第48話
多人種国家ゴードヴィッド。地上で初めて天使が発見された国であり、世界最大の大聖堂が建てられている。各国の教会を管理しており、世界を統制する実権を持つ。修道士だけでなく一般市民も、天使や神への信仰心は絶対的と言っても過言ではない程に厚いことから教会国家と呼ばれることが多い。
大聖堂に仕える事ができた修道士は、末代まで人生が保障されると言われている。尤も、その噂を聞いて入信しようとする欲深い者は当然の如く門前払いされるので、噂の真偽は定かではない。
町並みは白を基調としており、一般の住宅街ですら神秘的な雰囲気を醸し出している。その景観や圧倒的な治安の良さから、移住希望者は後を絶たない。しかし移住を希望する際には教会の人間によって希望者の家族や親類全員の信仰心を調べ上げられ、厳選な審査を通過したもののみ移住を許可するといった徹底ぶりである。
教会国家の大聖堂に仕えるディーン・エイムスは若干二十四歳という若さで助祭という地位に就いていた。しかもこのディーン、数か月前まではエウメプ国の港町で漁師をして生計を立てていた。
教会の信仰する神や天使に対して反心は持っていないが、教会に仕えたいという程の信仰心も持ち合わせてていない。何故このような男がたった数ヶ月で大聖堂の助祭になったのか、それは彼の右手の中指に身に着けられた指輪にあった。大きさや模様に特別な所はない、銀色の指輪だったが、これにはサーガと名乗る天使が宿っていた。
いつも通り漁に出て網を引き、大量を喜んでいると魚に紛れて入っていた指輪を見付けたのが出会いだった。
サーガの願いは天界に行く事だったが、その前に地上で最も力を持つ者の事が知りたいと言うので教会に相談したところ、ゴードヴィッドの大聖堂に配属された。天子が教会に仕えるというのも妙な話だが、サーガの言い分で実働することとなったのだ。しかし、天子を並の修道士と同じ待遇で扱う訳にもいかず、かといっていきなり司祭や司教の位階を与えて仕事を任せる訳にもいかず、適当な落としどころとして助祭という位階が選ばれた。
現在ディーンが目指しているのは大聖堂の六階にある祭壇の間だ。そこは最初の天使、ケルビムを宿した神器が安置されており、通常なら司教以上の位階を持たねば上がることの出来ぬ階だ。
浅黒く焼けた肌に黒に近い茶色の短髪といった活発そうな身体に、助祭用の緑色でゆったりとしたローブは不釣り合いに見えるが、ディーンは構わずズカズカと階段を上り切った。煌びやかな装飾が施されているが重厚な放つ巨大な扉が真っ先に目に入り、その両端には金色に輝く甲冑と鏡のように磨かれた銀の槍を持った衛兵が立っていた。
ディーンは何食わぬ顔で辺りを警戒している衛兵の横を通り過ぎ、扉を開くことなく祭壇の間へと足を踏み入れた。ディーンが天子だから衛兵は道を通したとか、扉が実は聖術で作られた物で特定の人間だけを通す性質を持っているとかではない。大聖堂の、しかも最重要とされる祭壇の間を守っている衛兵が、見た目だけで確認を済ませる筈もないし、扉は実物である。では何故ディーンは衛兵も扉も素通り出来たのか、答えはサーガの能力にあった。
実在の物であろうと架空の物であろうと関係なく、他人に自身の姿を認知される事無くすり抜ける透明化、自身の記憶にある場所にならいつでも自由に行き来可能な転移、この二つがサーガの能力だった。
祭壇の間は円形の広間で、空間を等分するように幾つもの柱が立っていた。明かりは柱の上に灯された松明のみであり、薄暗い。広間の中央には四角く盛り上がった祭壇があり、その中心に安置された台座には赤い刀身の両刃剣が突き刺さっていた。
ディーンもといサーガは透明化したまま、真っ直ぐに祭壇を目指す。柱には術式や祈誓の言葉のようなものが書かれており、聖術による監視や罠が施されているのだろうが今のサーガには何の意味も成さない。
祭壇に上り台座に刺さる剣へ右手を伸ばすが、剣の柄を掴む直前で右手首より先が分離して宙を舞った。血が流れるより早く右手は焼却され、サーガの身は横に吹き飛ばされた。
壁に激突し倒れ込むサーガだったが、一瞬の出来事であったが為に右手を失った事も、全身を襲う鈍痛も忘れてただ茫然とするしかなかった。そして、やっとの思いで覚醒させた脳と視覚が捉えた白と赤に染まった一対の翼は、サーガを恐怖と絶望の底に落とすに十分過ぎるものだった。
俺がアイラを引き取ると言うと、予想通りブレーンス司教は渋い顔をしたが、ルシルが実体化して天使としての権威を遺憾なく発揮し、有無を言わせず納得させた。俺の苦悩はなんだったのかと思いたくなる程呆気ない結末だったが、俺が悩み、考えて決めた事だからこそルシルは力を貸してくれたのだ。
アイラの身を預かるに当たって、実はもう一つ気掛かりな事があった。それはネイトがアイラをどう思っているか、だ。サンヤスクからテイングに着くまでは俺の指示もあったからなのか、アイラの面倒を見てくれていた。しかし、産まれた時から教会で育ってきたネイトが、悪魔を宿しているアイラを良く思っていないのではないかと密かに心配していた。けれどそれは全くもって杞憂に終わることになる。
アイラを引き取り、教会を出てネイトに確認したところ、表情こそ変わらないものの嬉しそうにアイラを抱き寄せてこう言った。
「エフィムが連れて行きたいと言った相手を、私が嫌悪する道理などありませんし、嫌悪してる相手と同じベッドで眠れるほど器用ではありません」
言われて思い出したが、サンヤスクでアイラを助けた日は、怯えるアイラを抱きしめて一緒に寝たと言っていたし、馬車での移動中は野宿だったが、その時も二人はくっ付いて寝ていた。アイラの方もネイトには懐いているようだし、問題はなさそうだ。
安心して、これまで固まっていた体の緊張を解すために伸びをしていると、どこかで時間を潰していたカイムが合流したのだが、この時アイラが微かに怯えた表情を見せた。どうやらアイラがカイムに慣れるまではもう少し時間が掛かりそうだ。
めでたくアイラを仲間にすることができ、気分が良くなった俺は勢いに任せて三人を連れ、上流居住区近くの高級レストランでご馳走を食べる事にした。尚、主役のアイラは慣れない場所に終始落ち着かない様子で、主催の俺も上品なテーブルマナーに苦戦させられた模様。
翌日、朝食ついでに何か新しい情報はないかと喫茶店アッハラーノに足を運ぶと、予想外の人物に出くわした。
「いらっしゃいませー。おや、エフィムじゃないか」
「サムエル!」
そう、元天子であり元最高裁判所長官サムエル・フォーシェルンドがカウンターの向こう側に立って俺達を出迎えたのだ。
無造作に伸ばされていた髪は幾分短くなっており、表情がはっきりと見て取れる。目の下にあった青いクマは消え、顔色も健康そうである。くしゃくしゃに着崩していたビジネススーツも、今は行儀よく着ているのだろう、シャツの裾は綺麗にズボンに納め、ネクタイも真っ直ぐに着けている。
以前見た時とは雰囲気が別人の様だったが、一度敵として戦った者のことは自分が記憶している以上に覚えているらしく、サムエルの姿を見た時、ほぼ直観的に本人だと分かった。しかし、一体どういう経緯があってこの喫茶店で働いているのだ。
俺達が驚愕して硬直していると、厨房の方から相変わらずラフな格好をしたフィンクさんが出てくる。
「おう、お前さん方か、らっしゃい!」
フィンクさんは俺達を見ると豪快な笑みを浮かべ、大声で歓迎してくれたのだが、その大声にアイラは驚いてネイトの影に隠れてしまった。
「お?小さい嬢ちゃんが増えてんな。まぁ、そんな所に立ってないで座りな」
「は、はい」
フィンクさんに促されて俺達は漸く近くのテーブル席に座った。
「あの、どうしてサムエルがここに居るんですか?」
着席し、メニューも見ずに訪ねるとフィンクさんは半ば呆れた様子で答えてくれた。
俺達との戦いに敗れて天使を失い、権威が失墜したサムエルは即座に最高裁判所長官を免職させられた。政治家のあまりにも強引で勝手な決定に当然抗議したが、天子ではないサムエルの言い分に聞く耳を持つ者はいなかった。その上、政治家の反感を買ってしまい、裁判所どころか行政地区一帯への立ち入りを完全に禁止されてしまう。
天子も職も失い途方に暮れていると、俺達との戦闘の騒ぎを聞きつけた教会から使者が訪れた。全てが億劫に感じたサムエルは、天使が奪われたと騒ぎ立てる事もせず、ただ結果的に自分はアガリアレプトの願いを叶え、襲撃者は俺達が退けたとだけ告げた。そして、元々今の社会体制に不満を抱いていたサムエルは自分の関わった賭博裁判や賄賂を含め、今まで見てきた政治家共の汚職を洗いざらい話した。
サムエルは牢屋に入る覚悟でいたのだが、教会としては天使の願いを叶えた者を牢屋に入れる訳にはいかなかった。悩んだ末に出された結論は、サムエルの身柄については不問にし、財産のみを押収して政治家達の悪事と共に警察へ届け出すというものだった。
地位も財産も無くなったサムエルには、教会から一月分の生活費と仮住まいを渡されたのだが、自暴自棄になっていたサムエルはそれらを利用して新しい人生を歩む気など微塵も湧いてこなかった。
根が真面目だったサムエルは自分が悪事を裁けないどころか加担している事に、心のどこかで常に負い目を感じていた。その為、食事も睡眠も満足に取れていない日々が続いており、更に今回の件で気力を失ったサムエルの体は直ぐに悲鳴を上げた。教会と商業区の間の人気の少ない道で倒れている所を、偶然通りかかったフィンクさんが見つけて介抱したのだ。
目を覚ましたサムエルから事情を聞いたフィンクさんは、それはもう熱く人生について語り聞かせたそうな。
「そして、行く当てもなかった“僕”をアルトさんが雇ってくれたんだ」
フィンクさんの熱い人生論が語られる直前を見計らい、お冷を持って来てそのまま話しを聞いていたサムエルが話しを締めくくった。前に会った時と一人称が変わっていたが、今の生き生きとしたサムエルを見るに、こちらの方が自然体だと予想できる。
「おいおい、今から話しが盛り上がる所だったのによ……。まぁ俺も店の経営と情報屋の仲介を一人でってのは正直きついところもあったし、丁度良いところだったんだよ」
語りを邪魔され不満気な表情を浮かべるが、それは一瞬であり、直ぐに愛想の良い顔を俺達に向けた。
「そんな事があったんですね……あれ、ということはサムエルも情報屋の仲介人として協力してくれるんですか?」
情報屋の事は一部の人間しか知らない筈だ。それをフィンクさんが口にしたという事は、サムエルもこの喫茶店のもう一つの顔を知っているという事になる。
「ああ、これまでも何人か雇って情報屋の事を教えるか様子を見ていたんだがな、全員どういう訳か夏が近付いてくると辞めちまうんだ」
難事件に頭を悩ませている刑事の様に腕を組んで見せるフィンクさん。あ、そういえば元刑事だっけ。
夏か……多分、耐えられなくなるんだろうな、フィンクさんの熱さに。
「僕が、首が飛ばされるまでここで働くことに決めたと言うと、アルトさんはあっさり情報屋の事を教えてくれたよ」
「そんな簡単に決めて良いのか?」
「前にも話したが、俺はこれでも人を見る目には自信があるんだ。こいつは大丈夫だ!」
何故か得意げに話すサムエルにカイムが呆れ半分、戸惑い半分といった様子で尋ねた。
簡単とは恐らく、恩があるとはいえ、長期勤務を決めたサムエルとそれを信じたフィンクさんに対してなのだろうが、尋ねられた二人の様子を見た感じ、前者の意味は伝わってないな。
カイムもサムエルに伝わっていないと分かっているのだろうが、改めて聞く雰囲気でもなくなったので閉口し頭を抱えた。それもその筈だ。今のサムエルとフィンクさんは互いに充実感に満ちた笑みを交わしていたのだから。
「えーと、じゃあこれからお世話になると思うので、よろしくお願いします。サムエルさん」
以前は敵対していたので呼び捨てにしていたが、仲間になった今、一回り程も年上の相手に敬称を付けない訳にもいかないし、今のサムエルさんの様子を見ていたら素直に敬う気になれる。
「こちらこそよろしく。今更さん付けは止めてくれよ、気味が悪い」
「あ、やっぱりそうですよね」
以前からは想像も出来ない、柔らかい笑みを見せるサムエルに対し俺は自分の些細な失態に苦笑いを浮かべ、どちらからともなく手を差し出して友好の握手を交わした。




