第74話
鼻歌を歌っていた青年はスカイ・グレイの髪をツンツンに立てており、肩、肘、膝には金色の十字が刻まれた、白銀の防具が着けられていた。体格は小柄な方だが、丈の短い衣類からは引き締まった筋肉の付いた四肢が伸びている。そして、青年には特筆すべき特徴があった。
「(獣人か……)」
そう、青年の頭頂部付近には細長い三角の形をした耳が生えていたのだ。形状から恐らくはイヌ系だと思われるが、重要なのは人種ではない。白銀の防具を着けているということは襲撃者の仲間なのだろうが、ならば何故気絶しているルチアの前で呑気に鼻歌を歌っているのか。
「(エフィムを誘き出すつもりかい?)」
抹殺の対象をわざわざ生かしておくということは、敵にとって何かしらの利用価値があるのだろう。目的の真相を探る術も時間もないが、敵を見つけた以上ロザリアが取るべき行動は一つ。
鎌を青年の首の位置に構える。気付かれている素振りはない。このまま刃を引けば一瞬後には青年の首が刎ねられ、鮮血が噴き出す事だろう。闇討ちで人を殺す経験は一度や二度ではない。これまで多くの命を奪ってきたロザリアには、人を殺す事に対する恐怖も躊躇いもない。だが、ロザリアの心中には何かが引っ掛かり、青年の命を刈り取る事を拒んでいた。
「(本当に気付いていないのか?遺跡の出口が開いた音は聞こえている筈だし、アタシの姿は見えていなくても警戒するのが普通じゃないのかい?)」
青年の無防備さに不気味な悪寒を感じたロザリアが逡巡していると、状況に変化が起きた。
「う~ん……」
ルチアが小さく唸りながら身動ぎをしたのだ。どうやら敵に眠らされていたわけではないらしい。ルチアが目を覚ますと同時に青年は鼻歌を止め、しゃがんだ体勢のまま摺り足で近付いたので、ロザリアは慌てて鎌を引っ込めた。
「はーい、お目覚めの気分はいかがっすか?」
陽気な挨拶を受け、ルチアは状況を確認すべく視線を泳がせていたが、やがて青年へ焦点を定める。
「ふん!」
「ぎゃ!」
手の甲で青年の頬を強打。青年が体を捻るようにして倒れ込むと、代わりにルチアが起き上がった。
「人の大切なステージをぶち壊しておいて何が“気分はいかが?”よ!最悪に決まってるじゃない!」
「そうよそうよ!ふざけるんじゃないっての!」
ルチアと実体化したバアルは倒れた青年を容赦なく足蹴にした。
「痛っ!いだだっ!わ、我輩は気絶した君をここまで連れて来ただけっすよ!」
必死に体を丸めて耐える姿はまさに虐められっ子のそれだった。青年の弁明は幸いにも女二人の耳に届き、蹴りは一旦治まる。
「え?じゃあ、愚かにもこのバアル様に奇襲を仕掛けてきた連中とは仲間じゃないの?」
「あ、うん。仲間っす、一応」
「死ね」
「痛い、痛い!暴力反対!」
情けない声を上げながら袋叩きにされる青年を見て、ロザリアは呆れる反面、不信感を抱いていた。バアルを殺害どころか拘束もせず、挙げ句には間抜けにも足蹴にされている青年を手に掛ける事を、自分は何故あれほど躊躇したのか。先ほど自身の背筋に走った悪寒の正体はなんだったのか。
「で?あんたは何の為にバアル様が目覚めるのを待ってたのさ?」
バアルは蹴るのを止めると、しゃがみ込んで青年の胸倉を掴んで尋問を始める。一刻も早く広場に戻りたいロザリアであったが、こちらはこちらで気になる。場合によってはバアルをエフィムと合流させる必要もあるので、樹の後ろに隠れながら成行きを見届けることにした。
この判断が吉と出たのか凶と出たのか、事態は急変する。項垂れたままの青年から突如発せられた殺気は視覚すらも刺激し、その場に居た全員に“死”の幻覚を見せた。
ロザリアは咄嗟に後退して防御の姿勢を取り、ルチアは完全に死の恐怖に当てられて硬直し、流れる冷や汗だけが生を持っていた。
「こいつ!?」
バアルは反射的に青年から手を離つつ、腕を上下させて頭上から雷を放った。人を殺めるには十分過ぎる威力を持った攻撃だったが、ルチアに憑依して体の制御を得たバアルは警戒を怠らなかった。
やがて雷の衝撃で舞い散った草々が落ち着くと、そこには無傷の青年が不敵に笑いながら佇んでいた。
「クックククク、カカカ……。目的なんざ一つしかねぇだろぉが!」
豹変した青年が右腕を振り上げた瞬間、バアルの遥か頭上からその身を貫かんとする光線が照射された。サイドステップで直撃は避けるものの、着弾地は土塊を激しく捲れ上がらせる爆風を生じさせた。爆風に身を打たれる寸前、バアルは腰と両腕に生えた翼を羽ばたかせ、ステップの感性を残したまま更に大きく横へ飛んで指を鳴らした。すると、どこからともなく雲が馳せ参じ、バアルを乗せて上空に離脱した。
「何なの?この不快さ、尋常じゃない」
見上げられているにも関わらず、青年の視線はバアルの背中をなぞる様だった。その不快感の所為で、奴らの登場の仕方が非常に癪が悪くなるものであったと思い出し、青年を見下ろす眼が徐々に憎悪の色を宿していく。
「あー、良いねぇ。やっぱ戦いはこうじゃねぇと」
バアルに睨まれて愉悦を感じた青年は大胆にも背を向け、樹の下に置いてあったガントレットを着け始める。ルールも観客も存在しない戦闘で、そんな隙だらけの姿を狙わない手はない。バアルは両手からバスケットボール程の雷球を一つずつ出現させ、青年に狙いを定めた。が、その攻撃よりも早く、青年の命を刈り取らんとする影があった。
「あ?」
青年の首を狙って振るわれた鎌は寸でのところで白刃取りされてしまう。
「変な虫が紛れ込んで……ん?」
見えない刃を掴みながら、青年は全身に細かい切り傷が付いた事に気付く。
「ちっ、くだらねぇ」
言葉を吐き捨て、樹に立て掛けたあったトライデントを回収すると急いでその場を離れた。直後、バアルの放った雷球が爆音を轟かせて炸裂したが、樹と周囲の地面を粉砕したのみで青年を負傷させるには至らなかった。
「ちょっとー!誰だか知らないけど姿が見えないなら連携なんて考えないから、適当に避けてよ!」
ごもっともな話しなのだが、本当に遠慮なく攻撃をするものだとロザリアは溜め息を吐いた。それよりも、今の攻撃で青年を仕留められなかった事は苦境となるだろう。青年の様子からして、ロザリアの存在には気付いていなかった。にも関わらず、見えない鎌の刃を掴んだのは戦う者の勘というやつだろう。
「(それでも、見えていなければ幾らでも隙は突ける)」
どんなに優れた勘を持っていても所詮は勘だ。外れることだってあるだろうし、戦闘の中で揺さりをかければ外させる事も十分に可能だ。ロザリアは陰伏の術を維持したまま、一定の距離を保って青年の背後に回る。
「虫は失せろ!波動!」
湧き起こった苛立ちを吐き捨てると、青年を中心にして円状に衝撃波が発生する。
「うっ!」
「わっ!」
衝撃波はロザリアを吹き飛ばすだけでなく、上空のバアルにも届き、彼女の乗っていた雲を掻き消した。足場を無くしたものの、体に生えている翼は健在だ。地面に叩き付けられる前に体勢を整えることなど容易であった。しかし、僅かな時間でも空中で無防備な姿を晒したのは事実。青年は右腕を突き出し、ガントレットからアンカーが射出するとバアルの体を拘束して叩き付けた。
「空に逃げるなんて、つれない真似すんなよ。ってか地上が好きで好きで天界から降りて来たんだろ?偉大なバ・ア・ル・さ・ま」
アンカーを収納しながら、激突の衝撃で舞い上がった粉塵へわざとらしくふざけた声色で言い放つ。すると、たちまち粉塵は掻き消え、一筋の雷の矢が高速で青年の胸を狙った。
「おっと!……う゛ぁっ!」
矢を軽く避けたつもりだったが、体の横を通り過ぎた瞬間に爆ぜ、背中に電流が走る。
「そこまでバアル様の事を知ってるんなら、死ぬ覚悟も死ぬ程してきたんでしょうね!!」
怒号に呼応した空はたちまちに暗雲を漂わせ、バアルの中の怒りを体現するかの如く雷鳴を轟かせた。




