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でら変態と『連盟』

第2話 でら変態と『連盟』


一か月後


大学構内は、真夏の白い光に灼かれていた。


アスファルトから立ちのぼる熱が足首のあたりで揺れている。どこかの部室から扇風機の唸りが漏れ、そこへ蝉の声が重なった。生協の裏を通ると、揚げ物の匂いと氷の溶けた麦茶の匂いが混ざって鼻に入る。


その中を、吉兆とヒカリはいつものように歩いていた。


「にしても……ここ一か月で日本は変わったな……」


吉兆が顎で構内を指した。


ヒカリも同じ方向へ首を巡らせ、それから吉兆の顔に視線を戻す。


「どゆ事?」

「例の総理の発言だよ。あれから金の匂いを感じたマスメディアは挙ってジャンケンをネタにし……今じゃ週刊誌やワイドショー、SNSでもジャンケンの話題だらけ。さらに小学生向けの雑誌まで、コケモンカードやペイブレードを押しのけてジャンケンの漫画やコンテンツで埋もれている状況……ちょっと異常じゃない?」


吉兆は肩を竦めて、同意が返ってくるのを待った。


「ふーん」


返ってこなかった。


実際、この一か月で街の風景は変わっていた。


まずコンビニである。レジ横の一等地に『ジャンケン応援フェア』の幟が立ち、掌の形をしたグミが三種類並んだ。グー味とチョキ味とパー味の違いを誰も説明できないまま、初週で完売したらしい。


商店街のシャッターには必勝法の張り紙が出た。書いたのは酒屋の主人で、内容は『最初はグーの次はパーが出やすい』の一行だけだった。翌週、隣の魚屋が『それは嘘です』と貼り返した。現在は五軒に増え、論争は理論と人格の両面に広がっている。


予備校が『確率で読み解くジャンケン』という夏期講習を開いた。定員四十人のところに三百人が応募し、抽選になった。抽選はジャンケンで行われた。


老人会の体育館では、正しいグーの握り方を教える講座が始まった。


某小説投稿サイトのランキングは『ジャンケン』の題名で埋め尽くされている。


通販番組は『反応速度が上がる』という触れ込みのサプリを売り、消費者庁から指導を受け、そのニュースがまたジャンケンの話題として消費された。


自治体は予選の日を地区ごとの休日にした。労働基準法との整合について国会でひと悶着あったが、答弁に立った田中総理が「祭りだからです」の一言で押し切った。野党の追及は一時間続き、その様子は視聴率二十二パーセントを記録した。


吉兆はこの一か月、「ジャンケン」という単語を一日に何回聞いたか数えていた。三日目でやめた。数えきれない日が続いたからではない。数えても何も面白くなかったからである。


ただし、数えるのをやめなかったものもある。


この一か月で、吉兆はヒカリに四十七回ジャンケンを挑み、四十七回負けた。


ただ、構内を歩いていて、一つだけ認めざるを得ないことがあった。


中庭のベンチでは、四人組が缶コーヒーを賭けて三回続けてあいこを出している。その隣で、単位を落としたらしい男が、笑いながら二回続けて負けていた。


誰も、百三十億の話をしていない。


あの総理は、国会という場所で、賢者の仮面をベリベリと剥がして、唾を飛ばしながら叫んだ。その代償に日本中の信用を失ってもおかしくなかった。結果がこれである。


誰でもできる。道具がいらない。準備がいらない。強い者も弱い者も、金を持っている者も持っていない者も、同じ一手を出す。負けても百円しか損をしない。


完璧な祭りだった。


しばらく、いつもの構内を歩いた。


掲示板の前で、吉兆の足が止まる。


一か月前から張り出されたままのポスターは、雨と日焼けで隅がめくれ、画鋲の穴のまわりが茶色く滲んでいた。紙の端が風にぱたぱたと鳴っている。


ジャンケン大会の概要である。


全国民ジャンケン大会概要(予選)

全国民でトーナメント方式によりジャンケン大会を行います。参加費は一人百円。全国民から集めた参加費の全額を、優勝者への賞金といたします。(約百三十億円)

予め指定された地区の日時に百二十八人で一般の予選を行い、その優勝者に本戦への参加権が認められます。

予選は一本勝負、予選準決勝は三本勝負(二本先取)、予選決勝は五本勝負(三本先取)にて勝敗を決めます。

ジャンケンのルールは一般的な物とします。グーはチョキに勝つ、チョキはパーに勝つ、パーはグーに勝つ。あいこは再勝負。

審判員の初めの合図にて、お互い「最初はグー、ジャンケン、ぽん」とテンポよくグーチョキパーのどれかを出して下さい。手が一緒の場合は「あいこでしょ」の掛け声で再度出して下さい。

グーチョキパーの手の形は決められた物の形をします。※図を参照 これ以外の形は認められず反則負けとなります。

後出し等の反則は即負けとなります。

その他審判員が反則と認めた場合も負けとなりますのでご注意下さい。


どこにでもある、退屈な決まり文句が並んでいる。


「つか、ヒカリも出るんだろ?」


何の気なしに聞いた。


「……私は遠慮しておこうかな……」


ヒカリはポスターから目を逸らし、スカートの生地を指でつまんでいる。


「何でだよ! ジャンケン滅法強いじゃん! 百三十億だし日本のトップになれる」


吉兆は拳を作り、目を輝かせて言う。少年漫画の主人公が仲間を誘う場面のように、無駄に力がこもっていた。


「お金とか……名誉とかそんなのいらないし……普通が一番だよ」


ヒカリの爪先が、掲示板とは反対のほうを向いた。前髪が顔にかかって、そこから先は見えない。


「?? ヒカリさん?」


吉兆が顔を覗き込むと、ヒカリはさらに俯いた。


その時、二人の背後から、聞いたことのない男の声がした。


「あ、あのぉ……鈴宮さんですよね?」


その声に二人は振り返る。すると男はヒカリの顔を覗き込んだ。


語尾が消えかけている。半歩踏み出しては、半歩戻る。手は胸の前で組んだり解いたりを繰り返していた。


「あぁ! やっぱり! す、鈴宮さんだ!」


男は確証を得た顔になり、その脂ぎった顔をヒカリに近づけてくる。


「あの……ちょっと」


ジリジリと近寄ってくる男に対して、ヒカリも距離を保つべくジリジリと後退する。


目を合わせずにいたヒカリだったが、ここで初めて男の顔を確認した。


「あっ」


短く声が出た。右手が、口へ行っている。


特徴的なのは目だった。顔面の総面積に対してやけに大きく、まつ毛も立派だ。ただし、その目がどこを見ているのか分からない。常に泳いでいる。目が合うと何故かバシャバシャと泳ぎ、また明後日のほうを向く。それを延々と繰り返している。


「あの……ヒカリさん? こちらの方は、どちらの方で?」

(何だこの人……目が常に泳いでるけど……大丈夫か?)

「あぁ! か、感激だ……こんな所で鈴宮さんに会えるなんて……こ、今回のジャンケン大会は勿論参加するんですよね?」

「そうそう、申し遅れましたが。ぼ、僕も連盟に登録してる人間です! い、一度だけ、鈴宮さんと当たって……ぼ、僕の技も、見てもらいまして~」

(連盟? 技?)


吉兆の口は開いたまま閉じなかった。ヒカリはイヤイヤと頭を振りながら、後ろへ下がり続けている。


男がついに、その手を取ろうとした瞬間だった。


「でっ、でら変態!」


ヒカリが叫んだ。


二年の付き合いで、一度も聞いたことのない裏返り方だった。


(でら?)


横目で確認すると、脂ぎった男もまったく同じ顔をしていた。


「東海地方の方言で『とても』よ! 今はそれどころじゃないでしょ!」


誰も聞いていないのに、ヒカリは叫びながら答えた。そして軽快なステップで男をかわすと、脱兎のごとく逃げ出す。


男は余りのスピードに何が起こったのか理解できず、「す、鈴宮さん?」と声を裏返しながら辺りを見渡している。


当のヒカリはすでに男の遥か後方を「短距離の選手のような地面の蹴り方」で疾走していた。


「すっ鈴宮さん! 待って……ぐべっ」


男は吉兆の出した足に引っ掛かった。


「よくわからないが、困っている彼女を無視出来るほど、ダメ彼氏じゃないぜ! じゃな!」


不敵な笑みで男にサムズアップし、吉兆はヒカリの後を追った。


足をかけておいて彼氏を名乗る男である。真田吉兆の正義感は、おおむね、この程度の高さで安定している。


(結局、何なんだ……あの男……)

(にしても……気になる単語が……『連盟』? 『技』? なんのこっちゃ)


先ほどとは打って変わってランニングフォームがバラバラになり、肩で息をしているヒカリに追いつく。


「はぁ……はぁ……吉兆?」

「おう。さっきの何だったんだ? 知り合い?」

「さぁ……何だろうね? た……単なる変態じゃない?」

「ゼェ……」「ハァ……」「ヒュー……」


喉の奥から、笛のような音が漏れている。


「でも、ヒカリの名前を知ってたよな? ……それに『連盟』? 『技』?」

「あわわわわ! 変態の言う事なんて真に受けちゃダメだ……グボっ!」


ヒカリは吉兆から出た単語に反応して、女性とは思えない声で咳き込んだ。


(……何か隠しているな。こりゃ本人から聞くより、さっきの男に聞いた方が早い)


吉兆は綺麗な短距離フォームのまま、右手で顎をさすった。


「吉兆?? あれは新手の変態よ! そうよ、そうに決まってるわ!」

「わりぃ、先に飯食ってて。ちょっと忘れ物」


吉兆は軽快にターンし、元の道を戻っていった。


「きっちょー!」


追いかけようとしたヒカリだったが、膝が笑って追いかけられない。


「この体力お化け! 私を置いていくなー!」


悲痛の叫び声を背中で聞きながら、吉兆は来た道を引き返した。


忘れ物などない。聞きたいことがあるだけだ。


昼休みの構内は、遠くの笑い声と食器の触れ合う音でざわついていた。


男は、まだそこにいた。


植え込みの脇にぺたりと座り込み、鼻の頭を手の甲で押さえている。指の隙間から、砂の混じった赤いものが覗いていた。近くで見ると思っていたより小柄で、座っているとなおさら小さい。


「あの、すいませんでした」


吉兆が声をかけると、男の目玉が一往復半した。


「さっきの足。あれ、俺です」

「……知っています」


男は立ち上がろうとして二度失敗し、三度目で立ち上がった。


「で、その、聞きたいことがありまして」

「何でしょう」

「連盟って、なんすか」


男の動きが止まった。


目玉も止まった。今日はじめてである。


「……」

「あと、技って」

「……」


男は鼻から手を離し、ズボンで拭き、それから腕を組んだ。仁王立ちである。小柄な人間が仁王立ちをすると、なぜか一段と小柄に見える。


「あ、貴方に教える事は、何もありません」

「そこを何とか。ひらにぃ。ひらにぃ」


吉兆は中腰になって相手を見上げ、両手を合わせた。時代劇で町人が『旦那』に懇願する、あのポーズである。


「ふん。ぼ、僕を転ばした事を一生悔やむといいです」

「連盟ってやつだけ! 連盟ってやつだけでいいんで!」

「……」


男は無言で歩き出した。


吉兆は五メートルほど並走しながら「ひらにぃ」を八回繰り返したが、それ以降は完全に無視されるだけだった。小さな背中が校舎の角へ消える。


残された吉兆は、その場に立ったまま空を見上げた。


連盟。技。


二年付き合って、一度も聞いたことのない単語だった。


(……まぁ、いいか)


吉兆の興味は線香花火に似ている。派手に散って、玉が落ちれば、それで終わる。この二分後には、頭の中は昼飯のことしか残っていない。現に腹からは「グー」という合図が鳴っていた。


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