008
イースタベリ航空基地には周りにサクラの木が生い茂っている。春になれば花が咲き、春の終わりには花が散り、滑走路の清掃部隊をうんざりさせる。そういう訳で木の伐採が毎年嘆願されるが、今のところそれが聞き入れられた試しはない。
しかしその季節も終わっていまは初夏。新緑の季節も終わり、それでも葉桜は青々と生い茂っている。
ブルースは「桜の木の下には死体が埋められている」という話を子供の頃から聞かされていた。子供の頃はそれで桜の木を怖がったものだ。でもハイスクールの頃になればそんなことはすっかり忘れていた。その恐怖が甦ったのが、このイースタベリ航空基地に来てからである。軍事基地のすぐそばに、そんな怪談があるというのは、あまりいい冗談に思えなかったからだった。
そのことをミーティアに話したいな、と思ってもいたけれど、実際に言うと馬鹿にされそうで今のところ実現していない。
ただ、彼女が同じような気持ちを持っていそうな言葉を彼は忘れていない。それは配属前、まだ空軍士官学校時代に研修でやって来た時のことだ。
「航空基地にサクラって、なんか不吉だよね。すぐ散る花をどうして植えたかな」
「花は散るけど葉は立派に咲かせるよ」
「でも花は咲くときこそが華さ。サクラって言うのはね……」
ミーティアの講義なんだか演説なんだかよく分からない話が続いた。ブルースはそのほとんどを覚えていない。要約だけはしている。彼女は、サクラは儚く咲き、儚く散るからこそ美しいのだと。
その日、彼女はその時のことを思い出していたようだった。
「サクラなんて空軍には似合わないよ。あたしがあれがいいな。そう。サボテン。サボテンサボテン」
「サボテン?」
相変わらずミーティアの言葉は冗談なのか本気なのか分からない。というより冗談の中に本音を、本音の中に冗談を変幻自在に織り込んでくるのだからまったく始末に負えないのだ。
「サボテンはウチの国には似合わないよ。ヴァルハラ中部の砂漠じゃないんだから。アルスター王国は水の国じゃないか」
「そういうソリッドでハードボイルドなところがいいんじゃないか……少年にゃ分からんロマンスかもしれんね」
「ぼくは少年じゃないし、そういうのはロマンスとは言わない」
ははっ、とミーティアは笑った。
この時ことのほかミーティアが明るくしていた理由をブルースは誤解していなかった。彼女はある程度は意識して(ということはある程度は天然でもあるのだが)そう振る舞っていたのである。
どういう理由か。
これから任務があるのだった。訓練でも合同演習でもない、正規の任務。それはヴァルハラ・民主ユニオンに向かう輸送船の護衛である。民間の船を護衛するのは本来空軍の任務ではないのだが、通る空域ではこのところ空賊の活動が活発なのでそういうことになった。
「でもなんで『船』っていうんだろう? 同じ飛行機なのに」
ブルースの疑問はある意味で子供じみていた。この世界に於いて、一般的に大型の、それゆえ高高度を飛べず、また飛ぶ必要もなく雲海の上を航行する飛行機は慣例的に「船」、軍属であれば「艦」と呼ばれる。大陸内の湖などでは本当の意味での「船」は存在するから、そこから派生した言葉なのかもしれない。しかしブルースにしてみれば、それはなんだかおかしな理屈なのだった。
「昔の人に文句言っても仕方ないでしょ」
彼に比べて、ミーティアはもうすこし現実主義者だった。
「よう、ご両人。相変わらず仲のいいことで」
軽い声で言ってきたのは彼らの先輩、045中隊でのコールサインは〈ランスロー4〉、リーアム・オリアム中尉だった。公式な場ならともかく、こういった状況でいちいち敬礼をすることもない。彼もそれを望んではいないだろう。しかしブルースの内心の反応はまた別だった。同期の同僚とはいえ、隊唯一の女性パイロットと仲良く話しているのはあまりよろしくないことのように思えたのだ。まして真剣な任務が始まるという、この時に。
「そんな肩肘張んな。そんな大した任務じゃないさ」
「それでもぼくたちにとっては初めての任務です」
「そうですよ。あたしも結構緊張してます」
ブルースはともかくミーティアがどこまで本気で言っていたかは分からない。なんにせよ、かれらにとってはこれが初めての実戦となる――本当に実戦があるのならば、だが。
だが、ひとつだけブルースが心強く思っていたことがある。それは今回はミーティアが仲間であるということだ。彼女とならどんな困難でも乗り越えられる、彼はそう信じていた。
「空賊がやって来るかどうかは分からんからな。平穏無事に終われば万々歳。でもな、ひよっこども。俺はどんなことがあってもお前等は見捨てないからな」
「はい、ありがとうございます」
「その言葉、忘れちゃいけませんよ」
「はっはっは。心配するな。俺はミスター有言実行、リーアム・オリアムだぜ」
そう言って彼はブルースの肩をばしばし叩いた。ミーティアには触れなかった。彼なりの騎士道精神があったのかもしれない。
そうこうしている内に機への搭乗時間が近付いて来る。話はそこそこにかれらは散らばった。先輩たちは搭乗と機器チェックをすでに終えていて、ブルースたちを待っていたのだった。そこで叱責がなかったのは気を遣ってくれたのか、単純に搭乗した後だから言えなかっただけなのか。それは上がったあとの通信で分かるだろう。
「『空の底』……」
ブルースはそれを渡ることになる。旅客機の乗員としてではなく、戦闘機パイロットとして。仲間はいるかもしれない。しかしコックピットの中では結局のところ、ひとりだ。自分を守るのは自分しかいない。そして戦闘において自分を守るという意味は――
空に上がってから、045中隊は山型の編隊飛行を維持した。その左翼右翼両端にブルースとミーティアは控えている。
長い航行になるはずだった。今回の任務は軍も重要視しているのか、045中隊〈ランスロー〉以外にも222中隊〈パーシヴァル〉も投入し、そしてそれを指揮する為の機――空中早期警戒管制機まで付いて来ている。
訓練通りではあった。しかし訓練通りというのは、それだけ実戦に近いものがあるということでもある。ブルースはそう認識していた。
「〈クラウンズサイト〉より全機。その航行を維持せよ」
AWACS管制官の鋭く冷たい声が響いた。冷徹な女性であることを特に意識しているようだった。通信、攪乱、警戒、管制は女性が主に担っているが、その中核である〈クラウンズサイト〉はことに任務には熱心だった。
「〈ランスロー1〉より〈クラウンズサイト〉、空賊共は見えるか?」
「いや、今のところは見えていない。想定戦闘空域にも入っていないしな」
自分はただ置かれた状況に順応、対応するだけ。ブルースはそう覚悟していた。ただ、ミーティアが翼の真逆にいるのだけがちょっとだけ不安だった。自分自身も、そして彼女に対しても心配してしまう。
彼女は珍しく無口だった。正式な任務だから大人しくしているのだろうか。ミーティアははっきりいってしまえば変な女性だったが、空気を読めない女性ではなかった。
「この状況で空賊がかかってくるとすれば、はっきり言ってアホですね」
代わって、というべきなのか、軽口を叩いているのは〈ランスロー4〉だった。だが隊長アダム・ランカスターはそれを咎めるどころか肯定するようなことさえ言った。
「その通りだ。我々は戦う為にではなく、戦わない為にこそいる」
つまり自分たちは抑止力だと言いたいのだろう。ブルースはそう理解したし、それは間違っていなかった。
そう、敵が「アホ」でない限りは。
ブルースは前から気になっていたことを隊長に訊いた。こんなところで話すことでもないかもしれないが、完全に黙考の飛行と言うのも中々つらいことだったのだ。これではミーティアのことを笑えない。
「なんで空賊の本体を潰そうって話にならないんでしょうか。我が国のみならず他国も奴らには被害を受けていますし。野放しにしている理由はなんなのでしょう」
「奴らは下手な国家よりも強力だ。二大国と言えども簡単には手出しできんほどにな」
彼らが「空賊」なのは、ただ単に「国家」として承認されていないだけ、そして空賊自身もあえて承認は望んでいないと〈ランスロー1〉は言った。
「空賊の長……ジョセフ・ネブラスカ。彼は一体何を考えているのでしょう」
「狂人の考えなど想像する必要はない。そうしてしまえば自分自身も狂人と化してしまう。気を付けることだな、ブルース」
隊長がコールサインではなく名前で呼んだのは、気遣ってのことだろう。作戦行動中なのだからあまりいいことではないが、それでも有難かった。
しかし、その、狂人の刃が襲い掛かってくると話は別になる。
「〈クラウンズサイト〉より〈ランスロー〉、〈パーシヴァル〉各機。敵の接近を確認した。方位275。予想通りだな」
「イヤな予想ほどよく当たる」
AWACSの魔導波は空賊を捕捉している。それはすぐさま隊にデータリンクされ、機内のレーダー図にも反映される。まだ目視できる場所にいない。それが気持ち悪いとブルースは思う。見えないところに、こちらの命を狙って来る者がいるというのは。
「敵機総数14。賊にしては贅沢なことだ。全機、奴らに質素倹約の意味を味わせてやれ! 交戦を許可する!」
管制の指示が下りればすぐさま作戦行動を開始する。彼らは訓練された軍人だった。たとえ普段はおちゃらけている者であっても。そう。ミーティアもだ。
「〈ランスロー〉隊、エンゲージ」
「いきますよ!」
だがまだ、ブルースもミーティアも分かっていない――これが、初めて「人殺し」に手を染める行為だということに。




