ドクタータイム
第10話 ドクタータイム
吉兆が唇をかみ締めながらヒカリを見つめる。そんな吉兆に対してヒカリは「ふふ」と笑うだけだった。
(……正直何時ものジャンケンと変わらない……これをどう観察しろって言うんだ。クソっ、クソ!)
吉兆の目は血走り、唇を噛みしめている。
「その顔……一本目では何も見破れなかったな」
リーゼントも同じように唇を噛みしめている。
田中総理は、その二つの口元を見比べた。
「なるほどね……このままだと彼がストレート負けしそうだけど?」
リーゼントはさらに眉間に皺を寄せ厳しい顔つきになる。
「そんなことは、分かっている! しかし相手は、あのクィーンだ!」
リーゼントの声は力が入りすぎて、ギャラリーの何人かを振り向かせた。人の減った体育館では、声がどこまでも届いてしまう。
「クィーン?」
「か、彼女は、嘗て最強とうたわれたジャンケンファイターです!」
なぜかサプライザーが答えた。
「ちょっと詳しく聞きたいな……」
田中総理が水を向けたが、サプライザーの目はもうオリンピアン並みの速度で泳いでいた。
どうしたものか、と息をついた総理の肩が、後ろから叩かれた。轟である。電話を耳と肩に挟んだまま、器用にタブレットを差し出している。
「何々? ……えぇと、見えない」
老眼だ。間髪入れずに老眼鏡が差し出された。
「すまんね……歳には勝てなくてね」
轟はサムズアップで頷き、電話の向こうに謝り続けている。
「どれどれ……活力・爆発力・持続力には、マカマカの実……」
焦点の合いきらない目で読み上げた総理の肩を、轟の手の甲がバシッと叩いた。よくある漫才の、鋭利なほうの突っ込みである。電話は耳と肩に挟んだままだ。叩いた手が、そのまま記事の位置を指す。
「あぁ……すまない。こっちは広告か」
轟は再びサムズアップで頷き、電話の相手に謝った。
「えぇと、月刊ジャンケンマガジン五月号……ジャンケン界隈のグラビアアイドル、志村のりこ撮りおろし……」
轟の右手が、もう一度上がった。
「そろそろ二本目が始まるぜ、Mr. Dandy」
リーゼントが遮らなければ、あの手は火を噴いていただろう。轟は鋭い目つきのまま構えを解き、息だけで一つ吐いた。
総理は老眼鏡を外し、決勝の舞台を見つめなおした。
その視線の先で、吉兆はブロックの中に立ったまま動かない。
(何も見えねぇ……この異常な強さ……確かにあいつの言う通り何かが一枚絡んでいるのは確かとみていい……だけど何も見えねぇ……)
吉兆の額に、薄く汗が浮いている。
「二本目! はじめ!」
審判は断頭台の死刑執行人のように、淡々と合図を出す。
ヒカリはニコニコと笑っていた。その笑顔の下で何を考えているのか、吉兆には分からなかった。
「最初はグー」
(くっそぉ! 何を出す? 何を出したらいい? 何を持ってヒカリを制したらいい?)
ジャンケンごときで、こんなに考えたことはない。
「ジャンケン」
(……グーか! チョキか! パーか! ……このままだと負ける)
「畜生!」
思っていたことが、そのまま口から出た。
「ぽん」
吉兆 パー
ヒカリ グー
「おぉ!」
ギャラリーから歓声が上がる。
「二本目勝者真田!」
「あ……あれ?」
吉兆は自分のパーを、開いたまま見つめている。指を閉じる気配がない。そして信じられないという表情でヒカリの顔を見る。
ヒカリの顔は、吉兆が今までに見たこともない表情になっていた。信じられない、そして唖然といった感情が入り混じった顔だ。
「……ヒカリ……俺、勝っちゃったよ?」
吉兆にとってあまりにも信じられない事実だったのか、わけのわからない事をヒカリに聞いていた。
「そ……そうだね……」
ヒカリの返事は、半拍ぶん遅れて出てきた。それから、いつもの笑顔が元の位置に戻る。
「素人の奇襲だ。能力を知らないから出せた手だな」
リーゼントが薄く笑った。
「よく考えろ、真田。そこに鍵がある」
ヒカリは吉兆を見ていた。何か言いかけて、やめた。当の吉兆は「なんで?」「どうして?」を小声で連呼しながら、自分の右手をグーにしたりパーにしたりチョキにしたりしている。
(勝った……ヒカリに勝った? オレが? ……マジで?)
「勝ったんだ……苦節三百三十五連敗にして勝った! 俺が勝ったんだ! よっしゃー!」
吉兆は一人で万歳三唱をした。それから、宙に何かを書くふりをする。
当選した議員が達磨に目を入れる、あれである。
勝利の味を一通り噛みしめてから、吉兆は冷静になることにした。
(とりあえず理由は解らないけど一勝だ……よく考えろ……そして思い出せ……そこに何かヒカリに勝った理由があるはずだ)
吉兆は自分のパーを一度握り直し、それから瞼を閉じた。
(そのためには時間が少しでも欲しい……どうにかして時間を稼ぎたい……あっ)
何か思いついたらしい。吉兆は急に左手で右手を押さえ、苦痛の表情を作った。
「あっ……何か右手が痛てぇ! 多分さっきのだ。何か捻ったっぽい!」
たかだかジャンケンで腕を捻るはずがない。その場の全員がそう思った。
思っただけである。
本当だった場合、無理をさせたほうの責任になる。審判も人の子だった。
事務の天才は、無言で吉兆の次の要求を待った。
「お、お客様の中にお医者様はいませんか!」
吉兆は右手を押さえながら、周りを見渡す。若干芝居がかっており鼻につく。そして、例の怪しい三人組+一人のところで顔を止め
「もし? そちらの白い方? お医者様ではなくて?」
リーゼントを見つけると、なぜか貴婦人口調で語りかけた。リーゼントを他の三人が覗き込むように見る。しかし当のリーゼントは全く理解していないようで、顔色変えず吉兆を凝視している。
「多分……君の事だと思うんだけど」
空気を読んだ田中総理は、肘でリーゼントを小突きながら話しかけた。
「ん? Meのこと? 俺は医者なんかじゃないぜ?」
リーゼントの返事に、鼻から抜ける音が一つ挟まった。
(面倒臭いな……この人)
「いや話の流れ的に、君を医者にして、腕を見てもらいたいんじゃない? 彼は」
今度は総理のほうから、同じ音が返ってきた。
「回りくどいのは苦手なんだがな」
リーゼントは溜息を返し、吉兆のもとへ向かった。田中総理は肩を竦め、溜息だけで応戦する。
その様子を見ていた事務の達人が言った。
「見ての通りドクタータイムだ……よろしいか? 鈴宮選手」
ヒカリはそれに対して無言で頷くだけだった。吉兆は相変わらず痛がるふりをしながらヒカリに背を向けて、その場に座り込んだ。リーゼントも吉兆にあわせて座り込む。吉兆は腕を差し出し、リーゼントに小声で話しかけた。
「そのまま診察するふりを続けてくれませんか?」
「それはかまわないが、クィーンの技は見抜いたのか?」
リーゼントは吉兆の腕を伸ばしたり曲げたりしながら、口元をヒカリの側から隠した。
「それが全く分からないんですよ。勝った理由も何もかも。だから時間が欲しいんです。今生の頼みです」
吉兆は真剣な面持ちでリーゼントに懇願する。
「ふっ……大の大人がライバルに頭を下げるか……嫌いじゃないぜ! その少年誌のような展開は!」
リーゼントは熱すぎる展開に『嫌いじゃないぜ! ~~』以降を大声で叫んでしまった。
ことの成り行きを見守っていたサプライザーがキョドりながら田中総理に話しかけた。
「も、盛り上がってますね……」
田中総理の首が、左右に一度ずつ振れた。
「会場の九九パーセントが仮病であると感じていたが……百パーセントになったな……まぁまだ時間はかかりそうだし、さっきの記事の続きでも……」
田中総理はタブレットに目を落とした。
吉兆は大げさに触診を繰り返すリーゼントに身を委ねていた。所々ドイツ語のような単語が聞こえてきたが、通訳を振り切り、先ほどのジャンケンに考えを巡らせていた。
(冷静に……まず俺の行動だ。いつもと違った所を考えろ。俺はあの時……悩んで、悩んで……パーを出した……)
自分が「ぽん」で出すまでの過程をスローで思い出す。
(!)
吉兆の頭に何かが浮かんだ。
(いや! パーを出したんじゃない! パーになったんだ! ……悩みに悩んだ結果、手を振っている途中に手が色々と変わった。これがいつもと違う所)
さらに眉間に皺を寄せ考える吉兆。すると何故かサプライザーのキョドり顔が脳裏に浮かんだ。
(いや、こいつは違うだろ……今考えることじゃ……)
するとサプライザーの叫んだ「あっ!」と、自分の叫んだ「畜生!」が脳裏で融合し合体していく。
(! そうだ。いつもと違うのは、俺が叫んでいたこと)
吉兆は一呼吸置いた。息を吸うと、汗と埃の匂いが一緒に入ってくる。
(そして、この男が言っていたヒカリを観察しろか……)
吉兆は先ほど自分の動きをスローにしたように、ヒカリの動きもスローにし一連の動作を思い出す。
(何も……不思議な所はいつもと変わらず……ん?)
吉兆は何かが気になった。そして何百回としてきたヒカリのジャンケンの数々がスローで再生される。
(あれ? ……ヒカリの視線……なんか……普通ってこの空間を……?)
何かが不自然に引っ掛かる。この目の前の男に『観察しろ』と言われるまで、気づくことも不思議に思う事もなかった、いつもの光景が魚の小骨のように引っ掛かる。突然その引っ掛かりに何かが覆いかぶさるようにリンクした。それはこの会場での出来事。遠くのトーナメント表を眺めるヒカリと、ジャンケンで負けた時にビックリした顔でこちらを見ているヒカリだ。
(!)
突然やってきた。そう圧倒的閃き。雷に打たれたかのように吉兆の脳裏に全てが繋がって全身を駆け抜けていく。
吉兆は暫く俯き目を閉じていたが、口元だけが微かに笑っていた。
(十中八九間違いない……ヒカリの能力は常人離れしたアレだ)
この時、リーゼントは吉兆の口元を見逃さなかった。
「その口……クィーンの能力に気づいたか!?」
リーゼントは口元を腕でかくしながら吉兆に聞いた。その目は好奇心の塊だ。
「多分な……」
吉兆はニヒルな笑顔で答えると、すぐさま目を瞑り一呼吸置く。
リーゼントが何を聞きたいのかは、吉兆にもなんとなくわかった。
「Devil ballは分かっていても、打てないのが魔球だ。我々のような凡人にReal Devilは攻略可能なのか?」
目を瞑ったまま吉兆は即答する。
「もちろん、攻略可能だ」
瞼が開く。今日いちばん速く開いた。
「人間が想像したDevilには必ず弱点が存在する(ソースは見てきた映画)。その弱点をついてやるよ」
吉兆はリーゼントと固い握手をし、立ち上がる。
「悪魔祓いにいってくるぜ」
吉兆は左手で右手を押さえ、何故か右足も引きずりながら戻っていく。その背中に、リーゼントが「Good Luck」とサムズアップを送った。
「あれ、右手は仮病だったけど、右足もだったっけ? ケガ増えてない?」
戻り際の吉兆を見て、田中総理が呟く。相変わらずサプライザーはキョドっており、その答えを返すものはいなかった。いわゆる厨二病が発病した、絶好のタイミングだった。
「もう初勝利の余韻は十分に味わった! 連敗も三百三十五で止める事が出来た! ヒカリちゃん、オレもう負けないよーおらぁ! いくぞ!」
低気圧と高気圧がはっきりしている吉兆らしい発言だ。
「そうだ。知らないふりをしろ」
リーゼントの声は、届くはずのない距離へ落ちた。
届いていなくても、ブロックの中の男は同じことを考えている。
(知らないふりをして……ヒカリを油断させて。天才吉兆様が考えた最強の奇襲を食らわせてやるよ!)




