後出しをしない後出し
第11話 後出しをしない後出し
いつの間にやら策士になった吉兆が、態度とは裏腹に心の中で奇襲を決め込む。そしてタイミングを見ていた審判が声を上げる。
「三本目はじめ!」
ヒカリは小さく息を吐き、肩の力を抜いた。
その肩が元に戻るまで、あと数秒だった。
「最初はグー」
「ジャンケン」
「ぽん」
吉兆 パー
ヒカリ グー
「おぉ!」
「勝者! 真田吉兆!」
ギャラリーから歓声があがり、審判が吉兆の勝ち名乗りを上げる。
歓声の中で、ヒカリだけが動かなかった。
「……迂闊だった」
ヒカリは自分のグーを見ながら唇を噛んだ。
その目はいつものヒカリの目ではない。大きく見開かれ、釣りあがっている。
「あれぇ? また勝っちゃったよ?」
舌を出しながら小躍りをしている吉兆。
彼の芝居がかった演技は相手を小馬鹿にする付加能力があるらしい。
「下手な芝居はやめるんだな、吉兆。いつから私の能力に気づいていた?」
ヒカリは自分のグーを開いた。開いた手のまま、顔だけを吉兆へ向ける。
声の高さが、半音下がっていた。この女の声が下がるのを、吉兆は二年で一度も聞いたことがない。
「……ヒカリ?」
吉兆の喉が動いた。言葉は出てこなかった。
「下手な芝居にだまされ、見破られていないと勝手に判断し、油断した私が愚かだった」
ヒカリの喋り方から、抑揚が抜け落ちていた。語尾が全部、同じ高さで終わる。
「どゆ事?」「能力って?」
ギャラリーのざわめきが、一段大きくなった。
「それがお前の本性か? まぁそれも許容範囲内だけどな」
吉兆は額にかいた汗を拭いながら、強がりを言うのが精一杯だった。
「いつもの私も私。ジャンケンをする時の私も私だ」
ヒカリの目が、また糸に戻った。笑っていないのに、糸目である。
「正直、知らないふりをして四本目も頂こうと思ったがやっぱり無理だったか……」
額にかいていた汗は頬を伝い、すでに顎から雫となって落ちている。誰の目にも、吉兆の言葉と態度がヒカリの放つ冷気のオーラに飲み込まれているのは明らかだった。
「いつから私の能力に気づいていた! 吉兆ぉ!!」
ヒカリは再び大きく目を見開き、吉兆を一喝する。その迫力に飲まれるのは吉兆だけではなくギャラリーも同じだった。特にサプライザーの目の泳ぎ具合は振り切れている。
轟が携帯電話を耳から離した。この一角で、姿勢の変わらなかった唯一の人間である。
「何なんですか? ……高々ジャンケンごときに能力って……」
「先ほど君が見せてくれた月刊ジャンケンマガジンによると、彼女はジャンケン界隈で有名な女性で、それに似合った能力を持っているらしい」
田中総理は、轟に渡されたタブレットを人差し指の第二関節でコンコンと叩いた。
「はぁ……? ジャンケン界隈? 能力? ついにお壊れになりましたか?」
こちらもヒカリに劣らず淡々と冷たく毒を吐く。
「まぁおとなしく聞いてな。これから最強と呼ばれたMagicの種明かしが始まる」
突然リーゼントが二人の間に割って入った。口の端が、また上がっている。
「……二本目の後だよ」
吉兆はこのまま黙っていられる空気ではないと理解し話し始めた。
「……」
対照的にヒカリは黙ったままだ。
「ヒカリの能力を見破ったのは些細なことの積み重ねだった」
吉兆の指が、ヒカリを指した。指された当人は、まだ一言も喋らない。
「一つ目は『視線』だ」
吉兆は人差し指を立て一つ目とリンクさせた。
「視線だと?」
それを聞いてヒカリの眉がピクリと動く。
「そう、視線。普通ジャンケンをする時って「ぽん」の合図で出す『戦場』を最初から見ているはずだ。普段あんまり意識していないと思うけどね。そこでオレの記憶力の良さがヒントをもたらした」
吉兆は自らの記憶力を自負するため、わざと一呼吸おいた。
「もったいぶるな」
ヒカリが腕を組んだ。人差し指が、トントンと腕を叩きはじめる。
「大会の前にした不意なジャンケンもそう。学食での勝負もそう。全てにおいて共通するヒカリの視線は戦場ではなかった」
「全三百三十五回のジャンケンをスローにした結果、ヒカリは『俺の手』をずっと見ていたことが分かった」
自身の右手を顔の前に出し、左手で指さしながら吉兆は言った。ヒカリが腕を叩く間隔が、徐々に短くなってきている。
「二つ目は『視力』だ」
人差し指と中指が立った。二である。
「ここでクイズです。この会場に入ってヒカリが最初にしていた行動は?」
吉兆は腕時計をしていないにも関わらず、左手の手首を見ながらチクタクチクタクと制限時間をカウントしだした。
「……」
ヒカリは答えなかった。
「ブブー。時間切れぇ。正解は遠くにあるトーナメント表を見ていたでした」
吉兆はそう言って何十メートルも離れた位置にあるトーナメント表を指さした。
吉兆はその表に向かって、わざとらしく目を細めてみせた。
「この距離から普通見えるか? 見えないよな? でもヒカリは見えていた。そうだろ? ヒカリさん」
そう言って、ヒカリをニヤリと見た。
「……」
相変わらずヒカリは黙ったままだった。崖で自らのトリックを暴かれるのを黙って聞いている犯人のようにダンマリを決めている。
「正直、この二つだけではしっくりこなかった。しかし、そこに偶然という名のスパイスが加わったんだ」
調子にのった吉兆は親指と人差し指の腹をすり合わせ、塩を振る仕草をした。指の腹が、汗で少しだけ滑る。
「偶然っておっかないよなぁ。たまたまだよ。たまたま。俺が勝った時、いつもと違う偶然が二つほどあった。一つ目は出す手が『直前まで迷ってチョキからパー』になったこと。二つ目は『畜生』と叫んだことで起きたこと」
「結論から先に言う。ヒカリ、お前の目や動体視力は人知を超えているんだろ? その超人的な能力で相手が出す『手』をギリギリまで見る事が出来るんだろ? だからヒカリは戦場ではなく相手の手を見続けている」
「だが俺の予期せぬ偶然の行動で崩された。いつもの通り相手の出す手をギリギリまで観察し勝てるグーをそのまま出そうとした。しかし急に俺が叫んだ事で、視線が俺の手から顔に移った。結果、ヒカリは視線を外したことでグーをそのまま出し、俺は直前で迷ったパーが出た。全くの偶然の勝利だ」
吉兆は一通りの説明を終えると目を瞑って一呼吸置いた。
「ふふ……ははははは! 記憶力だけ優れてる吉兆だから気づいたって事か!」
その静寂を、ヒカリの笑い声が破った。
「そういや、そこにいる二人は連盟の人間だったな。あいつらから何か聞いたのか?」
ヒカリは一頻り声を上げて笑った。笑いすぎて出たものを、人差し指で目尻から拭う。
「ただ観察しろって言われただけだけどね」
吉兆はリーゼントにサムズアップしながら感謝を伝える。もちろんリーゼントもサムズアップし返す。
「俄かに信じがたい話ですが、仮にその偶然の勝利が二本目。では、三本目の彼の勝利はどのような理由で?」
轟の視線が、初めてタブレットから上がった。
「君、他の仕事をしていてちゃんと見てなかったろ? 彼の利き手は右、出した手は左手だ。ここまで言えば分かるだろ?」
田中総理は顎を摩りながら轟に答えた。轟は「あっ」と短い声を出して納得したようだった。リーゼントは、そのやりとりを聞いて頷きながら
「まさかな……クィーンの能力を逆手にとって、構えた右手を直前で左手にすり替えるとはな。少し複雑な気分だな……」
リーゼントの言う通り、吉兆の三本目の勝利は奇襲だった。ヒカリの能力を解読し、ぽんになる直前で、右手に構えたチョキから左手のパーへスライドしたのだ。
手は二本あるのだから、片方で構えて、もう片方で出せばいい。それだけの思いつきだった。
「まさか奇襲がここまで上手くいくとは思わなかったよ。やはり一点に集中している時は、周りが見えにくくなるんだな。差し詰めカメラの単眼レンズって所か?」
吉兆は得意げに答えた。それもそのはずだ。この短時間で今まで気が付かなかった真相を暴き、対策まで練るのだから。自分を褒めてやりたい気持ちも分からないでもない。当の話しかけられたヒカリはと言うと、相変わらず冷たい目線で吉兆を睨みつけていた。
三百回を超える苦渋を味わってきた男である。目の前に人参が下がっていた。
やっとこの女に勝てる。
「おっちゃん、四本目の合図を!」
玩具の開封を待ちきれない子供の急かし方だった。審判が頷き、「両者前へ!」と声をかける。
「待て! 真田!」
リーゼントが急に声を荒げた。しかし、暴走気味に勝負をしかける吉兆に、その声は届かなかった。そんなリーゼントの慌てぶりを見て田中総理が声をかけた。
「このまま相手に考える隙を与えず、良い流れのまま勝負に挑んだほうが良いんじゃないのか?」
「考える隙を与えられてないのは真田のほうだ! このままではクィーンの餌食になる!」
「違うんだ……真田……本当の恐ろしさは……クィーンが開眼した後だ……」
リーゼントの声は、届く距離になかった。
「開眼?」
田中総理が聞き返す。
「見てりゃ分かる」
リーゼントは吉兆たちから視線を外さなかった。まばたきの数まで減っている。
その横で、轟がタブレットの記事を上へ送っていた。五年前の見出しで、指が止まる。
「総理」
「どうした」
「この方、十七歳で一〇〇〇人トーナメントを制しています」
「ほう」
「翌年、彼女が出た大会のエントリー数は、前年比で四割減っています」
総理は老眼鏡をかけ直した。
数字しか書いていない記事だった。それでも、何が起きたのかは分かる。
「とにかく真田二勝対鈴宮一勝で真田のアドバンテージのままです。ここで真田が勝てば、そのまま優勝です!」
サプライザーが状況をまとめる。
舞台は整っていた。
吉兆は肩を回している。ヒカリは、まだ一言も喋らない。
「最初はグー」
審判の声。吉兆は右手で音頭をとる。左手はもう、腰の横で待っていた。
「ジャンケン」の声と共に「これで終わりだー!」と、負けフラグそのものの掛け声で締めようとする。しかしリーゼントは見逃さなかった。無表情だったヒカリの口元が笑っていたのを。
「くるぞ! この勝負、刮目せよ!」
「ぽん」
吉兆 パー
ヒカリ パー
その場の誰もが『予想外の引き分け』に戸惑った。審判もまさかの引き分けに、「あいこ」の掛け声が二テンポほど遅れた。
「あっ、あいこでしょ!」
吉兆 グー
ヒカリ グー
またしても引き分けだった。
吉兆は自分の手を見た。それから、ヒカリの目を見た。
ヒカリの目は、右手を見ていない。左手も見ていない。その二つの間にある、何もない空白を見ている。
(……見えてるのか)
隠していたつもりだった。隠せていなかったのは手の形ではなく、右手と左手が並んでいる、その並び方のほうらしい。
人間が『手を変えよう』と決めてから、実際に指の形が変わるまでには、どうしても時間がかかる。脳が命令を出し、神経が運び、筋肉がようやく動く。その工程を肉眼で一つずつ数えられる人間がいるとしたら、すり替えなど、看板を掲げて歩いているようなものだ。
後出しをしない後出し。
あの女のジャンケンは、たぶんそれだ。
見てから出しているのに、間に合っている。
「あっ、あいこでしょ!」
四回目。吉兆の額から汗が一粒落ちて、体育館の埃っぽい床に小さな染みを作った。
五回目の染みは、四回目のすぐ隣に落ちた。
それから、十連続で引き分けになった。
重ねるごとに、吉兆の肩が上がっていく。手を抜いているわけではない。右手から左手へ滑らせる例の作業を、毎回必死にやっている。
必死にやっているから、余計に滑稽だった。
数十秒前とは、立場がそっくり入れ替わっている。
誰も声を上げなかった。上げれば壊れる種類の緊張が、その一角を支配していたからだ。
ただし、こういう場所には必ず一人いる。緊張を壊せる強靭な精神の持ち主、言い換えれば、強烈に空気を読めない人間が。
「これ、ありえなくないですか?」
轟だ。彼女は目の前で起きている事態に特段驚く様子はなく、指差しながら田中総理に尋ねた。既に引き分けは十五連続に達している。
「君、よくこの状況で普通に会話が出来るね? さては仕事で状況見てなかったでしょ?」
田中総理の口の端が、片方だけ引きつった。
「はぁ……」
轟は気のない返事をするだけだった。
十六回目の引き分けだった。
吉兆の右手は、もはや誰の目にも分かるほど震えている。それでも彼は左手を諦めていない。往生際が悪いにも程がある。




