第69話
翌日、予定通りヴィート大司教に会談を持ちかけると快く応じてくれた。昨日訪れた時と同じように、ヴィート大司教は執務机を挟んだ所にある椅子に座って和やかに微笑んでおり、護衛の二人も、寸分違わぬ姿勢で部屋の奥に控えていた。
こちらは俺とネイトが並んで立ち、その間でアイラが不安そうに眉尻を下げながら立っている。この場に居ない仲間達は、明後日向かうメイルティの下見に出かけている。カイムがレゲネレツィと共に行動する事に僅かながら不安はあるが、無意味に騒ぎを起こすとは思えないのであまり心配することも無いだろう。
「今日はどのようなご用件でしょうか?」
「昨日、ヴィート大司教から教えて頂いたことを元に輪廻の解脱者について考えてみました」
部屋に流れる沈黙が話しの続きを促した。
「私はこの世界が滅ぶためだけに存在しているとは思えません」
この発言は予想していなかったのだろう。ヴィート大司教は豆鉄砲を食ったような顔をしている。それもそうだろう、昨日自分が教えた世界の在り様を真っ向から否定されたのだから。
「本当に滅ぶことにのみ意味がある世界であるならば、輪廻の解脱者になった時点で私達から自由意志を消した方が都合が良い筈です。ですが、私にはこの世界が続いて欲しい、大切な人たちがいるこの世界を守りたいという思いが生まれました。これは神が人に可能性を残しているからなのではないでしょうか?」
ネイトの言い分を聞いている内にヴィート大司教の表情は柔和なものに戻っていき、向けられた提議にも難無く応じた。
「まさか一晩でそこまでの考えに至るとは、感服しました。確かにワタシ達は輪廻の解脱者になっても、変わらず世界に対して望み、願うことが可能です。しかし、ネイト殿、貴女は本当にこの世界が良いと思いますか?」
「はい」
即答だった。これにヴィート大司教は思わずといった様子で苦笑する。
「いや、失礼」
顔の前で翼を振って表情を隠す。会話が途切れたのを見計らい、俺は開口する。ルシファーとヴィート大司教の会話をちゃんと聞いていないので、的外れなことを聞いてしまうかもしれないが、聞くだけならタダだ。
「ヴィート大司教は、この世界が消滅して新しい世界が誕生するのを望んでいるのですか?」
「ええ。ワタシが目指している世界の在り方は、世界を神の手から離れさせることですから」
直観的にルシファーの目的と似ていると思ったが、それを直ぐ口には出さず、落ち着いて今聞いた言葉を頭の中で復唱させる。教会の大司教ともあろう人物が、堕天使と同じ考えをしている。などと指摘して、万が一にも機嫌を損ねてしまっては奥の護衛が黙ってはいない。
「ルシファー殿と目的は似ていますが、ワタシの場合は神を倒さず、世界だけを切り離したいのです」
俺の心中を悟ったのか、ヴィート大司教は丁寧に相違点を挙げた後、ネイトへ視線を移した。
「ネイト殿のように、ワタシも人には可能性が残されていると信じています。ですが、この世界は可能性を示すのに些か存在が確立しすぎているのです」
存在が確立とはどういう意味だろうか。内心で首を傾げている俺を置き去りにするように、傍らで声が通った。
「天使が地上に存在しているからですか?」
「そうです。神の御使いである天使が地上に存在している限り、この世界でいかに可能性を示そうと、神の定めた在り様を辿るように強制力が働いてしまうのです」
ネイトはよく察することができたな。それより、天使って自分の使命を忘れているんじゃなかったっけ?何でヴィート大司教は天使が地上にいる理由を知っているんだ?
疑問は尽きないが、会話も途切れる様子はないので質問する隙が無い。ふと不思議そうな顔で状況を見守っているアイラと目が合ったので、軽く笑って口の動きだけで謝る。悪魔を宿しているならセルビティオの会話を聞ける可能性があるかもと思ったが、力を封印されていることもあり聞こえてはいない様だ。
「試作段階であるこの世界が終わり、新たな世界が生まれれば地上から天使は消え、人は存分に可能性を示す事ができるでしょう」
「そうかもしれませんが、この世界で生きてきた人々の思いは消え、塗り替えられてしまいます。人は自分達が産まれた世界でこそ生に励むべきです」
ネイトが一歩前に出て自らの言葉に確かな思いを乗せるが、ヴィート大司教は相変わらず落ち着いた物腰で構えていた。
「人は想像以上の変化を恐れます。それが自身の記憶や世界といった、存在そのものに関わるとなれば尚更です。しかし、人ほど変化が可能な存在は他にいません」
「私は変化を恐れている訳では……」
言い掛けて口をつぐむ。ヴィート大司教が片翼を前に出して制したからだ。
「分かっております。ヴィクトルとも同じ事を話しました」
翼を閉じるとどこか懐かしむ様に目線を宙へ向けた。
「ヴィクトルも人の可能性と正義を信じており、世界を変えたがるワタシとはよく意見がすれ違っていました。それでも互いに目指していた所は同じでしたから、ウマが合ったのでしょうね」
昔話が始まるかと思ったが言葉は続かない様だし、ネイトも口を挟もうとはしなかったので、少し強引かもしれないが疑問を解消させてもらおう。
「あの……いくつか質問良いでしょうか?」
「はい、どうぞ」
迷惑がる様子は一切なく、寧ろこちらの要求に対し実直に対応してくれる意が見てとれ、心の片隅で安堵した。
「ありがとうございます。一つめは、天使達が忘れているとされている使命を、どうしてヴィート大司教が知っているのですか?」
この問いにヴィート大司教の態度は困窮したものに一変した。まずい事を聞いてしまったかと思い、質問を取り下げようとしたが、ヴィート大司教は首を二、三度傾げると何事もなく答えた。
「ある人物に教わった……としかワタシには言えません」
「ある人物というのも、もちろん秘密ですよね」
聞いてはいけない部分に触れてしまった為、ケチな商人よろしく軽薄な愛想笑いを浮かべて機嫌を伺う。しかし、当然そんな安い芝居は打つだけ損だった。ヴィート大司教は度量の深さを見せ付けんとばかりに柔和な笑みでこちらをじっと捉えていた。俺は誰にも聞こえない程度の乾いた笑い声を出してから、気を取り直して次の質問を述べる。
「ヴィート大司教が目指す世界の在り様とは、一体どのようなものなのでしょうか?」
世界を転世させ、神による強制力がなくなった世界で何を望むのか。人の可能性に何を託すのか。これから神を倒す者として、ネイトと共にこの世界の正しさを見つけると誓った者として、知っておかねばならなかった。
「一言で表すならば、自由です」
「自由?」
俺の復唱に頷きを返し、補足を始める。
「先ほども言いましたように、この世界は神と天使によって管理され、教会が定めた方針と法律の下、揺るぎない平和を謳歌しています。しかし、この平和は新たな世界が誕生するまでの仮初めのものです。他国との交流が隔たれ、進化を抑制された世界で生きる意味は果たしてあるのでしょうか」
ヴィート大司教は一気に説明し切ると、一息吐いて背もたれに体を預けた。
「つまり、神や天使の干渉を受けない自由な世界でこそ人の可能性は示されるものだと?」
ネイトが確認すると、肯定の頷きが返ってくる。そこで完全に会話が途切れ、部屋が静寂に塗りつぶされて行く。
「他に聞きたいことはありませんか?」
姿勢を直したヴィート大司教に問われてハッとする。そういえば俺が質問している時間だった。
「はい。もう大丈夫です。ありがとうございました」
俺が礼を言って頭を下げると、ヴィート大司教は視線をネイトに移す。無言ではあったが、俺に投げ掛けた内容と同じ問いを聞いているのだろう。ネイトは瞬刻の思案の後、半眼を僅かにきつくした。
「最後に一つ確認させてください。もし、私とヴィート大司教のこの世界に対する価値観が相容れなかった場合、争う可能性はありますか?」
「ネイト!?」
思わず声を上げてしまったが、仕方ないだろう。ここまで親切にしてくれた相手に、可能性があるとは言え闘争の有無を聞くなんて不躾にも程があるだろう。
横目で奥の護衛を見やると、微かだが確かな敵意をこちらに向けている。まずい、どうにかしてこの場を落ち着かせないと。
一人で焦燥していると、まるでその様子が滑稽であると言わんばかりの笑い声が室内に響いた。
「クルッククゥー!これはヴィクトルも予想しない展開だったでしょうね。クルックルッ……」
ヴィート大司教は両翼で顔を隠し、必死に笑いを堪えていた。何がそんなにおかしいのか分からないが、取り敢えず剣呑な雰囲気はどこかへ飛んで行ったらしい。護衛が放っていた敵意も今となっては微塵も感じられない。
「いやはや失礼……。そうですね、今は確かに価値観が違います。しかし、ワタシと貴女が争う事態になる可能性は限りなく低いですのでご安心を」
「何故そう言い切れるのですか?」
真面目な問いを盛大に笑われて気分を害したのか、ネイトは少々食い気味に返した。
「この世界に限ってはワタシ達が導ける要因など些細なものでしかないからです」
楽しそうに告げるヴィート大司教の眼は柔和そうに見えて実は鋭く、真っ直ぐに俺の眼を、正しくは俺の奥に存在するルシファーへ向けられていた。




