第二章 17
「仕事の概要はマネージャーさんからお聞き及びですか?」
執務室の応接セットに案内しながら、サカキは言った。
ソファに坐りながら、少女が首を振る。
人形のような白い貌。紫色の眼は子猫のように大きく、透明な光を放っている。長い髪は月の光を放ち、ゆるやかに波うちながら少女の腰のあたりまで伸びている。白い身体に白を基調としたワンピース。光沢を帯びた白いリボンが服を飾り、スカート部分は花のように膨らんでいる。
モデル事務所のHPには花少女とあった。プロフィールにDemonの文字が無ければ、誰もが愛らしいと言うだろう。
マネージャーが少女の横に坐った。
坐る前に一瞬躊躇したのをサカキは見逃さなかった。
「その……虐殺行動の時代背景について説明していたところで……」
名刺端末を出しながら、マネージャーが言った。登録されたアドレスのみにアクセスできる端末だ。アクセス数を十回程度に制限すれば、数百円程度で作成できるため、名刺として普及した。サイズも紙の名刺と変わらない。
「『ハロウィンの狂気』ですね」
サカキは薄く微笑した。
こちらは名刺を出さない。
ちら、と入口側の壁に眼を向ける。
少女のボディガードだという男がそこに立っている。
彫りの深い貌に漆黒のサングラス。表情は読めない。艶のある黒髪。黒いスーツ。真紅のシャツと紫色の眼玉模様のネクタイは趣味を疑うが、一九〇に近い長身のスーツ姿は迫力があった。スリムに見えるが、肩幅は広く、筋肉は充分に発達していることが服の上からでもうかがえる。
男は腕を組み、ドアの横の壁に背中を預けている。
無言だが、圧倒的な存在感がある。
「……『ハロウィンの狂気』は魔物から魔物の子供が生まれたことに端を発します」
男から視線を離し、サカキは少女とマネージャーの対面に坐った。
「二十数年前のハロウィンの日に魔物から子供が生まれた。あれが引き金です。繁殖したらそれはもう生命体として独立したことを意味します。パニックだった、あるいは宗教団体の煽動だった、と言われていますが、人間という種が魔物を相手に種としての存亡をかけて引き起こした闘争であった、と私はあの虐殺行動を捉えています」
人形のような少女はサカキの言葉を黙って聞いている。
あどけない貌はどこまで理解しているかわからない。
構わずにサカキは続けた。
「人々は銃を持ち、杭を持ち、魔物を見つけては襲いかかった。虐殺した。それに対して、多くの魔物が無抵抗だった、魔力を使わなかったという情報があります。理解できませんが、人間のアイデンティティを持っていたのかもしれませんね」
「人間ではないくせに――と言っているように聞こえるぜ」
壁際で男が口を開いた。
サカキは男に眼を向けた。
「その通りです」
「ほう――」
「魔物は創世神の創られたものではない。ゆえに滅ぼすべき、というのが私達の教義です」
「滅ぼすべき、ね」
男は腕を組んだまま壁際から動かない。
マネージャーが焦ったように男とサカキに視線を動かした。
この会話を止めるべきか、逡巡の色を浮かべている。
「ですが、時代は変わりました」
止めなくて結構――と言うようにサカキは片手を上げた。
「三年前に『魔物人権保護法』が制定された。魔物への差別、迫害が、魔物の不満、憎悪を煽り、魔物の犯罪行動、暴動を誘発する、ひいては社会の安寧を損ねる――という理由でね。私達は、魔物排斥を訴えて信者を増やすことができなくなりました。宗教団体は信者がいてこそ。私達は教義を変えて新たな信者を獲得しようと考えています」
「新しい教義ということか」
「はい」
「聞かせてもらおうか」
「――御心広き創世神は魔物でさえその存在を御許しになられる。されど、創世神の慈悲を忘れ、魔物驕りし時、創世神来りてこれを滅ぼさん」
「危ない教えだな。これまでの教義とほとんど変わらないぜ」
唇の片端を上げながら男が言う。
「そうですか? 滅ぼすべき、とは言っていませんが」
「魔物が驕れば滅ぼすのだろう? 何をもって驕ったと判断する。判断するのは誰だ」
男は低く笑った。
「詭弁だな」
「詭弁です」
サカキは慇懃に笑って認めた。
「創世神来教は昔も今も変わらない。ですが、こんな詭弁を使わなければ我々の方が規制されるのですよ。今はね。『魔物人権保護法』なんて我々に言わせれば悪法もいいところです。化け物など殺せばいい。そう思いませんか?」
「え? ぼくに言っているのですか?」
マネージャーが焦ったように貌を上げた。
サカキの視線が自分に向けられていることに気づいたようだ。
「や、やめてください。ぼくは化け物なんて思っていません」
「そうですか? では、少女の横に坐るのを躊躇したのはなぜですか? ボディガードの分際でクライアントに発言した彼をすぐに止めなかったのはなぜですか? 魔物を化け物だと思い、怖がっているからではないですか?」
「……怖い、のは認めます。でもですね――」
「本音を言っていいのですよ」
「本音?」
「化け物と口にすることも怖いのだと」
「ぼくは……本音はどうあれ口にしてはいけない言葉もあると――」
サカキは眼を細くした。
マネージャーがびくりと首をすくめる。
「す、少なくとも、女の子を化け物と言ったら、所長に殺されますから……」
「モデル事務所の矜持ですか」
サカキは冷笑した。
「まあいいでしょう。――本音はどうあれ、という言葉を引き出したのですから」
「ぼ、ぼくは……」
「かまいませんよ。化け物は怖いですからね。私もそうですよ。化け物を前にして本音を口にするには肉体を強化するか――」
サカキは両腕を広げた。
「化け物の動きを封じるしかない」
男が貌を上げた。サングラスをしているが、天井に眼を向けたということがわかる。
「いい勘をしていますね。今あなたにレーザが照準されました」
「ほう?」
「殺す気はありません。大人しく質問に答えてくれればね」
「質問?」
「そう。インタビューゥィズデーモンですよ」
「ふん――」
男は笑うように鼻を鳴らした。レーザの檻に入れられたというのに、圧倒的な迫力は消えていない。腕を組んだまま平然としている。
「あなたは何者ですか?」
「ノーコメント」
「獣人ですか?」
「ノーコメント」
「答える気が無い――ということですか?」
「答えても答えなくても結果は変わらない」
「どういう意味ですか」
「殺す気なら殺すだろう。おれが何を答えようともな。殺す意志が無いなら、質問を無視しても何もされない。つまりおれの答えには意味が無いということだ」
「なるほど。あなたは頭がいい。それに並みの神経ではありませんね。普通はそこまで割り切れない」
それとも――とサカキは続けた。
「レーザに撃たれても平気ですか?」
「ノーコメント」
「保護対象はどうです?」
「……」
「こちらの少女――」
サカキはソファに坐る少女に眼を向けた。
状況を理解しているのかいないのか。少女はあどけない貌のままだ。
「華奢ですね。一瞬で灰になってしまいそうだ。レーザに撃たれたらどうなります?」
「サ、サカキさん。何を……」
マネージャーが狼狽えた声をあげる。
「リサーチですよ。魔物の意識調査です。化け物にも人質が通用するのか――」
人質というのは不適切な言葉ですが。
化け物質と言うのは語感が悪いですからね――サカキは笑った。
笑おうとした。
笑えなかった。
部屋が暗くなったからだ。
サカキは天井に眼を向けた。明かりは灯っている。白い光。なのに、暗い。白い光は紙に描かれた絵のように天井の照明パネルに貼りついている。部屋を照らしていない。
床もソファも執務机も闇の中だ。
「なんだ、これは……」
思わず呻いた。息が白い。
室温が急速に低下している。
寒い。いや。怖い。
身体が震えている。
マネージャーが腰を浮かしている。狼狽した貌は、彼の眼にも闇が訪れている証だ。
その横に少女が坐っている。
人形のような貌は何も感じていないようだ。闇の中で白い貌が月のように浮かんでいる。
その貌が、入口の方に向いた。
入口側――男がいる方向だ。その方向に眼をやるのが怖い。
にこり、と少女が笑った。
その瞬間、部屋に光が満ち溢れた。サカキは瞬きをしながら天井を見上げた。
「人質は返してもらおう」
少女の背後で声が聞こえた。
ソファの後ろから少女の上に被さるように男が身を屈めていた。左手をソファの背もたれに置き、右腕は少女の胸の下で少女の身体を抱いている。
漆黒のサングラスにサカキの貌が映っている。
「殺さないのですか。私を……」
「殺して欲しかったのか」
低い声で男が言う。地獄から現れた悪魔のように。
男の背後が再び闇に沈むような気がして、サカキはごくりと喉を鳴らした。
「仕事の話とやらを聞こうか」
男が言った。サカキの脳は動かない。
「仕事?」
「そのために呼んだのだろう?」
唇の端で男が笑った。




