第2章 7節 隠れるハイドはyを探す
ツァラトゥストラと揉めてから半日ほどは経ったか。もう怒ってはいないだろう。いや、最初から怒ってないかも……。
ぼくはそんなことを考えながらモメントを使用してハーネスブルグに向かっていた。流石にこの長距離ではモメントを使うしかないので、チェーカーに数個しかないモメントの使用を許可してもらった。そう、ぼくはいま遥か上空を音波よりもずっと速く飛んでいる。下を見れば森に生い茂る木々が前から後ろへとすっ飛んでいく。この生身でこんなにも速く……。
モメントは主に二種類存在する。一つは重力操作モメント。俗にフェリックスとか呼ばれている。これは重力を操作できるモメントであり、全方向に任意で落下できる。
モメントが普及する前に存在した飛行機という乗り物程度の速さで空を飛べる。これは単体で動かすことが可能。錠剤みたいな形で、呑むと使用できる。注射みたいなタイプも多い。体質によって最大速度が変わるらしい。まあ、平易にまとめると速く空を飛べるモメント。今使っているのはフェリックスだ。
二つ目はマテリアル式モメント。こっちは単純に転送装置とか呼ばれてる。これはモメントが発達する前に存在した電波というもに似ている。物質をローディングして、遠くの場所に転送するのだ。しかし、これにはインフラ整備が必要で、戦地で使うには中継基地となる飛行機や基地を設置しなくてはいけない。
チェーカーでは二つまとめてモメントって言ってるけど、いくらなんでもフェリックスをモメントと言うのは混乱を招くと思うな。
などと考えている間に、もうハーネスブルグか。対空兵器やレーダーを迂回したとはいえ、近いものだな。もし第七地区中央司令舎から自力で歩くとなると、三十日以上はかかるであろう。
フェリックスを思念で操作し、重力を正常値に変更する。地面まであと少しという距離で、抑制が作動し、「すたっ」と着地ができる。
──なんだ?
この空気、ノスタルジックな……。
いや、目に入るのは、はじめての光景だ。煉瓦造りの建物が連なる街並みなど、はじめて見た。懐かしくはなく、むしろ新しい。通り行く人々は皆、背広を着て髭を蓄えた男か、ボロ雑巾のような布をまとった……。
──子供?
『五百ターレル』
『小切……手で……』
『馬車に乗……』
な、なんだ。記憶に何かが侵入してくる。
『金持ち……』
『ヤ……ク』
周りの人々は途轍もなく速く歩いて、ぼくだけが取り残されるようにゆっくりと、前を向いて歩く。毛髪から汗が頬をつたう。水滴……。
『雨……』
『おなかが』
『マ……クレ』
呼吸も乱れてきた。水が飲みたい。目の前に古臭い煉瓦造りの店を見つけた。そこに入ろう。ぼくは凄く疲れて、手を使って、猿みたいに歩きながらゆっくりと店のドアに向かう。
店のドアにもたれると、ドアはベルを鳴らしながら開いた。中はバカみたいにうるさい音楽……。水、水がほしい。
「なんだこいつ?女か?新しいストリップの娘が入ったてかぁ?」
目を開けるとそこには酒臭い太った男が立っていた。その後ろには、裸で踊る女の子供。紫色の照明が目に入る。咳とともに吐きでた息に、呼吸が乱れた。
「おいメスガキ、お前俺とあったことあるか?なんかはじめてじゃないきがする。おれの名はマクレーン」
わたしは……鼓動の愛の消え去った海で溺れて泣いた……。わたしはテシー。そう、テシー以外のなにものでもない。レイ君。じゃあ君は誰?
大人達は君を拘束すると、服を脱がせはじめた。悦を果たす為。君は、わたしを守ろうとして自分をおさえこむ大人達を蹴り飛ばした。君は、心にいるわたしを外に連れ出してくれた。わたしは君を寝かせようと必死になった。だって、君は疲れているから。わたしは目が見えなくて……。目を瞑っていて、太陽を欲して外に走った。
いや違う、ぼくはぼくだ。お前は……。テシー?ぼくは、心の中に侵入しようとする女の子を追い出そうとする。どうすれば出ていってくれるんだ。
視界が白く濁ったり、鮮明に見えたりを繰り返す。目を開けている時はぼくで、瞑る時は君。ねえ、テシー?君は誰だっけ?ぼくは問いかけてみた。
わたしは……多分、ここに呪縛されていた……。土地に。わたしは君を受け入れてから、君と同じ空気を吸ってからというもの、美が穢された気がした。
そんなものは帰納的に構築された陳腐な類似物を"俯瞰"したような気になって作り上げられた概念に過ぎない。
いいえ、わたしはフウイヌム語以前で構築された形而上世界に、アポステリオリが侵入することを嫌った。わたしは文字にも拘る。神は、核で生活を破壊するだけではなく形而上世界を知識で圧迫して、破壊する。貴方はその使者。
くだらない、ぼくはそんな無益な妄想に付き合ってる暇はないんだ。ぼくは、視界をはっきりとさせて目の前の草むらを見つめた。ぼくの視界には草むらの前に立つ大人五人……。
「治安維持部隊だ。暴行事件があったと通報を受けてきた」
もう片方にはマクレーンが立っている。
「お巡りさん!このメスガキ、俺を殴り飛ばしたんだ。服を脱がせようとした時、確かに俺が俺の奴隷に入れている刺青が見えた」
「なんだと?」
治安維持部隊の隊員は、ぼくに近付く。どんどんと近付いてくる。目が見えた。目は充血して見開いている。助けをこいたかった。ぼくは仰向けのまま後退りしながら、腕で顔を隠した。




