第81話
地下遺跡に避難した二人の間には沈黙が続いていたが、アイラはとうとう耐え切れなくなり立ち上がって当たりの壁や床を調べ始める。
「アイラ、あまり動き回らないでください」
「で、でも、何かしていないと落ち着かないんです」
「気持ちは分かりますが、どこに何の仕掛けがあるか分かりません。下手に触っては危険です」
ネイトに諭されて大人しく元の位置に座り込むのだが、やはり落ち着くことは出来ない。
「どうしてネイトさんはそんなに落ち着いていられるんですか?」
「私には、ここで待つことしか出来ませんから」
静かに言い放ちながら、右腕をゆっくりと擦る。傷は塞がっているが力は入りづらく、無理に力を入れると痛みが走る。武器である棍も広場に落として来てしまっているので、今のネイトでは戦闘に巻き込まれた場合、自衛すら厳しいだろう。
「わたしは……嫌です」
緊張状態でありながら冷静に状況を判断して待機という選択が出来るネイトに対し、アイラは自分が戦力にならないと理解しているものの、それを受け入れられないでいた。己の幼さを悔いて抱えた膝に顔を伏せると、柔らかな声音に耳を撫でられた。
「アイラはどうして戦おうとするのですか?」
問いながら先日のヴィート大司教との対談を思い出す。自分達に協力する為とはいえ、アイラの口から「他人を不幸にしてでも」などという言葉が出るとは思わなかった。ここのところアイラの様子にはどこか陰りが見えていたので、この際しっかりと話しを聞くべきだろう。
「皆さんがわたしを守ってくれるように、わたしも皆さんを守りたい……力になりたいんです」
泣きそうな表情で懇願する様子を真っ直ぐに見据えたまま、ネイトはどう言葉をかけようか思考を巡らせていると、アイラが言葉を繋いだ。
「ネイトさんもエフィムさんも大変な状況なのに、わたしだけ守ってもらうわけにはいかないんです。わたしも、皆さんの仲間になりたいんです……」
アイラが再び顔を伏せたタイミングを見計らい、ネイトは静かに溜め息を吐くとアイラへ寄り添う。
「恐らくエフィムも同じことを言うと思いますが、私はアイラを戦わせたくありませんし、絶対悪の力を使うことには断固として反対します。何故だか分かりますか?」
首を横に振る様は、答えが分からないというより自分の意思を否定されることを拒もうとしていたが、ネイトは構わず話しを続ける。
「アイラが優しいからです」
そんなことはない、と否定しようと顔を上げたアイラだったが、視線を合わせたネイトに微笑まれて制される。
「誰かを守りたい、助けになりたい、こういった思いは尊く気高い力を与えてくれるでしょう。その力を安易に人を傷付ける事に使ってはなりません。いつか力を揮うのに相応しい時が来ます。絶対悪にもエフィムにも勿論私にもできない、アイラの優しさだけが導ける時が必ず来ますから、どうかその時まで辛抱してください」
輪廻の解脱者といえど未来が見えるわけではないので何の根拠もないが、アイラを落ち着かせるには十分な言葉だった。
「……弱いままの自分に耐えられる自信がありません」
「弱いことは悪いことではありませんし、寧ろ弱さを知ることで何が本当の助けになるか見えてくる筈です。もしアイラが耐えられなくなっても私達が支えます……仲間ですから」
仲間という言葉を受け、アイラは自分の心に掛かっていた靄が晴れて行く気がし、同時に表情にも明るさが戻った。その様子を確認してから、ネイトは一つの忠告をすることにした。
「絶対悪の力は人に扱えるものではありません。目先の力に魅入られては自身とその周りに不幸をもたらすだけですからね」
「はい、ごめんなさい」
謝るアイラだったが、気落ちしているわけではなく二人の間には安穏とした空気が漂っていた。一件落着と思われた瞬間、強い地鳴りが二人を襲った。
「ひゃあ!」
アイラは短い悲鳴を上げてネイトに抱き着く。地下という閉鎖空間にいることもあって、数十秒ほどの地鳴りが数分にも感じられる。
幸いにも天井が崩れ落ちる事なく地鳴りは治まったが、ネイトはアイラを抱いたまま聴覚を集中させていた。地鳴りとは違う、何かが引き摺られる音が微かに聞こえた途端、胸騒ぎがネイトの体を立たせた。丸くした目でどうしたのかと尋ねてくるアイラの腕を引いて立たせ、入り口の方を睨む。
「誰か来ます。一度奥へ隠れましょう」
耳打ちをすると、同意を得るより先に歩き出す。奥には二つの通路があり、右側はロザリアが通って行ったことから出口に繋がっており、左側は遺跡内部へと繋がっていると予想できる。出口へ向かっても良かったが、先ほどの地鳴りが戦闘によって引き起こされたと考えると、外に出るのは危険だ。今入口から来た者が敵と確定したわけでもないので、左の通路を進んで様子を見る事にした。
通路は緩やかな下り坂となっており、身を隠しながら広間の様子を伺うには都合が良かった。壁に体を這わせ、坂から僅かな視界を確保して待つ事数分。広間に現れたのは白銀のフルプレートを纏った兵士が三人。角の付いた兜を被っている者が指示を出している所を見るに、奴が指揮官なのだろう。
「奥へ」
最低限の言葉だけを告げ、アイラの手を引いて坂を下って行く。アイラも敵が来たのだと悟って何も聞かずに、足音を立てぬよう注意して着いて行く。
坂を下った先には、岩盤と同化しているものの遺跡と呼ぶにはあまりにも綺麗に外観を残した建物だった。長い年月が経っているにも関わらず建物の柱や壁は白く輝いており、神聖な雰囲気を醸し出す様は神殿と表現するに相応しかった。しかし、見惚れている場合ではない。いつ敵が来てもおかしくないので、すぐにでも姿を隠さなくてはいけない。
神殿内に足を踏み入れると、等間隔に柱が建てられた大広間が出迎えてくれた。正面に進むと短い階段の上に朽ちた椅子が置いてあり、その奥には左右対称に扉と階段が設けられていた。階段は大広間を囲うギャラリーに続いているのみで、二階に部屋があるわけではないようだ。身を隠すには遮蔽物が少ない上、見た目は綺麗でも経年劣化により脆くなっている可能性は非常に大きいので危険である。となれば、扉を開けて奥に進むしかない。
どうか隠れる場所があって欲しいと祈りながら扉を開けるネイトであったが、祈りは聞き届けられることなく、部屋はただ二つの現実を持って彼女達を迎え入れた。一つは大広間の様な柱すらない開けた空間。もう一つは部屋中に描かれた壁画だった。
「ここは……?」
行き止まりに来てしまったことを悔やむより、追手をどうやってやり過ごすかを考えるより先に、ネイトの注意は壁画へ奪われた。アイラの手を離し、ゆっくりと歩を進めながら部屋中を見渡す。
天上には輝かしく澄んだ空で稲妻を鳴らす少女。壁にも同様の少女が、痩せ細った体で苦悶に満ちた表情を浮かべる人々の前に立っていたり、巨大な蛇の怪物と対峙していたり、人々と踊り合っていたりしていた。
壁の中に封じられた時を追いながら今度は床へと視線を向ける。
「うっ……」
初めは黒地に白の模様でも描かれているのかと思ったが、よく見ると白いものは全て人骨であった。反射的に顔をしかめさせて後退ると、天上や壁に描かれていた少女が地に伏しており、その表情は絶望、厭悪、墳恨といった言葉ではとても表現できないほどに歪められていた。そして少女を見下す数人の人間。この者達は皆一様にフードを目深に被っており、表情は隠れていたが口元の薄ら笑いだけは隠そうともしていなかった。
「こんな物がまだ残っていたとはな」
静寂を破った声がネイトの意識を現実へと引き戻す。振り返るとドアの前には、兜の角が特徴的なフルプレートアーマーを纏い、戦斧を手にした男が立っていた。離れた所で絵画を見ていたアイラも慌ててネイトと合流する。
「手前は神聖マナファザン士師団所属、ギーデ・メイナード。教皇様の命により輪廻の解脱者、ネイト・ティエドゥールを迎えに参上した」
「迎え?排除ではなく?」
戦う力は乏しくとも大人しく相手の言いなりになるつもりはない。ネイトの問いにギーデは肯定の頷きを返した。
「堕天使に拐かされたとは言え輪廻の解脱者に変わりは無い。教皇様の下で魂を浄化し、正しく世界を導いてもらう」
士師団などという聞いたことのない組織がいきなり現れて教皇の名を持ち出すなど怪しさしかない。しかし、ここであまり否定的なことを言ってしまっては実力行使をされかねない。ネイトは話しを逸らして時間を稼ぐことにした。
「広場での襲撃はあなた達によるものだったのですか?」
「邪教徒共は抹殺する必要があるのでな」
ギーデは簡潔に答えると、兜の奥の視線をアイラへ移した。
「絶対悪の宿主、貴様も共に来てもらう」
突然の指名に、アイラは肩を震わせるだけで言葉を発する事はできなかった。それを見たギーデが話し合いは終わりだと言わんばかりに歩き出す。
「あまり時間もかけていられないのでな。抵抗すれば怪我をすることになるぞ」
ゆっくりだが威圧的に迫るギーデを相手にネイトはただアイラと共に後退ることしかできなかった。だが、それも直ぐに終わりを告げる。背中に壁が当たり、これ以上の後退を許さない。
二手に分かれてアイラだけでも逃がそうと思ったが、この建物から逃れたところでギーデの仲間に捕らえられてしまうだろう。
抱き合うアイラから伝わる震えがネイトの心を悔やみと諦めに染めて行く中、耳を劈く轟音が世界を激しく揺らした。




