第3章 『将来』
「それでさ、階段3段飛ばしで走ってさ」
「えっ、そんなに?」
「これは間に合うんじゃないかと思ったんだけど、あと1歩及ばなくて」
「遅刻しちゃったの?」
「これが運のいいことに1時間目は先生休みで自習でね」
「わあ」
あれから何度となく、凜の病室に来るようになった。夜の7時頃までは面会時間になっているらしく、部活終わりに寄ったりする。
学校でこんな話があったとか、テレビがどうだとか、音楽の話とか……。たわいのないことを話している。
凜も色々と話を聞かせてくれた。自分の小さい頃の話、引越してしまった友達の話、両親の話……。
この間、出張中の父親から手紙が来たらしい。凜はそれを大層嬉しそうに見せてくれた。
「ふ〜ん、それで最近来てくれなかったのか」
膨れっ面をして言う剛。
「くそうっ、俺だって寂しいだろう!?」
「よせよ、気味の悪い」
ブーッとさらに膨れる。女の子がしたらきっとかわいいのだろうが、剛がやると何も感じない。不思議なものだ。
「でもさ、いいじゃん、アツアツでさ」
「アツアツって……そんなんじゃないよ」
「どうだかな〜。お前はそうでも、向こうは案外その気かもよ」
「まさか。友達ってぐらいなんじゃない?俺、あんまりそういう経験ないからわかんねえよ」
「ふうん。ま、いいや。今日はもう会ったのか?」
「これから行くとこだよ」
「そっか。出来れば俺のことも紹介してくんない?」
「ん……まあ、考えとくよ」
そして凜の部屋へ向かう。剛には紹介してくれと頼まれたが、当分しないでおこうと思う。なんだかもったいない気がするからだ。
コンコン、とノックを2つしてから入る。
「よっ」
「こんにちは」
凜は目を擦っている。
「あ、ひょっとして、寝てた?」
「うん、少し……」
「悪いことしちゃったなあ、起こしちゃった」
「ううん、平気」
そして例によって会話に興じる。凜はまだ少し眠そうだったが、色々と話した。不思議なもので、彼女にはなんだか話したくなる。
「その袋……」
と、凜が僕が手に持っていた袋を気にする。
その時僕は、普段部活の時に履いているランニングシューズを持っていた。
いつもは学校に置いて帰るけれど、明日は競技場で練習するため、持って帰ることにしたのだった。
「ああこれ?ランニングシューズだよ。いつも部活の時に使ってるんだ」
「どのくらい使ってるの?」
「そうだなあ、陸上始めたぐらいの時だったから……」
「そんな前から!?」
凜は驚いた様子だ。陸上を始めて間もない頃、親父とシューズを買いに行った。その時に親父にどうせでっかくなるんだからって言われて、サイズの大きめな靴にした。
だが、中2で身長が伸びなくなって、結局そのまま使っている。
「もうそんな使ってるもんだから、こんなになっちゃって」
袋からシューズを取り出す。もうスッカリボロボロで、爪先のあたりがパックリ開いている。踵もちょっと剥れそうだ。
「うわあ……」
凜はまじまじとその靴を見ている。
「こんなになるまで使うなんて、悟君は本当に走るのが好きなんだね」
そうだよ、とは言えなかった。正直なところ、始めはそうだったろう。でも、例の出来事以来、わからなくなってしまった。
「どうなのかな、その辺よくわかんないんだ。ただ何となくやってる気がする」
「そうなの?」
凜は不思議そうだ。
「でもさ、なんとなくやってる人の靴が、こんなになるかな?」
「そりゃあ、4年も使ってれば……」
凜はまだ納得がいってない様子だ。
「でも、適当にやってる人が4年使ったとしても、ここまではならないと思うな。努力してきたからだよ」
凜はさらに続ける。
「それで、そんなに努力出来るってことは、やっぱり悟君はさ、心の底では走るのが好きなんだと思うな」
そう言って凜は笑う。確かに一理ある。嫌いになったのなら辞めてしまえば良いのに、まして高校でも陸上を続けることなんてなかった。
それでもやっていたのは、意志が弱いから、惰性でやっていると思ってたけど、もしかしたら、やっぱり走るのが好きだからかもしれない。
「あ、ごめんなさい、偉そうなこと言って」
「いや、いいんだ。またゆっくり考えてみるよ」
「うん」
と、シューズの袋から一枚紙が落ちた。
「あっ!」
「どうしたの?」
「これ、明日までなの忘れてた。」
それは進路希望調査のプリントだった。先週ぐらいに渡されたのだが、その時は急いでいて、袋の中に入れて、それっきりだった。
「進路希望かあ……どうするの?」
「わかんないなあ……。これといってなりたい物もないし。普通に大学行くかな」
「そっか」
「凜は何かある?進路っていうか、将来の夢とかさ」
凜はフフッと笑って言う。
「あるよ」
「えっ、何々?」
「何だと思う?」
何だろう。考える。しかし、勘がよくない僕は見当違いの物しか思いつかない。
「わかんないや。何になりたいの?」
「あのね……」
すう、と深呼吸をする。
「ピアニスト」
「そうなんだ。どうしてなりたいって思ったの?」
「あのね、遊びに行けなくて辛い時、ピアノを弾くと、何だか救われて、楽しくなって。だから、大きくなったら今度は私が沢山の人をピアノで楽しませたいって思って」
「そうなんだ」
「いつかは、ヨーロッパで音楽の勉強をしてみたいんだ」
僕は素直に感心してしまった。そこまで考えているなんて。
「でも、私病気してるから、とても……」
「できるさ」
僕は立ち上がっていた。
「それを治すために病院にいるんだろ?だからさ、きっと行けるよ」
「悟君……」
「俺、頑張ってみる。だからさ、頑張ろうよ」
凜はうん、とニコッと笑った。彼女のおかげで、ちょっとだけ前向きになれた気がした。
そして、彼女の将来の夢を、僕も応援したいと思った。




