エピローグ1.羽野輪支部長の後始末
「君は、自分が何に失敗したのか本当に分かっているのかね?」
「…………」
羽野輪支部長は大きなモニターに映り出された老人に向かって顔を上げることが出来なかった。実動実験が失敗したからではなく、身分が違い過ぎるのだ。だから苦虫を噛み潰したような表情のまま、研究所の床を見るしかない。
そこに反射している、惨めな敗者の顔を。
「私が十年前に予算を打ち切った本当の理由は、安全を担保できないからではないのだよ。この十年で君が失敗から学んでいると思ったのだが、それは買い被りだったようだな」
予算を打ち切られたのは安全を担保できないからではない?
羽野輪支部長が十年間感じて来た屈辱は、彼にとって意外な方向に進み始めた。だから何も考えることが出来ずに、ただただ問う。
「……お、恐れながら。非才な私には自らが何に失敗したのか分かりません。いえ、勿論実動実験用第五号が我々の制御下から離れた点についてはこれ以上もない失態ですが、しかしそれは安全の」
モニター越しから聞こえて来た溜息に、支部長は口を噤んだ。
「根本的に間違っている。良いかね?我々が管理する区域において、正義の味方とは無味乾燥としていなければならないのだ。希薄であらねばならないのだ。それが安全の一端を担う希望であり存在であると人々に教えても、決して現実味を抱かせてはいけないのだよ」
「現実味でありますか?」
「ああ。正義の味方のほとんどは十代前半だ。彼らは眩しく、愚かで、純粋だ。その光があまりに強すぎるが故に、惹きつけられる者も多いだろう。もし彼らの存在感が増し、人類再興機関の掲げる正義よりも彼らが人々に支持される様になれば。そしてその正義の味方が我々に対し翻意することがあれば、この理想郷は内側から脆くも崩れ去ってしまうのだよ」
「……」
「納得できないようだな。確かに我々は正義の味方を教育し、我々の正義と同じ方向を向くように矯正している。プロパガンダを使い、真に人々を守っているのは人類再興機関だと信じ込ませている。だがな。どのように強固な支配を築いても、叛逆の炎とは生まれるものなのだ。我々が堅牢であればあるほど、燃え盛る炎が」
「まさか、ブライトシャインの事を仰っているのですか?あれはほとんど力を失っています。精々湿気たマッチのようなもの。とても炎になどなり得ません」
「炎とは、延焼するものだ」
それはまるで、実際に自分が体験してきたかのような現実味をもった声色だった。
老人は一息つき、そして続ける。
「そして私は特定の正義の味方を指して言っているわけではない。正義の味方かどうかに関わらず、誰にでもその炎を宿す可能性はあるのだ。問題は、その炎を宿す者にどれだけの影響力があるかなのだよ」
「……民衆が大いに支持するような正義の味方が叛逆すれば、我々の立場が危うくなる、と」
「今はそのくらいの理解の方が君にとっては想像しやすいだろう。"悪"と戦い"悪"に唯一勝利できる正義の味方は本来、民衆から支持を得やすい存在なのだ。それに対抗するために我々は区域という劇場を作り、カーテンを引いて役者を配置し、観客から利益を得ている。そうして我々はやっと、正義の味方をただの名ばかりの主役にしているのだ……だが」
「ひっ!」
モニター越しからでも伝わる怒気が、羽野輪支部長を震え上がらせる。
「君は名ばかりの主役に観客が心をうたれる機会を与えてしまった。その上、観客が心からの拍手を主役に送る始末だ。そんな愚行を君は二度も繰り返した。君の言う"安全"は常に区域の内部に敵がいないことを前提にしているが、君のやり方はそれを作り出すのだ!」
「……も、申し訳ございません。次こそ必ず」
「そして私も分かっている。一度の叱責は部下を奮い立たせることもあるが、二度も行えば炎を宿すことがあるのだと」
羽野輪支部長は弾丸にでも貫かれたように全身を震わせ、硬直し、情けなく言った。
「そ、そんな。そんなことは絶対にありえません。あなたは最初の正義の味方。誰があなたにそんなことなど」
「君もこの組織に身を置いていたなら理解してくれたまへ。今の言葉は君に送る最後の建前だよ。そんな意志があろうがなかろうが、君にはもう挽回のチャンスなどないのだ。それでも、最期に後始末くらいは出来るだろう?」
唐突に通信が切れると、羽野輪支部長は力なく椅子に座り込んだ。部下たちもすでに退去したこの研究所に残っているのは、今や彼一人だけだ。
研究員としての全てを捧げた彼の研究成果は全て本部に回収された。今後それは自分とは違った方法で運用されるかもしれないし、得るものはないと廃棄されるかもしれない。
これで全て終わり――だが、羽野輪支部長は口を歪めて笑った。
「総代表。あなたは勘違いをしているかもしれない。炎とは正義の心ではなく、憎しみを糧にした時にもっとも燃え上がるものなのだ。あえて否定したが、あの小憎らしい女はこれからもその炎を燃やし続けるだろう。ならば最初に彼女に火を点けた者として、私はいつまでも人類再興機関に対する復讐者として生きていられるのだ」
もはや妄想めいた支離滅裂なことを滔々と語ると、支部長は緊急時に研究所を廃棄するためのボタンを強く押し込んだ。
あらゆる設備が爆発と炎に呑まれていく。しかしその中で羽野輪支部長は、いつまでも笑っていた。




