぼれ野郎だ。自制せねば。
「いやいや兄貴っ、旅行中のハイテンションを侮るなかれ! 俺っちも小学校の修学旅行で初彼女ができたんだぞ☆」
「その武勇伝話すの何回目よ」
耳にタコができるかってくらい聞いたわ。
「とにかく! 修学旅行を舐めちゃめっ! ってこと! くれぐれも女の子からのサインを見逃さないようにね! あぐらばかりかいてるとなにもモノにできないんだからねっ!」
「……りょーかい」
これ以上言い返しても埒が明かないので適当に頷いておいた。
女の子からのサインって……そもそも別学科で接点もほぼないと思うんだけどな。
あとコイツもついでに誠司も修学旅行を一体なんだと思ってるんだろう?
「忠告しとくけど、鈍感系が通用するのは創作世界のお話だけだかんね! 現実で鈍感な野郎は女の子から愛想尽かされておしまいだよ」
元貴はビシッと俺の顔を指差した。
「お、おう……」
コイツが言うと妙に説得力がある。多少は頭の片隅に入れておくことにしよう。
「兄貴には、気になる子はいないの?」
「気になる子――う~ん……」
脳内から記憶を漁ってみる。
記憶から出てきたのは星川さん、遠藤さん、南条さん、そして田中さんも。
どの子も悪い子じゃないし、俺に一定の好感を抱いてくれているのは分かる。
だけども――それは果たしてラブ的な意味なのか? あくまでライクなのではないか?
脈ありと勘違いして特攻した結果、「そんなつもりじゃなかったのに」と言われるオチではないのか?
そんなの、とんだピエロじゃないか。
恋愛未経験の俺には女性の機微は一切分からない。彼女たちが何を思って俺と接してくれているのか。
安直な考えで「こうだ」と決めつけるのは大変危険だ。慎重に見極めないと……。
もしも俺がハイスペック幼馴染の松本歩夢や、学園屈指のモテ男の高沢椋君のようなスペックだったら臆することなくアプローチできるんだけどなぁ……。
それ以前に俺自身の気持ちは? 彼女たちをどう思っているのだろうか……?
「――おーい兄貴ぃ~? ダイジョビ?」
「……おっ、とぉ」
はっと我に返った俺の顔を見る元貴はニヤケ面だ。なんかムカつく。
「にっひひー。今の間ぁ――兄貴の中には誰かいるっしょ~?」
俺と違って他人の機微に鋭い元貴は軽薄な割に鋭いから困る。
「誰かいるかなぁと考えを巡らせただけだよ。その結果、誰もいなかった」
あれだ。女子と関わる機会が少ない中で絡みがあるから否応なしに浮かんできてしまっただけの話。
「あーっ、そ」
元貴はつまらなそうに鼻から息を吐く。それ以上は言及してこない。しつこく詮索してこないさっぱりとしたところはコイツのいいところだ。
「難しく考えなくていーじゃんね」
元貴は重要な部分が分かっていない。俺と彼女たちは学科という高くて頑丈な壁で隔てられている。特に1科から軽い扱いを受けている2科の俺が女子と親密になること自体が重罪。嫉妬にまみれた1科男子たちの魔の手によって始末されるのがオチ。
俺に女子を求める権利があるとすれば――1科に勝てたあとになる。
「おっと、これ以上長話してる余裕はないや」
時間は有限なんだ。出発の支度を進めないと。朝食を済ませたら歯磨き洗顔をして、着替えて、忘れ物チェック……。
「はいはい……まったく兄貴はいつまで経っても純粋なんだから」
元貴はやることリストを脳内に書き足す俺に苦笑を向けてきた。
「少なくともお前よりはけがれてないかな」
経験豊富で擦れた弟よりかはピュアな自負はあるさ。なんせ未経験だからね!
両親は俺と元貴のやりとりを苦笑しながら黙って聞いていた。
「――じゃ、行ってきます」
「おーす、いってらっしゃい! お土産シクヨロね~」
「行ってらっしゃい」
「楽しんでな」
玄関にて家族からのお見送りを受け、ボストンバッグを肩に掛けて家を出た。




