428 小賢しい兵部少輔
朝倉景紀視点です。
近江国滋賀郡北小松村 朝倉家家臣 朝倉九郎左衛門尉景紀
志賀郡の大谷川を挟んで、いざ織田家との決戦だというところで、織田家の背後から奇襲を掛けていた延暦寺の僧兵が、突如崩れて潰走した。
始めは驚き苛立ちもしたが、遠方にて朦々と立ち上る煙が目に入る。
ただ事ではないと一旦両軍兵を退き、何事が起こったかを調べる為に物見を出す。
暫くすると物見が戻ったのか、大将の右兵衛尉により主だった者が集められる。
「延暦寺が焼かれたそうだ」
なんだと!
右兵衛尉が青い顔で話すが、まさか延暦寺が焼かれるとは、とてもではないが信じられん。
「まさか、大樹が?」
前波藤右衛門尉(景当)が真っ先に大樹を疑う。
まあ、大樹も浅慮な御仁であるかの様に見受ける。
追い詰められればやらぬとは言えぬか。
「いや、園城寺が僧兵の留守を狙い坂本を焼いて回ったらしい。だいたい大樹は今、摂津に居られるしな」
ああ、摂津国に出陣しておられたか。
「成る程…園城寺の仕業に御座ったか。まったく碌な事をせぬ。御陰で儂の策が潰されたではないか!」
朝倉式部大輔(景鏡)が苛立ちを隠そうともせず喚き散らす。
まあ、練りに練った策を無駄にされ、織田兵を取り逃がす事になってしまったからな。
式部大輔の苛立ちは分からなくもないがな。
式部大輔が延暦寺の僧兵を味方に引き込んだ事が、織田兵を逃す事に繋がる形になってしまったからな。
「しかし、右兵衛尉殿が青い顔をしておられるのは、それが原因ではあるまい?」
真柄十郎左衛門(直隆)が右兵衛尉の顔色が悪い事を指摘する。
そういえば右兵衛尉の顔色が優れなんだな。
延暦寺が焼かれたと知れば、誰でも顔色も悪くなろうが、十郎左衛門は納得せぬらしい。
「どうやら山陽より森兵部少輔が京へ戻ってきたらしい。どうやら園城寺を唆したのは兵部少輔らしい」
何?兵部少輔が戻っておると?
その話が真ならば、右兵衛尉が穏やかならぬのも当然か。
何せ、先の敦賀での戦にて兵部少輔のせいで嫡男と末子を失っておるしな。
恨みで余計な考えをせねば良いがな。
「まさか、山陽に居った兵部少輔が京に?摂津なら分かるが…」
兵部少輔が京に居るのが信じられぬのだろう、山崎長門守(吉家)が首を捻る。
「兵部少輔が堅田に現れたとの話だ。それと殿原衆は兵部少輔に味方したらしい」
まあ、園城寺を唆して延暦寺を焼いたのが兵部少輔であれば、堅田の者も恐ろしかろう。
町を焼かれるやもしれぬと思えば、兵部少輔に降るのも仕方あるまい。
「ほう、堅田衆は織田家に付いたか」
式部大輔の目がギラリと光る。
今までどちらに味方するとも明言せず、のらりくらりと返答を避けておったと思えば、結局敵に味方したのだ。
式部大輔の怒りも尤もか。
「うむ。今は船を集め、我等の後方へ回ろうとしておるそうだ」
まあ、多少兵が増えたとて戦況は変わらぬ。
ならば後方で工作を試みた方がまだ勝算はあるか。
「兵部少輔は背後に?」
「であろうな。しかし、小賢しい兵部少輔が後に居ると、良からぬ事をされかねん。儂が一隊を率いて兵部少輔の相手をしよう」
十郎左衛門の問いに右兵衛尉は恐らくと答え、己が兵部少輔と対峙すると言っておるが、己の恨みを晴らしたいだけであろうな。
しかし、右兵衛尉や式部大輔が右往左往しておるのは滑稽で胸が空く思いだな。
彼奴等は敦賀での戦いの折、金ヶ崎城に居った息子の中務大輔(景恒)に後詰めも送らず見捨てたばかりか、織田家に城を明け渡したとして責め立てた。
御陰で中務大輔は失意に沈み、永平寺に遁世してしまった。
良い気味だ。
とは言え、儂も手柄を立てて中務大輔の汚名を雪がねばならぬ。




