第72話
粉塵と木片が吹き荒れ、隣りに立っていた仲間達の姿を確認するどころか僅かに眼を開くことすら難しい。鳥人の首が投げ込まれたことと、ステージを破砕した攻撃から見て間違いなく俺やバアルを狙った襲撃だ。一刻も早く状況を把握せねば生死に関わる。
「ネイト!アイラ!皆、無事か!?」
直前まで近くにいた筈の者の名を呼ぶ。砂場に顔から突っ込んだ時の様に、口の中へ容赦なく砂利が入り込むが気にしていられない。
しかし、俺の叫びに応える声は無かった。その代わりに突風が吹き荒れ、辺りを覆っていた粉塵をたちどころに飛ばしていった。
「ん……ネイト!?」
都合よく突風が吹いたことに小さな疑問を抱いたが、そんなことなど一瞬でどうでもよくなった。ネイトが片肘を着き、右肩から肘までを裂傷し大量の血を流していた。だが、ネイトはそれでも尚アイラを深く抱き締めて守っていた。
「だ、大丈夫です。見た目ほど……傷は深くありません。私より、アイラを安全な所へ」
そう言いながらアイラを放し、俺の方へ押し出すのだが、どう見たって大丈夫そうではない。右腕を力無く下ろし、息遣いも乱れている。アイラと一緒に安全な所へ連れて行って治療せねばならないのだが、肝心の安全な所がどこにあるか分からない。着いて一時間程度しか経っていない土地で突然の襲撃に遭ったのだ。動くに動けない。
「どきな。二人はアタシに任せて、あんたはバアルと合流しな」
避難の案内を買って出てくれたのはロザリアだった。彼女なら前にメイルティを訪れた事があるので、身を隠せる場所に心当たりがあるかもしれない。ここは素直に任せるべきだと振り向いて、一瞬固まってしまう。ロザリアの右手には、身の丈ほどもある金属質の棒に、細長い銀色の刃と、それより少し短い薄緑色の刃が縦に並んだ鎌が握られていたのだ。
「あぁ、これかい?言ったろ、嫌でも分かるってさ」
俺の視線に気付いたロザリアは鎌を少しだけ振り上げて見せた。確かに、初めて会った時に聞いた覚えがある。
「……って、納得してる場合じゃなかった。ロザリア、二人をお願い!」
「はいよ!」
意識を現実へと戻し、かつてステージだった場所へと走り出す。途中で鳥人達の呻き声や無残な死骸に意気阻喪しそうになるが、頭を振って耐え、己を鼓舞するべく声を張り上げる。
「バアルー!どこだ!?」
精巧に組み立てられた板材も、色鮮やかに飾られた花々や装飾も、今は等しく足場を荒らす障害物へと成り果てていた。
「(ルシファー、バアルがどこに居るか分からないのか?)」
足元に気を付けながら意識を体の内側へ向ける。バアルはルシファーと近しい存在なのだから、気配を察知できるかもしれない。
「(あー……この感じはバアルじゃねぇな)」
何かを感じた様子ではあったが、どうやら目的の人物ではないらしい。霊体化させて探しにいかせたいところだが、その隙に俺が狙われたらお終いだ。
自分の無力さに下唇を噛んだ瞬間、瓦礫の隙間から伸びてきた手に足を掴まれた。突然の出来事に心臓が強い脈動を放つと同時に総毛立ち、反射的に跳び退く。思わず下唇を強く噛んでしまったために少し血が出てしまったが、心臓の高鳴りの所為で全く気にならない。
「う……お、お前は……」
呻き声と共に瓦礫の下で埋もれていたのは鳥人の女性であり、彼女の体からは夥しい量の血が流れている。正直、生きているのが不思議なくらいだ。
「お前、フルーレティか」
いつの間にか実体化したルシファーが、女性の前に屈んでいた。勿論、女性と顔見知りという訳ではないだろうから、今口にした名は女性に宿っている堕天使のものだろう。
「バアル……様に、仇なす愚か者共を、この手で、葬れぬ、のは、遺憾だが……ここで朽ちるわけにもいかん。急ぎ……回収、するがいい……」
女性……フルーレティは震える左手をルシファーの前に差し出す。その親指には半透明で幅の広い指輪が嵌められており、それが神器であると悟ったルシファーは右手を重ね、淡く発光したかと思うと指輪は飴細工の様に砕け散った。
光りを無くした女性の眼を静かに閉じてから、ルシファーは実体化を解いて俺に憑依した。
「ちっ!」
死者を前にして感傷的になる暇も、回収した筈のフルーレティの容態を確認する間もなく、俺の体は無意識の内に舌を打ち、右に跳んでいた。数瞬の遅れで、俺が立っていた場所には光りの長剣が三本突き刺さっていた。
「堕天使ルシファー、神の名の下に粛清する!」
正面で気迫の籠った男の声が響いたと思うと、ヘルムの額から十数センチ程の一本角が伸びているのが印象的な、白銀のフルプレートを纏った一人の戦士が、巨大な戦斧を振りかぶりながら急接近していた。武器の形式は確かに戦斧なのだが、斧よりも槍としての使用を前提とした形状をしている。
「奇襲を仕掛けるような奴が神の名を語ってんじゃねぇよ!」
重装でありながら、男の接近速度は目を見張るものだった。しかし、ルシファーに制御された俺の体は一度の跳躍で容易に距離を取る。退きながら右手より光弾を連射するが、元々の威力が低いのか、相手の装甲が堅いのか足止めにすらなっていない。
引き撃ちを続けている内に戦いの場が市街へと移った時だった。このままでは埒が明かないと判断したルシファーは大きく距離を取り、慣性で体を滑らせながら右手に光りを集中させる。
「面倒だ。こいつで消えろ、角付き野郎!」
人一人を容易に飲み込む巨大な光線を放つ。これで目の前の敵は排除できるだろう……そう、目の前の敵は。
光線を放つ時には完全に足を止めていた。敵がその隙を逃す筈がない。背後の建物から現れた伏兵が、槍を投擲していたのだ。槍は右肩に命中。光りの鎧のお陰で傷は負わなかったものの、衝撃で体勢を崩してしまい、光線は虚空を穿った。
「ハァッ!」
光線の下を潜り抜け、射程距離まで接近した角付きは一瞬の迷いも無く、戦斧を喉元へ突き出した。速い、が、体を捩って何とか躱す。
「があぁっ!」
突きは確かに躱した筈なのに、ルシファーは痛苦の声を漏らす。視界では追えなかったが、下に向かされた俺の眼は捉えていた。突き上げられた筈の戦斧が既に振り下ろされていたのだ。重武器で高速の突きから、更に加速させた二撃目が来るなど誰が予想できただろうか。だが言い訳をしている暇があるならば敵の次の攻撃に備えるべきだ。とにかく近距離はまずい、距離を取ろう。
ルシファーも俺と同じ事を考えたのだろうが、後退しようと足に力を入れたのは一瞬にも満たない時間だった。視界の端で、こちらの様子を伺う伏兵の姿が見え、半ば強引に足を前に出して右手で光剣を生成し、角付きに斬り掛かった。
「無駄だ!」
光剣は容易く左手で弾かれて民家の壁に突き刺さる。お返しと言わんばかりに戦斧の鎌の部分で薙ぎ払いを見舞われた。
「ぐぅぅ!」
先程と同じだ。向かって右に振るわれたと思ったら既に左へ返されている。初撃の時点で眼を凝らしていたのに、辛うじて残像が見えた程度だった。しかも、速度だけでなく威力も十分で、体に纏っている光りの鎧が消えかかっている。ところでルシファーは何故、光りをもたらす者を使わないのだろうか。絶対悪の浸食すら受け付けないあの力ならば現状を打開できるかもしれないというのに……そこで俺は気付く。もしかして、使わないのではなく、使えないのではないかと。
「クソ……一旦退くか」
歯噛みしながら言葉を漏らすと、壁に突き刺さっていた光剣が勢いよく破裂し、市街一帯を包み込む程の眩い光りが生じた。敵の視界を奪った隙にルシファーは跳躍し、建物の屋根を伝って撤退した。




