第67話
特徴的な外装をしていた宿であったが、内装は全て木製であることを除けば特別変わった所が見当たらないホテルだった。礼装を着こなした鳥人の手際よい案内で流されるように部屋へ辿り着き、荷物を下ろした。
「はぁ~……あ、あれ?」
溜め息と共に緊張を吐き出してベッドに腰掛けたつもりだったのだが、俺の視界は上昇していき、いつの間にか天井へ向けられていた。
「どうかしたのか?」
視界の外からカイムの声が投げられた。自分でも何故いきなりベッドに仰向けになったのか分からなかったが、背中から頭にかけて感じる柔らかな感触が全てを物語っていた。
「このベッドが柔らかすぎて、体が勝手に……」
目蓋が重くなり、俺は成す術もなく夢の世界に連れて行かれそうになった。しかし、完全に意識が途絶える寸前でネイトの姿が見えると、意識を体の中に引き戻し、目蓋を爆発的に開放させて跳び起きる。
「危ないところだった」
「大司教が安全を保障してくれると言っていたのだ、ここに居る間ぐらい自由に休んだらどうだ?」
「そうしたいんだけど、この後少し予定があるんだ」
「そうか、ならば鍵はエフィムが持っていてくれ。私は外の様子を見て来る」
テーブルに置いてあった鍵を投げて寄越すと、カイムは部屋を出て行った。ヴィート大司教直々にとはいえ、安全だと言われただけでは警戒心を無くし切ることは出来ないのだろう。俺も少しは用心深くなるべきかな。
話し相手もいなくなったので部屋の中を見て回る。明るすぎない照明に書斎机と椅子、部屋の奥にはゆりかご椅子が低めのテーブルを挟む形で配置されていた。テーブルの上には施設や領樹について書かれたパンフレットに、カサパジェスの細かな地図が置かれている。手持ち無沙汰なので一通り眼を通してみるが、特に気になる情報は見当たらなかった。
壁にかけてある時計を見るが、この部屋に入ってまだ十分程度しか経過していない。ゆりかご椅子に座り、ゆっくりと揺らしながらセルビティオについて考えるが、どうにも集中できないので別の事を考えてみる。
三日後、バアルと会った時、素直に仲間になってくれるのだろうか。バアルの奔放さにはルシファーも手を焼いているようだし、仲間になった後の方が大変かもしれないな。そういえばカサパジェスに居る堕天使はバアルだけなのかな?ヴィート大司教に聞いとくべきだったかもしれないが、レゲネラツィの方でも捜索しているからロザリアに確認しておけば大丈夫か。カサパジェスの次はどこに行く予定なのだろう。一番近いのは東にある竜人国家ラーカプムだけど……って、そんな先のことばかり考えても仕方ないか。
時計を見る。五分ぐらいしか経っていない。
「う~ん……何か落ち着かないし、もう出よう」
待ち合わせ場所でもあるロビーの方が落ち着いて過ごせるかもしれないと判断し、ゆりかご椅子を大きく揺らしてから跳ねる様に立ち上がり、鍵を持って部屋を出た。
ロビーに行き、どこか座って待てる場所が無いか探していると、既にネイトが椅子に座っていた。周りが鳥人ばかりというのもあるが、修道服だと一層目立つな。あまり人目につきたくない立場なので、どこか機を見計らってネイトの服を新調した方が良いかもしれないな。
「もしかして、待たせちゃってた?」
ネイトがこちらの存在に気付いて椅子から立ち上がったのを見て声を掛けると、首を横に振って否定された。
「私も少し前に来たばかりです。エフィムの方こそ、まだ部屋で休んでいても構いませんよ?」
「俺は大丈夫、というより部屋に居ても何だか落ち着かなくてさ」
「そうですか。ではどうします?ここで話しても構いませんが、場所を移した方が良いですか?」
問いを受け、眼だけを動かして辺りを見渡す。宿泊客は疎らにいるだけで、こちらに関心を持っている気配はない。従業員もそれぞれの持ち場に就いており、こちらが大声で話さない限りは内容を聞かれる心配はなさそうだ。
「……周りが気になるようでしたら、外へ出ませんか?」
そもそも聞かれて困る話しをする訳ではないので、周囲の様子を伺う必要はなかったのだ。だが、俺の不要な行動にネイトが気を遣って提案してくれたので、素直に応じることにした。
宿を出て昇降機に乗り、ネイトが操作してくれたお陰で迷うことなく一階のエントランスホールに着く事ができた。
「そういえば、アイラはどうしてる?」
出口へ向かう途中、無言で歩いているのが妙に不自然に感じたので、特に深い意味も込めずに尋ねてみる。
「部屋で勉強しています」
「そっか、本当に学ぶ事が好きなんだね」
自分の適当かつ平凡な学生生活を思い返し、アイラの勤勉さを少しは見習うべきだったと後悔する。
「勉強が好きである事は間違いではないのですが……」
ネイトが何か言い掛けたところで守衛の鳥人が話しかけて来る。
「領樹から出られますか?」
「はい。少し外を散歩して来ても良いですか?」
「ええ、大丈夫ですよ。森の中は暗いと思いますので、こちらのランタンをお使いください」
守衛は快く出口を開けてくれ、壁に見えた引き戸からランタンを一つ取り出してくれた。
領樹を出ると、何の前触れもなく湖を割って道が現れた。入る時は案内人が少々派手な仕掛けを起動させたので、なんとも味気のない感じがした。
暮れかけの夕日に照らされながら道を渡り、森の中へ歩を進める。
木々の間から滑り込む夕日は、思っていたよりも視界を照らしてくれたが、直ぐに夜が訪れるのは明白だった。ランタンの灯りを点け、森の中を淡い橙に色付けながらゆっくりと歩いた。
なんだか改まって話しをしようと意識すると、変な緊張感があるな。領樹を出る直前でネイトが何か言おうとしていた様子だったし、先ずはそちらを聞くべきだろうか。
「それで、話しというのは何でしょうか?」
我ながら情けない理由で話しを切り出すのを尻込みしていると、ネイトの方から用件の開示を請われた。心臓が大きく脈を打ち、血液と酸素が存分に送られた脳で必死に言葉を選ぶ。
「えっと……ネイトはどうして、いきなりだったのにセルビティオなんていう立場を受け入れられたのかな?」
「……教会から追われ、修道女としての立場を無くした私が存在意義を確立するには、輪廻の解脱者であることを受け入れる他にありませんでしたから」
「存在意義?」
少し仰々しいと思いながら言葉を復唱し、素直な疑問を露わにする。
「私には……何もありませんから。守りたい家族も居なければ、守る力もありませんし、何かを宿しているわけでもありません」
そこまで口にすると、ネイトは立ち止まって胸を押さえるようにして両手を組んだ。
「私は教会の中で生きる術しか知りません。そんな私から教会を取ったら何も残りません」
何も残らないなんてことはないだろう。と口から出かかったが、冷静な脳は言葉を発することを許可せずに飲み込むことを選択した。親の顔も知らず、修道女になる前から教会で過ごしてきたのだ。大げさでも何でもなく、教会は、ツァピン司祭の居るリュンリグネの教会はネイトにとっての全てであったに違いない。教会から追われる原因を作ったのが俺自身であるため、安易にネイトの言葉を否定してはいけない。
「残らないはずでした……なのに!」
ネイトの瞳には怒りとも悲しみとも取れない複雑な感情が渦巻いており、適切な言葉も見つからないようで、何度か口を開きかけては閉じるを繰り返していた。それを本人ももどかしく感じたのだろう、ついに歯噛みをして俯いてしまった。
「私は、どうして……」
自責の念が出て来てしまっているな。相手がマルカならばこういう時、頭を撫でて励ましの言葉でもかけてやればたちまち元気になるのだが、ネイトはそんなに単純ではあるまい。だからといってこのまま待つのは居心地が悪くて堪えられない。
「大丈夫、ネイトはここにいるよ」
気付けばランタンを地面に置き、ネイトの両手を包む様に自分の両手を重ねていた。ネイトは一瞬だけ体を強張らせたが、拒絶することも顔を上げることもせずにじっとしている。
「たとえ教会がなくなってしまっても、この世界が終わりを迎えることになっても、ネイトはここで俺や皆と旅をしてる。何も残らないなんて事はない。存在意義なんて気にしなくて良い。ネイトは生きている限り、ここに居てくれる限り、俺の大切な仲間なんだ!だから、その……えっと……」
顔を上げたネイトの半眼が潤んでいたので、動揺して言わんとしたことが飛んでしまう。
ビシッと最後まで言い切ってしまえば少しは恰好がついたのに何をしているんだ。じゃなくて、もしかして言い方がきつかったかな?それとも考えがまとまりそうだった所に余計な口出しをしてしまったのかな?
間の抜けた思考が脳内を飛び交っていると、胸の辺りへ優しく押し当たる感触。
「ネ、ネイト?」
視線を下へ向けると、ネイトが寄り掛かる様にして俺の胸に顔を埋めていた。
「どうして……エフィムはこんなに温かいのですか?」
言葉の意味を図りかねて黙っている俺を気にせず、ネイトは続けた。
「初めて手を繋いだ時から不思議でした。修道女として奉仕する際、人と手を重ねる機会は多くありましたが、エフィムの手はそれまで触れてきた誰よりも温かくて、優しくて……」
今度はネイトの両手が俺の両手を包み込んでくれる。
「離れたくない、離さないでほしい、そんな思いすら湧き起こりました。けれど、その温かさはエフィムの家族のものだということも理解していました。ですから、たとえエフィムが堕天使を宿していようとも、私はエフィムを家族の元へ帰してあげたくて……でも私には力も、旅に同行するための資格もありませんでした……。だから、ルシファーに輪廻の解脱者だと言われた時は、旅に同行する資格が得られたと思い、幸運にすら感じました」
力だとか資格だとか、言いたい事はあるけど今はそれどころじゃない。寧ろこれほどまでに俺や家族のことを想ってくれていたネイトを、どうして咎められるだろうか。
「ありがとう。ネイトがそこまで気を遣ってくれてたなんて知らなかった」
「…………」
両手に少しだけ力が籠められるのを感じると、ネイトは俺の胸を擦る様に首を横に振った。
「でも、俺はネイトがセルビティオじゃなくても一緒に旅をしたいって思ってる。ネイトが思ってくれているように、俺もネイトを助けたい。だから……」
言葉を区切り、少し悪いと思いながら自分の両手をネイトの両手から離し、代わりにネイトの体を抱き寄せた。
「気持ちや言葉を我慢しないでぶつけてくれて良いよ。頼りないかもしれないけど、俺はネイトのことも家族と同じくらい大切に思ってるから」
ネイトの頭に優しく手を置いて話しの終幕を伝えると、堰を切ったように、と表現するにはあまりにも慎ましやかな啜り泣きが俺の腕の中で反響した。




