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空の底 〜天世界で狼は最強のエースに駆け上がる〜  作者: 塩屋去来
第一章:アルスター王国陥落

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「ぼくは本当は展示飛行隊に入隊したかったんだよ」

「それ、いつまで言うつもり?」


 ブルースはいつでも本気で言っているつもりだった。その場の愚痴ではなく本当の後悔であり、不満だったのだ。しかしその話を聞いているミーティアは話半分にしか捉えていないようだった。


 ブルース・ケインとミーティア・コリンズ。


 ふたりの仲の始まりはオートン空軍士官学校時代に遡る。もちろん男と女であるから寮は別だった。かれらを引き付けたのは最初空の上であった。ふたりは恐るべき才覚を早くから見せていた。陸での付き合いが始まったのはそのあとである。


 最初に頭角を表したのはブルースのほうだったはずなのである。それは主に座学でのこと。ブルースはすでに優等生として目され、卒業後の空軍でのキャリアも約束されていたように思われた。いずれは政治家に転身して、首相にまでなるのではないか、と揶揄する者までいたという。


 しかし空の上ではどうだったのか?


 ミーティアは当初そこまで有望な女性空軍士官候補生とは目されていなかった。素行不良はなかったにせよ座学では目立った成績を出していなかったし、シミュレータでも散々な結果しか出なかった。


 だが彼女の才能は実際の空にこそあったのである。


 練習機を使った模擬戦。模擬戦とは言っても、実際に航空機に乗り空に上がるのはそれが初めてだった。ブルースにしてもミーティアにしても。


 そしてミーティアはそこで見事な機動を見せてブルースに対して撃墜判定を与えた。


 以降、ブルースは一度も模擬戦では彼女に勝てなかった。


「ぼくは本当に本気だよ。何度も転属願いを出してるんだけれど……」

「展示飛行隊は将校の仕事じゃないでしょ。それなら士官学校に入らなきゃよかったのに」

「そりゃそうかもしれんけど。ぼくは全然世の中を知らなかったんだなぁ」


 ミーティアはふくふくとした頬に微笑を浮かべていた。ブルースはもじもじとしていた。これがアルスター空軍の未来を担う二人――空軍士官学校を首席と次席で卒業し、即座に戦闘機パイロットとしての適性を見出され、アルスター王国空軍第3航空師団045中隊に配属されたエース候補と聞くと、嘆いたりする者もいるかもしれない。


「ミーティアは戦いたくて空軍に志願したの?」

「レディに向かってまるで戦闘狂のように言う仕草、看過できんなぁ」


 声色は鋭かったが、彼女には笑顔が灯っていた。


 かれらはこの時まだ地上にいたが、すでにパイロットスーツに身を包んでいた。スクランブルがある訳ではない。これからすぐ、中隊内で行われる集団模擬戦が行われる為である。つまりすぐに空に上がる。


 ブルースは理由が何にせよ、戦闘機で空に上がることをいつでも心待ちにしていた。そこにはもうひとつのささやかな後悔、とはいってもどうしようもない後悔もある。空軍に入った以上、空に上がるのは演習を含めた任務の時だけ。つまり彼が望んだ「自由な空」はそこにはなかった。展示飛行隊に入りたい、というのも本音だけれども、かといってそこに「自由な空」が約束されている訳でもない。


「でもさ、聞いたよ――ミーティーが077中隊にスカウトされそうとかなんとか」

「それねぇ。根も葉もない噂だし。ホントでもイヤだな。あたしが教導隊(アグレッサー)だなんて」

「結構似合ってそうだけれど」

「だからきみはあたしのことをどう思っているのさ」

「模擬戦でぼくを墜としまくった、最強のエース」


 ブルースとしては本気で言ったつもりだった。彼女の前では嘘はないようにしようと思っていたし、そもそも性格的に嘘は吐けない男だった。しかしミーティアは言葉通りには受け取らなかった。


「アホなことを言いなさんな。模擬戦だけで、エースとか……そりゃあ、あたしもここに配属された以上は空賊相手にバンバンバーンッ! って活躍してやるつもりよ。でも現実のあたしも、きみも、結局はまだまだひよっこ。撃墜数(キルスコア)0の青二才」

「撃墜数を誇るような時代なんか来て欲しくないけどね」

「そりゃまあそうだな」


 平和が一番、とブルースは言った。平和であればあるほど空は自由になるものだと本気で信じていた。その空を見上げる。イースタベリ空軍基地から見る空はのんきそのものだった。初夏のアルスター王国東部はずっと穏やかな気候が続く。雨があまり好きではない(やはり青空に恋焦がれているのだ)ブルースにとっては願ったり叶ったりだが、実家は農家なので、両親の「雨が降らない」という愚痴はすぐにメールに届いている。


 その平和を守るのは自分たちなのだ――という自覚、あるいは覚悟をまだブルースは持てないでいた。空軍に配属されたというのはつまりそういうことなのだが、そこにまだ現実感はなかったのである。


 空賊と相対すればその考えも変わるのだろうか? つまり実戦を経験すれば。


「平和は『ある』ものじゃなくて『作る』ものなのだよ、ブルースくん」

「それはぼくじゃなくて政治家に言って欲しいな」

「好戦的な政治家には投票しないよ」

「外交を頑張ってくれるひとにだな……」


 アルスター王国は世界最古の王家を保持しているとはいっても、結局のところはヴァルハラ・民主ユニオン、ボリス連邦の2大国家に挟まれた小国でしかない。軍備を整えるのは当然としても、政治家が外交を間違えれば戦争にもなりかねない。


「ま、戦争はそう簡単には起こらないっしょ。でも空賊は別じゃない?」

「空賊……ネブラスカ・ヴァンガードか。確かに空軍の敵はそれだな」

「それからみんなを守るのがあたしたちなんだよ」


 ミーティアはあっけらかんなほどに、しかし静かな決意を秘めた声で言った。ブルースは彼女が「国民」とか「民衆」とかではなく、「みんな」と表現したのを好んだ。コリンズ家は旧貴族だったはずだ。しかし彼女には平民を見下した風はない。


「だからさ、頑張ろうよ。あたしとブルース、一緒にさ。あたしたちふたりならなんでもやれる。そうは思わない?」

「うーん……ミーティーは立ち塞がる敵は全部叩き潰すだろうけど、ぼくはな」

「だからオマエはあたしをなんだと思っているか!」


 訓練待機前のブリーフィングルーム。まだ部隊の同僚は準備しているらしく今は気軽にお喋りをしていた。それが続々と045中隊の隊員――もちろん新米のふたりよりは階級が上だった――が入ってくると素直に黙った。


 045中隊は8名で構成されている。今はその全員がいて、隊長と副隊長がなにやら話し合っている。今回は中隊内で4機ふたつに分かれ、本格的な集団模擬戦が行われる予定だった。


 静かにしなければならない時間だったし、ブルースは無言であることに苦痛を覚える男ではなかった。しかしミーティアは喋りたがりそうで、彼女が喋るとついつい乗ってしまいそうな自分もいたのである。


「今日は隊が分かれて残念だね」

「嘘つけ。きみはぼくを墜としたいくせに」

「私語は慎め、新人諸君!」


 隊長のアダム・ランカスターが言った。ふたりはすぐに黙り、背筋をピンと伸ばした。


「諸君らは空軍最精鋭の中隊に配属された栄光をまだ理解していないようだ。そしてそれに当然付随する責任もだ。軍に入った以上は学校での成績なんぞクソの役にも立たん」


 彼自身士官学校の首席なのだが、ともかくそう言った。


「コリンズ少尉。王国空軍の戦闘機パイロットととして最も大事なものはなんだと考えるか?」

「無限の忠誠と献身、そしてそれを守る規律であります、サー」


 よく言うぜ、とブルースは胸の裡でぼやいた。もっとも自分が問われても(内心は別として)同じく答えただろうが。


「よろしい。では今回の訓練ではそれを見せて貰うとする。技量などあとから付いてくる。それよりも重要なのは任務に忠実である心構えを覚えることだ。分かったか? ひよっこ少尉ども」


 ふたりは甲高い声と(これはミーティアのもの)と柔らかい声(そしてこれはブルースのもの――彼は自分の声には男としての自信がなかった)で答礼した。


 そして号令と共に駐機場にまで散らばっていく。訓練された彼らは動きすべてが洗練されていた。その例外があったとすればブルースたちだったのである。


 今回は純粋な空戦を想定した模擬戦であった。そんなに気負う必要もない。ただ、ブルースは「またミーティーに負けるのかな」などと考えていたのである。彼を墜とし得る機は彼女だけではないのかもしれないが、それ以外は何故か考えられなかった。

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