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27.戻れない一線

傷つけたい。


あの時、確かに頭の中がその感情でいっぱいになっていた。

初めて、他人の心の柔らかい部分に爪を立てた。


――「捨てられたあんたは、親になんて興味ないのかもしれないけど」


言葉を発した瞬間は、スッキリしたはずだったのに。

今はもう、心臓がなくなってしまえばいいと思うほど痛い。


(…どこかで、協力してくれると思ってたんだ)


ルイは糸の能力に強い興味を示し、周囲には見せない素を見せ、取引まで持ち掛けてきたから。


――「操られたうえに、記憶操作されたのか」


ルイの呆れたような口調が蘇る。


(何も考えていないわけじゃないのに…!)


胸の奥から、汚い泥水が溢れ出てくるような、不快感。

学園に入学してから、散々浴びせられた軽蔑の言葉。

とっくに慣れたはずなのに、消化できない。


(アンナの等価交換の件だって、私がいたから解決出来た)


ルイは、ミオが自分の異能を過信していると言った。

だが、彼の方こそ、自分の力を過信しているのではないか。


(信用できる人なんていないんだから、自分でどうにかしなきゃ)


日付が変わったちょうどの時刻。

バチン、と控えめな音を鳴らして、部屋を囲っていた結界が解除された。

謹慎期間は終わった。


明日から二日間は休日で、授業はない。

来週になれば、通常の学園生活に戻ってしまう。


(まず今週末で、出来るだけのことはしたい)







まだ人の少ない早朝。

ミオは長い髪を丸くまとめて、深めのキャップを被り、寮を出た。


(寒っ…)


白い息を吐きながら、校門脇の小屋に向かった。

小屋の扉を叩く。


ドクンドクン、と心臓の音が耳の奥でする。


しばらくして、中から「はい」と男の返事が聞こえ、扉が開いた。

現れたのは眼鏡をかけた細身の中年男性だった。


糸を視た。

ミオと彼に糸の繋がりはなかった。


「外出?早いね。許可証は?」

「あります!ちょっと、待ってくださいね」


ミオは肩掛けカバンの中を探すような仕草をした。

そして、震える指先で、自分から伸びている一本の糸を切った。

まだ、繋がる先を見たことのない糸。


「ちょっと、手がかじかんで…」

「寒いからね」


グー、チョキ、パー。

まるで指先の感覚を確かめるような動作をしてみせた。


(ごめんなさい)


そして、人差し指と中指の間に、彼から伸びている一本の糸を挟み――


断った。


切られた端が、繋がる先を求めるように、ひらりと動く。

もう、戻れない。


耳の奥で、黒板を爪で引っかいたような不快な音が響き始めた。


ミオは手早く、切った二本の糸を手繰り寄せる。

そして、元は異なる二本の糸を、固く結んだ。


投影体を介して視た、困り果てた様子のアンナから伸びていた七本の糸のように。


(これしか、方法がないの)


上手くいくかは分からない。

だが、ミオが学園外に出るためには、ここを突破しなければならない。


作ったばかりの結び目を強く、両手で握る。

触れればただでは済ませないと言わんばかりに熱い。

糸が訴えるように、手のひらの中で動いているのが分かる。


(“新しい関係を繋ぎ直せ”)


糸が大人しくなった。

同時に、後頭部を鈍器で殴られたような痛みが走る。


だが、休んでいる暇はない。

男が怪しむような表情をした。


「許可証は?」


緊張からか、喉が渇く。

張り付いた上唇と下唇を剥がし、言った。


「渡したじゃないですか」


そう言った瞬間、彼の眉間に深いしわが刻み込まれた。


(まずい!)


男が鋭い視線でミオを射貫く。


「何を企んでる」


ミオは慌てて、糸を握ったままの両手に、再び力を込めた。


(“私の言うことが真実”)


握った拳の隙間から、白い光が漏れた。

手の中で、一度だけ糸が強く脈打ったのが分かった。


ドクン。

ドクン。

心臓が痛い。


声が震えないように、息を多めに吐き出しながら言う。


「渡したじゃないですか、許可証」


風の音がはっきりと聞こえる。

ミオの全神経が耳に向けられていた。


「そうだったな」

「…っ!」


(やってしまった…)


全身の力が一気に抜け、その場にしゃがみ込みそうになるのを堪えた。


だが、あまりに呆気なく、脆く崩れた彼の記憶に、どこか残念がるような自分がいた。


「外泊許可もいただいていますよ」

「…そうだったな」


彼は、疑う素振りもなく「気を付けろよ」と言って、扉に手を掛ける。


「あ、ちょっと待って」


ミオは咄嗟に、一歩近づいた。


「私、初めてなので、外への出方を教えてください」


途端に男が怪訝そうな顔をする。


「初めて?外泊許可が貰えるのに?」


(どうしよう!?なんか、細かいルールがあった?)


「初めてですが、外泊許可も貰えました」


酷い耳鳴りと頭痛で、上手く頭が回らない。


「そうか…思い浮かべるだけだ」


なんとか、かわしたようだ。


「門の前に立ち、行きたい場所を思い浮かべる。そうすれば、勝手に門が開いて、一番近い出入り口に繋がる」

「…分かりました。ありがとうございます」


とりあえず、学園の外には出られそうだ。

ミオは彼に気づかれないように、小さく息を吐いた。


「三日前、アンナが任務のために外出した時間を教えてください」

「…記録を見る」


そう言うと、彼は小屋の奥へと姿を消した。

ミオは周囲を見渡した。

こんな会話を聞かれてしまえば、すぐに謹慎処分に逆戻りだろう。


「あっ…!」


人影が見えた。


まだ距離があり、はっきりとは分からないが、キャリーケースを引いた学生のように見える。


今日は土曜日。

ミオのように朝早くから外出する人がいても不思議ではない。


(お願い!早くして…!)


男はまだ戻ってこない。

最悪の場合、ここから立ち去って、学園から出ることを優先するしかないだろう。


(でも、アンナが乗った新幹線の情報が、出来るだけ欲しい…)


そこへ、男が片手に紙の束を持って、戻ってきた。


「朝八時半だ」

「任務の場所を教えてください!」


思わず、急かすような口調になってしまう。

男が手元の紙を見る。


「…長野県だ。これ以上、詳細は知らない」


(十分!)


「任務先を絞られないように、門は東京駅で開いたはずだ」

「ありがとうございました!」


お辞儀をすると、そのまま身体が傾いて、倒れてしまいそうだった。


(異能を使った代償…)


ミオは身体の異変を無視するように、足早に門へと向かった。

一刻も早く、学園を出たかった。



(東京駅に連れて行って)


重厚な鉄扉は、その見た目に反して音もなく開いた。


白い光が溢れ、向こう側は何も見えない。

一歩、二歩、と進めば、光に身体が包み込まれるのを感じた。


(…意外と簡単だったなぁ)


あまりの眩しさに目を閉じながら、さっきまでの出来事をなぞる。


(あの男の人…真面目そうだったな)


彼が“記録”と言っていた、紙の束は綺麗に端と端が揃った状態でまとめられていた。

きっと、普段の彼は許可証を念入りに確認するタイプだろう。


(おかげで、新幹線の情報も手に入って良かった)


ミオは、無意識のうちに頬が引きあがっていることに気づいた。


糸を触れる前に感じていた、罪悪感はどこに消えてしまったのだろうか。

何か、自分が得体の知れないものになったような気がした。


(大丈夫)


アンナにフラスコが落ちてきたのを止めた時。

断ち切り禁止区域で魔物からトロフィーを奪った時。

エリオの切れかけた糸を復活させた時。


(大丈夫。いつもと何も違わない)




急に、音が変わった。

風が止む。


(暗い…)


ミオはゆっくりと目を開けた。


左右の壁の距離が近く、天井も低い。

狭い空間だった。


背の低い机に置かれた、真っ黒な画面のパソコン。


(…ここ、どこ?)


振り返ると、すぐ正面に扉があった。


とりあえず、開ける。


外に出ると、左右にも同じような扉が並んでいた。


少し先には、天井まで積みあがった本棚。

色とりどりの背表紙が、隙間なく並んでいた。


戸惑いながらも、進むと前方に受付が見えてきた。

制服を着た若い男性が、カウンターの向こう側でパソコン作業をしている。


(どうやって、出たらいいんだろ)


歩幅を小さくして、カウンターに近づいてく。


店員が顔を上げた。

ミオの存在に気づいたようだ。


一拍置いて、何事もなかったかのように口を開く。


「ご利用ありがとうございましたぁ」


少し気だるげな声が響いた。

ミオは軽い会釈をして、受付を通り過ぎた。


外に出ると、朝の冷たい空気が肺に流れ込んできた。

振り返り、自分が出てきた建物を確認する。


「ネットカフェ」


蛍光色をふんだんに使った看板の文字を読み上げた。


(そっか、これがネカフェ…)


楽しげな書体で書かれた文字は、見ているだけで頭痛を悪化させそうだった。

ミオは東京駅へ向かうことにした。







「朝早くて、すみません!外出許可証と外泊承認証です」


キャリーケースを引いた男子生徒が、校門脇の小屋の入り口に立っていた。

眼鏡をかけた中年の男に、二枚の紙を渡す。

男は受け取ると、一枚目の左上から丁寧に見ていく。


「毎回、念入りですねぇ」

「これが、俺の仕事だからな」


男子生徒は長くなるのが分かっているかのように、キャリーケースに腰を下ろした。


「今日は久々に、彼女に会うんすよ」

「良かったな」

「はい!良かったすっ」


男は視線を上げないが、男子生徒の話は聞いているようだ。


「彼女、誕生日だから旅行行くんすよ」

「それはいいな」


男は一枚目を男子生徒に返却すると、二枚目の確認を始めた。


「奥さんと、最近どこか旅行行きました?」

「…奥さん?」


男は相変わらず、書類から目を離さずに小さく呟いた。

男子生徒は聞こえなかったようで、じれったそうに言う。


「もう!教えてくれてもいいじゃないですかぁ」

「…俺に、奥さんはいないが」


一瞬、男子生徒は目を丸くして、黙り込んだ。


「もう!そんな、冗談良くないですよぉ」

「…」

「俺が確認中に騒ぐから怒っちゃったんですかぁ」


男が二枚目の紙を返すと、男子生徒は嬉しそうに笑った。


「ありがとうございます!じゃあ、行ってきます!」

「あぁ、気を付けろよ」


男は男子生徒の背中を見送りながら、左手を持ち上げた。


薬指に当たり前のように存在する指輪。

少しずらしてみれば、指には指輪の跡が深く食い込んでいた。


「どういう、ことだ…?」


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