27.戻れない一線
傷つけたい。
あの時、確かに頭の中がその感情でいっぱいになっていた。
初めて、他人の心の柔らかい部分に爪を立てた。
――「捨てられたあんたは、親になんて興味ないのかもしれないけど」
言葉を発した瞬間は、スッキリしたはずだったのに。
今はもう、心臓がなくなってしまえばいいと思うほど痛い。
(…どこかで、協力してくれると思ってたんだ)
ルイは糸の能力に強い興味を示し、周囲には見せない素を見せ、取引まで持ち掛けてきたから。
――「操られたうえに、記憶操作されたのか」
ルイの呆れたような口調が蘇る。
(何も考えていないわけじゃないのに…!)
胸の奥から、汚い泥水が溢れ出てくるような、不快感。
学園に入学してから、散々浴びせられた軽蔑の言葉。
とっくに慣れたはずなのに、消化できない。
(アンナの等価交換の件だって、私がいたから解決出来た)
ルイは、ミオが自分の異能を過信していると言った。
だが、彼の方こそ、自分の力を過信しているのではないか。
(信用できる人なんていないんだから、自分でどうにかしなきゃ)
日付が変わったちょうどの時刻。
バチン、と控えめな音を鳴らして、部屋を囲っていた結界が解除された。
謹慎期間は終わった。
明日から二日間は休日で、授業はない。
来週になれば、通常の学園生活に戻ってしまう。
(まず今週末で、出来るだけのことはしたい)
◇
まだ人の少ない早朝。
ミオは長い髪を丸くまとめて、深めのキャップを被り、寮を出た。
(寒っ…)
白い息を吐きながら、校門脇の小屋に向かった。
小屋の扉を叩く。
ドクンドクン、と心臓の音が耳の奥でする。
しばらくして、中から「はい」と男の返事が聞こえ、扉が開いた。
現れたのは眼鏡をかけた細身の中年男性だった。
糸を視た。
ミオと彼に糸の繋がりはなかった。
「外出?早いね。許可証は?」
「あります!ちょっと、待ってくださいね」
ミオは肩掛けカバンの中を探すような仕草をした。
そして、震える指先で、自分から伸びている一本の糸を切った。
まだ、繋がる先を見たことのない糸。
「ちょっと、手がかじかんで…」
「寒いからね」
グー、チョキ、パー。
まるで指先の感覚を確かめるような動作をしてみせた。
(ごめんなさい)
そして、人差し指と中指の間に、彼から伸びている一本の糸を挟み――
断った。
切られた端が、繋がる先を求めるように、ひらりと動く。
もう、戻れない。
耳の奥で、黒板を爪で引っかいたような不快な音が響き始めた。
ミオは手早く、切った二本の糸を手繰り寄せる。
そして、元は異なる二本の糸を、固く結んだ。
投影体を介して視た、困り果てた様子のアンナから伸びていた七本の糸のように。
(これしか、方法がないの)
上手くいくかは分からない。
だが、ミオが学園外に出るためには、ここを突破しなければならない。
作ったばかりの結び目を強く、両手で握る。
触れればただでは済ませないと言わんばかりに熱い。
糸が訴えるように、手のひらの中で動いているのが分かる。
(“新しい関係を繋ぎ直せ”)
糸が大人しくなった。
同時に、後頭部を鈍器で殴られたような痛みが走る。
だが、休んでいる暇はない。
男が怪しむような表情をした。
「許可証は?」
緊張からか、喉が渇く。
張り付いた上唇と下唇を剥がし、言った。
「渡したじゃないですか」
そう言った瞬間、彼の眉間に深いしわが刻み込まれた。
(まずい!)
男が鋭い視線でミオを射貫く。
「何を企んでる」
ミオは慌てて、糸を握ったままの両手に、再び力を込めた。
(“私の言うことが真実”)
握った拳の隙間から、白い光が漏れた。
手の中で、一度だけ糸が強く脈打ったのが分かった。
ドクン。
ドクン。
心臓が痛い。
声が震えないように、息を多めに吐き出しながら言う。
「渡したじゃないですか、許可証」
風の音がはっきりと聞こえる。
ミオの全神経が耳に向けられていた。
「そうだったな」
「…っ!」
(やってしまった…)
全身の力が一気に抜け、その場にしゃがみ込みそうになるのを堪えた。
だが、あまりに呆気なく、脆く崩れた彼の記憶に、どこか残念がるような自分がいた。
「外泊許可もいただいていますよ」
「…そうだったな」
彼は、疑う素振りもなく「気を付けろよ」と言って、扉に手を掛ける。
「あ、ちょっと待って」
ミオは咄嗟に、一歩近づいた。
「私、初めてなので、外への出方を教えてください」
途端に男が怪訝そうな顔をする。
「初めて?外泊許可が貰えるのに?」
(どうしよう!?なんか、細かいルールがあった?)
「初めてですが、外泊許可も貰えました」
酷い耳鳴りと頭痛で、上手く頭が回らない。
「そうか…思い浮かべるだけだ」
なんとか、かわしたようだ。
「門の前に立ち、行きたい場所を思い浮かべる。そうすれば、勝手に門が開いて、一番近い出入り口に繋がる」
「…分かりました。ありがとうございます」
とりあえず、学園の外には出られそうだ。
ミオは彼に気づかれないように、小さく息を吐いた。
「三日前、アンナが任務のために外出した時間を教えてください」
「…記録を見る」
そう言うと、彼は小屋の奥へと姿を消した。
ミオは周囲を見渡した。
こんな会話を聞かれてしまえば、すぐに謹慎処分に逆戻りだろう。
「あっ…!」
人影が見えた。
まだ距離があり、はっきりとは分からないが、キャリーケースを引いた学生のように見える。
今日は土曜日。
ミオのように朝早くから外出する人がいても不思議ではない。
(お願い!早くして…!)
男はまだ戻ってこない。
最悪の場合、ここから立ち去って、学園から出ることを優先するしかないだろう。
(でも、アンナが乗った新幹線の情報が、出来るだけ欲しい…)
そこへ、男が片手に紙の束を持って、戻ってきた。
「朝八時半だ」
「任務の場所を教えてください!」
思わず、急かすような口調になってしまう。
男が手元の紙を見る。
「…長野県だ。これ以上、詳細は知らない」
(十分!)
「任務先を絞られないように、門は東京駅で開いたはずだ」
「ありがとうございました!」
お辞儀をすると、そのまま身体が傾いて、倒れてしまいそうだった。
(異能を使った代償…)
ミオは身体の異変を無視するように、足早に門へと向かった。
一刻も早く、学園を出たかった。
(東京駅に連れて行って)
重厚な鉄扉は、その見た目に反して音もなく開いた。
白い光が溢れ、向こう側は何も見えない。
一歩、二歩、と進めば、光に身体が包み込まれるのを感じた。
(…意外と簡単だったなぁ)
あまりの眩しさに目を閉じながら、さっきまでの出来事をなぞる。
(あの男の人…真面目そうだったな)
彼が“記録”と言っていた、紙の束は綺麗に端と端が揃った状態でまとめられていた。
きっと、普段の彼は許可証を念入りに確認するタイプだろう。
(おかげで、新幹線の情報も手に入って良かった)
ミオは、無意識のうちに頬が引きあがっていることに気づいた。
糸を触れる前に感じていた、罪悪感はどこに消えてしまったのだろうか。
何か、自分が得体の知れないものになったような気がした。
(大丈夫)
アンナにフラスコが落ちてきたのを止めた時。
断ち切り禁止区域で魔物からトロフィーを奪った時。
エリオの切れかけた糸を復活させた時。
(大丈夫。いつもと何も違わない)
急に、音が変わった。
風が止む。
(暗い…)
ミオはゆっくりと目を開けた。
左右の壁の距離が近く、天井も低い。
狭い空間だった。
背の低い机に置かれた、真っ黒な画面のパソコン。
(…ここ、どこ?)
振り返ると、すぐ正面に扉があった。
とりあえず、開ける。
外に出ると、左右にも同じような扉が並んでいた。
少し先には、天井まで積みあがった本棚。
色とりどりの背表紙が、隙間なく並んでいた。
戸惑いながらも、進むと前方に受付が見えてきた。
制服を着た若い男性が、カウンターの向こう側でパソコン作業をしている。
(どうやって、出たらいいんだろ)
歩幅を小さくして、カウンターに近づいてく。
店員が顔を上げた。
ミオの存在に気づいたようだ。
一拍置いて、何事もなかったかのように口を開く。
「ご利用ありがとうございましたぁ」
少し気だるげな声が響いた。
ミオは軽い会釈をして、受付を通り過ぎた。
外に出ると、朝の冷たい空気が肺に流れ込んできた。
振り返り、自分が出てきた建物を確認する。
「ネットカフェ」
蛍光色をふんだんに使った看板の文字を読み上げた。
(そっか、これがネカフェ…)
楽しげな書体で書かれた文字は、見ているだけで頭痛を悪化させそうだった。
ミオは東京駅へ向かうことにした。
◇
「朝早くて、すみません!外出許可証と外泊承認証です」
キャリーケースを引いた男子生徒が、校門脇の小屋の入り口に立っていた。
眼鏡をかけた中年の男に、二枚の紙を渡す。
男は受け取ると、一枚目の左上から丁寧に見ていく。
「毎回、念入りですねぇ」
「これが、俺の仕事だからな」
男子生徒は長くなるのが分かっているかのように、キャリーケースに腰を下ろした。
「今日は久々に、彼女に会うんすよ」
「良かったな」
「はい!良かったすっ」
男は視線を上げないが、男子生徒の話は聞いているようだ。
「彼女、誕生日だから旅行行くんすよ」
「それはいいな」
男は一枚目を男子生徒に返却すると、二枚目の確認を始めた。
「奥さんと、最近どこか旅行行きました?」
「…奥さん?」
男は相変わらず、書類から目を離さずに小さく呟いた。
男子生徒は聞こえなかったようで、じれったそうに言う。
「もう!教えてくれてもいいじゃないですかぁ」
「…俺に、奥さんはいないが」
一瞬、男子生徒は目を丸くして、黙り込んだ。
「もう!そんな、冗談良くないですよぉ」
「…」
「俺が確認中に騒ぐから怒っちゃったんですかぁ」
男が二枚目の紙を返すと、男子生徒は嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます!じゃあ、行ってきます!」
「あぁ、気を付けろよ」
男は男子生徒の背中を見送りながら、左手を持ち上げた。
薬指に当たり前のように存在する指輪。
少しずらしてみれば、指には指輪の跡が深く食い込んでいた。
「どういう、ことだ…?」




