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26.奪われた時間

高い天井の下、縁に金装飾の施された本棚が壁一面に広がる部屋。

中央奥の重厚な机に、肘をついてタブレット端末に目を落とす男がいる。端末の光が、男を下から照らし、目尻に刻まれた皺を浮かび上がらせていた。


重い扉の開く音がして、若い男が部屋に入ってくる。

だが、男は顔を上げない。


部屋に入ってきた若い男は、机の正面に立つと、言った。


「糸がほどかれました」


その言葉に、やっと男が視線をあげた。口元を歪ませ、不敵な笑みを浮かべている。


「やはり、運命操作を持つ者がいたのか」


若い男が宙で指先を振ると、どこからともなく書類が現れた。

そこには、視線の外れたミオの写真が添えられている。


書類に目を通す男が、ある一点で止まった。


「養子?」

「はい、両親は十五年前に亡くなっているようです。異能との関係はありませんでした」

「隠された痕跡がないか、もう一度調べろ」

「はい」


男が顔を上げると、突然、書類が形を崩した。

紙の端から糸のようにほどけ、文字が消えていく。やがて、紙は一本の細長い糸になり、姿を消した。


「これを知られるわけにはいかないな」







謹慎最終日。ミオは呼び出されていた。


指定されたのは入学初日、魔物に遭遇した来客室だった。

扉の前に立ち、深く息を吸って、吐く。


コンコン、と扉を叩くと、中から「どうぞ」と女性の声がした。


部屋に入ると、真っ先に淡いピンク髪が視界に入った。

心臓が、その位置がはっきり分かるほど、大きく鳴った。


(テセ先生…やっぱり、いるんだ)


温度のない表情は、何を考えているか分からず、これまでミオが見てきた彼の姿からは遠くかけ離れていた。


(どうして初めから、こんな風に接してくれなかったんですか)


目を合わせても、彼の表情は何一つ変わらない。


(少しチャラチャラしてるけど、優しい人だと本気で思ってたんですよ)


部屋の中では、テセの他、高等部校長と副校長、初等部校長が待っていた。

促されるまま、ソファーに腰を下ろす。


副校長が指を鳴らすと、ミオの目の前にティーカップが現れた。

柔らかでいて、華やかな独特な紅茶の香りが漂う。


(不思議な香り)


副校長の真っ赤な口紅の引かれた唇が、弧を描いた。


「緊張しないでいいのよ。ただ、交流戦二日目に、森で何があったのかを正直に話してくれればいいだけだから」

「はい…」

「この紅茶にはリラックス効果があるし、貴女に必要なものだから。飲みなさい」


薄い陶器のカップを慎重に持ち上げて、紅茶を一口含む。


「それでは、早速だけど」


彼女がそう言うと、カップの中で揺れる紅茶が不自然に静まり返った。

部屋の空気が張り詰める。


(防音結界?)


「立ち入り禁止区域の結界を破ったのは貴女で間違いないわね?」

「…はい」

「どうやって、結界までたどり着いたのかしら?」

「糸が風もないのに不自然に流れていたので、それを追っていたら見つけました」


会話の間が居心地悪く、ミオはもう一口、紅茶を飲んだ。


(…?)


一瞬、視界が歪んだ気がするが、淡々と続く質問に意識が戻る。


「結界はどのように見えた?」

「…糸の塊でした。人を飲み込める大きな繭みたいで…」


(あれ、何か頭が働かない…)


「浮かんでたんです。…結界だとは思いませんでした」


突然、眠気に襲われたように、思考が滑り始めた。

だが、言葉は勝手に口から出ていく。


音が遠のく。

自分の声なのに、誰か他人の言葉のように聞こえる。


「どうやって、中に入ったの?」

「ただ、糸に触っただけです。特に何かを考えることもしませんでした」


繰り返される質問に、口が勝手に真実を返していく。


(あれ、今、何を聞かれてるんだろう…)




ミオは寮の自室で目を覚ました。

机に突っ伏して眠っていたため、両腕が痺れている。


上体を起こし、腕を軽く振っていると、机に空になった皿が並んでいることに気づいた。

慌てて窓に視線をやれば、外は既に真っ暗になっていた。


(あれ、お昼過ぎに来客室に行って…どうしたんだっけ?)


寮に戻ってきた記憶もなければ、寮母から夕食を受け取った記憶もない。

だが、自分の胃は確かに食べ物を入れた気配がする。


(いつ食べたの…)


しばらく、空の皿を見つめていたが、ハッと、した。


慌ててトレーを机の端に寄せ、魔法陣の描かれたメモを取った。

ミオの投影体を作るために書き換えられたはずの魔法陣は既に、元に戻っていた。


少量の魔力を流す。

しばらくして、ルイの投影体が現れた。


「遅かったな」

「ごめんなさい…なんか、気づいたら眠ってたみたいで」


怒るかと思ったが、ルイは言葉を発さずに、何かを考えているようだ。

しばらくして、口を開いた。


「お前、今日が事情聴取だったんだよな」

「あ、うん」

「何を聞かれた」

「立ち入り禁止区域の結界はどうやって見つけたのかとか…」


(あれ?)


思い出せない。

“話した”という感覚だけが、残っている。


「ちょっと待って…何を、話したっけ」


会話の内容を、順を追って思い出そうとするが、何も浮かんでこない。

何を聞かれて、自分がなんと答えたのか分からない。


(意識とは関係なく、勝手に口が動くのをただ聞いているだけだった…)


全身の血がサッ、と下がるような感覚がした。


「図られたな」


ルイがため息をついた。


「操られたうえに、記憶操作されたのか」


ふと、ソファーに座ると同時に出された紅茶の香りが蘇った。


――貴女に必要なものだから


そう言われて飲んだ後の記憶がまるでない。


「…交流戦二日目の記憶はあるのか?」

「ある」

「…ここ数日の記憶は?」


ミオは頷いた。


「消されたのは今日の会話だけ…学園が何を探っているのかを知られたくない、ってところか」


ルイが再び、ため息をついた。

思わずミオが謝ると、ルイは「あいつらのやりそうなことだ」とだけ、言った。


(生徒に監視をさせるような人たちだって、分かってたのに…)


相手の思いのままにされた。

何か重要なことを話した感覚はあるのに、内容は霧に包まれている。

ミオは無意識に奥歯を強く嚙んでいた。


(もっと、ちゃんとしなきゃ…味方なんていないんだから)


「アンナの等価交換の件だが…糸が結び替えられたと言ってたな」

「…うん。糸に触った時に、記憶が流れ込んできたから間違いないと思う」

「記憶?」

「多分、糸は操作された時の記憶を持ってるんだと思う。糸を切って、別の糸と結ぶ映像と、男の人が命令する声が流れてきたの」


ルイは少し考えるような顔をした。


「糸に命令するのか」

「確か、“新しい関係を繋ぎ直せ”だったと思う」


ミオは自分もエリオが大怪我をした時に、糸を握って、強く願ったことを思い出した。


「命令ではないけど、心の中で“絶対に死なせない”って願ったら、切れかけた糸が元に戻ったの」


その時の状況を説明すると、ルイはハッ、と乾いた笑いを落とした。


「お前と同じことが出来る人間は、教員も含めて学園内にはいない。糸を結び替えた奴は、おそらく外部の人間だな」


(学園の外の人間?)


「目的は分かんねぇが」

「確証はないけど、もしかすると私のことを探していたのかも」


ミオは結び目をほどいた瞬間に感じた、視線や魔力のことを話した。


「逆探知な…なくはないが」

「でも、もし私を探し出すのが目的だったら、学園と繋がっている可能性が高いよね」


アンナの糸に異変を起こせば、対象者が行動を起こすと分かっていたのだ。


「学園とは繋がってるだろうな」


その口調は確信しているかのようだ。


「糸を結び替えた人物についてだが、アンナたちが任務に行く途中で怪しい男と接触した可能性がある」


ミオは自分でも胸が高鳴ったのが分かった。


(手掛かり!)


「同じ新幹線に乗ってきたらしい。つまり、任務がいつどこで実施されるか、現場までの移動手段を把握していたということだ」


学園内でも関係者にしか明かされない、任務の情報が外部に漏れていた。

ミオと同じ異能をもつ人物が、学園と繋がりを持っていることは間違いなさそうだ。


「“学園”って、どの辺りの立場のことを指してるの?」

「…少なくとも校長、副校長以上の役職者が関わっていることは間違いないだろ」


(どうやったら、どうやったら、近づけるんだろう)


「私も逆探知とか仕掛けたり――」

「あ?」


ルイの低く凄んだ声が、ミオの言葉を遮った。


「お前、何考えてる」

「何って…」

「お前の言う通り、お前を見つけるために逆探知を仕掛けてたとして罠だぞ」


結び目をほどいた瞬間に感じた明らかな視線、残された感じ取れる程度の魔力。


「わざと痕跡が残る魔術を選んだんだよ。お前みたいなバカが動き出すように」

「いいじゃん!」

「は?」

「それで、仕掛けた人間に会えるならいいよ」


ルイはハニーブラウンの瞳を大きく見開くと、呆れた表情でミオを見やった。


「お前、それで何か分かると思ってんのか。相手がどんな目的か、どんな組織なのかも分からないのに、近づいて何ができる。自分の異能を過信するのもいい加減にしろよ」


(過信する…?)


出来るはずがない。何も知らないのに。


「そんなんじゃない!」

「じゃあ、なんなんだよ」

「…私は、ただ」


ミオは一拍置いた。

人に話すには勇気のいる本音。


「同じ異能の人なら、私の両親のことも何か知ってるんじゃないかと思って」


ルイは呆れたように、小さく息を漏らした。


「両親?あぁ、お前いないのか」


(何その言い方)


ミオは無意識に拳を握った。

爪が手のひらに食い込む。


――「ルイ君って、両親に捨てられたんだってね」


なぜか、こんなタイミングで思い出す彼を傷つけるための言葉。


(駄目だ、絶対に。言うな)


「それで、何も考えずに突っ込んでくと?」


(違う。私が、自分でなんとかしないと)


「下手に接触されて俺の計画が崩れ――」

「あんたには分からないでしょ!」

「あ?」


(駄目だ、駄目だ)


止めなきゃいけないと分かっているのに、制御が出来ない。


「捨てられたあんたは、親になんて興味ないのかもしれないけど!私は知りたいんだよ!」


言葉にした瞬間、喉の奥の引っかかりが消えたような爽快感。

けれど、すぐに心臓を捻り潰されたような痛みが広がった。


ルイは余程ミオの勢いに驚いたのか、呆然とした顔をしていた。


(違う…謝らなきゃ)


そう思っているのに、言葉が出てこない。


「俺にも、ずっと知りたかったことがある」


ルイの投影体にノイズが走る。


「お前みたいに感情的になって、もう、失敗するわけにはいかない」


そう言って、投影体は消えてしまった。


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