第82話
閃光に眼を射ぬかれ、どれほどの時間気を失っていただろうか。答えてくれる者はいない。伝わるのは鼻孔をくすぐる乾いた空気の臭いだけだったが、嗅覚と触覚があるということは取り敢えず生きているということだろう。
地面に張り付けられた身体に力を入れて起き上がり、眼を開けると視界は激しく明滅して目眩を感じる。あれだけ激しい雷撃を見てしまったのだから失明しても不思議ではないのだが、俺の視覚は微かに景色を捉えてくれていた。
「ううぅ……」
起き上がったばかりだというのに、低く唸って再び倒れ込む。自分の声が妙に遠くから聞こえるのも雷撃による轟音の所為だろう。
「(どうにか生きてるみたいだが、随分と派手にやってくれたな)」
頭の中でルシファーの声が聞こえる。気を失う直前までルシファーが俺の体を使っていたのだが、いつの間に入れ替わったのか。
「(攻撃を防ぐのに力を使い切った。エフィムの体を使うのもしんどいから暫く休ませてもらうぜ)」
「(ああ、そうなのか。それで、周りはどんな状況か分かる?)」
「(……荒野の中でエフィムが一人倒れてる)」
随分と強力な攻撃だったし、牧草地が荒野になっていても不思議ではないか。辺りに俺しかいないと聞いて安心してしまったが、少し考えればおかしな話しだし、仲間の安否を確かめに行かなくてはならない。
骨身が軋む音が聞こえたが、気の所為だと思い込んで立ち上がり、ゆっくりと眼を開く。瞳孔が光りを嫌い、またもや明滅した景色が映し出されたが、今度は目眩を感じるには至らない。徐々に瞳孔が閉じて行き、景色が鮮明に見えてくる。
ルシファーに言われ、予想した通りに青々とした牧草地は荒野へと姿を変えていた。周囲に人の気配は無いらしいので、町の方に向かおうと振り向いたところで絶句する。
「……なんだよこれ」
そこには何も無かった。樹木で作られた住居も、住んでいた鳥人達も、石畳で舗装されていた道も何もかもが消えていた。メイルティという町を知らぬ者に、ここに鳥人が、生き物が居た地だと説明しても信じてもらえそうにない空虚な荒野が広がっていた。世界に自分一人だけが取り残されてしまったのではないかという不安に足が竦んでしまう。
「(立ち止まると余計怖いぞ。こういう時は先ず行動だ)」
ルシファーの励ましのお陰で足は自由を取り戻し、前へ進むことができた。よく見ると町の奥、広場の向こう側では倒壊した瓦礫が塵にならずに残っている。もしかしたら瓦礫に埋もれて身動きが取れないのかもしれない。俺の足は進む速度を上げ、自然と走り出していた。
破砕音と共に地面が吹き飛んだのは直ぐのことだった。発生源は進行方向の左、大きく陥没した地面の傍らだった。
「あそこは確か、湖が……」
そこまで口にしてロザリアの言葉を思い出す。ネイトとアイラは湖近くの地下遺跡に避難させたと言っていたので、もしかしたら二人が出て来たのかもしれない。
雷撃で蒸発してしまったのか、衝撃でどこかに飛び散ってしまったのかはわからないが、枯れた湖よりも仲間の方が気掛かりだった。進行方向を変えて走り出すと、地面に開いた穴から人影が現れる。
「なっ!」
予想通りネイトとアイラは出て来た。しかし、全くもって望んでいない者に担がれてであった。足を踏ん張って急ブレーキを掛けると、相手もこちらに気付いて向き直る。兜から伸びた角が太陽の光りを反射する様は雄々しさすら感じさせるものだったが、そんなものに気後れしている場合ではない。自分を鼓舞する為に腹に力を込め、口と喉を広げる。
「お前は何をしているんだ!!」
市街地で散々追い詰められた角付き相手だが、そんな過去の事は忘れた。戦斧を背負い、右腕は肩に担いだネイトを支えており、左腕はアイラを脇に抱え込んでいる。二人共身動き一つしないので気絶させられているのだろう。だが少女といえど人間を二人抱えていてはまともに動けやしないだろうと思い、真っ直ぐ突進する。
「(おい、無茶はよせ!)」
制止の声が響くが、脳は理解を拒んで雑音として処理する。
こちらのやり取りを知ってか、角付きは見て分かる様にわざとらしく肩を上下させて溜め息を吐いた。
「天に召します神よ御身の恩愛を以って彼の者の告解に耳を傾け賜え。コンフェーション」
粗末な声音の祈りであっても聖術はしっかりと発動し、俺の脳天目掛けて光線が放たれた。
「くっ!」
もう少しで角付きに手が届くという距離だったが、光線を避けるため咄嗟に横へ跳ぶ。
「ふん」
回避したところを狙われて腹を蹴り上げられる。
「がっ!」
間髪入れずに蹴りつけられ、後方に一回転して倒れる。角付きは無様な俺に何の興味も示さず、早々にその場を立ち去って行く。
「くそっ!待て!」
張り上げた声は角付きの背中に届いたが、頑強な甲冑は弱者の遠吠えなど寄せ付けず徐々に遠ざかって行く。
逃がす訳にはいかない。蹴られた痛みや再び聞こえて来たルシファーの言葉はどこへやら、直ぐに立ち上がって走り出すが、またもや光線が降って来たので今度は後ろに跳び退いて躱す。距離を開けられてしまうが、これなら即座に蹴り込まれる心配はないし、聖術を祈る間は足を止めなくてはならないので、慎重に行けば確実に追いつける。
見出した活路の幼稚さを思い知らせんと、蹴飛ばされた小石が頬を打つ。馬鹿にされた気がして腹が立ち始めるものの、即座に叩き込まれた蹴りに腹は瞬く間に威勢を無くした。
「ぐっ、くそ……ルシファー!少しで良いから力を出せないのか!?」
膝を着いて痛みに耐えながらがなり立てる。
「(そうしてやりたいけど……)」
歯切れの悪い声だ。何かを隠していると思い、問い詰めようとした時だ。角付きが瓦礫の山を横切ろうとして突然足を止めた。何が起きたのかと思い様子を見ていると、瓦礫の陰から角付きの頭へ散弾銃を向けたカイムが出て来たのだ。服は所々破けているのに外傷が見当たらないのは少し不思議だが、無事ならば何も言うことはあるまい。
「カイム!」
カイムが生きていた事と、状況を打開できそうな事に歓喜の声を上げてしまうが油断は禁物だ。歯を食いしばって腹部に残っている痛みに耐えて立ち上がると、カイムの上空に光りが集まっていることに気付く。
「上から光線が来る!」
「ちっ……」
俺の注意を受け、カイムは舌を打って瓦礫の陰から気を失っているアメリーを担ぎ出して撤退。間一髪のタイミングで複数の光線が大地を焦がした。
「エフィムは無事か?」
「うん。けど、ルシファーの力は暫く使えそうにないよ」
合流後、早口気味に状況を報告してから脇に抱えられたアメリーに視線を移す。顔が血で汚れているが出血自体は止まっているらしく渇き気味であり、他に目立った怪我は無いので直に目を覚ましてくれるだろう。普段より随分と軽装になっていて、白く細い身体が露わになっているが今は気にしている場合ではない。
角付きはいつの間にか現れた仲間と合流を果たしており、そこにはあのサムソンの姿もあったが、更に驚くべきは分銅鎖に拘束されたルチアの存在だった。
「(宿主が生きてんのは良いが、何であの野郎は無傷なんだ)」
苛立った声と歯噛みする音が頭の中を不快にさせるが、ルシファーの疑問は尤もだ。町一つを消し飛ばす攻撃が放たれたにも関わらず、直近に居たサムソンが無傷とはどういうことだろうか。ルチアの方は足元が覚束なく、フラフラと倒れそうになっては分銅鎖を引っ張られて体勢を維持させている。更に体のほとんどは黒く焦げており、綺麗な青色の翼は見る影もない。
「色々と予想外の事が起こったけれど、結果的に私の予言通りね」
「いやぁ、デボラーナさんの予言以上っすよ。君主を生け捕りにできたんすから」
澄まし顔で言い放つデボラーナに、杖替わりにしたトライデントに寄り掛かりながらヘラヘラ笑いかけるサムソン。戦闘中とかなり雰囲気が違うので一瞬別人かと思ったが、あのトライデントと容姿は間違いなくサムソンだ。
「小煩いこと言ってないで、早く転移して頂戴」
眼も合わせず言い放たれ、サムソンは巨漢と角付きに視線を送るが二人共無反応だったので、自分を指差しながらデボラーナへ向き直る。
「我輩がっすか?」
「他に誰が居るの?」
「ええ……デボラーナさんが担当だったじゃないっすか?」
「煩いわね。予想外の事が起こったと言ったでしょう、私は聖術を使いたくないの」
「はぁ、よく分かんないすけど、分かりました」
首を傾げて後頭部を傾げる様を忌々しげに一瞥するデボラーナだったが、男三人は何一つ気にしていない。
「お前ら!三人を連れて行ってどうするつもりだ!?」
蚊帳の外にされている気がしたので声を張り上げて存在を主張するが、相手はこちらに意識を向けるだけでだれも口を開こうとはしなかった。
今すぐにでも殴り込んで三人を取り返したいが、戦闘能力皆無の一般人である俺に何が出来るというのだ。両手が塞がっている角付き相手にだって触れもしなかった俺に何が出来るっていうんだ。チラリと横を見るとカイムは散弾銃を構えてはいるものの、渋面で手を拱いていた。戦い慣れしているカイムでさえ手出し出来ない状況なのだから、仮に俺が一騎当千の力を持っていても何も変えることは出来ない。
出来ない、けど!
「うあぁぁぁぁぁ!!」
気が付いたら俺は叫びながら走り出していた。もし俺が蟻だったら、こんな人間は無視して一秒でも早くエサを巣に運ぶことを優先させるだろう。その程度の威圧にしかならない突撃だった。現に相手は誰一人、眉一つ動かさずに居る。先頭に立っている巨漢の間合いに入ったら瞬殺だろう。その前に聖術で葬られるかもしれない。最早殺す価値無しと判断されて蹴り飛ばされるだけかもしれない。寧ろ相手にもされず、躱されるどころかただただ道を開けられるだけかもしれない。
どう転んでも恥を晒すだけだ。けど、結局「だろう」「かもしれない」だ。決まってなんかいない。
家族の温かさを夢見る人がいる。家族と平穏に暮らしたかった人がいる。堕天使とだって楽しく暮らせた人がいる。
皆こんな争いに巻き込まれるべきじゃない。巻き込んでしまったのは俺なのだから、勝手な予測で助けることを諦めるわけにはいかない。奇跡も可能性も俺がもたらしてみせる。その為の力なんだろ。
「ルシファー!!」
俺の中で心臓とは違う何かが強く脈動した途端、相手は血相を変えて身構える。しかし、俺自身は何かの力が湧き上がる気配すら感じない。単純にルシファーの名前を口にしたから警戒したのかもしれない。もしそうならば、俺は俺の死をより確実なものにしただけだ。
巨漢は大剣に手を掛け、サムソンは聖術を祈り、角付きはネイトとアイラを抱えたまま身構え、デボラーナが分銅鎖を引いてルチアを寄せた時だった。デボラーナの影が音も無く分裂して膨らんでいく。影は誰にも気づかれずに人型を成し、その手には巨大な鎌が握られていた。
人型の正体を察すると同時に、その者が纏っていた黒衣は風で煽られて消え去り、鎌が振るわれた。
鎖が断ち切られ、分銅鎖は騒がしい金属音を立てながら地面に落ちる。
「エフィム!」
突然現れた襲撃者に全員の注目が集まるが、当の本人は真っ直ぐに俺の眼を見てルチアの体を軽く押しやった。
「ナニヤツ!?」
ルチアと入れ替わる様に大剣が振るわれ、ロザリアは鎌で受け止めるも腕力に差がありすぎて軽々と吹き飛ばされてしまう。
「ハッ!こっちを狙ってくれるならありがたいよ!」
挑発的に笑って見せながら空中で身を翻して着地する。どうやらロザリアの心配は無用か。
敵の目の前でルチアを抱き留める形になったが、巨漢がロザリアへ攻撃を行った為、咄嗟に俺の妨害が出来る者はいなかった。急いで後退するとカイムが俺と敵の間に入って牽制してくれたので、俺はルチアの左耳に着けられた白銀のイヤリングに触れた。すると、イヤリングはこの時を待っていたとでも言うようにボロボロと崩れ去り、半透明の球体が出て来たと思うと俺の右腕に着けられた黒の腕輪に吸われていった。
「(まったく、バアルもエフィムも無茶苦茶しやがる)」
ぼやくルシファーだったが、その声はどこか楽しげだった。
「(バアルは大丈夫なのか?)」
「(ん?ああ、問題ねぇってか、少し無理してもらわねぇと俺達の苦労が報われねぇだろ)」
今度は快然とした笑みを隠そうともせずに言い放つ。すると俺の身体の中が再び脈動を始め、体を突き破って青白く細長い何かが這い出てくる。気味の悪さを感じたのはほんの一瞬のみで、青白い光が体に巻き付いて落ち着くと心地よさすら感じた。
「(人類に捧ぐ蛇の煌めき。余計な手間をかけさせてくれた連中に礼をして、ネイトとアイラを取り返すぞ!)」




