第62話
空翔籠の柵に背を預けながら、ネイトはアイラの勉強に付き添っていた。
集中している所に水を差すのは忍びないが、こちらも大切な用事なので手短に呼び出そうとしたその時、上空から張りのある声が降ってきた。
「間もなくビィアルデに到着します!お忘れ物のないよう、降りる準備をしてお待ちください!」
鳥人の案内を受け、アイラは勉強道具をしまい、ネイトも自分の荷物を持って立ちあがると、俺が近くに来ていた事に気付いた。
「何か?」
「あ、うん。少し話したいことがあったんだけど、後でで良いや」
急ぎで確認したいのだが、流石に空翔籠を降りている時や街中を歩いている時にする話しではないよな。
空翔籠から降りると、乗る時と変わりない景色が広がっていたが、平原の少し先に閑散とした森が存在していた。周りを見渡しても森以外には平地が続くのみで、町の影は見当たらない。町はあの森を越えた所にあるのだろうか。
目的地への案内を頼もうとロザリアへ視線を送ると同時に、向こうも向こうで俺に用があったらしく、肩を軽く叩かれる。
「どうだった、籠の乗り心地は?」
「予想以上に揺れなくて快適だったよ。日差しも気にならなかったし、聖術って色んな使い道があるんだね」
「そうかい、満足した様で良かったよ」
ロザリアは頷きを返すと、肩に掛けた上着の内ポケットから手の平サイズのダーツボードのような紋章を取り出した。
「じゃあ思い出も作ったし、ちゃちゃっと首都に移動するよ。皆、集まって!」
呼び掛に応じ、全員がロザリアの周りに集まる。
「今から紋章魔術で首都に飛ぶからね、初めてだと少し立ちくらみとかするかもしれないけど、害はないから安心していいよ」
「それなら始めから紋章魔術で飛べば良かったんじゃ……」
カイムやネイトも同じことを疑問に思っているだろうし、素直に意見を述べてみる。するとロザリアは困った様に眉尻を下げ、肩を竦めて見せた。
「あのね、折角外国に来たのに、その国の文化に欠片も触れないってのは勿体ないと思わないかい?」
「それはそうだけど、俺達は観光に来ているわけじゃないだろう」
「真面目なのは良いけど、そんなんじゃ直ぐ身が持たなくなるよ。ただでさえ重い使命を背負っているんだから、気を抜ける時は抜いときなって」
直ぐに紋章魔術を使わなかったのがこちらを気遣っての事ならば、これ以上不服を言うのは礼を損ないかねない。
「ごめん。気遣い、ありがとう」
「気にする必要ないって。それじゃあ行くよ、ユバーガン」
術名が発せられると、紋章は緑色に輝いて一陣の風を呼び起こし、俺達の体を何処かへと連れ去った。
真っ白な空間で揺さぶられているのはほんの数十秒の事だった。揺れが収まると白い空間を破る様にして色が広がっていく。
景色が完全に色付き、自分の足がきちんと大地に着いていると実感してから周囲を見渡すと、どうやら全員無事に転移出来たみたいだった。
「着いたよ。ここが首都ティンクシャだ」
ロザリアの言葉を受け、視界を正面に戻す。首都と言うが、目の前にあるのは青々しい葉を茂らせた木々ばかりで、建物も無ければ人の気配すら無い。
「……え?」
なんとなく木々の上方へ目をやり、そこで俺は絶句した。
「お、大きいです」
後ろからアイラの声が聞こえてようやく俺の脳も、自分の視覚が捉えている物が巨大であると判断することができた。あまりの衝撃に一瞬、思考が完全に停止していた。
もはや空翔籠の発着場である大樹が苗木なのではないかと錯覚してしまう程である。それほどまでに圧倒的で、およそ自然の産物であるか疑わしい巨大な樹がそびえ立っていた。森の中央に位置しているであろう樹の枝は、森の外に居る俺達の頭上までも軽々と覆い隠している。
「領樹ガーランド」
アメリーがいつもの調子で呟く。領樹ガーランドというのが、この樹の名前なのだろう。
「あの領樹こそ首都そのものって言っても過言じゃないね。ほら、いつまでも口開けてないで行くよ!」
ロザリアに背中を叩かれて初めて、自分が随分と間抜けな状態になっていたと気付いて少し恥ずかしくなる。
「これからヴィート大司教に会うんだ。しゃんとしてもらわないと困るよ」
「あ、うん、ごめん」
自分の情けなさに自然と頭が下がってしまい、それを見たロザリアは溜め息を吐いた。
「大司教と会っても大丈夫なのですか?」
そうだ、自然と話しの流れに出てきたので疑問に思わなかった、というより自分の失態を恥じていて気付かなかったが、ネイトの言う通り俺達が教会の関係者と対面するのは危険な行為の筈だ。
「エフィム次第なところもあるけど、まぁ多分大丈夫。そもそもアタシらはヴィート大司教からお呼ばれされている身だしね」
「え、そうだったの?」
初耳だし責任重大じゃないか。変わり者とは聞いていたけど、わざわざ堕天使を宿している人間と会いたがるって、何が目的なのだろう。
「あれ?言ってなかったっけ?」
目を丸くさせ、ぱちぱちと瞬きしながら言うロザリア。どうやらどっきりを狙った訳ではなく、純粋に言い忘れていた様だったので、情報の共有が漏れていたことを咎める気にはなれなかった。無論、きちんと自分達の状況を聞き出さなかった俺も悪いしな。
「何れにせよ、相手に敵意が無いのならば教会の動きを聞く為に会う必要はあった。先に進もう」
いつまでも森の前で話し込んでいる俺達に痺れを切らしたのか、カイムは進行を促しつつ歩き出し、森の中へと入って行った。
森の中はただひたすらに静寂が流れていたが、それは居心地の悪い物ではなく、心が癒される類いのものだった。枝葉の隙間を縫って僅かに差し込む日光を浴びながら澄み切った空気を吸うと、それだけで心身の老廃物が浄化されていく気がした。
特にネイトはこの環境が気に入ったのだろう。目を閉じ、微笑みに似た柔らかな表情を浮かべ、自身を包み込む自然を堪能していた。しかし、その所為で地面を割って出ていた木の根に足を捕られてしまう。
「おっと、大丈夫?」
即座に腕を掴んで転倒を防ぐと、ネイトは直ぐに体勢を整えてこちらに一礼する。
「ごめんなさい。流石に不注意が過ぎました」
「いや、気にすることないよ。これだけ綺麗な自然があるんだ、気を休めなきゃ勿体ないぐらいだよ」
正直な所、今のネイトの様子を見て安心している。セルビティオとしての使命に気負いし過ぎていないか心配だったが、周りの景色を楽しむ余裕があるならば大丈夫だろう。
カイム達の後を追おうとしたところで、ネイトが俺の眼をじっと見つめていることに気付き、小首を傾げて何か用があるのかと尋ねる。
「先ほど話しがあると言っていたので、少し内容のことが気になっています」
確かにあんな言われ方をしたら誰だって気になるだろう。さて、どうしたものか。このまま話しを切り出してしまおうにも、森がどこまで続いているか分からない以上、半端なところで話しを中断する必要が出てくるかもしれない。しかし、ネイトの真っ直ぐな眼を見て引き伸ばしの言葉を告げるのは何だか申し訳ないし……。
数秒にも満たない短い時間で脳を活性化させてどうするかを考えていると、何の前触れも無く第三者の声が俺とネイトの間に割って入ってきた。
「密談」
アメリーが上目遣いで俺達を怪しんでいた。先頭を歩いていたはずの人物がいきなり現れたので、俺は驚いて体を一瞬だけ痙攣させた。
「べ、別に怪しい話しをしていたわけじゃ……」
「直ぐ着く」
俺の言い訳を最後まで聞く前にアメリーは言葉を残し、足早に去って行った。嫌われている感じがするのは気のせいだと信じたい。
「もう少しで森から出られるようですし、話しはまた後ほどお願いします」
「うん、今夜時間があったら話すよ」
とりあえずヴィート大司教と会って話しをしてからだな。話しをして何か新しい情報を得られるかもしれないし。
ネイトの申し出に頷きを返し、歩き出そうとしたところで未だに腕を掴んだままな事に気付いて慌てて手を離す。ネイトが一瞬だけ眉尻を下げた気がしたが、本当に一瞬だったので見間違いだったのかもしれない。
俺達が前を歩いていた皆と合流して数分後、茶色と緑色の景色が開け、限りなく透明に澄んだ水色が目に飛び込んできた。森を抜け、領樹ガーランドの下に辿り着いたのだ。




