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第一章 ドゥクム港の酒盛り その一

一

 数か月後――

 日本から遠く離れること数千カイリ。

 オマーン国ドゥクム港は、夜のしじまに沈んでいた。

 その、港から数キロ離れた港外錨地に、数隻の艦艇が停泊している。

 そこに、護衛艦『ぎんが』の姿もあった。

 いわゆる『五輪丸』事件から、三日が経過していた。


『五輪丸』事件――

 三日前の夜間、オマーン湾を航行中の『ぎんが』は、救難信号を受信した。

 その後に入るはずの続報がないことを重く見た艦長、風間(かざま)ジェミニ二佐は、信号の発信源に向け急行を指示――

 燃える日本船籍タンカー『五輪丸』を発見した。

 救助に着手しようと接近する『ぎんが』。

 そこに、謎の武装舟艇が急迫――

 風間艦長は即座に主砲発射を指示、これを撃沈した。

 同時攻撃で被弾しつつも、損害が軽微だった『ぎんが』は、救助に向け前進……

 この時、艦長は、撃沈した舟艇から逃げた乗員が海に漂流しているのを認知する。

 しかし、『五輪丸』乗員救助を優先した艦長は、これら乗員を“見捨て”た。

 その後、『ぎんが』から『五輪丸』に、立入検査隊が突入する。

 乗り込んでいた武装兵を制圧、同隊は十一名の日本人乗員救助に成功した。

 が――

 同隊隊長、館野(たての)健(たけし)一尉は、最後の生存者を救助後、船上で撃たれてしまった。

 直後、『五輪丸』で大爆発が発生――

『ぎんが』副長、村澤(むらさわ)怜士(れいじ)三佐は、立入検査隊に、

「館野を捨て、戻れ!」

 と指揮……

 断腸の思いで館野隊長を残し、生存者たちを乗せたボートは『五輪丸』を離脱、『ぎんが』に収容された。


 当初、イランは、事件の過程で『ぎんが』が撃沈した小艦艇を、自国のものだとして日本を強く非難した。同時に『ぎんが』は、イラン海軍の攻撃対象となり、極度の緊張に包まれ航海していたが、三日を経たこの日、イランは、この部隊を“テロリスト”と切り捨てた。

 結果、『ぎんが』は厳戒態勢を解除――

 横須賀の艦隊司令部の指示に基づき、ドゥクム港で救出した民間人を下艦させるべく、同港港外錨地で入港許可を待っているのであった。


 その、『ぎんが』の鋼鉄の腹の中――


 厨房の隣の科員食堂……

 そこは、臨時の“救護所”となっており、並べられたベッドに、『五輪丸』生存者九名が身体を休めていた。

 一ノ瀬(いちのせ)海斗(かいと)もベッドに仰臥し、暗い天井を見詰めている。

 海斗は、『五輪丸』司厨士(しちゅうし)であり、館野隊長に最後に救助された生存者でもあった。


 なんだか懐かしいなあ――

 海斗の瞳に、明かりの消えた食堂の天井が映る。

 金属剥き出しのそれは、『五輪丸』の木のぬくもりを感じる天井とは趣は違うのだが――食堂独特の、食材などの匂いが、海斗の中で司厨長(しちゅうちょう)、岩田(いわた)悟朗(ごろう)と過ごした日々を思い出させていた。

 岩田は、『五輪丸』脱出直前、テロリストの凶弾から海斗を庇って射殺されてしまった。今でも、岩田の厳しくも温かい指導の数々が海斗の脳裏に浮かんでは消える……

 隣の厨房から、皿を洗ったり器具を片づける音が海斗の耳に届く。

 それらも、海斗の切ない記憶の扉を開ける“鍵”のようであった。

 寂しい思いに、海斗が静かに目を閉じようとした、その時――


「あ――――――っ! いっけね! 忘れてた!」


 厨房からの素っ頓狂な叫び声が、海斗の耳を突き刺した。


二

「どうしたんです、班長」

 流しで皿洗いをしていた別所(べっしょ)三曹が、調理台の前に立ち大声を上げた猪瀬に訊いた。

「おい! 天野! 天野は?」

 猪瀬が周囲の給養員に天野の行方を尋ねる。

「確かさっき、便所に行くって……」

 給養員の中で最若手の堂本(どうもと)二等海士が答えた。

「おう! すぐ呼んで来い!」

 命じる猪瀬に、

「はんちょ、天野さん、お腹さすってたから、大きい方やと思いますけど」

「馬鹿野郎! 関係あるか! すぐ呼んで来い!」

 粕原(かすはら)一等海士の指摘も、猪瀬は全く意に介していない……

「おら行けよ! 堂本!」

「は、はい! 天野先輩! 天野さーん!」

 声を掛けながら、堂本が厨房を飛び出すと、

「って!」

「おうっ?」

 堂本と天野の叫び声が同時に聞こえた。

「あ? 何だ、危ねえなあ、急に……どうした、堂本?」

 厨房のすぐ外まで戻って来たらしい天野に、

「おう、天野! おい、忘れてた、忘れてた、忘れてたじゃねえかよ!」

 猪瀬が勢い込んで声をかける。

「は? どうしたんです、猪瀬一曹?」

 厨房の光が、戻って来た天野の怪訝な顔を照らした。

「どないしたんです? 班長?」

 粕原も猪瀬に問いかける。

「あれだよあれ、天野――系脱! ほれ! 系脱!」

「系脱……?」

 当初、不審な表情をしていた天野の目が、ぱっと見開かれ――

「あ! あ――――――っ!」

「どこ置いた? あれ!」

「こっちですよ、こっち!」

 天野が猪瀬を先導し、厨房の外に出る。

 皿を洗う手を止めた別所、それから粕原、堂本が不審げに見ていると、

「おう! おめえらも来い!」

 猪瀬が吊り上がった眼で三人を促した。

 ぞろぞろと、三人が天野、猪瀬に続いて厨房を出た。

 彼らが到達したのは、厨房裏の、壁に設置された大きな鉄扉の前だった。

「確か、ここに置いたはずですが――」

 言って、天野が不格好な鉄扉の取っ手を引っ張った。


 ガゴッ――


 滅多に開けられることのない鉄扉が重々しく開き……

 むわっ――とした白い湿気と熱気が、天野たちの顔をなぶった。

「な、なんすか、ここ」

 別所が、湯気に目を細めて訊くと、猪瀬が、

「補助ボイラーの配管スペースだよ……よしよし、いい熱籠ってんなあ」

 吊り目をにっ――と、笑いに細めた。

 天野が林立する配管の間に手を突っ込み――

「あった! ありました、これ!」

 がざがざと音を立てて、天野が口をきつく縛った大きなビニール袋を引っ張り出した。


三

 天野の取り出した巨大なビニールの中身は――濃い茶色の塊、だった。

 そして、ビニールの下方は、これまた薄茶色の液体に満たされている。

 それを見た別所が、

「な、な、なんですかこれ?」

「うえっ……な、何か臭いますよ?」

 堂本の鼻腔を、強烈な腐敗臭が突き刺す――

「ぇっぷ! え? なんやこれ――何の臭いでっか、これ?」

 粕原も、顔をしかめて鼻をつまんだ。

 そんな中――

 猪瀬と天野だけが、ビニールに顔を近づけて臭いをかぐ……

「お? ……ぉおぉぉぉおおおおお~! こいつぁ……」

 猪瀬の顔が輝いた。天野も目を見開き――

「まじ? ……酒だ!」

 確かに――

 得も言われぬ腐敗臭に交じり、確かにアルコールの匂いが……

「え? さ、酒? こ、これが???」

 鼻に手を当てた堂本が呟いた。

「おうよ! おめえら、よく嗅いで見ろ、おら!」

 猪瀬が勝ち誇ったように言って、天野の持つポリ袋を指さした。

 意を決した別所が、ゆっくりと顔をポリ袋に近付け……

「あ……あ~! た、確かに、何か、アルコールのかぐわしい香りが……」

 目を輝かせた。

 粕原も、

「た、確かに! なんや、酒の匂いがするぅ!」

 喜んでいる。

「よおし! おい、おめえら、付いてこい!」

 猪瀬はその小さな身体を小躍りさせて、給養班員を先導した。

「どこ行くんです? 班長」

 ポリ袋を持って続く天野が訊くと、

「米麦倉庫だよ! 厨房じゃあ、科員食堂が近すぎるからな」

「そうですね! あそこなら、『五輪丸』の生存者もいないし――」

 配管スペースの扉を閉めた別所が、ウキウキしながら言う。

 猪瀬はますます早足になり、

「堂本! おら! お前はバケツとコップ、ひしゃくを厨房に取りに行ってこい! ったく、気が利かねえな! ……そうだ! 甑(こしき)も持ってくるんだぞ、いいな?」

「こ、こ、甑? ですか?」

 訊き返す堂本に、粕原が、

「あれや! 米蒸す時に使っとる、ザルみたいな中皿、あるやろ? あれ、持ってくるんや!」

 堂本は、「あっ……は、はい!」返事をして厨房に戻っていく。

 ぞろぞろと、残りの給養班員たちは、厨房の隣の無人の米麦倉庫に入って行った……


四

 薄暗い米麦倉庫――

 周囲に、パイ積みされた大量の米袋の塔がいくつも形成されている。

 その中央、少し広いスペースに、給養班員五人の円陣が形成されていた。

 真ん中に、銀色に鈍く輝くバケツ――

 堂本が、細かく穴の開いた丸い中皿――“甑”を、バケツに被せた。

 天野と別所が、協力してポリ袋の固い縛り口を解いている。

 戒めが解け、ポリ袋の口が開くと、


 もわっ………


 得も言われぬ臭いが、米麦倉庫の空間に漂った。

 天野、堂本は顔をしかめ、別所と猪瀬、粕原はニヤリと笑う。

「よーしよしよし、御開帳だな」

 猪瀬が楽しそうに言った。

「おう、天野、別所――気を付けて、甑に流し込むんだぞ」

「は、はい……」

「任せてください!」

 天野と別所が、ゆっくりとポリ袋を持ち上げ――


 ゥドロロッォ――


 果物の原型を全くとどめていない、“茶色い何か”が、甑に流し込まれた。


 ――ぅえっぷ!

 

 天野は、思わずえずきそうになるのを必死でこらえる。


 まるでゲ(・)ロ(・)か糞(・)みたいじゃねえか――


 ビチャチャチャチャッ――


 甑の下から、バケツに滴る液体の音が聞こえてきて――

「お―――――――!」

 猪瀬、別所、粕原が、同時に声を上げた。

 堂本だけは、鼻をつまんで眉間にしわを寄せ、そんなバケツを見詰めている――

「おい、こりゃ、本当の濁酒(どぶろく)だな! おい!」

 茶色に濁る液体を見ながら、猪瀬がはしゃいだ。

「う、うえっ……し、しかしこれ、きょ、キョーレツな臭いやなあ……」

 粕原が顔をしかめる。

「で、でも、これ――やっぱり、さ、酒ですよね!」

 天野と共にポリ袋の中身を甑に落とし終わった別所が言った。

「だろぉ? な、天野! だから言ったろ! できるって!」

 猪瀬のドヤ顔が、勝ち誇ったように天野を見詰めた。

「……ま、まじかぁ」

 確かに、アルコール特有の、酩酊を誘うような匂いも立っては――いる。

 天野は、信じられない思いで、甑の汚物のような塊と、その下の液体を見詰めた。


五

「え? ……班長と天野さんが、これ、造ったんでっか?」

 粕原の驚いたような声に、

「おうよ! てめえらのために、仕込んどいたのよ!」

 猪瀬が胸を張った。

「さ、さ、さっすが班長たち! ついて行きます!」

 ポリ袋をたたんで片づけ始めた別所が、目を輝かせて猪瀬と天野を見た。

「おう! 全(・)責(・)任(・)は(・)俺(・)が(・)持(・)つ(・)! ガッハハハハハハ!」

 猪瀬がどこかで聞いたことのある台詞を口走った。

「いや、でも、これ――」

「なんだ? 天野? 何か言いたいことでもあるのか?」

 ぎょろっ――と、猪瀬が天野をねめつけた。

「あ、い、いえ、何も――」

 流石に俺と猪瀬さんの唾で造った、なんて――口が裂けても言える雰囲気じゃない!

 甑を、空の米袋の上に置いた別所と粕原――

 バケツの中の茶色い液体の水面で、電球の明かりがゆらゆら揺れる。

「堂本! 柄杓を持てぃ!」

「は、はい! 只今!」

 堂本が、ひしゃくを猪瀬に両手でうやうやしく手渡した。

「よっしゃ! これから祝い酒だ!」

「祝い酒って……」

 無邪気にひしゃくをバケツに突っ込む猪瀬に、天野が訊く。

「ああ? 『五輪丸』事件は無事、解決! イランもあの部隊を“テロリスト”と切り捨てた! 我が『ぎんが』は厳戒態勢解除! 帰国したら俺たちゃ英雄だ! これを祝わずして何とする!」

「そうっすよね! イケイケイケメン艦長様様や! わしらは英雄や!」

 猪瀬の言葉に、粕原も怪気炎を上げる。

「別に俺たち、今回の件で何かしたわけじゃ……」

「ああ? なんだ天野?」

「い、いえ――な、何でもありません!」

 猪瀬がコップに一杯ずつ、謎の液体を注ぎ込んでは班員たちに手ずから手渡していく。

「猪瀬班長……こりゃ、地酒『ぎんが』ですね!」

「おい別所ぉ……お前、いいこと言うじゃねえか」

 地酒『ぎんが』じゃないって……

 天野が心の中で突っ込んだその時、

「あ? 堂本、なんで四つしかねえんだ、コップ?」

 粕原にコップを渡した後、五つ目がないことに気付いた猪瀬が堂本を睨んだ。

「あ……その……あの……わ、私、アルコールアレルギーで……」

「ああ? シケた野郎だな! いいからコップ、持ってこい!」

「ええ? で、でも――」

「命令だ! 行け!」

「は、はい!」

 猪瀬の有無を言わせぬ圧に、堂本は、米麦倉庫を駆け出して行った……

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