第57話
人間は世界の在り様を他人から聞く事はできない。ルシファーは確かにそう言った。ならば何故ネイトはルシファーの言葉を漏らさず聞き入れたと言えるのだろうか。俺はルシファーへ視線を向けて回答を急かした。
「嘘を言う必要はねぇと思うが、一応確認だ。何て聞こえたか言ってみろ」
「…………と、私には聞こえました」
ネイトの口は動いているが声は全く聞こえない。やはりネイトにはルシファーの声が、世界の在り様が理解できている。予期せぬ現象にルシファーも目を丸くしていたが、やがて引きつった笑みを浮かべる。
「フッ、フフフ……ハハハハッ!まさかこんな近くに輪廻の解脱者がいるとはな」
「セルビティオ?」
初めて聞く単語をネイトが反復して尋ねる。
「この世の、神の理に縛られない者の呼び名だ。極稀にいるんだよ、個人でこの世界の仕組みを悟っちまう奴が」
「ネイトが世界の仕組みを知っている?」
疑問を視線に乗せて尋ねるが、当の本人に自覚はないらしく、怪訝そうな表情で首を横に振るだけだった。これにはルシファーも首を傾げて疑問を露わにする。
「自覚のない輪廻の解脱者だと?」
ルシファーが顎に手を当て、思考に集中し始めた。セルビティオに関して無知な俺が口を挟める状況ではないので、部屋の隅で大人しくしているアイラへ話題を振ってみる。
「ごめんね。俺が天子じゃないと知れ渡れば、アイラにも窮屈な思いをさせることになる」
急に話しかけられて驚いたのか、アイラは少し大げさな動作で頭を振った。
「い、いえ、わたしのことは気にしないでください!エフィムさんはエフィムさん自身のことに集中してください」
「うん、ありがとう」
謝ったつもりが、逆にアイラに気を遣わせてしまう結果になってしまった。申し訳ないと思うも、それを口にしたところでアイラを困らせてしまうだけだし、謝罪は胸の中にしまっておくとしよう。
「そういえば、エフィムさんのところにクオリアさんは来ませんでしたか?」
「クオリア?いや、来てないけど……」
アイラの実家の跡地で出会い、俺にアイラを守る決意をさせてくれた不思議な少年。なぜクオリアの名前が出たのか、その謎は直ぐにアイラから明かされた。
「わたしたちをこの船に逃がしてくれたのはクオリアさんなんです。それでお礼も言いたいですし、聞きたい事もあったんですが」
クオリアが俺達を助けてくれた。それはつまり、あの少年がレゲネラツィの一員ということだ。自分より幾らか年下のあどけない少年が、反社会組織とも言えるレゲネラツィに参加していること自体驚きであるものの、それ以上にウリエルや多数の教徒から俺達を逃がした事の方が強い衝撃を受けた。初めて会った時も、俺達を謎の魔術でアイラの精神世界へと誘ったことから、強力な魔術師であることは分かるが、圧倒的な力を持つウリエルを相手にできるとなると、もはや脅威的な存在だ。離れた場所から転移だか転送魔術を使ったのならば話は別かもしれないが、アイラがクオリアの姿を確認しているということは、彼があの戦場に足を踏み入れていた証言になる。
「クオリアとウリエル……」
この二人についても聞き調べなくてはならない。ヘルムートに聞けばクオリアの事は何か教えてくれるだろうか。ウリエルの方はルシファーがよく知っていそうだから、後で聞いてみよう。ゴードヴィッドでの様子を思い出すとあまり気乗りしないが、情報源を選り好みできる余裕はない。
「あー、クソ!考えても分からねぇ!」
頭を掻き毟りながらがなり立てるルシファー。どうやらネイトがセルビティオであることは、かなり特異な状態みたいだ。
「もういい、この際自覚があろうがなかろうが輪廻の解脱者なら構わねぇ。本当は強制する気なんてなかったが、ネイトにも俺達の旅について来てもらう」
「私が堕天使の命令に従うと思いますか?」
冷たく見下ろす視線を受け、ルシファーは溜め息を吐きながら立ち上がった。
「俺の命令ってぇより、ネイトの使命と言った方が正しいな。俺やレゲネラツィの行動は必ず世界に影響を与えるだろう。世界で何が起き、どう変化したかを見て記憶し、世界を在るべき姿へと導くのが輪廻の解脱者の使命だ」
「世界を導ける力が私にあるとは思えませんが」
澄まし顔で否定的な意見を述べられて、ルシファーは心底うんざりした様子で言葉を選ぶ。
「あー、そんな創造神みてーな直接的な力じゃねぇよ。なんていえば良いんだ……人が進化していくための指標になれる、いや、少し違うか」
「輪廻の解脱者がどんな力を持っていようと、この世界の仕組みについて知らない私に、力を行使する権利は無いと思います」
「そいつは俺が教えられるから問題ないけどな。だが、敢えて聞かないで俺達の旅から引くっていうのも一つの手か」
このまま話しを続けても平行線が続くと悟ったのか、ルシファーは旅に同行するか否かをネイトに委ねることにした。
ネイトがもし俺達と離れたら、どうするつもりなのだろうか。身寄りがなく、教会にも戻れない上に、船の到着先は鳥人国家だ。十六歳の少女が新生活をスタートするには過酷な条件である。だから、という訳ではないけど、俺としてはネイトに今まで通り仲間としてついて来て欲しいと思っている。
「どうする?今を逃したら多分もう引けなくなるぞ」
答えを急かしてくるルシファーなど微塵も気にせず、ネイトは落ち着いた様子でゆっくりと瞬きを一つした。
「この世界がどう在るのか、どう在らねばならないのか、教えてもらう必要はありません」
知識を得ることを拒否したということは、俺達とは別の道を進む気なのだろうか。ネイトの決めたことに異議を唱えるのは少し気が引けるが、俺にだってネイトと共に旅を続けたい理由がある。しかし、俺が引き止めの言葉を発するより早く、ネイトがこちらへ振り返った。
「ですから、エフィム。私はあなたとの旅で、正しい世界の在り方を見つけようと思います」
「お、俺?」
ネイトが一緒に旅を続けてくれると言ってくれたのに、突然の名指しに驚いて喜ぶタイミングを逃してしまった。
「社会の理念に反抗して悪魔を宿すアイラを救い、自身も堕天使を宿しながら未来の可能性を諦めない。エフィムとなら、この固まった宗教観に縛られた世界を正しく見れると思いました」
なんだか少し大げさに褒められてる気がして照れくさくなったので、目を逸らし、顔を隠すように鼻の頭を掻く。
「そ、そっか……じゃあ、これからも一緒に旅を続けてくれるんだね」
「はい。それに、妹さんからもエフィムの面倒を見るようにと念を押されましたから」
「あはは……ごめん、マルカが迷惑をかけたね」
ほんのりと目尻を和らげたネイトへ軽い笑みを返す。マルカがネイトへ詰め寄っている様子が簡単に想像できるな。
「いえ。互いを大切に思っている、とても温かい家族だと思いました」
「あ!」
アイラが短く声を上げ、慌てて片手で口を塞いだが、それについて言及する気は起きなかった。というより、もしアイラが声を上げなかったら俺が代わりに声を上げていただろう。何故なら、これまで細やかな表情の変化しか見せなかったネイトが、朗笑を浮かばせていたからだ。
「どうかしましたか?」
周りの様子に異変を感じたのだろう、ネイトはいつもの半眼で俺を見つめながら小首を傾げた。
「ううん、なんでもないよ。ただ、ネイトのちゃんとした笑顔が見れて、驚き半分、嬉しさ半分って感じ」
「ただ笑っただけなのに、そのような感情を抱かれるのは少し疑問が残りますが」
うっ、やっぱり突っ込まれてしまった。うーん、何て答えれば誤解なく納得してくれるかな。
「あー、人間達で仲良くやるのは一向に構わないんだが、とりあえず確認だ。全員これからも俺の目的に付き合ってくれるんだな?」
いつの間にか蚊帳の外に出されていたルシルだったが、俺達の話しが本題から脱線している事を見兼ねて半ば強引に話しを戻した。お陰で俺はネイトの追及から逃れられたので、心の中で感謝の言葉を告げておく。
「うん、俺はもう覚悟を決めたよ」
「私は輪廻の解脱者としての使命を果たすために同行します」
「わたしは……マユラの為にも、宿している悪魔のことを知る為にも、もっと世界を見たいです」
三人がそれぞれの思いを告げると、ルシファーはどこか嬉しそうに、けれどそれを照れ隠しするように大きく頷いた。
「ククク……人間に輪廻の解脱者に絶対悪か、役としては上々だな。それじゃ、これからもよろしく頼むぜ」
歯を見せた笑みを見せた後、ルシファーの姿は消えて光りの粒子となって神器へ吸い込まれていった。
————とある街の何の変哲もない喫茶店で、窓際のテーブル席に座っている一人の男が、上機嫌そうに片手で持ったカフェラテの匂いを楽しんでいた。
男は白いワイシャツに黒のネクタイをし、黒い細身のスラックスに革靴という、どこにでもいる会社員の格好である。特徴を上げるとすれば、痩せ型で長身、カスティール・ゴールドのショートヘアー、そして開いているか閉じているのか分からない糸目だ。
「ふふ~ん、とりあえずは無事に舞台への出演を決めてくれて一安心」
鼻を鳴らしながら優雅にカフェラテを口にした途端、男は眉を捻らせて顔色悪くする。
「ん゛んっ……あー、どうしてカフェラテというのはこうも苦味が残るのか。割り合い的にはミルクの方が圧倒的に多いのに、もったいない」
咳払いをし、心底残念そうな視線を送りながらカフェラテを置くと、今度は隣りの皿に盛り付けられたバニラクッキーサンドを大口に頬張った。
「あぁ……やはり、バニラアイスが口の中を癒してくれる感覚はどの時代、どの都市においても等しく素晴らしいものだ。そしてこのクッキーに余計な味付けがされていないお陰で食感を楽しみつつ、ひたすらバニラを味わえる事を、小官としては高く評価したい!」
響き渡るとはいかないまでも、静かな店内では十分に伝わる程の声量でデザートを褒めているにも関わらず、他の客や店員は男のことを一切気にしている様子はない。誰にも邪魔されない空間で、口の中で軽く砕けるクッキーと濃厚に広がるバニラアイスの調和を楽しみながら、男は至福の時を過ごした。
「っと、そうだ、もう見る必要はないんだった」
デザートを食べ終えた所で男は思い出したように開眼。釣り眼がちの両目から、薄い紫色をしたコンタクトレンズを取り出すと同時に、一人の少年が男の肩を軽く叩いた。
「ごめん、少し遅くなっちゃった」
「いやぁ、良いタイミングだよ、クオリア。心配はしていなかったけど、無事そうでなにより」
クオリアの顔には多少疲労の色が出ていたが、目立った外傷はなく服にも乱れはないのだが、男の言葉を受けた途端がっくりと肩を落とした。
「心配してよ。かなり大変だったんだから」
「そうかい?じゃあ何か奢って労うとしよう」
男は何食わぬ顔で席へ座るよう促したが、クオリアは首を横に振った。
「まだやることがあるでしょ?一段落させるにはまだ早いよ」
「うんうん、真面目に育ってくれて小官は嬉しいよ」
感慨深そうに頷きながらカフェラテを一口。
「うん、やっぱり不味い」
「またカフェラテ飲んでるの?苦手なんだから素直にカフェオレにすれば良いのに」
「苦手な物を克服した時の楽しいというか、嬉しい気持ち、小官はそれを味わいたいのだよ。そう、このカフェラテのように、苦味の奥に潜むほのかな甘味をもったミルクを味わい楽しむのと同じだ」
人差し指を立てて力説する男を見て、クオリアは片手で頭を抱えた。
「変なこと言ってないで、早くエフィムさんの家族のところへ行こうよ」
「はいはい、そう急かさなくても行くよ」
男は立ち上がると、椅子に掛けてあった薄手の黒い開襟ジャケットを羽織る。
「じゃあ、これよりシュバルツ及びクオリア、作戦遂行しますよっと」
釣り眼を細め、怪しくも愉快そうな笑みを浮かべながらシュバルツは指を鳴らした————
ようやく序盤終了まで辿り着けました。
修正作業を挟もうかとも思いましたが、ただでさえ遅い更新ペースをこれ以上遅くするわけにもいかないので、どんどん続きを書いていくことにします。




