25.逃げない選択
カチャカチャ、と食器のぶつかる音がした。
暖かい布団の中で、ミオは小さく身体を動かす。
(痛い…)
全身の骨が軋むような鈍い痛みがした。
「起きましたー?」
声がした方向に顔だけ向けると、寮母がいた。
「すごい熱ですよ。先程まで、医務員の方がいらっしゃって、風邪じゃないって」
そう言いながら、枕を冷たいものに替えてくれる。
(気持ちいい…)
「こんな部屋に何日も缶詰にされてたら、気も滅入っちゃうわよね」
ミオは「そうですね」と曖昧に笑う。
(多分、糸に触ったからだろうなぁ)
時計を見れば、十五時を過ぎていた。
「スープを用意したから、少しずつでも食べるのよ」
「ありがとうございます」
「じゃあ、何かあったらこの鈴を鳴らしてくださいな」
彼女は枕元に不思議な形の鈴を置くと、部屋を出て行った。
部屋が静かになると、意識がぼんやりとして、瞼が落ちてくる。
そこへ、目の前に結び目のある光る糸が現れた。
(なんで?もう全部ほどいたはずなのに)
糸の繋がる先を探そうとするが、ミオの意識とは関係なく手が伸びていく。
(ほどかされる)
指先が結び目の芯に触れた瞬間。
全身を撫でるような視線。
息が詰まる。
「ハッ」
目の前には見慣れた自室の天井が広がっていた。
(夢か…)
だが、昨日感じた奇妙な視線を鮮明に思い出した。
あの時、ごく微量だが、知らない人物の魔力が漂うのを感じた。
本能的に、アンナの糸を結び替えた人物だと思った。
(この状況…どこかで見たことがある気がするけど)
ミオは熱で痛む身体を起こし、勉強机の上から数冊の分厚い本を取った。
ベッドに戻り、一冊ずつページをめくっては、次の本を開く。
それを繰り返す。
途中、ページをめくる指先から、一本の光の糸が伸び始めたのが見えた。
糸は、時々勝手に消えたり、伸びたりすることがある。
(どこに繋がってくんだろうなぁ)
ミオは三冊目でページをめくる手を止めた。
アンナから手紙と一緒に渡された教科書だった。
――逆探知
(…似てる)
――記憶を有するものが上書かれる際に発動させ、その内容を認識する魔術
ミオは、糸に触れた瞬間のことを思い返した。
結び替えられる映像と命令する男の声。
(やっぱり、あれは、糸の記憶だったのかも)
糸が記憶媒体になるのであれば、アンナの糸に結び目を作った人物が、逆探知の魔術を仕込んでいた可能性がある。
相手は、糸が視え、触ることができる人物――ミオのことを探しているのではないだろうか。そんな考えが、ふと浮かんだ。
(しかも、アンナと繋がりがあることも分かってた?)
思わず身震いする。
(そして、探し当てた…)
まるで、姿の見えない何者かが着実に迫ってきているような恐怖。
(でも――少しだけ、興味ある)
(知りたい。自分と同じ、糸に触れる人間を)
だが、逆探知については、あくまで推測の域を過ぎない。
ミオは布団の上に、教科書を広げたまま、目を閉じた。
――「魔法使いの能力は、遺伝することが多いから。
ご両親も同じだったんじゃないかって」
テセはミオの両親に興味を持っていた。
異能と血縁に関係があるのならば、自分を探している相手は、両親のことも何か知っている可能性がある。
(会いたいと思うことは…間違っているのかな)
――我らをこの世に生み出したのも、この村を襲わせたのもすべて、糸を視る者の仕業
立ち入り禁止区域で遭遇した魔物の言う通りなら、糸を視る者は“悪”なのだろうか。
(それでもいいや)
ミオは自分の口角が自然と持ち上がるのを感じた。
先ほどまで恐怖を感じていたはずなのに。
今は、「どうやったら、会えるか」と考えている。
(私は実の親に興味がない冷たい人間だと、ずっと思ってた)
祖父母は、両親のことをほとんど話さない。
親戚にも、誰一人会ったことがない。
自分は親のことを知らなくても幸せだと、祖父母に伝えたかった。
全然、駄目だったけど。
(でも、本当は…)
自分の感情が分からなくなってしまうほど、胸の奥底で。
自分が生まれてきたストーリーを求めていた。
(あぁ、頭の中がぐちゃぐちゃ…)
見えない誰かへの恐怖と、自分のルーツへの興味。
初めての手掛かりは、隠していた感情を浮き彫りにした。
「知りたい」
気づくと小さく声に出していた。
自分が何者なのか――
もう迷子のままではいたくない。
(私は、“知る方”を選ぶ)
◇
その頃、アンナはナトリと共に神奈川県の廃ホテルにいた。
「アンナ!等価交換を使え!」
ナトリの声が、対峙している魔物の奥から聞こえた。
だが、手を叩くことができない。
目の前で、ナトリの人形が展開した《シールド》が壊されようとしている。
そうすれば、今度こそ人形は破壊されるだろう。
人形は既に、計五体も破壊された。
この人形が破壊されれば、いよいよ彼への負荷も大きくなる。
(でも、今、ナトリの代わりに関係ない人が交換されたら…)
「ビビってんじゃねぇぞ!」
怒鳴り声に変わった。
(私には等価交換しかない。やるしかない)
パン、パン。
人形と《シールド》が消えるとともに、ナトリ本人が現れた。
彼が、展開したより強固な《シールド》は魔物を弾き飛ばした。
「――《インフェルノ・ボルテ》」
間髪入れずに、アンナは叩きつけるように魔力を解放した。
轟音とともに、一帯に炎が広がる。
魔物は悲鳴を上げる間もなく、灰となって消えた。
同時に炎も勢いを弱めるが、飛んだ火種が、所々剥がれ落ちている壁を燃やす。
「――《ヒュドール》」
ナトリが放った水が、残った火を飲み込んだ。
ジュッ、と音がして水蒸気があがる。
「やりすぎ」
「…ごめん」
「とりあえず、今日の任務も終わったな。観光でもして帰るべ?」
首を横に振ると、ナトリは眉尻を下げて少し困ったように笑った。
だが、すぐに柔和な表情に戻ると、「あんまり思い詰めるなよ」と明るく言った。
二人が並んで廃ホテルを出ると、冷たい風が吹きつけた。
空は既に夜へと沈みかけ、西の端だけが、橙色を微かに滲ませていた。
「途中まで電車でゆっくり帰ろうぜ」
「いいわよ」
魔力操作が苦手なアンナは飛行魔法を使うことができない。
二人だけの任務の時は、ナトリがアンナを背負って飛び、移動することが多い。
(ほんと、気を使わせてるわね…)
発着駅から乗った電車は思いのほか空いていて、ボックス席に向かい合って座った。
座席に身体が沈み込むと、やっと息を吸えるようになった気がした。
「異能が壊れてた奴を、すぐ次の任務に出すってどうかしてるよな」
窓の外に顔を向けたまま、ナトリが言った。
反射した彼の顔に笑みはなく、声は冷えていた。
アンナは何を返せばいいか分からず、黙り込んだ。
「等価交換、元に戻って良かった」
「ええ」
「ミオちゃん?だっけ。何をしたか分からないけど、凄い子だな」
「そうね」
(本当に…ミオの異能は凄い)
これまで、等価交換は絶対だった。
だが、昨日の一件で、ミオの視ている“糸”は魔力量の秤や座標位置をも狂わすことが出来ることが明らかになった。
本人はまだ気づいていないようだが、彼女のそれは、圧倒的な才能だ。
――「魔力量が多いくせに、何も出来ねぇじゃん」
――「魔力量だけの出来損ないが、偉そうにしてるんじゃない」
嫌な言葉を思い出す。
何年も、この言葉を言わせないように努力してきた。
(結局…昨日、何も出来なかった)
胸元のブローチをギュッと握った。
手のひらから魔力が吸収されていくのを感じる。
大きなルビーのブローチは飾りなどではない。
魔力制御装置だ。
本来、アンナの魔力量はルイに匹敵するほど膨大だ。
だが、彼女は魔力の操作が苦手だった。
初等部で学園に入学後、膨大な魔力量を持て余し、一年も経たないうちに、ブローチを支給された。
一般生徒レベルまで魔力量を抑えたアンナは、魔力操作が苦手なだけの学生だった。
(等価交換が使えなければ、私に価値はない)
昨日、魔力操作が苦手なアンナは、自分のせいで怪我をさせたメンバーに治癒魔法を施すことも出来なかった。
魔力量を制御したアンナでは、ルイのように一撃で魔物を倒すことも出来なかった。
「私、もっと頑張ろうと思うわ」
アンナが呟くと、ナトリは目を見開いて、身を乗り出した。
「お、お前は、これ以上何を頑張るって、言うんだ!」
「…魔力操作」
「…そうか。それは、いいかもな」
(なんなの。なんか、ムカつくわね)
アンナが眉をひそめたことに気づいてか、ナトリが笑う。
「でも、アンナはちゃんと優秀だべ。それを、自分で認めてやりな」
彼は、真っ直ぐに目を合わせて続ける。
「初めてアンナと任務組むことが決まった時、実は俺、先生に抗議してたんだ」
普段の彼からは想像もつかない告白に、面食らう。
「一年と組むなんて、赤ん坊の子守じゃないんだぞってな」
「失礼ね!」
「でも、すぐに分かった。アンナは頭の回転が速くて、現場の状況、敵と仲間の特性を理解して、ちゃんと動かせる」
(でも、ナトリの人形がなきゃ、私は何も出来ない…)
気恥ずかしくなり、俯く。
そんな、アンナの様子にナトリは小さく笑って、続けた。
「頑張るのは良いけど。珍しく出来た友達も大事にしろよー」
「友達…?」
「そう、友達だろ。ミオちゃんだっけ?」
魔法使いにまるで向いていない少女のことを思い浮かべる。
魔法に驚いたり、虫を怖がったり、他人のことに一生懸命になったり。
――「大丈夫だよ。元通りにするから」
等価交換の異常で気が動転していた昨日、不覚にもミオの言葉に肩の力が抜けた。
でも――
「友達ではないわ」
「…?」
「だって、負けたくないもの」
(自分の強さも分かっていない人間に、負けたくない)
ナトリは一瞬、目を丸くした。
「それは、いいな」
そう言い、腹を抱えて笑った。
その言葉の意味を、
アンナはまだ理解できなかった。




