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空の底 〜天世界で狼は最強のエースに駆け上がる〜  作者: 塩屋去来
第一章:アルスター王国陥落

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 アルスター王国5000万人の命を守る為に飛ぶ――


 とは言っても差し迫った危機というものはそうそうやってくるものではなく、平時の軍隊というものはさして忙しくもない。毎日の肉体的訓練、座学の復習、装備の点検などなど。すくなくとも毎日休まず空に上がるという訳ではない。哨戒任務はあるにしてもだ。


 まあそういうもんだよな、とブルースは妙に達観していた。それはそれで有難いものでもあったのだ。いくら空を飛ぶのが好きだといっても毎日では心が折れてしまう。それに空軍パイロットとしての「空を飛ぶ」というのは、自由気ままに飛ぶものではない。


 ということをミーティアに言うと、彼女は


「きみの空への愛情はそんなものだったのかねぇ?」


 と随分揶揄を含んだ声で言うものだった。しかしブルースはあまり気にしていない。そもそも心が揺らぎにくい精神の持ち主でもあったし、ミーティアの言葉には愛情が籠っていたのを分かっていたからだった。


 そんなふたりだが、この時は同じように休暇を貰っていた。アルスター空軍では戦闘機パイロットは4日勤務すると2日休暇を貰える仕組みになっている。そしてそれは軍全体の運用が考えられ、部隊ごとの休みになるのが通常だった。つまりこの日と次の日は、045中隊はこぞって非番であり、任務は別の部隊が行うことになっていた。


 そうすると先輩方は街に行って遊ぼうとする。ことにミーティアは唯一の女性隊員ということもあって大層可愛がられ、お誘いはひっきりなし。しかし彼女はその誘いをやんわりと、しかし相手が傷付かないやり方で断り、こうやって今も冷房の効いた隊舎の休憩室でのんべんだらりとしているのだった。


 ブルースが休憩室に入った時、彼女はテーブルに足をかけながらパイプ椅子に座っていて、背を思いっきり凭れさせ、椅子を傾けていた。空にいる時と同じような大胆さと危うさだった。両手では新聞を広げている。


 この時部屋はふたりだけだった。ということはつまり、さっきまで彼女はひとりだったのだ。それを苦痛にしている感じもない。人懐っこい性格だが、孤独なのも味わえる女性なのだった。それはどことなくブルースにも通ずるものがあった。


「ひとりなの?」


 ブルースは隣の椅子に掛けて訊いた。


「んあ。まあこういう日はノンビリしたいしね……」


ミーティアは目を合わせず、新聞に向いたまま答えた。巻き毛の赤髪がどことなくしっとりしているような気がする。シャワーでも浴びてきたのだろうか。ちなみに彼女曰くその巻き毛は天然ものらしい。


「そういうきみもノンビリ屋さんじゃないか。あたしと同じだね」

「まあそうと言えばそうだけど。ところでそんな格好で座ってちゃ危ないよ」


 このまま椅子からずり落ちて後頭部を強かに打ち、くも膜下出血で死んでしまったりしたら、その時は殉職扱いになるのだろうか――などと不謹慎な想像をしてしまう。


「ん。まあ。そうだね」


 ミーティアは案外素直にブルースの忠告を受け入れ、座り直した。それから新聞をテーブルに置いてその碧の瞳を向けて来た。この瞳が一番きれいだとブルースは思っていた。


「おはよう、ブルースくん」

「おはよう、って……もうお昼だよ」

「そうだっけ」

「時計を見なさい」


 休憩室にあるアナログ式の時計は既に午後1時を示していた。


敵機(ボギー)、1時方向! なんちゃって」

「頼むから休暇の時くらいは任務を思い起こすようなことは言わないでくれよ」

「いやいや、これは職業病みたいなもんさぁ。ブルースくんはその境地にまで至っていないようだね」


 そんな職業病などあるはずもないのだが、ブルースは真面目に取り合わなかった。彼女は様々なものをつかって冗談を好んで言う。そしてそれにまともに付き合っても泥仕合になってろくなことはないのだ。そしてここでも彼は彼女に勝てない。


「しっかし、世知辛いニュースばかり続くねぇ」


 彼女は新聞はテーブルに置いたままそこに目を落とした。「見てごらん」と言うので、ブルースもそれを覗き込んだ。そこには「第一四半期の経済成長率マイナス。失業率も悪化。ボリス連邦への輸出鈍化が原因か」と書かれていた。


「あたしは生まれてこの方、好景気ってのを聞いたことがないきがするね」

「そりゃ、マスコミは好景気よりも不景気のほうを有難がって報道するからね」


 とは言うものの、近年のアルスター王国経済は停滞気味ではある――らしい。ブルースも経済の話はさっぱり分からないからマスコミの受け売りでしか喋られないのだが。


「その点国家公務員はお気楽だ」

「死と隣り合わせの職業だけどね」

「あたしは120歳まで生きるぜ」

「いつまでパイロットを続けるの? 結婚とか考えないの」


 ブルースが何気なく訊くと、ミーティアはすこしだけ渋い顔をした。


「そうだねぇ……50歳くらいまではパイロットでいたいな。結婚はあたしの人生設計図には入っていないのだ」

「50歳まで前線にいられるかなぁ。昇進すれば内勤になりそうなもんだけど」

「じゃ、あたしは昇進しない。万年少尉でいいや。ブルースもそうでしょ? ずっと――空を飛んでいたいんでしょう」

「まぁ、それは。でも結婚しないっていうのはどうかな。この前子供好きって言ってたじゃないか、ミーティー」

「自分が産むのはあんまり想像できないなぁ」


 おちゃらけているように見えて根は真面目なところのあるミーティアである。子を産めばきっといい母親になるだろうとブルースは踏んでいた。


 しかしその場合、父親は誰になるのだろう……


 いやいや。


「お、これは気付かなかった」


 ミーティアは新聞の別欄に目をやっていた。「ジェファーソン大統領、13時過ぎに演説を予定」。


「ホントに敵機が1時からやってきたよ」

「ヴァルハラ民主ユニオンはぼくらの敵じゃないだろ。同盟国でもないけれど……」


 アルバート・サミュエル・ジェファーソンはヴァルハラ民主ユニオンの第7代大統領である。穏健派との呼び声が高いが、若い頃は強烈な反共主義者とも言われていた。


「ヘンな火種にならなきゃいいけれどね」


 もうひとつの超大国、共産主義国家ボリス連邦との緊張はここ数年悪化している。それは10年前の連邦内での政変が切っ掛けだった。過激派――自身を「世界革命派」と呼ぶヴァーツラフ・ヴァレンツキが最高議会主席の座に就き、その拡大政策を表に出し始めたからである。


「まあ、すぐに戦争になるとは思わないけれど」


 ブルースは言った。


「そうあってほしいもんだ」


 その演説を見てみようかということになった。13時過ぎ、というのはアルスター王国時間での話である。民主ユニオンの首都グラウストンは19時になっているはずだった。


 イースタベリ航空基地はケーブルテレビになっていて、海外のテレビ局放送も視聴できる。ミーティアは立ち上がり、リモコンに魔力を込め、テレビを点けた。それから国際ニュースチャンネルに合わせる。


 そこには壮年で、髪が灰色になっている男がいた。体格はがっちりしている。元民主ユニオンの戦闘機パイロットらしい面影がそこには見える。


 それが民主ユニオンの大統領、ジェファーソン――この世界のキーマンのひとりだった。

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