第79話
教会の前で対立する二つの勢力。数だけ見れば教会側に陣取っている方が圧倒的に有利だが、彼らの間には不穏な空気が漂い始めていた。直撃が確定したと思われた攻撃を躱されただけでなく、障壁の内部に侵入されて仲間を一人殺された。これだけでも動揺する事態であったが、敵を撃退する為とはいえ死んだ仲間が両断されては戦意を損なうのも無理はない。それでも心の内を態度に出す事なく隊列を維持しているのは、彼らが戦場に立ち続けてきた戦士であるからだ。
「デカイのは任せる」
それだけ言うとアメリーは敵の正面から突っ込んで行く。その進行を阻むべく大剣が構えられたが、それが当初の予定通り振るわれることはなかった。
「引き受けた」
上空から片刃剣を突き立てて急降下してくる者が居たからだ。反射的に振るわれたとは思えない重い一撃が、片刃剣ごとカイムを弾くものの、その隙にアメリーが巨躯の横を駆け抜けた。
「ヌッ!」
自分の射程から逃がすまいと振り向き様に大剣を振るうが、肩と背中の数か所に鈍い衝撃を受けて剣先がぶれてしまい、屈んだアメリーの頭を掠めるだけに終わった。
「お前達に用は無い」
後ろの凶刃など気にもせず、正面から剣で斬り掛かって来た鎧へ言い放つと、相手の体へ沿うように回転しながら後ろに回った。このまま敵の首を刎ね飛ばす事も可能であったが、アメリーは敢えて手を出さずに前進しつつEとBを縦に繋げたような紋章を描く。
魔術を発動したと思われたが、アメリーの周囲では何も起こらず、相変わらず鎧達の攻撃を受け流し続けている。不発かと思われたその瞬間、ドレス女を守る様に立っていた五人の鎧が膝を着いて倒れた。彼らの首には一様にダガーが突き刺さっており、流れる鮮血が地面を染めていた。
「なっ!何事!?」
突然の出来事に手を口元に当てて驚くドレス女だったが、そんな彼女に与えられたのは事態の説明ではなく、少女の跳び蹴りだった。無防備な顔面に蹴りを叩き込まれたドレス女の身体は無様に転がって行き、教会の扉に激突する。
「終わり」
背中を強打し、肺の中の空気を吐き出している間にアメリーは接近。止めの一撃を浴びせようとジャマダハルを構える。まだ呼吸が整っていないドレス女であったが、咄嗟に両手の手甲で心臓と首元を守った。しかし、元より防御能力の低い装備であるため、狙いどころは他にも十分に有る。特に胴体は腰当てが着いているだけでほとんどが無防備と言って差し支えないので、この隙を狙わない手はないと判断したアメリーはドレス女の腹部へジャマダハルを突き出した。
「ん?」
ジャマダハルの切っ先は衣類を容易に突き破ったが、その先にある皮膚を貫く前に何かの金属によって進行を阻まれた。怪訝に思ったアメリーは一瞬だけ眉を顰めたが、直ぐに表情を戻して振り向き様に得物を振るった。振り下ろされた剣とかち合って甲高い金属音を鳴り響かせるが、アメリーは鎧の相手をせずに一時後退を選択した。
周囲は既に鎧達に方位されていたが問題はない、鎧達の戦闘力は至って平凡であるので、いくら掛かって来ようがアメリーの敵ではない。現に早くも包囲網の一角は崩れ、アメリーを取り逃がす寸前だ。
「邪魔」
振り下ろされた剣をジャマダハルで受け流しつつ体を捻って回し蹴りを放つ。これで一先ず包囲された状況から脱することが出来る。そう思った瞬間、アメリーの左足に鉄の鎖が巻き付き、体のバランスを損なった。両手にジャマダハルを持っている所為でろくに受け身も取れないまま倒れるアメリーの耳に、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに鼻で笑った声が投げ込まれた。
「フン!他人の顔を蹴る下劣な者にはお似合いの格好ね」
分銅鎖を手にしたドレス女が憤然とした態度でアメリーを見下していた。よく見ると顔の中心に赤く靴跡が残っており、鼻血の跡もあるが、それよりも重要なのはドレスの腰当てが外れていることだ。腰当てがあった場所にはドレスの生地はなく、白い肌がチラついて見える。どうやら分銅鎖が体に巻き付いていた為にジャマダハルの刃は防がれてしまったのだろう。だが、今はそんな分析より足に巻き付いた鎖をどうにかせねばならない。地に伏したままの状態で思考を凝らすが、相手が悠長に待ってくれる訳がない。ドレス女が指を鳴らすと、鎧達は機械の様に整合された動作でアメリーを囲んで剣先を突き付けた。
「……臭い」
アメリーが呟きを地面に擦り付けるが、ドレス女は構わずに優雅な足取りで近付き両手を踏みつけて武器を放させた後に、後ろ髪を引っ張って地面に伏された顔を持ち上げた。
「さて、貴女には色々と聞きたいことがあるのだ・け・ど!」
語尾と髪を掴んでいる腕に力を籠め、アメリーの顔を地面に叩き付ける。額が割れて流血するが、ドレス女は構わずにアメリーの顔を持ち上げる。
「同じ女性なのだから、顔は大事にしましょうね」
口元だけに怪しい笑みを張り付けている様は不気味以外の何物でもなかったが、アメリーに声は届いていないのだろう。茫然とした表情で一点を見つめたまま、ぶつぶつと何か呟いている。
「臭い、臭い、臭い、臭い」
「何を言って……!?」
変な所でもぶつけてしまったのかと思うも、そんな呑気な思考は一瞬にして消え去る。血に濡れ、限界まで開かれた瞳が得物を捉えんとドレス女を見つめていたからだ。瞳の奥では何かの模様が光っていたが、詳細な形までは判別できなかった。
恐怖に駆り立てられ、咄嗟に手を離して鎧達に攻撃の指示を出す。しかし、鎧達が手にした剣は振るわれる事も、突き出されることもなく、虚しい音を立てて地面に落ち転がった。そして、それに続いて空になった鎧が崩れおちる。耳を塞ぎたくなるほどのけたたましい金属音が騒ぎ立てるが、ドレス女の鼓膜は寸分も揺れ動いていない。音が耳に届くよりも先に、目の前の少女の瞳に吸い込まれているからだ。
心臓が早鐘を打つ。眼を逸らしたい。この場から離れたい。ドレス女の脳は確かな命令を出しているのに、身体は全く言うことを聞かない。いや、脳よりももっと深い所にある本能が身動きする事を恐れている。指先を微かでも動かせば、たちまち斬り落とされてしまうのではないか、瞬きをすればそのまま二度と目覚めることができないのではないか、有り得ない事が今にも起こり得てしまいそうな感覚。
どこまでも続く恐怖に、常人ならばとっくに根を上げていたことだろう。しかし、ドレス女は切れそうになる精神の糸をギリギリの所で保ち続けていた。
私の名前はデボラーナ・リンメル。神聖マナファザン士師団の幹部であり予言者。今回の作戦の結末は既に知っている。この町が激しい雷撃に包まれた時、我々の目的は達成される。地獄の支配者である皇帝と君主が滅び、悪にかどわかされた輪廻の解脱者を救済する。いつも通り完璧に作戦は遂行される筈だったのに、なぜ私は目の前の少女に追い詰められているのだろうか。神様に仕え、天使の言葉を聞き、教皇に選ばれた私が、堕天使に加担するような公徳心の欠如した愚か者に何故恐怖せねばならないのか。
自分の存在や戦う理由を再認識することで湧き上がる誇りや尊厳が、徐々にデボラーナの精神を立て直していった。
「そう、我らに逆らう愚か者には神罰が下って然るべきなのです!聖者!」
天の向こう側に居るであろう神に向かって両手を伸ばし、何かの名称を口にする。
デボラーナの頭の中では、屑鉄として地面で転がっている鎧達へ聖術によって意思を与え、再び人の形をした戦士を作り上げた筈だった。しかし……。
「げほっ!」
デボラーナが胸に鋭い痛みを感じると次の瞬間には吐血し、仰向けになって静かに倒れた。
太陽に焦がされた地面からは確かな熱を感じたが、体内からは熱がみるみる失われていった。まるでこの世界に命を吸われている感覚に陥るが、何かに固定されている様に天へと掲げられた両手は、自分の命が消えることをどこまでも拒み続けていた。




