第二章 厨房(ギャレー)戦記 その二
五
「ねえ――ちょっとさ、覗いてみない? 厨房」
女子衛生員の石井が、他の女子たちに声をかけた。
ここは、護衛艦『ぎんが』の、女子居住区――
昨今の海上自衛隊の艦艇では、こうして女子専用の居住区も設けられている。
二段ベッドが三つ、片側の壁に設置され、最大で六人の女子隊員が生活可能になっていた。
空いたスペースには、テーブルと簡単なチェアに、
衛生員の石井明日華一曹、
鈴野弘美二尉、立入検査隊副隊長、ショートカットで小柄ながら、柔道軽量級の猛者、
夏井詩乃二曹、長い髪をポニーテールに結ったCIC電測員、
そして、
タンカー『五輪丸』から救助された一等航海士の須藤香織――170センチを優に超える堂々たる体躯の持ち主――
が、座って団らんしていた。
もう一人の『五輪丸』の女性生存者、三等航海士の原木咲奈もいたが、彼女はまだ、『五輪丸』事件の犠牲者、一等航海士であり婚約者でもあった松本満弥の死から立ち直れず、その華奢で小柄な身体をベッドに横たえたままだった……
「厨房がどうかしたの? 石井さん」
香織が訊いた。
石井は、興味津々の香織たちに、“密造酒”を呑んだ給養員四名が、急性胃腸炎を発症して壊滅したこと、衛生員の石井の目前で、権藤医官が先任伍長の飯塚に煙草のカートンで“篭絡”され、給養員たちの症状を“熱中症”として隠ぺいしてしまったことなどを、話して聞かせた。
「ほんと、男ってバカだよね~」
「何やってんの、あの人たちは――ねえ、弘美」
「え? そ、そうですね」
夏井の言葉に、鈴野が笑って答えている。
階級は防大出身の鈴野が上だが、年齢は石井と夏井が上なのだ。
鈴野は石井と夏井から、“妹分”的立ち位置で可愛がられていた。
飯塚の配慮から、“急性胃腸炎で給養員壊滅”の事実は、一部の人間にしか知らされていなかった。阿鼻叫喚の酒盛りを“処理”した第一居住区の南部たちの他は、医官の権藤と衛生員の石井、谷川だけが、このことを知っているのみだ。
「飯塚さんが厨房を仕切ってこの難局を乗り越えようとしてるみたいだけど、後は南部さん、太田さん、椚田さんっていう、第一居住区の面々が何とかするみたいよ」
石井の言葉に、夏井は、
眼鏡をかけた“真面目な銀行員”といった風情の南部、
ちょっと小太りで朗らかな大食漢の太田、
そして、身長は平均的だが横幅が異様に広い立入検査隊班員の椚田
の姿を思い浮かべた。
「へええ? よりによって、何か、料理とかできなさそうなメンツばかりだよね」
「でしょ? ……面白そうじゃない?」
石井のクリッとした目に、いたずらっぽい光が宿る。
「椚田さんって、あのなんか異様に肩幅が広い人でしょ?」
香織が鈴野に確認する。
「そうですよ。ああ見えて、昔、柔道重量級のオリンピック強化選手だったんですよ」
「え! まじかぁ……」
香織は驚きつつも、
「――ますます、何か心配になって来たね」
何となく――椚田の巨大な手で料理とか、全然想像できなかった。
「ね? ちょっと、覗きに行ってみようよ? 面白いものが見れるかもよ」
「明日華も悪いんだからぁ」
「……詩乃もまんざらじゃなさそうじゃない」
石井と夏井が言い合った後、
「ほら! 弘美も行くよ!」
夏井が鈴野に声をかけた。
「あ、は、はい」
「あ! 私も行く!」
香織も立ち上がって、石井たちについて行く。
ベッドでは、残された咲奈が、石井たちを静かに背中で見送っていた……
六
「さてと、じゃあ、まずは野菜を切って行きましょう!」
高らかに、堂本が宣言した。
宣言した、が――
いつもの見慣れた厨房に立つ、白衣姿の、
射撃管制員の、眼鏡をかけた“真面目一筋”南部、
ミサイル管制員の、大食漢で丸っこい身体の陽気な太田、
立入検査隊班員の、身長は百七十センチジャストだが、肩幅が異様に広い椚田、
この三人を見わたして、次の言葉が出なくなってしまった。
あ、あまりにも、場違いすぎる……
が――
さらに一番、“異様”なのは――
この艦の現場乗員の頂点、飯塚先任伍長が、艦内作業服の上に白衣を着用して調理帽を被っていること……だった。
堂本が、おそるおそる飯塚を見詰める――
飯塚は、鋭い眼光で堂本を見降ろし、
「いいんだぜ堂本――この厨房の、今のトップはお前だ。遠慮しないで何でも指示を出してくれ」
「あ、ありがとうございます!」
そう答えてはみたものの――
『飯塚さんは、三日で給養員を“クビ”になった伝説の男だぞ?』
唇の端っこから茶色の地酒『ぎんが』の“汁”を垂れ流す猪瀬の顔が思い浮かぶ――
飯塚先任は、本当に“厨房の破壊神”なんだろうか?
もし、だとしたら――
俺はこの人に、何をやらせたらいいんだろう?
「なんだよ、まどろっこしいな! まずは野菜を切るんだろ?」
椚田が、黙りこくる堂本にしびれを切らした。
のっしのっしとスライサーに歩み寄り、
「この中に、まずは玉ねぎなりジャガイモなりを――」
銀色の蓋を開けると――
ぼろぼろぼろっ――と、大量のジャガイモが、スライサーからこぼれ落ちた。
「あ? な、何だ?」
椚田が驚いて飛びのく。
「さっき、俺がジャガイモ切ろうと思って使ったんだがよ――なんか、ひでえ音立てて止まっちまったんだよ」
スライサーに近付く飯塚の言葉に、堂本の顔から、サ――ッと、血の気が引いた。
「え? せ、先任? じゃ、ジャガイモを、どのくらい突っ込んだん――」
ドガッ!
堂本の質問を、飯塚がスライサーを蹴りつける音が遮った。
スライサーの中に溢れかえっていたジャガイモがさらに数個、床にこぼれ落ちる。
「全く、給養員がダボハゼなら、機械もポンコツだな!」
厨房に、忌々し気な飯塚の銅鑼声が響く――
「い、飯塚さん、す、スライサー、壊しちゃったんですか?」
太田の顔が青ざめていた。
「あ? 壊れたんだよ! ポンコツだから」
飯塚が太田を睨みつけた。
堂本の心に“絶望”が無限大に拡がっていく――
「こ、これから、どうやって、野菜切ったら――」
眼鏡をかけた南部が眉をしかめる――
「手で切りゃいいんじゃないの? 手で!」
厨房の入り口から女性の声が響いた。
男性陣が振り返ると……
そこに、石井、夏井、鈴野、香織の、女性陣四名が立っていた――
七
「まったく――こんなことじゃないかって思ったわよ!」
白衣をまとった石井が言った。
「ってか、先任――スライサー壊すって、何をどうやったら壊れるんですか?」
頭に調理帽を被りつつ、夏井が質した。
「知らねえよ! 何か、ジャガイモ突っ込んだら勝手に壊れたんだよ!」
「ジャガイモ、突っ込みすぎたんじゃないですか?」
石井が冷たく言い放つ。
押し黙る飯塚に、夏井が、
「まあ取りあえず、壊れちゃったものをどうこう言っても仕方ないでしょ? とにかく、間に合わせるためにみんなで力を合わせましょう!」
「ほら、堂本! 何すればいいの?」
石井の言葉に、堂本が、
「あ……その……えっと――」
「あーもう! じゃあ、私が指示、出しちゃうからね!」
石井は宣言すると、
「私と詩乃は玉ねぎ切り! 南部さんと太田さんと椚田さんは、玉ねぎの皮、剝いてくれます? 剥けたらすぐに私たちに渡してください! 堂本と飯塚さんと弘美はジャガイモ切ってって! 以上!」
「は、はい!」
「了解した!」
「玉ねぎの皮、玉ねぎの皮っと――」
「えっと、お、俺は――」
椚田が不満そうに石井に何か言おうとする。
「いいから! 剥いて!」
石井の有無を言わせぬ迫力に、
「お、おう――」
椚田はしぶしぶ従った。
男性陣三名が、しゃがんで大袋の中の玉ねぎの皮を手で剥き始める。
そこに――
「ちょっと、いいかな?」
香織が厨房に入って来た。気づいた夏井が、
「須藤さん! どこ行ってたんですか?」
香織の背後から、Tシャツとジーパン姿の華奢な男性が姿を現した。
「心強い助っ人を連れてきたよ!」
香織は言って、華奢な男性の背中を、ぐいっ――と、押した。
よたよたと、男性が厨房の中に入って来る。
見詰める厨房の皆に、ぺこりと頭を下げると、
「あ、あ、あの、タンカー『五輪丸』の、司厨士の一ノ瀬海斗です。そ、その、よろしければ、お手伝い、させていただけませんか?」
「し……しちゅうし?」
南部が不審げに訊く。
「あー、一般的な言葉で言えば、料理人ね!」
香織が答えた。
「え? い、いのせ? 猪瀬さんとなにか、関係が?」
太田の言葉を、香織が、
「い、ち、の、せ、だよ!」
訂正する。
飯塚は、ジャガイモをひとつ、左手に持ち、
「何か知らんが、うちの給養班長と似た苗字なのも、何かの縁だな! とにかく心強い! 是非、お願いしたい!」
どういう“縁”だよ――南部が心の中で突っ込んだ。
こうして、海斗が、『ぎんが』の厨房の“助っ人”として参戦することとなった――




