第64話
昇降機を降りた先には円形の聖堂が広がっていた。柱も壁も天井も真っ白で、まるで異空間に迷い込んだ気になる。時間さえ止まって見える空間の奥に、唯一この聖堂の役割を理解しているように煌びやかな輝きを放つ祭壇が据えられていた。
「風変わりな聖堂だな」
「私も他国の聖堂に入るのは初めてです」
俺と一緒に辺りを物珍しく見渡すネイト。どうやら先ほどの論争を引き摺っている様子は無いので一安心。
「誰も居ない所に呼び出されたってのに、呑気なもんだねぇ」
こちらを横目に見たロザリアは呆れを隠さずに肩を落とす。彼女が何を言わんとしているのか理解できなかったので首を傾げると、不意にどこからか声が響いてきた。
「クルックゥー。ようこそ、フェリチダ大聖堂へ。そのまま奥へお進みください」
どこかできいた鳴き声と共に歓迎してくれたのは恐らくヴィート大司教だろう。声はするが姿は見えず、ということは地面に道標として浮き出た光りの先に居ると考えるべきか。
「一応、気を付けなよ」
素直に光りを辿ろうとした俺の背中にロザリアの注意が投げかけられた。確かに、ヴィート大司教が何を思って俺と会いたがっているのかが明確になっていない以上、用心するに越したことはないが、疑心をつのらせすぎても良い結果は起きないだろう。注意に対しては軽く頷く程度にとどめ、平常心を保ちながら光りを辿る事にした。
光りに従って聖堂奥の扉を開けると、木に包まれた通路が続いており、ここが木の中であることを思い出させてくれた。通路はさほど長くなく、光りが最奥の両開きの扉に繋がっているのが確認できたので迷わず向かう。
扉の前で立ち止まり、一度気持ちを落ち着かせる。
開けた瞬間拘束されるなんてことはないよな。わざわざ捕まえる為にここまで呼び出す必要もないし、そもそもレゲネラツィと繋がりがある人物なのだから敵にはならない筈だ。
自分自身を納得させたところで、ゆっくりと扉を開ける。
中は相変わらず木の空間だったが、部屋を縁取るように並べられた本棚には隙間無く、あるいは少しはみ出す形で本が並べられていた。中央には大きな執務机が置いてあり、これまた大きな椅子がこちらに背を向けている。背もたれから司教帽がはみ出ているので、ヴィート大司教が座っているのだろう。その奥の左右には屈強な体をした鳥人が二人、槍を持って石像のように立っているが、こちらを見る目には些細な動きも見逃さない鋭さがあった。
「よくいらっしゃいました。ワタシがヴィート、大司教としてこの地を任せられている者です」
聖堂に着いた時に聞こえた声と同じ声がした。落ち着きのある、というよりは緩やかすぎる声が妙に心地よい。
声の主は背を向けていた椅子を半回転させてこちらに向き直り、姿を見せた。その姿を見て、思わず声を詰まらせてしまったのは、ヴィート大司教が予想以上に鳩だったからだ。鳴き声からある程度予想はしていたが、まさか鳩をそのまま人間の大きさにリサイズした人物だとは思わなかった。
ずんぐりとした体躯に青みがかった灰色の羽毛、そして暗めの赤い瞳は貫禄十分といった様であったが、本人は自覚がないのか、柔らかく笑って見せた。
「そう緊張しないでください、なにも捕って食べませんよ」
クルックルと独特な笑い声まで上げられては警戒する気も起きない。俺は軽く咳払いをしてからヴィート司教へ開口した。
「初めまして、天子のエフィムと言います。早速ですが、用件を伺ってもよろしいでしょうか?」
「そうですねぇ、端的に言えば今の世界は堕天使にどう見えているのか、教えてはもらえませんか?」
和やかな空気は一変し、瞬く間に張り詰めた空間が出来上がる。俺が堕天使を宿していると知ってこの場に招いたのだとしたら、拘束かこの場で始末する算段がある可能性は十分に考えられる。
部屋の出入り口は俺達が先ほど入って来た扉のみ、光で目くらましでもすれば護衛の鳥人に捕まらず逃げられるだろうか。いや、仮にこの部屋を出たとしても昇降機を聖術で制御されてはどうしようもない。一か八か樹をぶち抜いて外に脱出するかとも考えたが、高さが分からない以上危険が大きい。空中に投げ出されてしまえば鳥人の方が圧倒的に有利だ。
逃走ルートを模索していると、ふとヴィート大司教と目が合う。
「あ……」
思わず声を漏らしてしまったのは、ヴィート大司教が変わらぬ笑みを向けていたからだった。その笑みを見た途端に、精神の張りはガラスの様に呆気なく崩れ去る。
「警戒されるのも無理はありません。ですが、どうか落ち着いてください。ワタシはただ知りたいのです。輪廻の解脱者として、今の世界がどう在るのか」
「輪廻の解脱者……!」
ネイトが驚いて息を呑んだ。まさかこんなに早く、同じ使命を持った人物に会えるとは思っていなかったのだろう。そして、驚いたのはヴィート大司教もだった。開かれた眼を丸くしながら首を小刻みに動かしている。
「ご存じなのですか?」
「私も同じく輪廻の解脱者です。最近まで自覚はありませんでしたが」
この答えにヴィート大司教は満足そうに頷き、細目で興味深そうにネイトを見つめた。
「そうですか、あなたが……。この巡り合わせ、神に感謝致します」
なんだか感慨深そうにしているので話しかけるのを躊躇していたが、突然視界に白い背中が映った。
「感謝するのも良いけどよ、そろそろ話し始めて良いか?」
空気や礼など一切気にせず、なんなら億劫そうな態度でルシファーが言い放った。
「これはルシファー殿、失礼しました。それではお聞かせください、貴方の眼に今の世界がどう映っているのか」
「クソッタレな世界だ」
いきなりクソなんて言葉を口にするものだから窘めようとルシファーの隣りに出たのだが、その際に見えたヴィート大司教の真剣な表情に言葉を失ってしまう。綺麗に着飾った言葉は不要、貪欲なまでに真実を欲する意が見て取れたからだ。
ルシファーが世界についての考察を述べるが、ヴィート大司教とネイト以外はセルビティオではないので話しを耳にすることはできない。
基本的にルシファーが話しをし、合間にヴィート大司教が意見を述べている様子が続く中、ネイトは眉一つ動かさずにじっと話しを聞き入っていた。先の言葉の通り、ルシファーはこの世界を良く思っていないので、話しの内容も排他的になっていると思うのだが、ヴィート大司教は終始、真剣な表情のままだった。
やがて話しがまとまったのだろう、ヴィート大司教の表情が緩んだ。
「とても貴重なお話しをありがとうございました」
「じゃあ、こっちからも質問していいか?」
「どうぞ、ワタシに答えられることならば嘘偽りなく答えましょう」
快諾されたのを確認し、早速質問しようと口を開きかけたところで何故か一瞬言い淀む。
「あー……何て身分を名乗ってるかは知らねぇが、バアルって奴がこの国にいる筈だ。どこにいるか教えてもらおう」
「バアル殿ならばここから南に進んだ所にある、メイルティという町に居られます。宿主はルチア・シルブロという少女です」
簡単に居所を知ることができたのは喜ばしいことなのだが、どこか違和感がある。この違和感の正体が何なのか、ルシファーへ視線で訴えると、一瞬だけ眼を合わせただけで直ぐにヴィート大司教へ向き直った。
「バアルの正体を知っているな」
「はい。そもそもバアル殿が自ら声高に宣言されましたので、堕天使だということは皆知っております」
ルシファーが気を失いかけてフラついたが、部屋に反響するほど大きく踏み込んで何とか耐えた。
そうだ、ルチアと言ったか、その少女の事を天子ではなく宿主と呼んだことが違和感に感じたのだ。しかし、堕天使とそれを宿した者を未だ国内に在住させているのは何か目的があるのか。もしくはは南の町に捕らえているという意味なのか。
脳裏にサンヤスクでの出来事が蘇って思わず歯噛みするが、隣りから聞こえた歯軋りに記憶が打ち消され、意識が現実に帰って来た。
「あーいーつー……!!」
隣りを見るとルシファーが怒りの形相で拳を震わせていた。直観的にまずいと悟り、どうにか話しを広げようと脳を急速回転させる。
「えーと……バアルとルチアさんはメイルティという町に拘束されている、ということでしょうか?」
「いえいえ、そのような畏れ多いこと、ワタシ達にはできません」
この返答は安心半分、疑問半分といったところだ。アイラの時のような惨状が起きていないのなら良いのだが、ヴィート大司教の社会的立場も含めて堕天使を野放しにして大丈夫なのだろうか。俺が疑問符を浮かべている様を見たヴィート大司教は、喉を鳴らして笑うと話しを続けた。
「色々と疑問があるでしょう。少し長くなりますが、説明致します」
ヴィート大司教はゆっくりと瞬きをした後、視線を虚空に漂わせながらカサパジェスと堕天使について語り始めた。




