28.家族写真の違和感
ネットカフェから十五分ほど歩くと、東京駅に着いた。
早朝の構内では、ちらほらと大きな荷物を持った人が歩く足音が響いていた。
(東京駅から長野に行く新幹線…)
ミオはスマホを取り出した。
ブラウザのアイコンをタップすると、久々に見覚えのある検索画面が開く。
学園内では魔法使いネットワークが張り巡らされており、外界とは完全に切り離されていた。
(北陸新幹線ね)
駅構内に入り、すぐに視界に入ってきた窓口。
ガラス張りの壁を介して、中の様子を伺う。
大きなカウンターの向こうで、制服を着た三人が何やら作業をしているのが見えた。
(ちょっと目立ちそうかな)
ここに来るまでに異能を使ったことで、既に、不快な耳鳴りと針で脳みそを引っ掻き回されるような痛みがある。三人分の糸を書き換えることが出来るかは分からない。
(ここで、熱を出して倒れるわけにはいかないし)
ミオは職員の少ない場所を探すことにした。
まだ、稼働しきっていない土産屋を通り過ぎ、改札口を確認する。
しばらく歩いていると、前方に制服を着た男の後ろ姿が見えた。
ミオは駆け寄り、後ろから「すみません」と声を掛けた。
「はい、どうなさいましたか?」
振り返った男は、人好きのする笑顔を浮かべていた。
所々、白が混じった髪は丁寧に整えられている。
(うん、良さそう!)
「その、道に迷ってしまって…えっと、千代田線に乗りたいんですけど」
「千代田線でしたら、地下の方ですね」
男はそう言いながら、腰にぶら下げた黒いポーチを探り始めた。
ミオはその隙に、男から伸びる一本の糸を切った。
一瞬、糸が引き戻されるような感覚があった。
(今のは…?)
だが、違和感を振り払うように、自分の糸も切る。
鈍器で後頭部を殴られるような衝撃が走り、視界が揺れる。
それでも、ミオは手を止めない。
二本の糸を掴み、結ぶ。
手の中で、反抗するよう動く糸を押さえつけるように、力を籠める。
(“新しい関係を繋ぎ直せ”)
ポーチから、構内マップを取り出した男が、ミオの目線の高さに合わせて広げる。
片手で赤ペンを持ち、マップに丸を付けた。
「今の場所が、こちらでして――」
ミオはマップに視線を落としつつ、糸の結び目に両手を添わせた。
(“私の言うことが真実”)
指の隙間から白い光が溢れ出る。
手の中で、糸が書き換えられたのが分かった。
「あれ、顔色が悪いですけど…大丈夫ですか?」
男と目が合った。
「…北陸新幹線の、車内の防犯カメラ映像を見せてください」
ミオ自身も聞いたことがない程、冷たい声が出た。
自分の様子に驚く反面、目の前の男を冷静に観察していた。
心配そうな顔でミオを見ていた彼から、表情が消えた。
目から温度が消え、口角が一気に下がった。
「…防犯カメラ映像はこちらでは管理しておりません」
これまでとは異なり、どこか機械的な声だった。
ならば他の情報はあるか、と考えていると、男は突然、マップにペンを走らせ始めた。
(住所?)
「運行管理センターがこちらにあります。セキュリティ部門であれば、映像をご提供できるかと」
マップに書かれているのは、都内のビル名だった。
(オフィスビルかぁ…入ったことないけど)
「中に入るにはどうしたらいいですか?」
「…通行証が必要ですね」
男はそう言うと、腰のポーチから小型のタブレット端末を取り出した。
操作し始めた男の指先は、震えていた。
数分後、彼は顔を上げた。
「…訪問手続きをしました」
彼は震える手で、マップに何やら書き始めた。
彼の手が止まり、ミオの前に広げられたマップには、インクが滲むほど強い筆圧で五桁の数字が書かれていた。
歪んだ数字は、まるでミオに抗うように見えた。
(糸の力には、みんな、逆らえないんだ…)
「入り口に発券機がありますので、こちらの数字を入力してください」
「分かりました」
先ほどから、ミオの身体は脳に異常を訴え続けているようだった。
音が遠のき、時々、視界が砂嵐のように遮られる。
もはや、自分が正しく立っているのかも分からなかった。
ミオは男の手からマップを抜き去ると、足早に近くのファストフード店に向かった。
カウンターで注文した飲み物を受け取り、壁に沿って一続きになっているソファーに深く沈んだ。
ハァ、と深く息を吐くと、呼吸が楽になった気がした。
広い店内には、眠そうな客が何人かいるだけだった。
だが、ミオの様子を気に留める人間は、誰もいない。
(糸を切って、結んで…十回)
冷えた紅茶で喉を潤しながら、糸に触れた回数を数えた。
前回は、七本の糸をほどいて、熱を出して半日程、寝込んだ。
(防犯カメラ映像は明日に持ち越しかな)
◇
似たような見た目の戸建てと背の低いアパートが並んでいる。その中の一軒、どこでも見かけるような戸建ての前で、ミオは足を止めた。
学園を抜け出してきたもう一つの目的が、ここにある。
たった一か月半のことなのに、随分と久しぶりな気がした。
インターホンを鳴らすと、機械越しに「はーい」と祖母の間延びした声が聞こえた。
「ミオです」
プツンと、通信が切れたような音がした。
すぐに、ドタドタ、と家の中を走るような音がして、扉が開いた。
「ミオちゃん!」
祖母は驚いた顔をしていた。
「わぁ」と小さく歓声のような声を上げて、ミオの頬に触れてくる。
皺の濃い、冷えた手が気持ちよかった。
家の中を見れば、玄関の奥で、祖父も口をあんぐりと開けて、こちらを見ていた。
あまり見たことがない表情に思わず、小さく笑ってしまう。
「ただいま」
家の中は、当たり前だが何も変わっていなかった。
ただ、入った瞬間に畳と、ほんの少し味噌のような匂いがして、これが実家の匂いか、と思った。
「帰ってくるのは正月休みじゃなかったか」
「そうなんだけど、大事な書類を部屋に忘れちゃって。取りに帰るように言われたんだ」
祖父の問いに、特に用意をしていた訳でもないのに、反射的に偽りの言葉を返した。
「そっちの生活はどうだ?」
「うん、友達も出来たし、寮生活も結構、楽しいよ」
(本当は、敵しかいないくせに)
ミオは自分の演技力の高さに、笑ってしまった。
だが、祖父も祖母もミオの言葉に嬉しそうに笑っていた。
二人の笑顔を見ると、ずっと落ち着かなかった鼓動が、ゆっくりと戻っていくような気がした。
ここ一か月の生活について、偽りだらけの話をしていると、窓から西日が入り始めた。
祖母は立ち上がると、「今日はミオの大好物を作るわ」と言って買い物に出掛けた。
荷物を持つのを手伝うと申し出たが、「ゆっくりしてなさい」と言われてしまった。
祖母がいなくなると、祖父は冷凍庫の中をガサゴソ、と探った。
戻ってきた彼の両手には、高級アイスクリームのカップが一つずつ握られていた。
「夕飯食べられなくなっちゃうよ」
「…じゃあ、半分こにするか」
そう言うと、祖父はミオにどちらにするか選ばせた。
そして、スプーンで少し掬って皿に移すと、残りはカップごとミオにくれた。
(本当に、甘やかされてるなぁ)
テレビをつけて、二人並んでアイスを食べる。
学園では見ることが出来ないニュースが流れていた。
『続いて、今週水曜日に発生した長野県内の使用されていないトンネルで発生した爆発についてです』
映像がスタジオから切り替わり、ヘルメットを被ったアナウンサーが「現場の様子」を伝え始める。
ミオは思わず、小さく息を呑んだ。
爆発で崩れたと説明される瓦礫の奥に見えた光景に見覚えがあった。
(ここ、アンナ達がいたところだ…)
『原因は、中に残されていた薬品の経年劣化によるものとされ――』
魔物や魔法という単語の一切出てこないニュース。
トンネルでの任務は、都合のいい事故に塗り潰されているようだ。
「随分と間抜けな作業員がいたもんだな」
「…そうだね」
視線を落とせば、吞気に笑う祖父と、ミオを繋ぐ一本の糸が視えた。
(この糸を今切ったら、おじいちゃんの中で私はどう塗り潰されるんだろう)
急に仄暗い興味が、ムクムク、と湧いてきた。
目の前で光る糸が、頼りなく見えた。
魔法を使えない人間に、魔法の存在を知られてはならない。
急に、これまで違和感のなかった、代わり映えのしない平和なニュースが作り物のように見えてきた。
夕食には、いつもミオが「美味しい」と褒めていた料理ばかりが並んだ。
祖母が作る少し濃い目の味噌汁をすすりながら、身体が温まるのを感じた。
久しぶりに、誰かと食べる温かい食事は、ただ楽しかった。
学園のことも、明日のことも、何も考えない。
ただ、普通の女子高生でいられた。
夕食後、祖母が風呂の準備を始める気配を感じ取った。
「あのさ…」
ミオは本題を切り出した。
「両親の写真を、学園に持っていてもいいかな」
部屋の空気が凍りついた。
二人の視線が、ミオから逃げるように逸らされた。
いつものことだ。
彼らはミオのことを本当に大切にしてくれている。
けれど、その愛の裏側には、決して触れさせない黒い箱がある。
「…寮生活してると、なんか、偶に見たくなることがあって」
本当は、ミオと同じ異能を持つ人物を探すうえで、役に立つと考えたからだ。
祖父母はミオの言葉に顔を見合わせた。
やがて、どちらかともなく頷くと、祖母が席を立ちあがった。
棚の一番上。鍵の掛かった場所から、写真を取り出した。
机の上に置かれた、幼いころに何度か見た五枚の写真。
母だと言う人間が赤ん坊を抱えた写真と、父と呼ばれる人間も一緒に写った三人の写真。
残りの三枚は、祖父母も混ざったものだった。
「何これ…」
祖父母の写る三枚の写真には、全て魔力の反応があった。
これまで、魔力の存在なんて知らなかった。
だが、学園で魔力探知を身に着けたミオは気づいてしまった。
顔を上げると、祖母は決まりの悪そうな顔をし、祖父は――
何を考えているか分からない、感情を落とした顔をしていた。
「この三枚の写真に魔法の痕跡がある。どういうこと?」
ミオが問いかけても、返事がない。
カチカチ、と時計の秒針の音が急に大きく聞こえた。
たまらず、「ねぇ」と呼びかけようとした時だった。
祖父が口を開いた。
「ミオが魔法使いだと言われた日から、秘密を話さなければならない日が近づいてきていると分かっていた」
自然と写真を握ったミオの手に力が入る。
何を話されるのか不安と、ついに壁が壊されようとしている期待で頭の中が熱い。呼吸が浅くなっているのが、自分でも分かった。
次の言葉を待つ間、なぜか、駅で糸を切った職員の震える指を思い出した。
(なんで、もっと早く話してくれなかったの…)
そんな思いが浮かんだ時だった。
祖父が大きく息を吐き、吸った。
そして、絞り出すような声で言った。
「私たちとミオの間に、血の繋がりはない」




