第10話 ②
顔を上げると、この間バドミントンで一戦交えた南条さんが笑顔でこちらに手を振っている。試合中の凛々しい雰囲気とのギャップがすごい。だがそこがいい。
「こんなところでどうしたんですか? ジュースを買いに来たんですかー?」
「こんな……あ」
知らぬ間に昇降口まで辿り着いていたらしい。考え事をしていて全く気がつかなかった。
「……先輩、なんだか元気ないですね?」
「そ、そうかな?」
俺の表情から何かを感じ取ったのか、彼女は一転して心配そうな面持ちで俺を見つめてくる。
「場所を移しましょうか」
「い、いや別にいいよ」
「いいから、ほらほら~」
「な、南条さんっ……!?」
南条さんの押しの強さに俺は無抵抗で従うしかなかった。
あと、周囲に勘違いされるから腕を組むのはやめてくれないかなぁ。逃げも隠れもしないからさ。あととっても恥ずかしい。
「ふぅ。初夏の香りがします」
辿り着いたのは屋上。つい最近星川さんとも話した場所だった。あまり人が寄りつかないスポットとして選んでくれたのだろう。
「……そうだね」
南条さんの髪や胸のリボンが南風で揺れる。実に爽やかだ。
「……やっぱり変です。いつもと雰囲気が違います」
「そう、かな?」
「嫌な出来事でもありましたか?」
作り笑いで曖昧に返事した俺を南条さんはじっと見つめてくる。本質を見極めようとしているかのように。
「1科や2科のことで悩んでてさ」
多少の緊張と気まずさも覚えたものの、普段の彼女とは違う、それこそバドミントンの試合中の時と同じ真剣な眼差しに負けた俺の口からはするりと悩みの内容が漏れ出てしまった。
「………………」
南条さんは無言で頷く。
「って、こんなこと南条さんに言う話じゃないね」
俺は後頭部を掻いて苦笑するも、南条さんは目を伏せて首を横に振った。
「学科間の仲がよくないことは知っています――けど私は1科とはいえ1年ですし、2科と直接の敵対関係はありません。もちろん先輩や2科に対して悪い感情も持ってません」
両手の指をぎゅっと絡ませて意を決したように再び口を開いた。
「なにか心の内に溜め込んでいる感情があるのなら――話していただけませんか?」
口調と声音からは興味本位な感じは微塵もなく、真剣な思いだけが痛いほどに伝わってきた。
彼女の誠意に応えるべく頷く。
「……1科全体を敵に回してでも同士の2科が学園生活を快適に過ごせるように、1科から迫害されないようにと色々と仕掛けてきた。その結果、1科どころか2科の生徒からも疎まれるようになっちゃってさ」
一度漏れ出すともう止まらない。次々と愚痴というか、弱音というか、恨み節を垂れ流してしまう。
「2科のためを思ってやってるつもりだったのにさ……けど、俺の行動で2科の生徒に被害が及んでると知って、俺がしてることは百%間違ってるのかなって。一%すらも正しくないのかなって」
こんな、他人が聞いたって嫌な気持ちになる話、争いとは無縁な1年の子にべらべらと話すものじゃないのに、だ。
「そんなことが……」
南条さんは悲痛な面持ちで俺の話に耳を傾けてくれている。
「肝心な2科の待遇は全く改善できてないし、俺のやってることって果たして意味があるのかなって――迷いが生まれちゃったんだよね……」
学科間の格差をなくそうと動いた結果、1科からも2科からも疎まれる形となってしまった。恩恵はほとんどなく、弊害だけが表面化している有り様だ。
「………………」
そこまで聞いた南条さんは想定外のアクションを起こした。
「な、南条さん!? 何を……――っ!?」
優しく俺を抱き締めて、頭を撫でてきた!
うわわ、突然の感触に頭はパニックに陥った。俺とほぼ変わらない身長の彼女だけど、しっかりと女の子の身体をしており、魅惑的な感触が俺を懊悩させにくる。
「先輩は、自分の行動を後悔しているのですか? 罪悪感を抱いているのですか? だから落ち込んでいるんですよね」
彼女の優しい香りは俺の荒れた心を修復してくれる。
「……後悔は――してないよ。やらなきゃなにもはじまらないから」
周囲に敵が多い現状にはなってしまったけど、球技大会、学科紛争――1科に下剋上チャレンジしたことに後悔の感情は一切湧いてこない。
「後悔がなければ、罪悪感を抱く必要なんてどこにもありませんよ。堂々と前を向き続けていてください」
ちょっとだけ頬に当たる彼女の髪は細くて柔らかくて、まるで絹糸のようだ。
「悪意を向ける人ばかりではありません。先輩の行動で助けられた人や感謝してる人だって必ずいます。もしかしたら、案外近くにいるかもしれませんよ?」
「先輩が気づいていないだけで」と言って南条さんは穏やかに笑った。
くそっ。南条さんの、彼女からとめどなくあふれ出る優しさに甘え溺れそうになってしまう。救いを求めてつい手を伸ばしてしまいそうになる。
「それに私はたとえ学科間の関係が修復不可能なほど険悪になってしまっても、先輩から背を向けはしませんよ。こんな人間だっていることをどうか分かってほしいです」
「――南条さん……」
あぁ、どうして君はこんなにも慈愛に満ちているんだ……。
「――南条さんの言うとおりだ。俺はなにをウジウジしてたんだ」
そうだ。1科と戦うと決断した時、困難も承知の上だったじゃないか。何度でも起こりうるであろう困難や逆境、苦難に対抗できずして格差廃止が実現できるか? できるわけがない!
「もう、大丈夫みたいですねー」
俺の言葉に力が戻ったことを感じ取ったのか、腕を離した南条さんは俺の目を見つめた。恥ずかしさと同時に、微かに残る彼女の感触、優しさに名残惜しさを感じてしまった。
「うん。ありがとう」
はっきりと頷いた俺を見て満足したのか、彼女は頬をほころばせた。
「先輩が正しいかは分かりません。ですが、私は先輩を応援してますよ」
何が正解かなんてその人その人で感覚が違う。絶対的な正しさなんてほとんどない。その中で俺がこうしたいんだと強く、強く願うと同時に、成し遂げるために努力するしか道はないんだ。
さっきの2科男子の話も、2科の扱いを改善できさえすれば気にしなくて済むようになる。ロミオとジュリエットよろしく、学科間を越えた交際だって気兼ねなくできる。というか元来そうでなければおかしいんだから。
「私は、何があっても先輩の味方ですから」
こんな俺に好意的な子もいてくれる。信じてくれる人だっている。
「……ありがとう、南条さん」
一瞬、どうしてそこまで俺に好意的なの? と聞きたくなってしまったけど、今はタイミングじゃない。今の俺は南条さんの優しさを受け入れて感謝したい気持ちしかないんだ。
「あっ、そうです。連絡先教えてください」
思い出したように手を軽快にポンと叩いた南条さんはブレザーのポケットからスマホを取り出した。
「そういやまだ交換してなかったね」
前回話した時は体育の授業中で交換が叶わなかった。体育の際にはクラス全員がスマホを学級委員に預ける学則になっているためである。
「先輩の連絡先、ゲットですっ」
アニメの主人公のような台詞を放った南条さんは俺のチャットホーム画面を嬉しそうに眺めている。そこまで喜んでもらえるとは恐縮だ。
こうして晴れて南条さんと連絡先を交換できた。
そして迷いを捨てた俺は南条さんと別れ、屋上をあとにしたのだった。




