007
ジェファーソン大統領の映った画面をミーティアは気だるげそうに肩肘を突いて見ていた。彼女がそうだったので、ブルースも同じようにした。
演説はまだ始まらない。どうやら機器トラブルが起こっているらしい。つまりこれはライブ放送だった。民主ユニオンからアルスター王国までは若干のタイムラグがあるはずだが。
「ジェファーソン大統領ってイケオジだよね」
「なんだよ。ミーティー、ああいうのが好みなの?」
「あたしは事実を言っただけさ」
彼女はどことなく楽しそうである。他国の政治家(元首とはいえ)の演説を見るなんて大して面白くもないだろうに。どうにもミーティアにはつかみづらいところがある。士官学校からもう4年の付き合いになるのにまだ完璧には彼女を理解できないのがブルースだった。
いやまあ、どれだけ仲を深めても完璧には把握できないのが他人というものなのかもしれないが。
「ふっ。嫉妬したかね? ブルース少年」
「するか。あとその少年っていうのはやめてくれ」
ミーティアにとっては自分は幼く見えているのだろうか――と思ってしまうのである。その前の「嫉妬」という言葉に対してはもうすこし複雑な感情がある。
そうこうしている内にテレビ画面の先ではトラブルも解消したようである。ジェファーソン大統領はすこし咳払いをしながら正面を向いた。力のある目が見える。あまりにも強い視線だったので、別に自分が見られている訳でもないのに、なんだか射抜かれているような気がした。力ある政治家とはそういうものなのだろうか。
演説が始まった。
「――昨今のボリス連邦の軍事拡大化には、とても憂慮しております。これは私の主観ではなく、はっきりとしたデータで現れております。連邦はここ5年、年間20パーセント増で軍事費を拡大し続けております。これは単純な防衛の為ではないと、我が国では観察しているところです」
おやおや、とミーティアは言った。
「予防戦争でも仕掛けようってのかな」
「大統領は慎重派だと聞いているけれど」
「すくなくとも大義を失わないための演説はしてるってことさ」
訳知り顔でミーティアは続ける。平凡な農家の生まれである自分よりも、元貴族の家系である彼女のほうが政治には詳しいのかも、とブルースは思った。
「それだけではなく、ここ近日、我が民主ユニオンの領空に接近したところであからさまな軍事演習を行っていることが確認されています。これは明確な我が国への示威行為だと認識せざるを得ません。我々もそれに合わせなければならない。国民の皆様にとっては負担になりますが、本日大統領令を発布し、軍事費を前年比10パーセント増で強化します。もちろんただ金を掛ければいいというものではない。適宜最適な運用を心掛けるつもりであります」
「いよいよきな臭くなってきた」
「……ミーティーは戦争が起こって欲しいのか?」
「そんな訳ないじゃん」
この演説放送は民主ユニオン内向けだけではなく、全世界に向けられている。つまり外交的な意味合いが強い――政治に疎いと言っても、ブルースにもそれくらいのことは分かる。
「でも、民主ユニオンと連邦は貿易してるよね。新聞で読んだ」
「新聞を読んでえらいね。しかし経済的な結び付きが強いからこそ、逆に戦争は起こるものなのさ。利害関係があるからこそ、それは火種になるってワケ」
「ミーティアは賢いね」
「パパの受け売りだよ。でもまあ――連邦が軍事力を強めているのは経済的理由じゃなくてイデオロギー的な理由だろうね」
連邦のヴァレンツキ派が「世界革命」を掲げているのは知っているし、そこにある無気味さも感じている。しかしそれは政治工作的な意味に過ぎないのではないか、というのが大方の見解だった。つまり軍事力強化もブラフでしかないと。しかし民主ユニオンも現実として仮想敵国の軍事力強化を見たらブラフに乗らざるを得ない。らしい。
「ま、冷戦だね」
「熱くなるのかな」
「我が国に火の粉が飛んでこなきゃどうでもいいよ」
ジェファーソン大統領の演説は続いていた。政治的技巧を駆使した(とミーティアは教えてくれた)言説の中に、彼は本音を忍ばせているのだった。
「――軍事費だけではありません。この状況が続くならば、我々は適切な処置を取らざるを得ない。警告します。今ユニス雲海で行われている艦船の展開を危険視しております。1週間以内にこれを撤退しない場合、我々は連邦に対して経済制裁を課します」
そこで大統領自身は一旦退き、大統領補佐官がその経済制裁の詳細について長々と話し始めた。おもに食糧面での制裁が大きかった。ボリス大陸は痩せた土地として古くから知られている。2億3000万の人民を食わせるためには食糧は輸入に頼らざるを得なかった。
これも新聞で得た知識である。ブルースはミーティアの影響で新聞を読むようになった。それだけでない。彼は士官学校入校前までは、軽い戦記物しか読んでこず、それもマンガが主であった。それが彼女の影響でちゃんとした本も読むようになったのである。
「我が国としても、戦争はなるべく避けたいものと考えております。それは連邦側も同じでありましょう。それゆえ、私は貴国に理性的な判断を求めるものであります――」
あーあ、とミーティアは欠伸をしながら言った。ブルースはその意図を読めなかった。
「政治家ってなぁ、因果な職業ね。戦争はしたくないってのはもちろんなんだろうけどさ、いっぽうでは現実として戦争に備えなくちゃいけない。その狭間で……ブルース少年、決してそんなやくざな職業に就くんじゃないぞ」
彼女はブルースの優等生ぶりからしばしば「政治家になればいい」と言われているのを揶揄しているのである。実際空軍上がりの政治家というのは世界的に見てもかなり多い。
「湿っぽくなっちゃたねえ。ま、あたしたち戦闘機乗りは与えられた任務をこなすだけさ」
「そうだね」
そこがふたりの一致するところであった。
ジェファーソンの演説はまだ続いていたのだが、じきに民主ユニオンの内政面に話が飛んだので、退屈になったのか興味がないのか、ミーティアはチャンネルを変えて、擬人化された犬と猫が遊ぶ児童向けアニメを映した。しかし特に視聴している訳でもない。
「あのさ、ブルース」
その声が、彼女にしてはいつになく真摯な色をしていたので、ブルースは思わず身構えた。
「なに、ミーティー」
「いつになったらブルースはあたしに勝ってくれるの?」
あんまりにも意外な言葉だったので、ブルースは口をあんぐりと開けてしまった。
「どういう……意味さ」
「きみの才能はあたしなんかより遥かに上だよ。でもその力をまだ見せていないじゃない。きみが本気になれば……誰にも負けない、最強のエースになれる」
買い被りすぎだ――とブルースは思った。彼はミーティアに勝てていない。その事実があるだけ。しかし彼女にとってはそうではないらしい。どう言えばいいのか、ブルースは迷った。迷いに迷った。その結果、さりげなくこう言った。
「最強になんか、興味ないな」
「そうなのぉ? 男の子って最強とか無敵とかに憧れるもんじゃないの?」
「ぼくはそうじゃないな」
ブルースは自分でも不思議なほどにそういうものに興味がなかった。そもそも争いが好きではなかった。それが空軍パイロットというのもおかしな話だが――「空」を手に入れるにはそれしか手段がないのだから仕方ない。
「大体、ぼくはもう『男の子』じゃないよ。立派な大人だ」
「いやいや。男は何歳になっても『男の子』さ。女が幾つになっても『女の子』であるようにね」
「その割には、ミーティーはあんまり『女の子』らしくないね」
こう言ったらミーティアは怒るかな――と内心はビクビクものだった。しかし彼女はからりと笑うだけだった。そこにはかすかな嬉しみすら滲み出ていた。
「それでいいんだよ。ブルースは、もっと勝つことに貪欲になるべきなのよ」
彼女はここで言い合いの負けを認めた訳である。
だが――
ブルースにとって、ここでの何気ない会話は後年になって重く圧し掛かるのである。




