第8章 『決意』
後からわかったことだが、あの時凜は、とても危ない状態だったらしい。あと少し気付くのが遅ければ、助からなかったかもしれないと、看護婦さんに言われた。
つまり、もしもあの時凜の所に戻っていなかったら、本当に二度と会えない所だったかもしれないということだ。そんなこと、考えただけでもゾッとする。
しかし、どうやら事態はそれだけでは終わらなかった。
「何だって?」
僕は今凜が言ったことに耳を疑う。
「昨日ね、先生から言われたの。この間みたいな発作がいつまた起こるかわからない。もう手術しなきゃダメだって」
「手術……」
「先生が言うにはね、これに成功すれば、病気は治るらしいの」
「そ、それじゃあ!」
「でもね、失敗したら、そのまま死んじゃうだろうって……」
「そんな……」
「治る」と聞いて歓喜したのも束の間、そこまでの病気を彼女が抱えていることを、改めて思い知らされる。
凜は下を向いてしまっている。僕は、何とか元気づけようとする。
「で、でも、成功したら治るんだろ?」
わざとらしく明るい口調で言った。しかしそれは効果がなかった。
「でも……」
凜は下を向いて言う。
「私……手術受けたくない……」
「え?」
「だって、手術して、失敗したらもう死んじゃうんでしょ?でも、しなかったら失敗した時よりは長く生きられるし……」
「で、でもさ、成功したらずっと生きてられるし……」
「怖いの……」
凜は微かに震えていた。
「だって死んじゃったら、悟君や、お父さんお母さん、色んな人達と、もう会えなくなるでしょう?私、昔は死んじゃおうって思ったこともあったけど、悟君が来てくれて、何だか幸せだなって感じて。この間の時、私、もっと生きたいって思った」
「だったら……」
「でもだめ!」
「だって、失敗したら、本当に、会えなくなっちゃう!悟君とこうして話したりも出来なくなる!そりゃ成功したら治るのかもしれないけど、失敗して今を失うのは怖い。怖いよう!!」
凜はしがみついてくる。その手はどうしようもないくらい、震えていた。
僕は神様を恨んだ。ああ、どうしてこんな、17歳の女の子にこんな試練を与えるのだろう。代われるものならいくらでも代わってやりたい。
「死」への恐怖とは、一体どんなだろう。人間誰しもいつかは死ぬ。しかし、今まさに死ぬかもしれないという恐怖は、きっと想像もつかないぐらいだろう。
まして17歳の女の子だ。怖いに決まっている。恐怖に怯える凜を前に、僕は何も言えなかった。
「はあ……」
昼休み。ため息をついてしまう。凜があんなに苦しんでいるのに何も出来ない自分。のうのうと学校に来ている自分。それが歯がゆくて、悔しかった。
不意にポン、と頭を叩かれる。
「どうしたんだよ剛〜。ため息なんてついて。凜ちゃん無事だったじゃんよ〜」
剛はまだ知らないようだ。僕は凜の置かれている状況を話した。
剛は言葉を失っている。が、やっとの思いで口を開く。
「それでため息ばっかついてんのか?」
「それもある。でも……」
「でも?」
「……なんて言うか、自分がすごく歯がゆくてさ。凜があんなに苦しんでるのに、俺、何もしてやれない。」
自分という存在は、大切な人が苦しんでいる時に助けてもやれないのか。いかにちっぽけな存在なのかを思い知らされる。本当に惨めだ。
凜が抱える不安や恐怖を考えると、いても立ってもいられないのに……。
「ま、まあ、元気だせよ。そんなに自分を責めるな。お前まで暗くなってると、凜ちゃんだってもっと不安になるだろ?」
「剛……」
「それに、助けることは出来なくても、勇気づけることは出来るだろ?」
「でも、どうやって?」
「そ、それは……」
と、ポケットの中の携帯がブルブル震える。
「メールか?」
「ああ」
何だろうか。見てみるとキャプテン、まあ新キャプテンになった同級生の奴からだった。
『今日の練習後に、新人戦の出場種目を決めるので、各自考えといて下さい!』
「新人戦?」
「ああ、今度試合があるんだ」
「それって例のアイツも出んの?」
「ああ、出るんじゃ……!」
僕はその時ピンと来た。
「それだ!!」
「わっ、いきなり大声出すなよ!」
「俺、わかったよ!彼女の為に、俺が出来ること!!」
「そ、そうかよ」
新人戦は県大会だ。つまりアイツ―高見総一郎も出て来る。もし僕がアイツに勝てたなら、きっと彼女を勇気づけることが出来る筈だ。
そりゃあ、例のトラウマもある。一筋縄ではいかないだろう。だがこれはきっと、神様からの試練なんだ。
七夕の夜、僕は神様に、何でもするから彼女の病気を治して欲しいと願った。
僕は今、試されているのかもしれない。本当に彼女のことを想うのなら、乗り越えて見せろ、と。
彼女に伝えに行かなきゃ。直ぐにでも会って伝えたい。
「剛、俺、次サボるから適当に言っといてくれ!!」
「えっ、お、おい!!」
僕は病院へ走った。そして大慌てで凜の部屋へ。
「凜!!」
興奮のあまり扉をバン!と開けてしまった。凜は驚いている。
「ど、どうしたの?そんなに慌てて」
「話が、あるんだ」
「え?」
僕は呼吸を落ち着かせて続けた。
「あのさ、手術……受けてくれないか?」
「え……」
凜は黙ってしまう。おじさん曰く、自分達や先生の再三の説得にも、首を縦に振らなかったそうだ。
「やっぱり……怖い?」
凜はコクッ、と頷く。
「じゃあさ、ちょっと賭けをしないか?」
「賭け?」
「ああ、単純なね。あのね……」
一つ間をおいて言う。
「今度、新人戦って言って、1・2年生だけの県大会がある。そしてそれに高見総一郎も出る」
「……」
「それでもし、俺が高見に勝ったら、手術を受ける。もし負けたら、凜の好きにしたらいい。どうかな?」
「え、それって……!!」
「つまり、俺が例のトラウマを乗り越えられたらってこと」
凜は慌てだす。
「でも、前はダメだったんでしょう?それに、高見って人、とっても速いんじゃ」
「それは……そうだけど」
「それにそんな、私なんかの為にそこまで辛い思いすることないよ!無理しないで……」
「凜!!」
僕は凜の両の肩をガシッと掴む。
「俺な、今凄く辛い。何でかわかる?君が苦しんでるのに何も出来ないからさ」
「悟君……」
「俺には、病気を治してやることも、代わりになってやることも出来ない。走ることしか出来ない。ならせめて、それで君に勇気をあげたい」
僕は凜の目をまっすぐ見つめる。
「そりゃあ俺だって怖い。震えるくらい。でもさ、俺が乗り越えられたら、凜だって乗り越えられる。だからさ、俺を信じてくれないか?」
「悟君……」
「俺は絶対乗り越える。そして凜も絶対治る。な?」
僕は精一杯の笑顔で彼女に言った。震えるくらい怖いけど、凜の辛さを考えたら、このぐらいどってことない。待ってろ、凜。直ぐに勇気を届けに行くよ。




