第76話
市街地を抜けて牧草地に出ると、暗雲の下ではけたたましい雷鳴と共に飛び交う二つの影があった。
周囲を確認して伏兵がいないことは幸いだったのだが、追手が来ない事は逆に不気味だった。こちらの移動速度に付いて来れないだけなのかもしれないが、それにしては後方が静か過ぎる。
「(敵が何を考えてようが関係ねぇ!バアルと合流して全員ぶっ倒せば良いだけだ!)」
自信に満ちた声が不安を打ち消すべく体内で反響したが、今の俺にはその反響が胸騒ぎにしか聞こえなかった。しかしバアルと合流することは、この戦闘を打破する為の必須条件だということも承知している。何か見逃している事はないかと思案するものの、結局のところどう行動するかはルシファーに任せるしかなく、俺はただ仲間の無事を祈るしかできなかった。
戦場が近付いて来たところでルシファーが一気に乱入しようと脚に力を入れた瞬間、背後から呼び止められる。正面に向けていた戦意を周囲へ向けるが、後ろを見ても上を見ても声の主は見当たらない。
「そう警戒しないで、アタシだよ。術で姿を消してんのさ」
もう一度聞こえた声で、呼び止めたのがロザリアだと確信して僅かに肩の力が抜けた。
「何の用だ?」
「あの敵、結界みたいなのを張ってて近付けないんだ。あんたならどうにか出来るかもしれないけどアタシにはお手上げさ」
「……」
情報を得たルシファーはバアルと対峙している獣人を睨み付ける。戦況は五分といったところで、獣人の高笑いと雷鳴が耳を劈いた。
「あんたも来たことだし、アタシはアメリーの所に向かうよ。ネイトとアイラは地下遺跡に避難させた。入口は湖の北の地面を二回踏み抜くこと。じゃあね」
早口に用件だけを告げると、ロザリアはその場から去って行く。
「市街地は敵が陣取ってる。広場に向かうなら迂回して行けよ」
見えない背中に向かって忠告すると、ルシファーも戦場へと跳んだ。
「ハハハハハッ!こんな楽しい戦闘は初めてだ!やっぱ元神様はスゲェ!!」
連続して落ちてくる雷を紙一重で躱しながらバアルに肉薄する。彼の表情は言葉の通り、純粋な笑みで満ちているのだが、戦闘中にそんな顔を浮かべられるのは狂人ぐらいなものだろう。
「その呼び方、ムカつくから止めてもらえる!?」
突き出されたトライデントを、雷で生成した槍で受け止める。
「このビリビリする感触も堪んねぇ!神経がイカれそうになる、この瞬間が最高なんだ!!」
槍を押し合っている間、青年の体には死んでもおかしくない電圧が掛かっている筈なのに、青年は一向に退こうとはしない。寧ろ現状を維持するべく、わざと槍同士を押し付けていた。
「気持ち悪い!」
青年に対する印象はこの一言に尽きる。バアルは自身の頭上で雷球を作り出すと、それを細く伸ばし、鞭の様にしならせて縦に薙ぎ払った。
「そいつは勘弁」
流石に危険だと判断したのか、青年は今までの執着が嘘だったかの様な軽い身のこなしで横に跳んで攻撃を躱し、すぐさま頭上を仰ぎ見た。
「ちっ、気付いてたか」
上空からの蹴りを手甲で防がれたルシファーは言葉とは裏腹に、さほど惜しんでいる様子ではなかった。バアルの脇に着地し、光りをもたらす者を発現させる。
「珍しく手こずってんなぁ、バアル。手を貸してやるよ」
「大して力が戻ってもいないのに、よくもまぁ偉そうに言えるね」
「全力が出せないのはお互い様だろ」
味方同士で刺激し合うより正面の敵に集中してくれ。すると、俺の思考を読んだのか、獣人は左手を顔に当てながら肩を震わせていた。
「クックククク……皇帝と君主が揃ってオレ様の前に立ってるなんて、こんな運命的なことがあるか!?神様万歳だな、こりゃぁよぉ!ヒッヒヒヒヒヒ!!」
神様を信じてるとは思えない、猛々しい奇声を上げる獣人に対しルシファーもバアルも引き気味だ。
「どう見ても普通じゃねぇな」
「気持ち悪いから、アンタさっさと倒しちゃってよ」
肘で背中を押され、少々不機嫌そうに眉を顰めたルシファーだったが、次の瞬間には真剣なものに変わっていた。
「どっちかなんて選べねぇし、我慢もできねぇ。早く戦おうぜ!」
獣人がトライデントを突き出して構えると、周囲に光剣が三本出現した。
「詠唱無しで聖術だと?増々訳のわからない奴だな」
ルシファーが疑問を口にするが、それを解決する時間は無い。二本の光剣が左右に湾曲した軌道を取って接近して来ており、次いで獣人の突進、そこから一拍置いて残り一本の光剣が緩やかな山なりの軌道で射出された。
「俺が直接相手する!援護しろ!」
「はいはい、巻き込まれないように気を付けて」
光槍を生成したルシファーが前進すると、バアルは軽く手を振って答えながら、光剣を雷で撃ち落とした。
多方向からの脅威が無くなると、ルシファーは急加速し獣人の胸目掛けて光槍を突き出すが、獣人は嗜虐的な笑みを残してバック宙して回避。光槍は獣人の代わりに、いつの間にか出現していた光球を貫いた。
「嘗めんな!」
光球が獣人の残した罠だと判断するのは容易だった。ルシファーが光球の付いたままの光槍を獣人目掛けて投擲するのも予測の範囲内だった。しかし、ルシファーも一緒に突撃するとは思わなかった。
光球は獣人に届く一歩手前で眩く輝いて爆散して視界を防ぎ、間髪入れずに両手に光剣を持ったルシファーが肉薄する。右、左と連続の斬り上げはトライデントで巧みに捌かれ、二本で叩き付ける様に振るわれた斬り降ろしは矛先で捻られてしまい、大きく体勢を崩される。
「がら空き!」
嬉々とした声を上げ、左腕の手甲から展開させた鉤爪をルシファーの脇腹に突き立てようとする。しかし、寸でのところで撤退を余儀なくされた。
「ほら、油断しないの」
一瞬前まで獣人が居た場所には雷の残滓が溜帯していた。
「油断しちゃいねぇし、あれぐらい躱せた」
ゆっくりと構えを直しながらバアルを軽く睨み付ける。
どこまで本当か知らないが、助けてもらったのだから礼ぐらい言えば良いのに。と呆れている内にも戦況は動く。天高く跳躍していた獣人は狙いをバアルに定めて急降下して来る。一体どうやってあそこまで跳び上がったのかは謎だが、迎え撃たねばならない。
「このバアル様の前で空に上がるなんて、狙い撃ちしてくださいって言ってるようなものよ!」
意気揚々と腕を振るい、獣人目掛けて雷を落とす。だが、雷は獣人の体に直撃する寸前で見えない壁に弾かれてしまう。
「危ねぇ!」
攻撃が弾かれ、ほんの一瞬だけ茫然としてしまったバアル。そんな彼女をトライデントが貫かんとしたが、間一髪ルシファーが先にバアルの身体を連れ去って回避した。標的を失ったトライデントは地面に激しく激突し、陥没させると共に衝撃波を発生させ、ルシファーとバアルを吹き飛ばした。
「ちょっと!何なのよあいつ!ホントに人間!?」
「俺が知るかよ!」
宙に投げ出されるも、バアルが翼を羽ばたかせて姿勢を整えてくれた為、地面に叩き付けられることはなかった。
「クククク……こりゃ失礼。そういや名乗ってなかったっけ?」
陥没した地面の中心で、トライデントを突き刺したままの獣人が怪しく喉を鳴らした。
「オレ様は神聖マナファザン士師団所属、進言者サムソン・エフタだ!」
敵の名前など、正直どうでもいいと思っているルシファーとは対照的に、バアルの表情は時間停止の魔法でも受けたかの様に凍り付いていた。




