第4章 『衝突』
5月も半ばになった。だんだんと暑くなってきて、もう半袖で過ごすようになった。
「それでさ、その時アイツが……」
「へえ」
今もまた凜の病室に来ている。この所毎日来ている気がする。凜はいつも笑って話を聞いてくれる。ただ、今日はどこか様子がおかしい。
「どうしたの?体調悪い?」
「ううん、それは大丈夫」
とは言うものの、どこか浮かない顔をしている。
「あのね、悟君」
と、凜がこちらへ向き直って言う。
「その、最近いつも来てくれるけど、いいの?その、勉強とか、部活とかで忙しくない?」
意外な質問だった。
「何で?別に大丈夫だよ?」
「でも、たまに凄く疲れてそうな時とかあるし……。それに、テストとかもあったんでしょ?私は来てくれたら嬉しいけど」
凜は俯いている。
「大丈夫だって!心配すんなよ」
そう言うと凜は「うん」と言って笑った。しかし、いつものようなそれではなかった。
「じゃあ、今日はこれで帰るよ。明日試合があるんだ」
「そっか。頑張ってね」
「おう」
そう言って家に帰った。
「ただいま」
「ちょっとアンタ、何よこれ!」
帰るなり姉が大きな声で言う。見るとこの間の中間テストだ。部屋に無造作に置いていたのを、姉が見つけたらしい。
「全部平均より下じゃない!」
「うるさいな、良いだろ別に」
「でもアンタ、去年はもう少しよかったでしょ。これはちょっと落ちすぎよ?」
「そりゃあ、そんな時もあるんじゃない?」
僕は面倒臭くて適当に受け答えする。
「あの娘の所に行くようになってからね」
実は姉には凜のことを少し話していた。僕はそのまま2階へ上がろうとしたが、その一言で立ち止まる。
「どういうこと?」
「だって、あの娘に会ったのは4月頃でしょ?その頃から成績が悪くなってるし」
「……凜は関係ないだろ」
「でもあれから帰りが遅くなって、勉強しなくなったのは事実でしょ?そりゃ、会いに行くなとは言わないけど……」
「……何が言いたいんだよ」
僕はなんだかイライラしてきた。喧嘩腰になってしまう。
「言いたくないけど、あの娘は病人なのよ?毎日のようにアンタと喋って、疲れないわけないでしょう?」
「わかってるよ」
「それにアンタだって成績こんなだし……」
「わかってるって言ってんだろ」
僕は2階へ駆け上がって行った。明日は試合だし、もう寝ようと思った。しかし、姉の言葉、そして凜の言葉が頭から離れない。
2人ともなんだか、同じことを言っているように思えてくる。
何だろう?凜は俺を気遣ってくれている風だったけど、本当はもしかして、遠回しに来るなってことなのか?
いや、まさか、そんなはずは。だって凜も来てくれるのは嬉しいって言ってたじゃないか。
でも、それは凜の優しさで、本当の所は結構無理してるんだろうか?
「あ〜やめやめ!」
僕は首を振って、考えていたことを打ち消した。今は、明日のことだけを考えよう。明日は試合だ。
1年の時は、怪我とかもあって、試合には出られなかったので、中学以来となる。そう、あの日以来だ。でも、多分大丈夫だ。
そうだ。試合が終わったら、凜に会って、試合のことを話そう。きっと笑って聞いてくれるはずだ。
翌日、県営の陸上競技場。今回は公式戦なので、8月のIHまで続いている。負けたら終わり、まさに1回1回が1発勝負だ。
同じ長距離パートの部員とアップをする。しかし、まだ昨日言われたことが引っ掛かっていた。結局、あれこれ考えてしまって、あまり眠れなかった。
「……会田、会田!」
「えっ?」
ふと見ると、他のみんなは走り終わっていた。
「どうしたんだ?何かボーッとしてさ」
「いや……」
「何か悩みでもあるのか?」
キャプテンの先輩が、心配そうに言う。
「あ、大丈夫です。何でもないです。昨日、あまり寝てなくて」
「何だ、緊張でもしたか?」
「ええ、まあ」
本当はそんなんじゃなかった。でも、今日は先輩達には最後のチャンスだ。余計な心配をかけさせるわけにはいかなかった。
そして何より、自分も試合に集中しよう。そう自分に言い聞かせた。
「ただいまの男子100mの結果は……」
地区大会が始まった。やはり思うに、こういう類の物は残酷である。コンマ1秒、瞬きをするぐらいしか差がないとしても、落ちる人がいる。トイレやロッカールームで泣いている人を、何人か見た。
「男子5000mに出場する人は……」
どうやら時間らしい。僕はユニフォームを着て、召集場所に向かった。
5000mというのは、400mトラックを12周半走る。そして、タイムで上から24人が次の県大会へ進むことが出来る。
「次の組!」
出番だ。胸の高鳴りを抑えつつ、僕はスタート地点に立った。レースでは走ったことはないけど、練習ではよく走っている距離なので、特に問題はない。そう思っていた。だが……
「パァン!」
レースがスタート。と、すぐに違和感に気付いた。
(何だ?足が……)
足が信じられないほど震えている。心臓も高鳴りを増している。これが実戦の緊張感なんだろうか。
(落ち着け、落ち着け)
何とか自分を落ち着かせようとする。そうこうしているうちに、3周ほどすぎる。先頭は随分前にいってしまっている。
(くそっ、こんなにキツかったか?)
僕は軽くパニックになっていた。さらにレースは進み、僕は7周目を過ぎた所だ先頭は8周目らしいけど。
ふて、スタンドから声が聞こえる。
「急げー!失格になるぞ!」
僕は少しして、その意味する所がわかった。先頭がすぐ近くまで来ていた。
こういうレースでは周回遅れというのは必然的に出て来る。そこで、3000mを越えて周回遅れになった者は失格になってしまうのだ。
僕は抜かれまいと踏ん張る。が、その時客席から
「ダッセエな」
という声が聞こえた。もしかしたら自分に言ったのではないかも知れない。だが、その一言があの記憶を甦らせる。
結局僕は、それで足を止めてしまった。
「はあ……」
地区大会が終わり、みんなが帰る中、僕は一人、近くの公園のベンチに佇んでいた。
(何も変わってないな……)
あの時、「ダッセエ」と聞いた時、例の高見の台詞も思い出して、もういいやっていう気持ちになった。やはり「あの」出来事は、今でも暗い影を落としている。
(どうすっかな……)
凜の所に行くか迷った。こんな結果で、どの面下げて行けってんだ。でも、結局行くことにした。慰めて貰いたかったのかもしれない。
「よっ」
「こんにちは」
それから色々話をする。しかしやはり凜はあまり元気がない。
「それでさ……ねえ、聞いてる?」
「え?う、うん」
「どうしたんだよ、ボーッとしてさ」
「ううん……」
凜はどこか上の空だ。ふと、こっちを向いて言った。
「そう言えば、今日、試合だったんだよね?どうだった?」
「……だめだった」
「……そう」
僕はわざとらしく笑った。
「いや〜、ダメだったな。やっぱり勝負の世界は甘くないよな。ハハハ……。俺ダメだな。陸上も勉強もさ。テストも赤点取っちゃうし……」
凜は慰めてくれると思った。しかし、彼女は思い詰めた顔で言った。
「私の……せい?」
「な、何言ってんだよ。そんなわけないだろ?」
「でも、最近無理してる風だったし、テストだって、私の所にずっと来てたから、ちゃんと勉強できなかったんじゃ……」
「だから違うって!!」
思わず声を荒げてしまう。何だ?何でそんなこと言うんだ?僕は混乱してきている。
2人の間に沈黙が流れる。
「何だよ、昨日もそんなこと言ってたよな。ここに来て良いのかって」
僕の中で、凜と姉に言われたことが、ぐるぐると回っていた。
「何なんだよ、来て欲しくないんだったら素直にそう言えよ」
「そっ、そんなこと……」
「そういうことだろ?俺が無理してるとか、自分のせいだとか言って、本当の所は鬱陶しいから来るなってことなんじゃないのか?」
「そんな!」
凜も声が大きくなる。むちゃくちゃ言ってるのはわかってた。でも、溢れる感情を抑えられなかった。
しばしの沈黙……。そして、
「じゃあ、どうして来てくれるの?」
凜が口を開いた。
「それは……」
「ねえ、どうして?」
僕は答えられず、口ごもってしまう。
「私が独りだから?」
「え?」
「私が独りぼっちで可哀相だから?それで来てくれてるの?」
「何言って……」
「同情して来てくれてるの?」
「それは違…」
「じゃあ何で!?」
見ると凜は目の涙を溜めている。僕はやはり答えることが出来ない。そんなこと、考えたことはなかったのだ。
「ほら、答えられないってことは図星なんだ!可哀相だから、同情して来てくれてるんだ!」
「だからそれは…」
「もういい!!」
病院中に響き渡らんばかりに声を張り上げる。
「そんな同情とかで……来てくれるんだったら……もう、来てくれなくていい!!」
凜はもうボロボロと涙をこぼしていた。
「だから違う!!」
と、そこへ看護婦さんが入って来た。
「ちょっと!うるさいですよ!病院には他にも患者さんがいるんですよ!?」
「す、すいません……」
「もう、静かにして下さいよ?」
それだけ言うと、看護婦さんは出て行った。またしても沈黙。凜は全くこちらを見ない。僕は何も言わず部屋を後にした。
僕は階段を降りながら考える。今ならまだ間に合う。戻って謝るか?でも何を?俺が悪いのか?それに行った所でまともに取り合ってくれるのか?でも、帰ったらこれっきりになっちまうんじゃ……。それでもいいのか?
もう外に出て来ていた。やり場のない怒りを、夜空に向かって叫んだ。
「もう……何だってんだよ!!」
その声は、頭上に広がる黒に吸い込まれていった。




