男子トイレの交渉人
第8話 男子トイレの交渉人
「あぁ……決勝まで来ちゃったよ……さっさと負けてヒカリといちゃいちゃしたいなぁ……待ち時間も長いし……」
フラフラと廊下を歩きながら、吉兆は独り言を言った。それから思い出したように、「便所行こう」とトイレへ向かった。
体育館のトイレには誰もいなかった。
消毒液の匂いと、どこかで閉まりきらない蛇口の水音。会場のざわめきが、扉一枚を隔てただけで急に遠くなる。
吉兆は三つある小便器の一番奥で用を足しながら、予選での出来事を思い出した。
(しかし……あいつ等、変だったな)
例のリーゼントや、でら変態や、データ男のことである。
濃さもそうだが、引っ掛かるのは別のところだった。負けたあとの顔が、みんな同じだったのだ。
その疑問は、すぐに消えた。
誰かがトイレに入ってきて、三つある小便器の、真ん中を使いはじめたからである。
(ちっ……空いてるんだから、端っこでやれよ)
小便器は一つ飛ばしで使う。男の暗黙のルールである。
その男は、隣に立ったうえ、声まで掛けてきた。
「この俺にVictoryしたからと言って、あまり調子にRideしない事だな」
この勘違い英語を使う人間が会場に多数いたら、たまったものじゃない。
「あぁ! さっきの人」
隣の男は、準決勝のリーゼントだった。よく見ると、リーゼント部分がない。地肌が『こんにちは』している。
「あれ? ヘルメットはどうしたんです?」
さっきの後ろ姿が神々しすぎて、吉兆の中ではヘルメットということになっている。
「Hellメット?」
リーゼントの眉間に、皺が三本寄った。
「あっ、いや……すみません。何でもないです」
吉兆は気まずそうに下を向いた。
「SSDEに聞く。君はいったいどんなMagicをUseした?」
リーゼントは納得がいかないらしく、食って掛かってきた。
「SSDE?」
意味が分からず、吉兆は聞き返した。
「Single(単)Sword(刀)Direct(直)Enter(入)。日本語で単刀直入だ」
リーゼントは、さも当たり前という顔で説明した。
吉兆の顔がげんなりする。聞かなきゃよかった。
「いや……だからさっさと負けたかったから、負ける手を出したんですって」
吉兆はタイルの目地を数えていた。すでに十七本目である。
「そんなはずはない! ……DaemonでもMagicの種は教えてくれないって事か……」
まだ納得がいかないらしい。
「だから……人の話、聞いてます?」
(というか、『あくまでも』の『あくま』は『悪魔』じゃないけどな……)
慣れとは恐ろしい。吉兆はもう、高度な和訳ミスにすんなり気づくようになっている。
「ふっ……ジャンケンファイターとして己の手を暴露する事はDeath……教えてくれないのはHit Front……」
リーゼントは勝手に納得し、悟った顔になった。
(Hit Front……当たり前って事か……というか話噛み合わなすぎだろ……この人……冗談は頭だけにしてくれよ)
吉兆は短時間で、優秀なリーゼント翻訳機になった。
「もう話が噛み合わないので行きます」
吉兆は目線を合わせる事なく、社会の窓を閉め、さっさと手を洗い逃げようとした。
「まぁ俺に勝ったとしても、決勝があの鈴宮とはな……どのRoad、君の負けだ」
逃げようとする吉兆の背中に、リーゼントが言葉を投げた。
(ヒカリも決勝に?)
吉兆の足が止まる。
「それってヒカリの事ですか?」
吉兆が振り向いた。
「なんだ、知り合いか……まぁ、あの女ならこんなちっぽけな予選のトーナメントなんて朝飯前だろう。なら彼女の強さは解っているはずだ。日本ジャンケン連盟公認のファイターならな」
リーゼントも社会の窓を閉めながら吉兆に向き合い、コツコツと近寄ってきた。
(日本ジャンケン連盟? ……あの男が言ってた連盟の事か?)
あの男とは、ヒカリに握手をしようとした『でら変態』こと、挙動不審の脂ぎった男だ。
「前にも違う男から聞いたんですけど……連盟ってなんですか?」
「はっはっは。君は何も知らなかったのか? 彼女の知り合いなのに」
リーゼントは天を仰ぎ右手で蟀谷を押さえながら笑っていた。
「もったいぶらないで教えてくださいよ!」
自分の知らないヒカリを、この男が知っている。吉兆は少しイラついた。
「いいだろう……なら教えてやるよ」
リーゼントはスーツの内ポケットから櫛を取り出すと両手で髪を整える仕草をする。
(エア整髪……)
リーゼントのリーゼントは家出中である。
「あまりメジャーじゃないが日本には日本ジャンケン連盟というのがある。そしてその連盟による大会も地方でよく行われている。その大会に出る人間は勝つことに曖昧な三すくみのジャンケンの必勝法をそれぞれ持っている。それがジャンケンファイター(拳闘士)だ。君も彼女のジャンケンに対する驚異的な強さを味わった事がないか?」
櫛で手のひらをポンポンと叩いている。
「……確かに彼女に勝った事はありませんが……」
吉兆の爪先が、内側を向いた。
「その強さ……Funnyと思わないか?」
リーゼントは吉兆の返事を待たなかった。顔を近づけ、声を落とす。
(その『おかしい』はfunnyじゃなく、Strangeだと思うんだけど)
「答えなかったって事はYesって事だな?」
自分の摩訶不思議イングリッシュのせいだとは、考えてもいないらしい。
リーゼントは櫛の先を、吉兆の胸へ向けた。
「ふっ、忘れもしないよ……今から五年ぐらいAgoの事。彼女は流星のように現れた」
手にしていた櫛で再び髪を整える仕草をするが、もちろんリーゼントは存在しない。
(二回目だ……本当に自分のヘルメットがないのに気付いてないんだ……)
「連盟の最高峰、一〇〇〇人トーナメント。当時、高校生だった無名の彼女が、並居るジャンケンファイターを薙ぎ倒して優勝したんだ」
リーゼントは、当時のことを懐かしむように遠くを見ながら話しだした。
「それがヒカリだって事ですか……」
吉兆の喉が、大きく上下した。
「Exactly。しかも彼女は優勝のコメントで自分の技を暴露した。ジャンケンファイターにとって自分の必勝法を相手に教えることは負けを意味する。だが彼女はそれが知れたとしても勝てると思ったんだろう。皆ショックを受けたよ。彼女の能力には……」
(あの男も言っていた『技』……やっぱり実際にあるのか……)
吉兆は考え込み、堪え切れずに詰め寄った。
「その技って……?」
「まぁまぁ最後まで聞けって」
リーゼントの人差し指が、チッチッチと左右に振れた。
「それから一年。彼女が出る大会は全て彼女が優勝した。そして、その一年で彼女はジャンケン大会から姿を消したんだ。まさにジャンケン界のレジェンドだ。活動はたった一年。その能力から、いつしかLCと呼ばれるようになった……」
男の視線は、吉兆を通り越して壁のあたりで止まっていた。
「……LC? その能力って?」
吉兆が更に身を乗り出す。しかしリーゼントは、鼻でフッと笑うだけだった。
「Youもジャンケンファイターだろ? 俺に種を隠したのと同じ。彼女の能力は自分で見極める。それがジャンケンファイターだろ?」
「いや……話の流れで俺がジャンケンファイターじゃない事、分かるでしょう……」
「ジャンケンファイターなる者、相手の能力を見極めるのも力の一つ!」
リーゼントの拳が、胸の前で固まった。
「いや……聞いてない?」
「Just one言っておこう。彼女をよく観察する事だ。さすれば能力をLook break出来るかもしれん」
(Look break……あぁ、見破るね……なんだっけ入ってこなかった。観察だっけ??)
「しかし、例えYouが彼女……LCの能力を見破ったとしても彼女には勝てない……だろうな……」
難しい顔が、寂しそうな顔に変わった。リーゼントは右手を差し出す。
「ふっ……Color Colorあったが君の種を見破ってやるよ……そして次は俺がVictoryだ!」
(……カラーカラーって色々ね……それは少し無理があんだろ)
吉兆はまた俯いた。
「どうした? 俺とは握手は出来ないか?」
リーゼントはスポーツマンシップも逃げ出すぐらいの笑顔で、握手を求める。
「いや……手洗ってないっすよ……手」
吉兆はボソボソっと更に小さく俯く。
「んん? ジャンケンファイターたる者、試合が終わったらNo SideのMindだろ?」
リーゼントは左手で吉兆の右肩をバシバシ叩きながら、満面の笑顔で握手を求めてくる。
「いやだから……」
(ちょ……おま……触んなや……)
吉兆は右肩を反らした。心の声が漏れそうになる。
「はずかしがるな!」
リーゼントはそう言ってバシバシ叩いていた左手を、素早く吉兆の首に回し片手で羽交い締めにする。
「んぅん!」
吉兆は、いきなり恋人以上の距離を詰めてきたリーゼントに抵抗しようとしたが、思いのほか力が強い。無理やり右手を握られ、勢いよくシェイクされた。
体育館の男子トイレ。普通の大学生と、白のパンタロンスーツに胸毛のハゲが抱き合っている。FBIも真っ青な現場である。
(あぁ……やっちゃったよ……やっぱり話聞いてないし……)
吉兆はすぐに諦め、なすがままに握手をした。
リーゼントは気のすむまで握手を続けた。それから両の人差し指を吉兆に向け、その指を自分の両目に当てる。
「よく観察することだ」
小声で言うと、内ポケットから櫛を取り出し、リーゼントを直す仕草をした。空振りである。本人は気が付いていない。
(三回目だわ……流石にくどいわ……つかこれは奴のネタなのか?)
吉兆はもう一度念入りに手を洗い、体育館に戻った。




