042:Bricks and Mortar
作戦当日、ボリス連邦の設定したDデイは午前中であった。それに合わせて、アル・スール航空基地隊は夜明け前に発進する。もちろん、ブルースたち〈ビースト隊〉もである。
滑走路には誘導灯が煌めいている。その先に見える山合いからはすこしずつ朝陽が見え始めていた。静謐な時間であるが、それを今から航空機の爆音が掻き消すのだった。そのことについて、ブルースは少々勿体無く思わなくもない。
しかしそんなことを言っている場合ではないのも確か。
ブリーフィングの内容からすれば、ボリス連邦が本格攻勢を仕掛けてきた可能性が高い。その戦線に投入されるとすれば、もちろん危険極まりない。事なかれ主義であるべき傭兵(と、ブルースは認識していた)にとってはいいことはひとつもない。
「こんな作戦に使われるんだ。それだけ報酬は上がるんだろうな」
テイクオフ間際になっても、彼はそんなことを言っていた。管制は困った声を見せて「それは……前にも言いましたが……」と言葉を濁すばかり。いや、別に銭ゲバになりたい訳ではないのだ。大体、この「仕事」が上手く行ったとしても、その報酬はネブラスカ・ヴァンガード本体に行くだけで、自分たちの懐が潤う訳でない。
それでもなお、自分の「仕事」に価値を付けて欲しいという卑近な欲望なのである。ブルースはそれをよく分かっていた。だから彼は口では平然としながら内心では自嘲していたのである。
今回の離陸は〈ビースト隊〉が最初だった。ブルースはいつものように隊員達を見やり、それから最後に離陸する。その時、戦闘機乗りは魔術的繋がりによって機体と一体となる。すべての動きを一体化させる。そしてこの時、ブルースは精神統一して〈ウルフ〉へと変貌する。
「急げ、戦闘はすでに始まっているぞ!」
AEW&C〈ジブリール〉の急かすような通信が響く。〈ウルフ〉はそれを平然と聞き流していた。自分たちは自分たちのことをすればいい。急かされる必要はないのだ。そう思っていた。
とはいえ、傭兵として雇われている以上、気を抜くのも許されない。それは職業的良心とともに、生存の為でもある。この状況でアル・ヌルマス教国が落とされれば逃げることも出来ない。
「まるで心を人質に取られているようだな」
「ふぅん? 〈ウルフ〉もそういうこと、言うんだ」
妙に艶やかな声の通信が入った。〈キャット〉である。〈ウルフ〉は通信を切って呟くべきだったと後悔する。口では別のことを言った。
「俺だって人間だ」
そう信じたいがゆえの言葉だったのかもしれない。彼自身、自分の中の人間が壊れつつあるのを自覚していた。しかし怪物になどなりたくない。それでも空は、彼に狂気を提供する。
それがあとから芽生えたものなのか、元々の資質としてあったのか、彼自身判別が付かなかった。だがなんにせよ、その切っ掛けがあの件であるのに間違いはない。
「死んでくれるなよ、〈キャット〉」
「あら、そうならない為に隊長が守ってくれるんじゃなくって?」
「隊長に甘えてはいけませんよ、〈キャット〉」
甘い声ながら冷静なところを感じさせる〈ベア〉の通信。彼は戦闘機乗りの責任については、あるいは〈ウルフ〉以上に自覚的だったように思える。頼もしい限りだが、それゆえに守らなくてはいけない、と彼は思う。
なにも自分は墜とされても構わない――とまで思っている訳ではない。そこまで自己犠牲的ではないはずだ。しかし、自分が墜とされる以上に、僚機が墜とされるのが我慢ならないという気持ちがあるのも事実なのである。
現実に目を向けなければならない。
今回の「仕事」は対地支援である。単純な制空戦闘ではない。つまり、敵の揚陸を阻止するのが作戦目標。対地対艦任務はあまりやったことがない。その点においては、〈ウルフ〉はやや不安であった。だがやるしかない。
「〈ビースト隊〉はC防衛戦域に向かえ」
「了解」
「空の底」から地上の沿岸ではすでに魔術砲火や実弾を含めた火花が散っていた。ある程度低空飛行していたから、こちらの防空サイレンもよく聴こえる。その先には必死に上陸しようとするボリス連邦の強襲揚陸艦、それを支援する航空機、向こうには航空母艦も控えていて、すでに攻撃ヘリも展開されている。
アル・ヌルマス教国軍はこの沿岸での上陸を予想していたようで、そこはかなり要塞化されていた。
「開けた沿岸は、わが国ではここだけだからな。防衛には向いている大地ではある」
確かに、山がちで「空の底」に接近する沿岸もすくない地理的条件が、教国を独立国家ならしめていたところだった。そのくらいは〈ウルフ〉も知っている。
「予想以上にヘリの数が多い。〈ビースト隊〉、まずは奴らを排除しろ」
「命令了解。では始めよう諸君。〈ビースト隊〉、交戦開始!」
ヘリコプターはその自在性から対地攻撃及び輸送には向いているが、高速戦闘と高機動誘導弾を放つことの出来る戦闘機にとっては的でしかない。とはいえノンビリしている訳にもいかない、放っておくと陸軍がダメージを受けるからだ。
「結構な物量だな!」
その大量のヘリを見て〈ライオン〉が叫んでいた。事実、連邦空陸軍の展開能力は見事なものがあった。物量で押し込もうという、絶対的な意志が感じられる。
その出鼻を挫くのが、自分たち。
「〈ビースト隊〉、散開! 各自迅速にあのトンボ共を墜としてやれ!」
〈ウルフ〉にしては珍しく、乱暴な言葉を使った。この戦場がいささか心の奇妙なところを高揚させているのかもしれない。
朝靄がかかった空の中で、〈ビースト隊〉の面々はヘリを撃墜していく。「おせぇんだよ、空軍! 逃げ足だけはいっぱしのくせによぉ!」などという罵声なのか歓声なのか判断に迷う声を通信で拾っていた。空軍と陸軍が本当の意味で相容れないのを証明しているとも言える。
しかしボリス空軍もやたらめったらにヘリを飛ばしているのではなかった。それは時間稼ぎのようだった。空軍(もちろん〈ビースト隊〉を含む)がヘリの排除に手間取っている内に強襲揚陸艦が接岸し、戦車が上陸してくる。
「今度はあれをやればいいのか?」
機先を制するようにブルースが言った。だが、それは違ったようだった。
「いや――待て。敵空母から護衛機が発艦している。諸君はそれを要撃しろ。航空優勢を奪わせるな!」
なるほどね、とブルースは思った。こちらの制空戦闘能力を評価していただいているようだ。
「この世界は空を制したものが王者だ。それを奴らに教えてやれ!」
「了解」
対地攻撃はほかの部隊が担当しているようである。教国もヘリを繰り出してきている。いよいよ総力戦の具合が増してきた。
自分たちは自分たちの仕事をするだけ。制空をしろというのならする。〈ウルフ〉は僚機に信号を送り、集結させ、編隊を組んだ。
背中から陽光を浴びている。大分明るくなり、朝靄も晴れてきた。そしてその対面にはボリス連邦空軍のZa-20――4機。
「いやにすくないな。露払いという訳か?」
「こちらを最小被害で潰そうって事なんでしょう」
「舐められたもんだな」
そう言っている場合ではない。〈ウルフ〉は敵を少数精鋭――すなわちエース部隊だと認識していた。まったく気が抜けない。
だが――この時〈ウルフ〉、いやブルースにとっての呪いの言葉が響く。
「奴らは手練れだ。空賊の傭兵だろうが油断するな。〈チェルノボグ隊〉、エンゲージ」
その部隊の名前には聞き覚えがあった――いや、決して忘れるものか。




