決勝、開幕
第9話 決勝、開幕
鈴宮ヒカリの予選は、一時間ほどで終わった。
正確には、六試合で終わった。
一回戦の相手は、五十代の男性だった。会社の同僚と三人で来たらしく、開始前に「記念に一枚」と言って写真を撮っていた。
三十秒。
二回戦の相手は、大学生の女の子だった。手の甲に赤いペンで『勝』と書いてある。
二十秒。
三回戦の相手は、小学生だった。両手を組んでひねり、その隙間を真剣に覗き込んでから、「見えた」と宣言した。
十五秒。
その子は負けたあと、けろりとした顔で「お姉ちゃん強いね」と言って走っていった。ヒカリは、その背中に向かって少しだけ頭を下げた。
四回戦の相手は、若い男だった。審判の合図のあいだ中、ヒカリの顔を一度も見なかった。
二十秒。
五回戦の相手は、上がってこなかった。棄権である。ヒカリは誰もいない正面に向かって、一人で礼をした。この礼の仕方を、彼女は五年前に覚えている。
〇秒。
六回戦の相手のことは、覚えていない。
十秒。
それから彼女はふと、体育館の正面を見上げた。
トーナメント表である。ここから三十メートル。細かい文字。
自分の名前が、右の山の一番上まで来ている。
視線を、左の山へ落とす。
真田吉兆。
まだ残っていた。
ヒカリはしばらく、その四文字を見ていた。
(……残ってるんだ)
この男は、今朝、一時間遅刻してきた。待ち合わせ場所でいきなりジャンケンを仕掛けてきて、負けて、スイーツ食べ放題を約束させられて、受付のおじいさんに十分も張り付いていた。
どこからどう見ても、一回戦で消える人間の朝だった。
その男が、六回勝っている。
一回はヒカリが手を教えた。残りの五回は、彼が自分で勝った。
ヒカリの喉の奥で、何かが小さく鳴った。
笑ったのだと気づいたのは、少し経ってからだった。
*
体育館ではすでに決勝の準備が出来ていた。
残ったブロックは一つきりで、剥がされたテープの跡が、床に白く四角い枠をいくつも残している。人が減った体育館は、声がよく通った。区民の休日とあって、若干のギャラリーもいた。
先ほど、吉兆とトイレで固い握手を交わしたリーゼントも少し離れた位置で、壁に寄りかかり腕組みをしている。いつのまにかヘルメットを着用していた。そのリーゼントに一人の男が恐る恐る近寄ってくる。
「あっ……あのネゴシエーター(交渉人)さんですよね?」
でら変態だった。相変わらず目が泳いでいる。その目が、リーゼントの頭と顔のあいだを何度も往復した。
「公共の場で、その二つ名でCallするなと言っているだろう。サプライザー(突然男)よ」
リーゼントはサプライザーと呼んだ男に目を合わせず言う。さらに内ポケットから櫛を取り出し整髪を行なった。
「す、すみません……」
「Youもクィーンのステージを見に来たのか?」
櫛がポケットへ戻り、腕が組み直された。
「そ、そうですね……当たったことはありますけど、見たことはないので」
「……どういう意味だ」
「ま、負けてるほうは、見てる余裕がなくて」
サプライザーの目が、また一往復した。今日はよく泳ぐ日である。
そのやりとりを、遠くから眺めている男がいた。
指で顎を摩っている。摩る速度が、だんだん速くなっていく。「いいね」「面白そう」と独り言を呟き、それから後ろに控えた女性へ、少年の顔で告げた。
「よし決めた。あの二人の横で見よう」
田中総理である。
「……視察の時間はとうに過ぎていますが」
轟の声に、感情はない。
「別にいいじゃないか。会食なんて。生産性がない。やりたい奴で勝手にやればいい」
そう言って田中総理は二人に向かって歩き出した。
「ではキャンセルの連絡を……」
轟は携帯電話を取り出した。番号を押す前に、一秒だけ瞼を閉じる。
田中総理は二人の前に立ち、ポケットから出した右手を軽く上げた。
「やぁ、私もここで観戦させて頂いていいかな?」
サプライザーは突然の来客にオドオドと目を泳がせ、どうにかしてくれとリーゼントを見つめている。リーゼントは右手の人差し指と中指を立て額の前に持っていく。
「どこのMr. Dandyだか知らないが構わないぜ」
リーゼントの顎が、二センチほど上がった。
サプライザーの目が、初めて泳ぐのをやめた。総理とリーゼントを二度見比べ、それから口を開けたまま固まる。
「ネ、ネゴシさん……あの……こ、この人……」
「なんだ」
「……いえ」
半歩踏み出しては、半歩戻る。手が胸の前で、組んだり解いたりを繰り返していた。
「ありがとう」
田中総理は短く礼を述べると、二人の輪に加わった。
その後ろでは轟が、電話越しに「申し訳ございません」「次の機会で」と繰り返している。言葉とは裏腹に、顔は無表情だった。
怪しい三人組と、そこに背を向けた一人。体育館の一角だけが、妙に淀んでいた。
決勝の舞台へ向かいながら、吉兆は考えを巡らせていた。
(つか……本当にあのヒカリに特殊な技があるってのかよ……でも確かにあの強さは只者じゃない)
上を向いたり首をひねったり、頭の上に「?」をいくつも浮かべて歩く吉兆を、ヒカリが見つけた。
「吉兆! こっち、こっち!」
ヒカリは先に決勝の舞台で待っていた。いつもの笑顔で手を振り吉兆に呼びかけるが、吉兆はリーゼントの話を聞いてからヒカリに余所余所しさを感じていた。
「おっおぅ……」
吉兆はそう答えただけだった。
「なんだかんだ言って二人とも決勝に来ちゃったね!」
ヒカリはやけに楽しそうだ。恐らく吉兆と決勝をやる事に多少興奮しているんだろう。
「そ……そうだなぁ……」
吉兆は気のない返事をする。やはり先ほどのリーゼントの話が頭から離れない。
「? どうしたの、吉兆? なんだか余所余所しいけど……」
ヒカリの糸目が、わずかに開いた。開いた幅は、髪の毛一本ぶんもない。
「い、いやそんな事ないよ……ただ……ちょっと聞きたい事があるんだけど……」
いつもと違う雰囲気に、ヒカリも気づいたらしい。
「なぁに?」
「あのさ……ヒカリってジャンケン滅法強いよな……」
ゴクリと唾を飲み込みながら吉兆が切り出す。
「そうかなぁ……?」
ヒカリの返事は、いつもの半拍遅れで返ってきた。
「聞くなよ、真田」
壁にもたれたリーゼントが、誰にともなく低く言った。目だけは吉兆から離していない。
田中総理の視線が、吉兆、ヒカリ、リーゼントと順番に回った。
「あの二人何かあるのかな?」
田中総理は興味津々と目の奥を輝かせている。
「見てれば分かるさ、Mr. Dandy」
リーゼントは吉兆から目を切らなかった。
「それは楽しそうだ」
田中総理も、リーゼントと同じように吉兆を見据えた。サプライザーはキョドっている。轟は一定の間隔で謝り続けている。
「いや……やっぱいいわ……なんでもないよ」
吉兆は躊躇った。
「どうしたの?? なんだか変だよ?」
小首を傾げながら、ヒカリが吉兆を覗き込む。
「いや……なんでもない。ホント」
(何だろう……聞いてはいけないような気がした)
吉兆はリーゼントと田中総理の視線を痛いほど感じて、直感的に誤魔化したのだ。
「いいぞ」
壁際で、リーゼントの口の端が上がった。
「クィーンは、真田が薄々感づいている事を知らない。それが唯一のアドバンテージだ。探りを入れれば警戒心に火をつけるだけさ」
「な、なるほど……」
サプライザーが小声で相槌を打った。
(兎に角、気に食わない事が一つ……赤の他人が知ってるヒカリを俺が知らない。これは彼氏としていかがな物か!)
(こうなったら意地でもヒカリに勝つ! 家に帰っていちゃつくのはやめだ! ヒカリの技……あばいてやるよ)
吉兆のお門違いなジェラシーが、彼のやる気に火を付けた。この吉兆と言う男は広葉樹の薪のように焚き付けが難しい。しかし一度、火が付いてしまえば針葉樹の薪よりも安定した火力を維持できる。それが吉兆という面倒臭い男だ。
「よし! ここまで来たらぜってぇ負けねぇ! やってやろうじゃねぇか!」
吹っ切れた感じの吉兆が声を上げた。
「なんだか解らないけど、何時もの吉兆に戻ったみたいね」
ヒカリは小さな子供に微笑みかけるように穏やかな笑顔を見せていた。そんなやり取りをしていると、二人の間に一人の男が入ってきた。吉兆たちの受付をしていた、事務の極意を極めし男だ。男は黒のスラックスに白のシャツ、黒の蝶ネクタイをしている。そして腕には例の腕抜きがつけられたままだ。
「只今より、神奈川地区予選決勝を始める!」
年齢を思わせる擦れ気味の声だが、声量はしっかりしている。その場の空気を切り替える役目には十分だった。すると多少いたギャラリーから控え気味な声が上がる。
「右! 鈴宮ヒカリ! 左! 真田吉兆! お互い一歩前へ」
その掛け声で吉兆とヒカリは一歩前に出る。
「決勝は五回戦三本先取になる! その他のルールは今まで通りだ! お互い礼!」
「一本目! はじめ!」
審判が気合の入った声で合図を出す。
ヒカリはいつもの笑顔のまま、右手を軽く握った。
壁際のリーゼントが、声には出さず口だけを動かしている。よく、観察、しろ。
(ヒカリの能力……えぇい! 儘よ)
それぞれの思いが交錯する一本目が始まる。
「最初はグー! ジャンケン! ぽん!」
吉兆 パー
ヒカリ チョキ
「一本目勝者鈴宮!」
審判の力の入った声が響き渡り、ギャラリーから歓声が上がる。
「くっ……やっぱ強いな、ヒカリ」




