第66話
室内が沈黙に満たされてから僅かな時しか流れていないのに、ネイトが言葉を発するのは大分久しぶりのように感じられた。
「この世界は破滅する運命、ということですか?」
「破滅ではありませんね。次の世界で生き続けるのです。新世界の試作品と言っても良いかもしれません」
ヴィート大司教は話しを一度区切ってネイトの反応を伺い、唇が静かに締められて動かないことを確認すると、話しを再開した。
「実のところ世界は一つではなく、神の創りし円環の中で何度も転世を繰り返す物なのです。普通の人は転世の度に、その世界に合った記憶へ切り替わるのですが、ワタシ達輪廻の解脱者は記憶を保持したまま転世された世界で生きることができます」
う、うん?真実なのだろうが、あまりにも突拍子のない話しで理解が追い付かないぞ。記憶が切り替わるということは、大昔に滅んだと言われている旧世界が実は今の世界の少し前に存在していた可能性もあるのか?あれ、でもこの世界が終わらないと新しい円環が生まれないと言っていたし、やはり旧世界と今の世界では繋がりがないのか。
「円環の中で世界の在り様を示すのが輪廻の解脱者としての本当の使命、ということですね」
「その通りです。世界とそこに住む全ての生命の為に、ワタシ達は存在し記憶していかねばなりません」
世界と生命の為に変わって行く世界を視続けるか。セルビティオ以外は記憶を保持できないということは、前の世界で関係した相手が、次の世界では初対面になるってことだろ。自分は知っているのに相手は知らないっていうのは、やりづらいというか虚しいな。
「在り様を示す方法と、その後の世界についても教えて頂けますか?」
この問いを受けて初めてヴィート大司教の顔に難色が現れた。
「教える事は可能です。ですが、その二つの疑問については今後の旅の中で明らかになるでしょう。特に後者については、世界についてもっと多くの事を感じてから知るべきです」
「分かりました。この世界と輪廻の解脱者について教えて頂いたこと、深謝致します。私も輪廻の解脱者として世界を正しく導けるよう精進します」
深く頭を下げて謝意を告げると、ヴィート大司教の顔には笑顔が戻っていた。
「貴女にはより多くの困難が待ち受けているでしょうが、全てを乗り越え正しく世界を導くことが出来るよう祈っています。神のご加護があらんことを」
挨拶を済ませ部屋を出ようとするネイトの背に、ヴィート大司教が少し慌てた様子で声を投げた。
「教皇の持つ大聖典に輪廻の解脱者について詳しく記されています。閲覧するのは難しいでしょうが、一応伝えておきます」
今の俺達では教皇に会うどころかゴードヴィッドに入国するのさえ厳しいが、一つの手掛かりとして覚えておこう。
ネイトと共にお礼を言い、今度こそ部屋を後にした。
「終焉の種は芽吹きました。果たして芽は世界にどんな色を付けてくれるでしょうか」
来訪者が去り、静まり返った部屋を穏やかな声音がいつまでも満たしていた。
ヴィート大司教の執務室を出ると、意外なことにカイムとアイラが待っていてくれた。ロザリアとアメリーが宿を確保して来てくれると聞き、昇降機の前で待つことにした。
「何か有益な情報は得られたのか?」
カイムがネイトへ尋ねる。少し珍しい光景を見て、思わず緊張が走ったのは秘密だ。
「はい。世界の事と私がやらねばならない事を教えて頂きました」
「そうか。尽く重大な案件に関わることになるな」
そう言うカイムの視線は俺の方を向いていたが、あえて眼を合わせることはしなかった。重大な事に関わっているのは承知の上なのだが、面と向かって言われると不思議と逃避の気持ちが湧き上がってくる。
「できるだけ迷惑は掛けないつもりです。元々、私の使命は一人でやり遂げる他にありませんから」
俺の心中を察してくれた、というわけではないな。ネイトは正面を向いたままで、自分に言い聞かせるような口ぶりだった。確かにセルビティオでない俺達がネイトに協力できることは少ないかもしれない。だけど、一人で抱え込むことはしてほしくない。少し面倒な我が儘かもしれないが、自分の意をネイトに告げるべく口を開いた所で、昇降機からロザリアとアメリーが少し疲弊した感じで現れた。
「着いた」
「あーもー、よく分かんない仕組みにするんじゃないよ」
「ど、どうかしたの?」
開いた口をそのまま二人へ尋ねるものに使うと、ロザリアに軽く睨まれた。
「どうしたもこうしたも、この昇降機が言うことを聞かないってだけだよ。それより、宿取ってきたからさっさと行くよ」
ロザリアの言葉に、俺達は昇降機の中へと詰め込まれる。
「宿って何階?」
昇降機の操作に苦労している様なので、操作を変わる意も込めて尋ねたのだが、ロザリアは相変わらず鬱屈とした表情のままだった。
「十階だよ。どこが十階なのかは知らないけどね」
何を言っているかよく分からないが、取り敢えず十階のボタンでも押せば……ボタンって何だ?そういえば昇って来た時は自動で動いたんだよな。
昇降機内の壁には行先を決めるような物は何もなく、戸惑っているとアメリーが扉の横の壁にある綺麗な年輪を指差す。
「手」
よく分からないが手の平を年輪に当ててみると、床の模様が黄色に光った。これは昇って来た時にも見たから、とりあえずは正常に作動したと捉えて良いのだろうか。
少し経つと、床の光りが消えて扉が開かれる。
「宿……ではないよな」
扉の向こうでは巨大な本棚とそこに並べられた無数の本が俺達を出迎えてくれた。書庫にも少し興味はあったが、寄り道をしようものならロザリアに怒られるのは必至だろう。再び年輪へ手を当てて昇降機を作動させる。
「どうなってるんだ?」
今の俺の心中を言い表すにはこの言葉に尽きる。答えを求めてアメリーへ視線を送るが、肩を竦めるだけで何も言ってはくれない。いや、アメリーも分からないから言えないといったところか。
昇降機がまたどこかに到着し、扉が開くと湯気と共に良い香りが立ち込めてきた。
「うわわっ!何だ?」
頭が理解するより早く体が動いていた。三度目の昇降機作動。
中で籠っている湯気と匂いから、今着いた場所が浴場であると推測できた。騒ぎになる前に昇降機を動かせて本当に良かったと思う。
「聞いた話しだと、この昇降機は行先を思い浮かべながら年輪に手を当てて動かすんだってさ。一階のカウンターで制御してもらう方法もあるけど、肝心の一階に行けやしない」
壁に背を預けて座り込んでいるロザリアが億劫そうに教えてくれた。行先を思い浮かべながらか、次は試してみよう。
扉が開き、居住区らしい空間が目に入る。もしかして十階に着いたのかと思ったが、アメリーが首を振って否定した。
「この昇降機、動かす度に少しずつ力を消耗していくから気を付けなよ」
だからそんなに怠そうなのか。納得する反面、先に教えて欲しいと異議を唱えたかったが、ロザリアの様子を見てそんな事を言える気になれなかったので心の奥に仕舞った。
次に着いた場所は商店街。ここにも興味はあったが、寄り道はできない。
「私がやっても良いでしょうか?」
年輪に手を当てようとした所でネイトに呼び止められる。行先を思い浮かべるというヒントは貰ったが、目的地に辿り着けない以上、俺が作動させることに執着する必要もない。素直にネイトへ譲ることにした。
「十階の宿泊施設」
意識を固定するために小さく呟いてから年輪に手を当てる。床の模様は相変わらず黄色く光り、数秒後に納まって扉が開かれる。
「当たり」
扉の向こうには建てられたと言うより、樹の内部を彫り込んで作られたと表現するべきであろう巨大な空間が存在していた。今まで見てきた様式とは異なる空間に、アメリーの言葉を聞き漏らしてしまいそうになったが、ここが俺達にあてがわれた宿なのだろう。
「へぇ、一発で着くなんて運が良いんだね」
ロザリアが重そうな体を立ち上がらせる。一体どれだけ昇降機を作動させたらあそこまで消耗するのか聞きたいが、彼女にとっては思い出したくない記憶だろうから自重しておく。
「この昇降機は聖術で動いていますから」
「えっ」
アメリーがあからさまに顔をしかめて自分の右手を凝視している。この領樹はヴィート大司教が管理しているのだから、聖術が使われているのは当然か。寧ろどうして気が付かなかったのだろう。
「お二人が消耗しているのは不慣れな聖術を使った所為でしょう」
「あぁそうかい、納得だよ。聖術とか祈りなんてのは肌に合わないって身に染みて分かったよ」
早く部屋に戻って休みたいのだろう。ロザリアはさっさと宿に向かって歩いて行き、アメリーも青い顔をしながら続いて行った。微弱ではあったが、昇降機で何度も浮遊感に遭って気分でも悪くなったのだろうか。
「聖術って誰でも使えるものなんだね」
昇降機を降り、宿に向かう途中でネイトに話しかける。
「本来ならば教会で教えてもらう必要がありますが、この領樹ではヴィート大司教が各施設に手を加えているのでしょう。祈り、信じる気持ちがあればあの昇降機のように誰でも使うことができます」
「あ、なるほど」
素直に納得。少し失礼かもしれないがロザリアとアメリーが疲弊していた理由が分かった気がする。
「エフィムは疲れていませんか?」
「俺は平気だよ」
「でしたら、この後、部屋で少し休憩してからで良いので、お話しを聞かせてもらえませんか?」
セルビティオとしての使命が明確になった今こそ、ネイトの気持ちを理解する絶好の機会だろう。真面目な話しが続いて疲れさせてしまうかとも思ったが、ネイトの様子を見る限り大丈夫そうだ。
「うん。いいよ」
俺は快諾を返すと、目の前まで来ていた宿の扉を開けた。




