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名もなき神学者の偽書  作者: уТ
第3章 ツァラトゥストラ
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第3章 5節 収容地区奪還作戦

 最初に来た時と同じ感覚だ。身体は消えて、感覚だけが残るようだ。目の表面がパサついて、消えて、そのうち感覚もなくなる。朦朧として、次第に温度が変わって、空気が変わって、フェリックスを使ってる時みたいに重力がどの方向に向いているのかわからなくなる。


 朦朧とする意識の中で瞼を開けると、目の前には半壊した煉瓦の建物が並ぶ街並みが見える。もう既にここらの地区は空爆済みってことか。


 先程の四千秒の中で、ジークは中隊を数個編成していた。まず第一波でメイベルとケイトが指揮するフェリックス隊による爆撃、敵のフェリックス隊と空対空戦闘を行い制空権を取り、第二波でエグゾスーツ部隊による攻撃をしかける。第三波でぼくとジークが指揮する部隊が残敵の掃討を行うという作戦だ。

 今頃、兵力が集中する場所では第二波のエグゾスーツ部隊が戦闘を行っているだろう。檻は何処だ。建ち並ぶ煉瓦の建物の間をぼくは走り抜け、知っている道を探そうとする。ぼくが勝手に走っているので、その後をジークが追いかける。流石にこの入り組んだ地上の街の中では、フェリックスは使えない。簡易転送装置も、座標をすべて把握していないので今のところは使えない。この場では、自らの脚だけが頼りだ。


 ぼくは、先程、物域塔に来た大隊の兵士に貰った短いライフルを大事に抱えて走っている。カービン銃というやつだ。市街戦では、基本的に長射程のライフルが必要となる。フェリックス使用者同士の上空での戦闘なら敵に急接近することが多いので、バランスを取りながら至近距離で撃てる拳銃や、弾幕を張る為の軽量汎用機関銃、拳銃よりも至近距離で使える短剣、ナイフが重宝するが、物域を広げ合う市街戦では座標の把握、簡易転送装置の設置が重要視され、フェリックスの使用も制限されるので、どうしても自らの脚で移動する時に使う中距離から遠距離を攻撃するライフルが必要となるのだ。しかし、ライフルでは銃身が長すぎるので、狭い場所でも即応して取り扱えるカービンという銃が一般では広く使われている……と資料室では読んだ。

 チェーカー、いや、ツァラトゥストラには、そもそも物域や転送装置は資本主義的な物流を手助けするという考え方があり、鹵獲したフェリックスを使って物域のない地域を広めるという方針があるので、実は、物域を広げ合う戦いはぼくにとって初体験だ。

 帝国軍を見ていると、空挺軍は防空軍が行う市街地の戦闘にも積極的に参加しているようだ。この方法は、チェーカーにも取り込めそうだな。いや、そもそもチェーカーは経済的にフェリックスが買えないので、空軍兵士もゲリラとして地上の戦闘に参加しているというのが現状だ……。皮肉なことだな、空挺軍とやっていることは同じなのに。これじゃチェーカーの軍はモメントが実用される前の大昔にいた、陸軍のようだ。

 ぼくは、チェーカーはチェーカーの為にも暫定帝国軍と手を組むべきだと思う。ツァラトゥストラは絶対に反対するだろうが、理想だけでは食っていけないのが現実なんだ……。


 走っていたら、帝国防空軍の小隊が数個前方に見えた。小隊の更に向こうには……おお、巨大な収容所。門には態々丁寧に世界共通語で収容所と書いてある。ヴァルがいるのはあそこか。空爆は避けられているようだ。ヴァルの他にも帝国軍の仲間は多くいるんだろう。空爆が避けられているということは、内部に看守として雇われている治安維持部隊も多くいると予想される。

 ぼくが帝国防空軍の小隊に向かって走っていくと、皆は警戒して、銃をぼくの方に構えた。そうか、そういえば、ぼくは上着は捨てたけど治安維持社の制服を着ていたんだ。

「皆やめろ!皇女(ひめみこ)樣、否、皇太子樣の御顔を、忘れたのか!」

ジークが喚いてぼくを擁護する。兵士達は、何やらざわついて、ヒソヒソ話を始めた。

「少佐殿?し、失礼致しました皇女樣!」

士官らしい男がそう言い、皆に銃を下げさせ、こちらに敬礼させた。

 なっ、ジークは少佐だったのか。ああ、なるほど。通りで大隊長に対しても上からの口調で話していたんだな。それにしてもこんなに前線に出向いたり、特務部隊を編成して少人数で物域塔を破壊するなんて随分と破天荒な少佐だな。ぼくと同じ類だな。

「大丈夫ですか?ひめみ……レイ樣」

「途中まで言いかけてたぞ……。今は撃たれなくて助かったから感謝するけどさ……。全く、実際見てみたいよ。その皇女(ひめみこ)樣とやら。どれ程ぼくと似ているのか」

 ジークは苦笑いをして頭をかく。そして、先程の士官のもとに歩いて行き、何やら打ち合わせをしているようだ。しばらく話してからこちらに戻ってきて、内容について話してくれた。作戦は、簡単にまとめると屋外攻撃班と屋内護衛班、救出班に別れ、屋外攻撃班のみがライフルを装備し陽動する。屋内で救出を行う班は跳弾を防ぐ為にサブマシンガン、つまりライフルより威力の低い拳銃弾を連射できる銃を使用するというものだ。それ以外は、通常通り屋内でのクロースクォーターバトル戦術(ドクトリン)に則り行うらしい。

「心配なのが、治安維持社が囚人を人質に取らないかってことだよね」


──言った途端、悪い予測は的中した。


『帝国軍に告ぐ!』

 収容所の敷地内で、一番高い煉瓦の建物に登った治安維持社の社員がメガホンを持って叫んだ。

『人質を殺されたくなければ、そちらの転送装置を無効化し、撤退しろ!』

青い空の向こう、建物の頂上に霞むその叫ぶ社員は、腕に奴隷らしき裸の子供を拘束しているようだ。卑劣な……。

 帝国防空軍の士官がこちらに向かって小走りで走ってきて、ジークに提言する。

「少佐、あの子供は無視して空挺軍に空爆を要請しましょう、このような状況ではそちらの方が効り──」

 ジークは士官を拳で殴り飛ばして馬乗りになる。

「貴様、貴様は士官学校で何を学んできた。効率の為に臣民や同胞を見捨てることを学んできたのか。その桐紋、何の為につけている。貴様はその桐紋を身に着けるに値しない。貴様はもう臣民ではない。貴様は陋劣無知、蒙昧白痴な非国民だ!」

ジークは士官の胸ぐらを掴んで殴り始めた。士官は鼻血を出して、ジークのその真っ白な髪が、赤色に染められた。

「ねえジークやめて!」

 ぼくはジークを士官から引き離し、ジークをグーで殴った。ジークは殴られた場所を触りながら口を開いた。

「も、申し訳ございません。俺が……。俺が一番正気を失っていた」

 ジークは立ち上がり、顔を拭う。電信機を取り出して信号による電信を始めた。内容は"簡易転送装置設置完了、空挺軍所属メイベル、ケイトは至急、地点Л五三二へ"……なるほど、あの二人を呼ぶのか。

 しばらくすると少し遠くの場所で小さな稲妻が発生し、空間が歪んで二人の影が現れる。ちょっと位置がズレていた。フェリックスを使ってこちらに移動する。

「よく来てくれた、いま丁度、捕らえられた臣民……そしてヴァルの救出を行おうとしていたのだが、気付かれて人質をとられてしまった。だが、このような時こそ我々ズヴィカークは本領を発揮できるだろう」

ジークはこちらを向く。

「レイ樣、ここでお待ちください。これ以上危険な目にあわせる訳にはいきませんから」

 ジークは士官に対して詫び、そしてぼくの護衛を頼むと言って、収容所の裏口に向かって走っていった。

 ズヴィカーク一同が収容所に侵入して二千秒は経っただろうか……。士官は必死に時間を稼ごうとして、人質をとっている社員と交渉を続けていた。

「治安維持社、君達は完全に包囲されているぞ!今我々が撤退しようと、ハーネスブルグ中心物域塔が占領された今、君達はこの場で戦術的に勝てても戦略的に敗北することになる。兵站的に考えて敗北するのは確実だし、メシトリ支社は、スシャーの治安維持社本部からも見捨てられるだろう。そして、次に我々帝国軍と君達治安維持社の残党が会敵する時には、今のように投降の機会も与えられずに殺されるだろう。もう既に、メシトリ全土は我々フウイヌム帝国の領土なのだ。君達が欲しいのは命か?それとも金か?もう一度言う、人質を解放して投降する気はあるか?」

 饒舌な士官だ……。不利になる理由を明確に述べ、尚且つ戦術と戦略というミクロとマクロの着眼点からネゴシエーションをしている。対して治安維持社の社員は何と言うだろうか。

『ま、待て!今所長と投降するか否かを相談してくるから、絶対に攻撃するな』

 その時、爆音が建物の中で鳴り響いた。

『何をし──』

 治安維持社の社員は、そう言いかけると血を口からふきだしながら倒れた。ぼくの右手にいる帝国軍の狙撃手が倒したんだ。上手いぞ。

「門を開けろ!」

士官がそう大声で叫ぶと、門に設置されていた爆弾が起爆された。そして、収容所からやせ細った裸の子供やら大人がぞろぞろと出てきた。その奥から歩いてくるのは、ケイト、メイベル、ジーク……そして、ジークの肩に支えられる赤毛の女……。ヴァルだ!ぼくはヴァルのもとに走っていく。

「え、ヴァル……その足……」

 近くに行って気付いた。ヴァルの右足が無いのだ。右足からは血が滴り、包帯で止血されていた。その痛みによるショックからか、ヴァルは気を失っていた。あの時の男勝りの威勢が嘘みたいだ……。その気絶している姿は女そのものだった。

 ぼくは、ヴァルの手に、借りていたナイフを握らせる。落ちそうになるが、ジークがその上から握りしめてくれた。

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