突然男とリーゼント
第7話 突然男とリーゼント
五回戦
順番を待つあいだ、吉兆は二つ隣のブロックを眺めていた。
特に理由はない。暇だったからである。
そこで、見たことのある顔がいた。
でら変態だ。掛け声の途中でいきなり入口のほうへ首を向け、腹の底から叫んだのだ。
「あっ!!」
相手が振り向いた。
審判の「ぽん」が、遅れて落ちてきた。
振り向いたままの相手の右手は、握られたグーのままだった。でら変態が出していたのはパーである。
勝ち名乗りが上がる。
負けた男は、しばらく自分の拳を見つめ、審判に何か言いかけて、やめた。何が起きたのか自分でも説明できない顔だった。
入口には、誰もいない。
(……何だ今の)
そう思ったが、二秒後には忘れていた。線香花火である。
三分後、でら変態が、吉兆の正面に立った。
両者は互いを確認するなり「あっ」と短く声を出す。
目は相変わらず、どこを見ているのか分からない。バシャバシャと泳いでいる。鼻の頭には、まだ薄く瘡蓋が残っていた。
「せ、先日は変な態度を取ってしまって、すみませんでした」
「いえこちらこそ、いきなり足をかけてしまってすみません」
(この人、連盟がどうとか言ってたよな)
(ってことは、さっきのあれが『技』ってやつか)
その技が何をするための技なのかを、吉兆はまったく理解していない。
「両者、前へ。一本勝負」
審判の声で、吉兆は右手をポケットから出した。
何を出すかは、まだ決めていない。
決めかねていると、視界の端に見覚えのある姿が映った。
ヒカリだ。ギャラリーに紛れて、両手を振っている。
(応援か? 珍しいな)
その両手が、ふいにピースになった。頭の上まで持っていき、ウサギのポーズをする。腰をクネらせ、ウィンクまで添えて、声は出さずに口を動かした。
(ちょ・き・を・だ・し・て)
確かに、そう動いた。
(あの手はピースでもウサギでもなくチョキだったのか……)
そう理解した吉兆の右手が、無意識にチョキの形になる。
「最初はグー」
でら変態の指先が、小刻みに震えていた。
「ジャンケン」
その瞬間、男が入口のほうへ首を向け、腹の底から叫んだ。
「あっ!!」
吉兆は振り向いた。
入口には、誰もいない。
「ぽん」
「勝者! 真田吉兆!」
吉兆はチョキ、でら変態はパーだった。
「な……なんで」
でら変態が膝から崩れ落ちる。
パーは、グーに勝つ手である。驚いた人間は、握ったままのグーを出す。それを刈り取るためだけの一手だった。
「なんで、チョキが出せるんですか……」
「え?」
吉兆は自分の右手を持ち上げ、見つめた。
「なんででしょうね……」
この時、吉兆は何故自分が勝利したのか、まだ半分しか理解していない。
残りの半分を知るのは、数十分後である。
六回戦
吉兆の相手は、絵に描いたようなキャラクターだった。
白のスーツに赤のシャツ、胸元は大きく開けており、豊かで濃密な胸毛がアクセサリーのように自己主張している。時折、内ポケットから櫛を取り出し、これまた立派なリーゼントを整えている。その頻度は高い。
(もう癖なんだろうな)
このリーゼントは櫛を内ポケットに戻しながら、意味ありげな笑顔を浮かべた。
「俺はRockを出すぜ。Baby……ふふふ。YouはPaperを出せば俺にVictoryだ」
そして審判にウィンクと指パッチンによる開戦を要求した。
「Well……Rockなだけに、Rockな勝負にしようぜ!」
吉兆にはRock(岩)とRock(音楽)の区別がついていない。『?』の顔で、右手にグーを作っている。
「最初は……」
審判が号令をかけた。リーゼントが、それをかき消すように被せる。
「First Rock! Ja Ken Po!」
英語になりきれていない巻き舌発音で、やたらテンポよく合図する。
一本目
吉兆 チョキ
リーゼント パー
二本目
吉兆 チョキ
リーゼント パー
勝負は一瞬でついた。リーゼントの両手が床につく。頭は、その間に落ちた。
「なぜだ……最初に出す手を公言して精神的優位に立ち、相手の裏の裏をかいたはずなのに……」
悔しさのあまりか、その一言だけはほぼ日本語だった。
難しい単語は知らないらしい。吉兆は突っ込まなかった。
「いや……俺さっさと負けたかったから、負ける手を出したんだけど……」
吉兆の指が、頬をかき続けている。止め方が分からないらしい。
「何故だ! この俺がUnderdogなはずはない!」
男が床をバッシン、バッシンと叩きながら言う。その両目には涙が浮かんでいた。
その情熱を別の物に向ければいいのに、と吉兆は思う。
「あの……人の話、聞いてます……?」
うなだれている男の肩に触れようと吉兆が手を伸ばした。
「Don't! touch! Me! 敗者に手を差し伸べるな! 貴様がどんな手を使ったかはいつか見破ってやる!」
そう言ってリーゼントは吉兆の手を払おうとした。
勢い余った手が、何かに当たった。
それは、床をゴロンと転がった。
その場の全員が、転がった物の正体を理解するまでに、たっぷり数秒かかった。
リーゼントの頭は、鳩の巣のような、地肌の透ける毛量に変わっている。その横に、リーゼントのリーゼントが落ちていた。
吉兆とリーゼントは、同時に「あっ」と小さい声を出した。
それ以上は、互いに見なかったことにする。ズラがズレている人に向かって「ズレてますよ」と言う人間はいない。それと同じである。
リーゼント(偽物)は無言で自分のリーゼントを拾い、小脇に抱えて歩き出した。
ヘルメットを抱えて表彰台へ向かう、F1レーサーの後ろ姿だった。
本物のレーサーなら、BGMは拍手だっただろう。
この場で口を開く者は、当然ながら一人もいなかった。




