第1話 勉強会
話進めます。
安倍川は不機嫌だった。教室の机に腰掛けてじっと一点を見つめていた。
「落ち着け右田。そこ違う」
「えええ、何でだよ、言われた公式使ったじゃねぇか!」
安倍川の視線の先には、別のクラスであるはずのミギがカケルに勉強を教わっている。側にはイサジがチップスを食べながら、2人を見守っている。
どういうわけかつい先日にからかっていた人間に、カケルが勉強を教えることとなった。安倍川はどういうことだとカケルに尋ねたが、適当に誤魔化されてしまった。だからカケルに何かあってはいけないと、安倍川は嫌な気分になりながらも側に居座っている。
「右田、公式とかそれ以前の問題だ。あのな、7×6が何で47になるんだ。かけ算の答えで何で素数が出てくるんだ」
「そすう?」
「いや、俺が悪かった。素数は忘れろ。余計な知識入れる余裕がない。いいか? 7×5がいくつになる? 35だ。それはわかるな。それなら35に7足したらいくつになる?」
「えーと・・・・・・、42か? んじゃあ、この答えこれか!」
「そうそう、よくできた。それならこの問題もいけるだろ。解き方は一緒だ」
「うーん、こうか?」
「『解き方』は間違ってない。だけど、落ち着いて解けよ。46+6が55になってるから」
かなり初歩的なミスが多発しているらしい。小学生か、と安倍川はつっこんだ。
ミギは頭を抱えウーンウーン唸りながら数学の基礎問題に取り組んでいる。カケルは黙ってそれを見守っている。
何もしていないはずのイサジが疲れたように、ため息を吐いた。
「やっぱオレ無理ー。教えんの無理ー。死ぬー。頭ん中ねじきれて死ぬー」
「お前何もしてないだろ」
イサジの発言をカケルが呆れながら返した。そしてチップスから漂う異臭に思わず鼻を摘んだ。
「ってか、伊左次。なんか凄ぇ臭いするけど、なんだよそれ」
「じゃがチップス、期間限定スカンク味」
「屁だよな、それ! 屁の臭い再現してるやつだよなそれ!?」
オエッ、とえづくカケル。イサジは気にせず、バリバリと食している。
あまりに馴染んでいるその光景に、安倍川はもやもやする。自分だけが未だにイライラを引きずっていて、からかわれたカケルが平然としていることにだ。この様子ならばカケルに危害が及ぶこともないだろう。
先に帰ればよかったなあ、と安倍川が思ったとき。カケルが安倍川の方を向いた。
「安倍川、お前は古典な。苦手だろ」
「おう、やるやる!」
「何でそんな張り切ってんだよ」
嬉々として割り込んだ安倍川にカケルが訝しげな顔をする。しかしミギが解いている問題の間違いに気づき、すぐさまそこを指摘した。
勉強を教えることに慣れているようで、カケルの表情に教える事への嫌悪感はない。
イサジはその姿に感心する。
「オレが頼んどいてあれだけど、よく他人に教えられるよなあ。オレ、絶対に無理。教えてると頭痛くなる」
「ああ、中学の時とかテスト前に陸上部のメンツに教えてたからな。それに比べれば人数少ない分、全然問題ない」
「えー、オレ絶対にミギの馬鹿さ加減に教えんのイヤになるけど」
「イサジ、ひでぇよ!」
必死で問題を解いていたミギだったが、イサジの言葉に涙目になりながら叫んだ。涙目なのはやりたくない勉強を続けているからである。
カケルは古典の教科書とノートを開く安倍川を見ながらも、ミギのノートに目を移す。特に問題はなさそうで、軽くうなずいて終わった。そして安倍川のノートを見ながら、古典のプリントを1枚手に取った。先生が作成した活用形を集めた表である。
「安倍川はまずこの表覚えとけ。しばらく経ったら問題出すから」
「うええ、覚えられねぇんだよな」
「まだ期末まで時間はあるから、ちょっとずつでいい。それと右田はこの公式使った問題は大丈夫そうだから、この長文もいけるだろ」
「ええええ!? 俺、日本語読むのイヤだし!」
「お前、何人だよ」
2人に勉強を教え始めたカケル。うわああああ、とイサジが顔を歪ませる。
「よくやれるなあ。辛くね?」
「全然。安倍川は得意不得意がはっきりしてるし。それと右田だけど、伊左次が馬鹿と言う割には学習の吸収力は高いぞ。計算のつまずきは多いから間違いだらけだけど、飲み込みは悪くない。とりあえずこの感じなら、期末までに基礎問題くらいなら解けるんじゃないか?」
カケルの言い分に、イサジではなくミギが驚き、問題を解いていた視線を慌ててカケルに変える。イサジはふーんと気のない返事をし、そして尋ねた。
「んじゃあさ、陸上部は大変だったわけ?」
その問いにカケルの目がゆっくりと死んでいく。そしてため息をつきながら眉間に指を当てた。そして思い出すのは、中学のときのテスト前のこと。
『カケルウウウウウウ。なんで「これは犬です」が、ディスイズドッグなんだよ。直訳を「これです、犬」にして間違いになんだよおおおおおお。間違ってねぇだろ、意味的に間違ってねぇだろ!』
『うっせぇな! そこまでわかってるならちゃんとした解答出せるだろうが!』
『カケル、僕昔エジソンの伝記を見たことがあるんだ。彼は子供の頃、何故リンゴが赤いのか。何故1+1は2になるのか、わからなかったんだって。僕もその気持ちわかるよ。だって1+1は2になるなんて、誰が決めたんだよ。ひとつの個体とひとつの個体が作り出すものは無限に広がる。そう思わないかい!?』
『テスト前のこの時期に、訳わからない持論を持ち出すな!』
『カケル、俺はこの世界に絶望した! 転生したら本気出すから!!』
『現実逃避に飛び降りようとすんな! ここ3階だからな!?』
『なあ、カケルう。諦めようぜ。勉強なんかできなくたって、俺たちには陸上があるじゃねぇか』
『補修になったら合宿不参加だからな。そうなったら何故か指導役の俺が監督に怒られるんだぞ。わかってんのか!!?』
遠い思い出にカケルは泣きたくなった。あの凄惨な光景に。
「右田はしばらくは数学の基礎問中心でいこう。それで暗記物を少しずつ覚えさせていけばいいだろ。点の取れる部分だけ中心で勉強すれば、少なくとも赤点の30点台は突破できるはず」
カケルがミギに笑いかける。ミギはそれを呆然と見つめた。
そしてジワーッと涙目になる。ぎょっとしたのはカケルだけでなく、安倍川もイサジも固まった。
「お、おい右田。どうした。そんなに勉強嫌だったか?」
カケルが焦るが、右田は首を横に振る。
「お、俺、家だと父ちゃんも母ちゃんも『おまえは、健やかでいればそれでいい』って投げ出されるし。兄ちゃんは俺のテスト見て、プロレス技仕掛けてくるし。義姉ちゃんは俺の頭の悪さに『あ、うん』って返事に困って、飼い犬と急に遊び始めるし。先生からは見放されてるし。こうやって勉強教えてくれるやつなんて、今までいなかったんだよう」
エグエグと涙を流す一歩手前のミギ。カケルは対応に困り、イサジを見る。見られたイサジもマジで泣き出す数秒前状態のミギに引いており、困ってカケルと目を合わせる。安倍川に至っては、ドン引きで「うわあ」と声を漏らしている。
どうすればいいかわからず、カケルはミギの頭に手を乗せてグリグリと撫でてやった。
「うええええええええええ」
逆効果だった。いつ泣いてもおかしくない。
「おい、伊左次。こいつ男子高校生としてどうなんだ。大丈夫か。馬鹿とかそういう意味じゃなくて」
「いやあ、オレに聞かれても困るんですけどー。ってかおたくが原因だろ。おたくが責任とれよ」
「いや、発端はお前が原因だろ」
「カケルウウウウウ、お前のことからかって悪かったあああああ。ごめんんんんんんん」
「やっぱりおたくが原因じゃん。ミギもこう言ってるし」
「ああああ、めんどくせぇ。右田安心しろ、まったく気にしてないから!」
グリグリと頭を撫でてやりながらカケルはそう声をかけてやる。
そんなカケルに安倍川は眉間にしわを寄せる。
「大地、お前はもっと怒っていいと思うぞ」
「別に気にしてないからな。ココロを貶したら殺戮対象だけど」
「爽やかに殺戮って単語使うなよ」
ノートを閉じて、いったん本日の勉強会は終わりとなった。
途中バタバタしたが、それでもなんとかミギの勉強への希望が見えた。
「右田、これ単語帳。テスト範囲だと思うところ入れといた。全部一気に覚えるのは無理だろうから、今日はとりあえず5個覚えるの目標で。最低1個でもいいから」
「うわわわわ、カケルありがとな!!」
用意していた単語帳をカケルが手渡せば、ミギは喜色満面にお礼を言った。
カケルはミギに笑いかけてやり、そしてイサジを見る。
「伊左次。俺は確かに勉強を教える約束はしたぞ。だけど教わる方が逃げるようじゃ教えることもできないからな」
カケルが言っているのはトールのことである。
本来ならばここにトールもいて勉強するはずだったが、トールが全力で拒否し逃げたため今は不在である。勉強することも嫌だが、何よりカケルに教わるということにトールのプライドは許さなかったようだ。
イサジも頭をかいて、カケルの忠告を受け入れる。カケルにトールとミギの勉強を頼んだのはイサジだ。しかし当の本人であるトールがいなければ話にならない。
「まあ、明日はなんとか説得するって。こればっかりはオレの仕事だろうからねえ」
「トールも馬鹿だからなあ、俺と一緒で」
イサジに続いてミギも話す。
カケルもトールの姿が思い浮かび、頭を悩ませた。
勉強のことももちろんだが、それ以上に乙女戦士のことでだ。
つい先日、トールが新しい乙女戦士になってから数日。幸か不幸か一度もエビルは現れていない。だからこそエビルが現れたときに、共に戦えるかが心配だった。たとえ協力できなかったとしても、互いに足を引っ張り合うことは避けなければならない。
(打出はまだ一度しかエビルと戦っていない。数日空いてるし、自分が乙女戦士になったって自覚も薄いだろうしな。次エビルが出現しても戦おうとするのかがわからない)
どのタイミングでエビルが出るのか予想がつかない。
次のエビルが早く来てほしいような、来てほしくないような、複雑な心境のカケルであった。
カケルはそれなりに頭いいです。トップクラスを狙う気はないので、無理しない程度に真面目に勉強します。
イサジも頭いいですが、最低限の問題解いたらそれ以上解かずに寝ます。不真面目です。




