第49話
『お兄ちゃんのバカーー!!!』
久しぶりに天徽章を使って家族に連絡を入れて三秒と経たない内に、立体モニターにはマルカの顔がアップで映り、耳を劈くような怒号が響いた。
旅立ってからほぼ毎日のように連絡を入れていたのだが、サンヤスクでのゴタゴタがあって以来すっかり連絡するのを忘れていた。当然、怒られると予想していたのだが、マルカの怒りは俺の予想を遥かに上回っており、思わず徽章を落としてしまいそうになる。
「ごめん……」
俺にも色々と事情があったのだが、そんな言い訳をさせて貰える状況ではないので素直に謝罪の言葉だけを告げる。
『もぉ!私だけじゃなくて、お父さんもお母さんもすっっっごく心配してたんだからね!話したいことがあってもこっちからは連絡できないし、今度からは三日に一度は必ず連絡してよ!』
「うん、分かったよ。本当にごめん」
心配をかけて本当に悪かったと思っているのだが、マルカが今にも立体モニターから出てきそうな勢いで疾呼するので、どうにも空返事気味になってしまう。
『本当に、お願いだよ……。お兄ちゃんに何かあったら、私……」
今までの勢いはどこに消え去ったのか、マルカは急に半泣きの表情へと変わる。元はと言えば俺が心配をかけた所為で怒っていたのだから、その怒りを吐き出してしまえば残るのは不安や危惧の心だ。
怒鳴るだけ怒鳴って、急にしおらしくなる。マルカが怒る時はほとんどこのパターンだ。というか、マルカを怒らせる要因となるのは俺が心配をかけるぐらいなものだ。
「俺なら大丈夫だからさ。絶対に無事に帰るって約束したろ」
マルカの頭を撫でながら言いたいのだが、今それは叶わない。
『うん、約束したよ』
「じゃあ信じて待ってて。旅が終わったらマルカのしたい事、全部付き合うからさ」
『本当?』
マルカの表情に明るさが戻る。流石に全部は言い過ぎたかもしれないが、四年分の空白を埋める為にもマルカと、家族との時間を大切に過ごしたい。
「本当、これも約束」
『絶対だよ!』
「ああ、絶対だ」
何度も固く約束して漸くマルカは笑顔を見せ、近況を教えてくれた。
家の修復が終わり、今は無事に父さんと暮らしていること。家が直ると母さんはテイングの研究所に戻ったこと。学校での出来事。日常でのちょっとした危険な話から笑い話まで、色んなことがあったようだが、マルカはどれも楽しそうに話すので俺も時間を忘れて聞き入っていた。
『ごめんね、私ばっかり喋っちゃって』
一通り話し終えると、マルカは自分の頭を軽く叩きながらはにかんで小さく舌を出した。
「ううん、皆元気そうで安心したよ」
『それで、お兄ちゃんは今どこにいるの?」
「今は飛行船に乗ってゴードヴィッドに向かってるよ」
そう、俺達はアイラの身を引き取った二日後からエウメプの西端の港町を目指し、その港町から飛行船に乗って教会国家ゴードヴィッドに向かっている最中なのだ。今、マルカと通話している場所は客室の通路の突き当たりに設けられた広間だ。
広間の壁の一帯は大きく分厚いガラス張りになっており、外の景色が良く見える。そのガラスに沿うようにして、細長いテーブルが三つと固定された椅子が十数個設置されている。幸いなことに今この場には俺しか居ないので、先ほどのマルカの怒号で他の乗客を驚かせてしまうような事にはならなかった。
何故出発が二日後になったかというと、サンヤスクからテイングまでの移動が詰め込み気味だったので単純に休息を取る意味もあったが、俺がアリナとの約束を果たしたいというのが大きな理由だった。
一緒に街を回るという約束をすっぽかした俺に何も聞かず、アイラの家を教えてくれたお礼も兼ね、一日中アリナと共に過ごした。今思えば、手紙を残して急にいなくなった相手が急に帰って来て約束を果たすという身勝手な行動に、文句一つ言わず付き合ってくれたアリナの懐の深さは嘆美せねばなるまい。
アリナに聞いた話しでは、近々議会の再編成が為されるそうだ。サムエルの告発によって、政治家に圧力を掛けられていた警察も漸く腰を上げる事ができ、不正を行っていた政治家は一斉検挙されたそうだ。尤も、腐った政治家であっても一辺に大勢が抜けては行政が立ち行かなくなるので、議会の再編成が終わるまで逮捕は先送りされたらしい。
少し先の話しではあるが、今後はアリナの父親が中心となって国が動いていくだろう。アリナもそれを理解しており、より一層政治について勉強せねばならないと意気込んでいたのだが、父親の方は相変わらずアリナを政治家にする気はないらしく、あの手この手を使ってアリナの妨害をしてくるらしい。残念な事にこの日も父親には会えなかったが、いつか必ず挨拶しておきたいな。
『ゴードヴィッドかぁ、良いなぁ。私も行きたい!』
現在の世界を統治する唯一神教の総本山が置かれている国だけあって、治安は抜群。街並みも派手さこそ無いものの、楚々とした白い建物とその間に敷き詰められたレンガ道を歩けば、まるで物語りの登場人物になったと錯覚するだろう。
観光地としてはやはり大聖堂が代表だが、先述した街並みや天国と見紛う程の美しい海岸も人気であり、多人種国家なので、世界中の名物料理を味わえる。ただし、国全体が信仰を重んじているため、観光で入国する際にも厳重なる持ち物検査と意識調査が執り行われるので、相応の覚悟をする必要がある。
「いつか家族皆で旅行しような」
『うん!景色の良いホテルとか美味しいレストランのリサーチお願いね!」
天子としての旅を終えれば、それはもう英雄のように扱われるらしいので、家族を連れて教会国家に旅行するなど朝飯前だ。勿論、面倒な検査などは顔パスだ。
何か月後か、何年後か分からない旅の終わりの更に先を想像して俺とマルカは楽しく談笑した。
「っと、もうこんな時間か」
ふと視線を壁に備え付けられてあった時計へ向けると、あと数分で日付けが変わってしまうところだった。
「明日も学校あるんだろ?そろそろ切るよ」
『えー、もっとお兄ちゃんとお話ししたーい』
久しぶりということもあってまだまだ話したりない様子のマルカであったが、寝不足で何かの事故に遭っては困る。俺も名残惜しい気持ちを押し殺して頭を振った。
「駄目だ、睡眠不足は体に悪いぞ。あと、暑くなってきたからって薄着になり過ぎないように、風邪引いても看病できないからな」
『言われなくても分かってるけどさぁ……』
「また連絡するから、じゃあな」
不満で頬を膨らませるマルカを愛しく思いながらも心を鬼にして強制的に通話を終わらせに掛かる。
『……うん、またね。お兄ちゃんも体に気を付けてね」
マルカの気遣いに薄く笑って応えると、俺は立体モニターに表示された通話終了の項目に指で触れた。マルカの姿が消え、暗転した立体モニターに残心を覚えるも束の間、徽章をポケットに仕舞って立ち上がると広間を後にした。
————時は一時間程戻り、ネイトとアイラの客室。
「さて、アイラそろそろ就寝しましょう」
就寝前の祈りを終えたネイトが、備え付けられたテーブルと椅子で勉強していたアイラに呼びかける。
テイングを出発する前に、道中の暇つぶしとしてアイラへ何か買い与えようと提案したのはエフィムだった。始めは遠慮していたアイラだったが、何度か勧められる内に断り切れなくなり、好意に甘える事にした。暇つぶしの手段として勉強を選んだ時のエフィムは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたが、アイラが望むならと、語学と数学と社会学に関する教科書と文具一式を揃えた。ちなみに、アイラの荷物入れはセミボストンタイプの薄いピンク色をしたバッグだ。
「あ、はい」
アイラは素直に頷いて、まるで宝物を扱うかの如き丁寧さで勉強道具をバッグに仕舞う。
「本当に勉強が好きなのですね」
「えへへ……わたし、学校に通っている時も友達が少なかったので、勉強するか本を読むか以外にする事がなかったんです」
でも、色んなことを知るってとっても楽しいです。と付け加え、アイラは自分に宛がわれたベッドに入ると、照明を消したネイトが何故か当然の様に同じベッドへ入って来た。ご丁寧にもう一つのベッドから枕を持参して。
「あ、あれ!?こっちがネイトさんのベッドでしたか!?」
困惑しながらベッドを出ようとするが、時既に遅し。ネイトにがっしりと抱き寄せられ、一つのベッドで向き合う形で横になった。
「いえ、こちらがアイラのベッドで間違いありません」
「え?じゃあ、なんでネイトさんが一緒に入っているんですか?」
「…………」
沈黙。無表情のネイトから、この沈黙が何を意味するか読み取るのは困難だろう。
至近距離で見つめ合うことに気恥ずかしさを感じたアイラは次第に目線を下げていく。すると、ネイトの寝巻の胸元が緩く開いているのが目に入り、アイラは自分にはない胸の膨らみに少しだけ意識を取られる。ネイトの胸は決して大きい方ではないが、母性を感じたアイラの脳裏には、母親と仲良く暮らしていた時の記憶が一瞬だけ蘇った。
「わ、わたしだったら、もう大丈夫ですから」
このまま身を任せてしまいそうになる直前で、アイラは視線を上げ戻した。サンヤスクで救出された直後は、怯えるアイラを落ち着かせる為にネイトが添い寝をしていたのだが、平静を取り戻した今となっては不要の行為だ。いつまでも心配をかけたり、甘えたりしてはいけない。
「憧れ、ですかね」
ネイトの口から告げられた言葉は、アイラを納得させるものではなく、逆に疑問を深くさせた。
「憧れですか?」
「ごめんなさい。自分の気持ちを表現するのは、あまり得意ではありません」
そう言いつつ、目を閉じてアイラを抱き寄せるネイトの顔はどこか儚げであり、アイラもそれ以上追及することが出来なかった。けれど、いつも冷静で大人びて見えるネイトがたった今見せた表情には、どこか親近感を覚えた。アイラはそれが嬉しく思えたので、何も言わずにネイトへ体を預けて目を瞑った————




