第50話
飛行船で空を飛ぶこと丸三日、ついにゴードヴィッドに到着した。
航行中はカイムに稽古を付けてもらうこともできなかったので、主にアイラの勉強を手伝って過ごしていた。とは言うものの、俺は社会学が苦手だったので小学生の内容ですら結構あやふやな場面があった。言い訳をすると、アイラに買った社会学の教科書が進学校向けのものだったので、一般校出身の俺としては中学校の勉強を見ている感覚だった。勿論、教科書はアイラに選ばせたので、本人は興味津々といった様子で教科書を読み進めていた。
意外という言葉を使うと少し語弊があるかもしれないが、俺と同じく手持ち無沙汰だったカイムもアイラの勉強に付き合っていた。始めは委縮していたアイラだったが、傭兵として様々な土地を旅してきたカイムは、その豊富な知識を用いてアイラの知識欲を刺激し、気付けば二人の距離が縮まっていた。
着陸する際、空からゴードヴィッドを眺めると、茜色になり始めた日差しが宮殿の様にそびえ立つ大聖堂と放射状に広がる白い街並みを優しく照らし、美観の限りを俺に見せてくれた。写真や絵画に興味のない俺でも、今見た景色が写っている物があれば是非買いたいと思った。
ゴードヴィッドは国ではあるが、一つの島に大都市を一つ築いただけなので面積としてはテイングより一回り大きい程度だ。なので、上空から国の全体図を把握する事が出来る。中央に大聖堂と広間があり、そこから大きな通りが国を八等分する様に伸びている。飛行船の発着場も大通りに繋がっているので、大聖堂へ向かう途中で迷う心配はない。
発着場に着陸した飛行船から降り、出口の門へ向かって四列になり、順番に荷物検査を受ける。俺達もその中の一列に並んで順番を待つのだが、これが長い。前方の様子を見るに、何かトラブルがあったわけではなさそうなので、これが平常運転なのだろうが、もう少しどうにかならないのか。
特別、待つのが嫌いという訳ではない俺でも思わず愚痴を零しそうになる頃、やっと検査の順番が回ってきた。修道士風の恰好をした検査員に、俺はリュックを預けると共に天徽章を見せる。すると検査員は目を見開き、俺にリュックを押し付ける様に返すと瞬く間に跪いた。
「どうぞ天子様、お通りください」
「後ろの三人もこのまま通って大丈夫ですか?仲間なんですけど」
「お仲間様もどうぞお通りください」
長い荷物検査を覚悟していた身としては拍子抜けもいいところだな、並んでいた時間を返して欲しいぐらいだ。そもそもここは教会国家なのだから、エウメプよりも天子を尊ぶ精神は強い筈だし、多少無理を言ってでも先に通してもらえば良かったか。立ち疲れて苛立っているのか、自分勝手なことを考えつつも検査員の前を通り過ぎて門を潜り抜けた。門の向こうは室内になっており、正面に受け付けらしい窓口があり、今度は修道女が立っていた。
「入国する前に簡単な意識調査を受けて頂きます。身分証を拝見させて頂いても宜しいでしょうか?」
愛想よく笑顔を向けて来る修道女に無言で天徽章を差し出す。するとこの修道女も慌てた様子で両手を組んで祈る体勢を取った。
「天子様、どうか無礼をお許しください。今すぐ案内の者を呼びますので、少々お待ちくださいませ」
修道女は一礼して組んでいた手を解くと、奥の方に引っ込んで行った。
二、三分ほど待つと、窓口の横のドアから受け付けとは別の修道女が出て来て、相変わらず丁寧に祈りを捧げられてから出口に案内された。
この国ではあまり天子だと知られたくないな。信仰深い連中が集まって来て祈りだか呪文だかを唱えられそうだ。同時にアイラの事も気を付けないとな、元々大人しい子だから目立つ事はしないと思うが、万が一悪魔を宿していると周囲にバレたら何を言われるか分からない。
建物を出ると、綺麗に敷き詰められたレンガ道に、これまた綺麗に並んでいる建物が目に入って来る。上空から見て、予め整然な街並みだと分かったていたが、実際に近くで見ると改めて感嘆してしまう。
「綺麗ですね」
俺の心の内を代弁してくれたのはネイトだった。いつもの半眼より僅かに眼を開いて街並みを堪能している。
「ネイトもゴードヴィッドは初めて?」
「はい。ツァピン司祭から話しだけは聞かされていましたが、聖職者がこの地に訪れるには教皇の許可が必要ですので、私のような一介の修道女とは無縁の場所です」
「そっか、じゃあネイトのためにもここに来れて良かったよ」
「私のため、ですか?」
「うん、ネイトに世界を見せるってツァピン司祭から頼まれてたから」
男同士の約束を教えて良い物か一瞬悩んだが、特に隠す必要も無かったので素直に話すと、ネイトは俺から視線を外して恥ずかしそうに薄っすらと笑みを浮かべた。
「ごめんなさい。エフィムに余計な気を遣わせてしまって」
「ネイトこそ、余計な気を遣って謝らなくていいよ。嬉しかったら素直に嬉しいって言ってくれた方が、俺も気分が良いし」
「そう、ですね。ありがとうございます」
今度はしっかりと俺に視線を向けて微笑んでくれた。感情の起伏が小さいネイトに変わって、傍らで会話を聞いていたアイラが楽しげに笑顔を見せていた。
「日も大分暮れている。そろそろ大聖堂に向かおう」
和やかな雰囲気を壊さぬよう、タイミングを見計らってカイムが行動を促してくれたので俺達は大聖堂を目指し歩き始めた。
「んん?」
一歩目を踏み出すと同時に俺は思わず間抜けな声を出して足を止めた。その原因は通りを歩く人々の姿にあった。多人種国家なので耳や尻尾や翼を生やしていたり、鱗に覆われた体をしていたり等々、身体的特徴のある人々がいるのは一向に構わないのだが、人々の殆どがくるぶし丈のトゥニカやカソックを身に纏っていたのだ。他の服装の者もいる事にはいるのだが、割合的には圧倒的に少ない。
「どうかしましたか?」
ネイトが怪訝そうに尋ねてくるので、俺は慌てて手を振った。
「い、いや。流石教会国家だなぁって」
「わたし達の格好だと目立っちゃいますね」
俺と同じ事を感じたのだろう、アイラが苦笑して上着の裾を引っ張った。
どうか変な騒ぎに巻き込まれませんように、と心の中で祈ってから俺は改めて歩き始めた。
服装的に目立っている俺達だったが、住人達は特に気にする様子も無く、騒動が起きる気配も無かった。観光客の多い国なので、服装の相違には関心が薄いみたいだ。騒動に関しても、この国の治安を考えれば心配する必要は無かったと言えるのだが、大聖堂前の広場では何やら大勢の人だかりが出来ていた。
何が起きているか気にはなったが、変に首を突っ込んで面倒事に巻き込まれるわけにはいかない。人だかりを迂回しつつ、横目で広場の中央へ視線を投げると運良く人々の隙間から状況を確認出来た。どうやら十字架に誰かが張り付けられている様だ。公開処刑でも行われるのだろうか?治安は良いと聞いていたが、随分と物騒な行いをするものだ。
「(サーガ!)」
俺の頭の中に焦燥感を残してルシルは霊体化で飛び出し、人だかりをすり抜けて広場の中央に飛んで行った。
「あ、おい!」
思わず声を出して呼び止めるが、ルシルの耳には届いていない。霊体化していれば人々の目に触れることは無いだろうが、嫌な胸騒ぎが俺をルシルの元へ進ませた。
「ルシルの様子を見て来るから、皆はここで待ってて」
そう言い残し、人だかりを掻き分けて行く。尻尾や羽にくすぐられ、硬い鱗に押され、人の肉に阻まれるという奇妙な空間を何度も謝ってどうにか先頭に出る。ルシルは張り付けられた人物の肩を掴んで必死に名前を呼んでいた。サーガとは、俺達がここに来る目的となった天使だ。
十字架に張り付けられているのは天子の方だろうが、全身に酷い火傷を負っていて既に事切れている。何故天子が処刑されているのか、理由は十字架の上に付けられた看板に書いてあった。
<悪魔サルガタナス、咎人ディーン・エイムス、ここに断罪>
悪魔?咎人?一体どういうことだ?
予想外の展開を理解しようと脳が必死に思考を巡らすが、出てくるのは疑問ばかり。そしてショート寸前の俺に対し、状況は無慈悲にも動き出す。点き始めた街灯とは別の何かが、広場の上空を赤く照らした。俺だけでなく、周囲の人々全員が光源のある空へと視線を投げた。
赤い光りの正体は、広場の中心、十字架の遥か上空に現れた巨大な炎の剣だった。明らかに攻撃的な意味を持って現れた炎の剣は、俺の予想通り十字架とルシルへ向かって穿たれた。
「ルシル!」
必死にサーガへ呼びかけていたため、炎の剣の出現に気付いていなかったルシルだったが、俺の呼び声で間一髪、直撃を避けて俺に憑依した。しかし、炎の剣はただ対象を突き刺すためだけの物ではなかった。十字架と張り付けられていたディーンの体を一瞬で消し炭にし、地面に衝突した瞬間、強烈な爆風が広場全体に広がった。
「ぐっ、あああ!」
ルシルは咄嗟に光りをもたらす者を発現させて右手を突き出し、直径二メートル程の光りの壁を作って爆風を防ぐ。
尋常ではない熱量と暴力的風圧は光りの防壁を抜け、俺の体を焼き焦がすと思われたが、突如、何事も無かったかのように爆風が消えて危機を脱した。
数メートル先も見えないぐらい、濃く熱い砂煙が広場を覆っている。あれだけ居た人だかりも、今はどこにも見えない。ネイト達の安否も気になるが、この砂煙の中を無闇に動くのは危険だ。
炎の剣は明らかに霊体化しているルシルを狙っていた。霊体化している天使を視認できるのは宿主である天子以外だと、天使ぐらいなものだが、レゲネラツィも紋章魔術とやらで視認出来るのかもしれない。だが、今回の襲撃がレゲネラツィによるものだったとしても妙だ。レゲネラツィの目的はあくまで天使であり、無差別に武力を行使するような事はしない筈だ。なにより、世界中で信仰されている天使を相手にしている、文字通り世界の敵が表立ってこれだけの騒ぎを起こすとは考え難い。俺もレゲネラツィについてはごく一部のことしか知らないが、今起きている騒動は第三者によるものだと直感的に判断した。
思考を巡らせていると、次第に砂煙が晴れて行く。綺麗に敷かれたレンガは見る影も無く吹き飛んでおり、露わになった大地は熱で焦土と化していた。そして、つい数分前まで十字架が立てられていた場所に、一対の翼を広げた者が佇んでいた。
やはり、今回ルシルを襲ったのはレゲネラツィではない。
砂煙が晴れ、翼を持つ者の容姿がはっきりと見える。ゴールデン・オーカー色のオールバック。射るように鋭く釣り上がった眼は、視線を合わせるだけで恐怖心を煽られる。黒色の飾り気の無いカソックを身に纏い、背中から生えている翼は根元が炎のように赤く、羽先に向かうに連れて純白に変色している。
峻厳さの中に美しさも持ち合わせている天使の姿を見て、一瞬呆気にとられたルシルだったが、直ぐに怒りを剥き出しにする。限界まで眼をいきり立たせ、八重歯どころか歯茎が見えるほど強く歯噛みしてから忌々しげに、だが強く打ち付けるように天使の名前を叫ぶ。
「ウリエル!!なんでテメェがここに居るんだ!」




