スピンオフ⑤ 「完成されすぎた世界」—本庁時代(副校長と先輩)
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第1節:無駄のない任務
「完了です」
先輩の声。
短い。
それだけで、すべてが終わっている。
現場には、何も残っていない。
痕跡も。
抵抗も。
後処理も、不要。
「……早いですね」
キミオが呟く。
「当然です」
振り返る先輩の顔は、いつも通り穏やかだ。
「最短で、最小の損失で終わらせる」
「それが最善ですから」
……間違ってはいない。
むしろ、正しい。
完璧に近い。
「……」
だが。
「どうしました?」
先輩が、こちらを見る。
「いえ」
言葉を飲み込む。
「何でもありません」
この違和感は、
まだ言葉にならない。
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第2節:ズレ
「無駄、ですか」
夜。
本庁の屋上。
風が冷たい。
「はい」
先輩は、迷いなく答える。
「感情は、判断を鈍らせる」
「余計な選択肢を増やす」
「だから、排除すべきです」
キミオは、少しだけ笑う。
「……徹底してますね」
「当然です」
沈黙。
「……一つ、いいですか」
「どうぞ」
「“助ける”って、何ですか」
風が止まった気がした。
先輩は、ほんの少しだけ目を細める。
「生存率を上げること」
即答。
「……それだけですか」
「それ以上の定義は、不要です」
キミオは、視線を逸らす。
「……そうですか」
「違いますか?」
問い。
まっすぐな。
「……違いますね」
ゆっくりと答える。
「俺は」
少し、考える。
「生きてりゃいい、とは思わない」
先輩の視線が、刺さる。
「笑えなきゃ、意味がない」
「……」
「それも、“無駄”ですか」
長い沈黙。
「……ええ」
その一言で、
何かが、決まった。
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第3節:完成
任務は、続く。
同じように。
完璧に。
誰も死なない。
誰も取りこぼさない。
「……」
だが。
「……どうした?」
キミオの手が、止まる。
「いや」
目の前。
助けたはずの人間。
――泣いている。
「……なんで」
ぽつりと、漏れる。
「助かったんだろ」
先輩が、隣に立つ。
「当然です」
「生存していますから」
その言葉。
間違っていない。
だが――
「……そうですね」
キミオは、頷く。
でも。
その瞬間、
“何か”が、はっきりとズレた。
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第4節:分岐
「無駄を排除する」
「それが、最善」
先輩の言葉が、繰り返される。
(違う)
心の奥で、声がする。
(それだけじゃ、足りねぇ)
キミオは、空を見る。
本庁の空は、やけに静かだ。
整いすぎている。
「……先輩」
「なんでしょう」
「もし」
少しだけ、間を置く。
「無駄があった方が、いい場合は?」
先輩は、考えない。
「ありません」
即答。
「……そうですか」
その瞬間。
完全に、道が分かれた。
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エピローグ
任務後。
いつものように、並んで歩く。
距離は変わらない。
会話も、いつも通り。
だが。
「……」
キミオは、気づいていた。
もう――
“同じ場所には立っていない”
それでも。
「……また、よろしくお願いします」
言う。
「ええ」
先輩は、笑う。
何も変わらない顔で。
――だからこそ。
このズレは、
決定的だった。
しばらくして
本庁は、静かだった。騒がしいのは現場だけだと、ここに来て知る。
広い廊下。無駄に整った空気。人の気配はあるのに、音がない。
「……息が詰まるな」
「慣れますよ」
後ろから声。振り返るまでもない。
「先輩」
白い羽織。整いすぎた立ち姿。この場所に“溶け込んでいる”のではなく、この場所の“基準”そのものみたいな人間。
「どうですか、本庁は」
「嫌いですね」
「そうですか」
先輩は笑う。否定もしないし、訂正もしない。それがまた、気に入らない。
「で?今日は何の用ですか」
「簡単な案件ですよ」
“簡単”。その言葉ほど、信用ならないものはない。
案内されたのは地下。さらに奥。認証を三つ抜けた先。
「……おい」
そこにあったのは、“人間”。
いや。人間の形をした、“何か”。
檻の中で、膝を抱えている。
「……対象です」
先輩が、いつも通りの声で言う。
「……これが?」
「はい」
顔を覗き込む。目が合う。
その瞬間、吐き気がした。
頭の中に、何かが流れ込んでくる。
叫び。怒り。憎しみ。そして、後悔。
「……お前」
思わず、口に出る。
「なんで、そんな顔してんだ」
檻の中のそれは、泣いていた。ただ、静かに。
「……罪人です」
先輩が言う。
「家族を、全員殺しました。その後、自ら通報し、収監」
「……」
「ですが、彼は言いました」
ほんの少し、間。
「“あれは、自分じゃない”と」
「……は?」
「典型例です。分離の失敗」
分離。善と悪の、切り分け。
「彼は、“悪”を外に押し出したつもりだった。だが、現実には――」
静かに。当たり前のように。
「全部、自分だった」
キミオは、何も言わない。ただ、檻の中の男を見る。
震えている。壊れている。
だが――
「……人間だろ」
小さく、言う。
先輩が、こちらを見る。
「ええ」
「だから?」
その問いは、あまりにもまっすぐだった。
「だから――」
言葉が止まる。
何を言う?助けるのか。裁くのか。見捨てるのか。
「……分かんねぇよ」
正直に、吐き出す。
先輩は笑った。
「いいですね。それでいい」
「……は?」
「分からない、という状態を維持できる人間は、壊れにくい」
「……」
「分かったつもりになった瞬間、人は極端に傾く。善か、悪か」
先輩は檻の中の男を示す。
「そして、どちらかに振り切れた時、こうなる」
キミオは拳を握る。
「……先輩は、どうするんですか」
静寂。
「私は」
ほんの少しだけ、“間”を置く。
「観測します」
「……は?」
「彼が、どちらを選ぶのか。最後まで」
その言葉に温度はない。だが、“冷たさ”でもない。
「……それでいいのかよ」
思わず吐き捨てる。
「いいも悪いもありません。これは、そういう問題ではない」
キミオは舌打ちする。気に食わない。だが、否定もできない。
「……あんた、壊れてんのか?」
先輩は一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、“人間らしい顔”をした。
「ええ。とっくに」
そして、また笑う。いつものように。
「だからこそ、壊れない人間を、見てみたいんですよ」
その視線が、キミオに向く。
逃げない。
その瞬間、キミオは理解する。
この人は――試している。
世界を。人間を。そして、自分を。
「……上等だ」
小さく笑う。
「その役、受けてやるよ」
先輩が、少しだけ目を細める。
「楽しみにしています」
その日からだ。
キミオが、“副校長”になる道を、本気で歩き始めたのは。




