第二章 18
――そのために呼んだのだろう?
唇の端で男が笑った――ところで映像は消された。
執務室に闇が訪れる。照明は全て落とされている。
「以上です」
執務机のコントロールパネルに片手を置き、サカキが言った。
明かりは灯けようとしない。
創世神来教には、強化人間の姿を見ない、という規律でもあるらしい。
最初に会った時から照明が落とされる。
クジが頼んだわけではない。
何の真似だ――と訊いてみたい気もするが、答えは予想できる。
魔物排斥を唱える創世神来教は徹底的に魔物を差別するが、肉体を改造している強化人間に対しても思うところがあるようだ。
気に入らない差別感情だが、この手の差別には慣れている。見ないことで心の平穏を保とうとする行為など可愛いものだ。作戦行動に支障が出ない限り、好きにすればいいと考える。
そんなことよりも――
《随分と危険な真似をされましたな》
憮然とした気分でクジは口を開いた。だが、機械の合成ヴォイスに感情はこもらない。
「レーザの件ですか?」
《単独で会われたことです。できたら自分の知らないところでターゲットに接触しないでもらいたい》
「事後承諾になったことは謝罪しますよ」
慇懃な口調は「悪い」とはかけらも思っていないようだ。
クジは内心で舌を鳴らした。裏表がありそうなこの手のタイプは性に合わない。
《で? 自分が呼ばれた理由を訊いてもよいですかな》
すでに男も少女もこの場にはいない。
男を始末することも、トレースして居場所を探ることもできない。
この時点で呼ばれても正直意味は無い。少女の所属する事務所を通じてコンタクトをとるなら、事前に言え、というのが本音である。
理由を問うたのは嫌味のつもりだが、合成ヴォイスに変化は無い。
「プロの意見を聞こうと思いましてね――」
サカキは指先で机を叩いた。
「まず。この化け物の正体を教えてください。何者ですか?」
《不明です》
「獣人じゃないのですか?」
《身体能力は獣人レベルですが。あの『支配力』は獣人のそれではありません。吸血鬼の『眼』に匹敵します》
「ああ。『邪眼』ですか。確かにあれはそうかもしれませんね」
《どうだったのですか?》
クジの方から質問した。あの男の能力は捨て置けない情報である。
「あの瞬間、部屋は暗くなり気温まで低下した。そう感じました。ですが、記録された映像では照明に変化はありません。見た通りです。サーモチェックもしましたが、こちらも異状無しです。どういう原理でしょうね」
《物理的な力ではない、ということでしょうな。意識を支配されるような感覚はありましたか?》
「自我を失うという感覚は無かったと思いますが。ただ、無性に怖かったですね」
《怖かった、ですか》
「ええ。何と言うか。闇が広がるように恐怖が湧いてきましたね」
《男に何か命じられたとしたら従いましたか》
「私が? 魔物に?」
サカキは冷笑を浮かべたが、すぐに肩をすくめた。
「そうですね。あの恐怖から解放してもらえるなら従ったでしょうね。それを支配されたと言うなら、そうかもしれません」
《ふむ……》
昨夜――
あの男に問われるままにクジの部下は口を割った。強化人間の脳は吸血鬼の催眠さえも無効にするはずだが、男の前では無力だったということになる。
――その少女の身柄確保を命じられているだけだ。
――誰に?
会話をモニターしていたクジが部下の意識をシャットダウンしなければ、さらに何を口走っていたかわからない。
(恐怖か……)
部下もまた恐怖を感じたのだろうか。
「監視カメラで見ている者にまで作用するようですね」
サカキの言葉にクジは貌を上げた。
「レーザを照準していた者が、あの瞬間、恐怖で指が硬直した、と証言しましたよ」
《カメラ越しに影響を受けた?》
「どうかしましたか?」
《昨夜、自分は衛星軌道上のカメラを通してあの男を見ましたが、特に何も感じませんでしたので》
「衛星軌道ですか。さすがに遠かったのでしょうかね」
兵器の性能を分析するようにサカキが言う。
(距離――だろうか)
クジもまた思考した。
監視カメラという条件に、距離が意味を持つとは思えない。それに――
あの男は衛星軌道からの監視に気づいた。
明らかに視線に気づいて、笑ったのだ。
気づいたのなら支配も可能なのではないか。
衛星軌道の眼まで支配されるとしたら――クジは思考して愕然とする。
世界中の軍事基地が衛星軌道上のカメラを監視している。
そのモニターの眼を通じて、世界中の基地があの男の支配下に置かれるとしたら――
世界はあの男に支配されるのではないか――
「対象を取捨選択できるのかもしれませんね」
サカキが言った。
口調は変わらないが、愉しそうな気配を感じ、クジは警戒心を抱いた。
(何を考えてやがる)
闇を見つめながら、サカキは薄く笑っていた。
「あの場にいた少女は何も感じていないようでした。あの化け物が支配しなかったのでしょう。もちろん、別の可能性もありますが」
《別の?》
「少女を支配できなかった可能性です」
《……》
「我々とあの少女の違いは何か。真っ先に思い浮かぶのは、人間か魔物か、ですね。あの化け物も同類である化け物は支配できないのかもしれません。だとしたらちょっと残念ですね」
《残念?》
「人間も魔物も支配できたら何でもできると思いませんか」
《……そうですな》
警戒しながら口だけで応じる。
「それとも、少女が『主人』だから支配できなかったのでしょうか」
《――》
「主従契約――でしたか。魔物の隷従契約。つまりあの少女を手に入れれば、あの化け物を自由にできるということですね」
ちっ、と思う。
Sランクの魔物が少女の下僕についた――状況をそう説明したが、どうやらいらぬ興味を抱かれたらしい。少し調べれば、魔物の主従契約について知ることは可能だ。
《あの少女は、巫女様も手に入れたがっております》
「巫女様には代替品をあてがえばいいでしょう。人間を支配できる魔物とそのコントローラ。利用価値は計り知れない。そう思いませんか?」
《何とも言えませんな。どの程度コントロールできるか不明ですので》
魔物の契約だ。少女を人質のように押さえて、あの男を意のままに従わせることが可能なのかどうかは、実際に少女を押さえてみなければわからないだろう。
「人質は通用すると思いますよ。あれは少女を護ろうとしたからでしょう?」
笑いながらサカキが言う。
クジは黙した。
少女を撃ったらどうなるか、という言葉にあの男が反応したのは間違いない。レーザの檻に入れられてもサカキの好きにさせていたのが、あの瞬間、男の雰囲気が変わった。
映像でもそれがわかった。
空気が重くなるような、圧倒的な気配があの男から放たれたのだ。
反射的にクジの筋肉がパンプアップした。
この男と闘いたい。
クジの中で飢えた獣のような感情が湧いた。
もとより魔物と闘うために強化された身体だ。創世神来教のように全ての魔物を滅ぼしたいとまでは思わないが、ランクの高い魔物を見ると闘って倒したいという衝動が湧く。
この手で。
始末する。
そう考えるだけで、心臓のトルクが上がる。
少女を手に入れて、あの男を意のままにしたい、という欲求はクジには無い。それよりも力と力をぶつけ合いたい――強化人間であるクジに唯一残った欲望であった。
執務机の上でサカキの端末が震えた。
「失礼――」
サカキが端末を耳にあてた。
「……そうですか。わかりました」
《少女のマネージャーですか》
「聴こえましたか」
端末をOFFにしながらサカキが笑う。
「どこで降ろしたか教えてくれと頼んでありました。少女のマンションだそうですよ」
《では今から向かいます》
クジはゆらりと身体を動かした。
「ああ。あなたは動かなくてけっこうです」
サカキが言う。クジは無言で動きを止めた。
「こちらにも手持ちの駒がいます。今回はそれを使います」
《賛成しかねますな。下手な者を使えばあの男に支配される。創世神来教の名前が出れば、あの男は本気で攻撃してきます》
「出れば、ね」
サカキは両手を机の上で広げた。
「出ませんよ」
《何をするつもりです?》
サカキの口が半月形に開いた。
「商品の性能テストですよ」




