第47話
アリナに教えられた通りに道を歩いて行くと、上流居住区の外れで円状に模られた花畑を見付けた。そして、花畑の中央には五メートル程の細長い三角柱が立てられており、その先端には十字を中に入れた輪が付けられていた。
もはやアイラが住んでいた当時の面影はどこにも無いのだろう。横目で見た表情には驚きと悲しみが混在していた。
道は三角柱の慰霊碑まで続いていたので、アイラの手を引いて歩いて行く。
「やっぱり、わたしの居場所はもうどこにもないんですね」
慰霊碑の直ぐ近くまで来ると、アイラが絞り出す様な声で呟いた。
居場所なら俺が作ってやる。と無責任にでも言えたらどんなに楽だろうか。天子が悪魔を連れて歩くなど、教会が許す筈はないし、連れて歩けたとしても俺はレゲネラツィに命を狙われているから間違いなく戦いに巻き込んでしまう。
サンヤスクでの惨状を目にした身としては、これ以上アイラに危険な人生を送らせるわけにはいかない。ブレーンス司教もアイラの拘束については一考してくれるようだし、俺が下手に何かする必要はないのだ。
理解はできるが納得はできない。俺は歯噛みし、空いている左手を強く握り締めた。
「厄災の犠牲者の魂を鎮め、悪魔が産まれた土地を浄化する意味を込めて建てられた、聖術を内包する慰霊碑」
突然聞き慣れない声がし、咄嗟に声の主を探すと、俺の直ぐ左に少年が立っていた。少年はローブで全身を覆っていたがフードは被っておらず、スプリング・グリーンのセミショートの髪が露わになっていた。身長は小柄なアイラより少し高いぐらいで、年齢は十二、三といったところだろう。
知らない間に現れた少年に、俺はアイラを守るようにして対峙する。だが、少年は俺の警戒など気にせず、ゆったりとした動作でこちらへ向き直る。少年は、その中性的な顔で俺を一瞥すると、強く差す西日にも負けないほど明るく、屈託の無い笑顔を見せた。
「驚かせてしまってごめんなさい。ボクはクオリアと言って、仲間と世界を回っています」
名乗られたからにはこちらも名乗り返しておこう。俺は警戒を解き、アイラを横に並べる。
「俺はエフィム、こっちはアイラ。君と同じく旅人だよ」
「へぇ、それは奇遇だね。二人は兄妹……という感じではないけど、どういった理由で一緒に旅をしているの?良かったら聞かせてほしいな」
クオリアは笑顔を崩さずに訪ねてきた。疑っている訳ではなく、純粋な疑問なのだろうが、その純粋さが逆に俺の返答を詰まらせた。
「あ!ごめんなさい。ボク、人の話しを聞くのが好きで、よく無神経に質問しちゃうんです」
焦った様子で頭を下げ、右手の拳で軽く自分の頭を叩いて見せる。
「い、いや。そんなに謝らなくても良いよ」
「そう言って頂けると助かります」
頭を上げたクオリアの表情は眉尻こそ下がっていたものの、心の底から安堵したとでも言うように穏やかだった。
感情表現が豊かで人懐こい性格なので、平時の俺なら好印象を受けただろう。しかし、アイラとの時間を大切にしたい今は、クオリアの人懐こさが少しだけ煩わしいと感じた。
「お詫びに、一つおまじないをさせてください。お二人の旅がこれからも無事に続く様に」
俺とアイラに、これからなんて無いんだ。少し気が引けつつもクオリアの好意を断ろうとしたが、俺が言葉を発するより先にクオリアの右手が俺の左手を、左手ではアイラの右手を握っており、断るに断れない状況に持ち込まれていた。
「直ぐに終わりますから、お二人も手を繋いでください」
無邪気だが、有無を言わせぬ笑顔に俺とアイラは一度顔を見合わせてから手を繋いだ。三人の輪が出来たのを確認して満足そうに頷いたクオリアは、落ち着いた表情で目を閉じ、空に向かって唱える。
「地水火風氷雷光闇、全ての理を以って内なる扉を解放せよ。扉は大地の如き頑強さを持ち、水の潤い宿し、命の火を灯し、風の如き変化し、氷の様に儚き、雷の様に瞬き、全てを輝かせる光りを知り、全てを覆う闇をも知る、人の心」
クオリアが詠唱を終えると、三人の輪の中心に眩い光りが発生した。光りは瞬く間に広がって行き、俺達を包み込む程になると、とうとう目を開けている事が出来なくなった。
目蓋の向こうから光りを感じなくなったのは数秒後の事だった。何が起きたのか確認する為に目を開け周囲を見渡すと、そこには宇宙が広がっていた。重力も酸素もあるので本物の宇宙に来た訳ではないのだが、暗い空間に幾千、幾億もの小さな輝きが明滅するこの場所への印象として真っ先に思いついた言葉が宇宙だった。
俺達はいつの間にか手を離しており、それぞれ二、三歩ほどの距離を取った場所で三角形を結ぶ形で立っていた。
「ここは一体……君は俺達に何をしたんだ?」
見慣れぬ景象に戸惑いつつもクオリアへの警戒を強める。アイラも周囲を見渡すのを止め、俺の影に隠れながらクオリアの様子を窺っていた。
「突然の事で驚いたでしょうが、安心してください。危害を加えるような事はしません」
笑みこそ浮かべていないが、表情は柔らかく、視線は真っ直ぐに俺の瞳を捉えていた。嘘を言っているようには思えないが、簡単に信用する訳にもいかない。
「悪いけど、俺はあんまり平和な旅をしている訳じゃなくてね。安心してと言われて素直に応じる気にはなれないな」
「それもそうですよね。では今ボクが行った魔術について説明しますと、世界を構成する八つの属性と、ある媒介を繋ぎ合わせてボクたちが居た世界とは別の世界を創り出しました。もっとも、世界とは言っても直径三十メートルにも満たないごく小さな空間ですけどね」
カイムの結晶魔術やレゲネラツィの紋章魔術と違って媒体を使わずに詠唱だけで発動したということは、これが本当の魔術なのだろうか?それに世界を構成する八つの属性と言われても、魔術についての知識が乏しい俺には何の事だかさっぱりだ。とりあえず、俺達はクオリアの作りだした空間に閉じ込められたということだけは分かる。
「それで、こんな空間を作りだしてどうするつもりだ?」
「こんな空間、とは少し粗末な言い方ですね。ここはアイラちゃんの心を媒介にして創りだした、言わば精神世界なんですよ」
「アイラの!?」
「そうです。その証拠に後ろを見てください」
敵か味方か分からぬ相手に背を向けるのは抵抗があったので、アイラに後方を確認してもらうように目配せする。アイラは素直に頷き、後ろを振り向いて驚愕の声を上げた。
「マユラ!」
もうこの世に存在しない筈の者の名前を聞いて、俺はクオリアを警戒する事も忘れて振り返った。少し離れた所に、粗末な灰色の服を纏い、伸び切った髪の毛を煩わしそうに掻き上げた少女の姿があった。
アイラは嬉々とした表情で走り出し、俺も後に続こうとしたが脳裏にある仮定が浮かんで踏み止まった。これはクオリアが見せている幻覚なのではないか。俺とアイラが油断している隙に攻撃を仕掛けてくる可能性だってあるし、俺達をこの空間に閉じ込めている間に外でクオリアの仲間が何か動きを見せているかもしれない。あくまで可能性の話しだが、これ以上アイラを荒事に巻き込むわけにはいかない。
俺がクオリアを問い詰めるべく振り返ると、そこには意外な状況があった。クオリアが膝を付き、胸を押さえながら項垂れていたのだ。
「ボクの事は気にしないでください……。ですが、時間に余裕はありません。急いで決めてください」
荒く息を切らしている人間を放っておける筈もないし、時間に余裕がないとは、急いで決めろとはどういう事なのだろうか。クオリアが現れてから疑問ばかりが浮かび上がり、脳の処理が追いつかない。
「エフィムさんが、アイラちゃんをどうしたいか……アイラちゃんがどうなりたいか、きちんと聞いて、決めてください。エフィムさんが諦めない限り、可能性は潰えません」
「クオリア、君は……」
俺とアイラがどんな状況にあるのか知っていて、その上でアイラの精神世界に連れてきた。どうして、何のために?
混乱状態の俺に、クオリアは苦痛に顔を歪めながらも気丈に笑って見せた。
「アイラちゃんを助けられるのは、もうエフィムさんしかいないんですよ。だから、諦めないでください」
クオリアが何者なのか、何が目的なのか分からないが、ここまで励まされて黙っていられるほど不熱心な性格ではない。俺がどうしたいか、どうするべきか、もう心は決まっているのだ。後はそれを実行する勇気と、アイラの気持ち次第だ。
マユラは楽しそうにアイラと話しをしていたが、俺が近付くと剣幕した態度に一変した。
「あー!約束破りのお兄ちゃんだ!」
「や、約束破り?」
「そう!アイラのことを幸せにしてって頼んだのに、教会に預けるなんて最低だよ!あたし死に損じゃん!」
頼まれた覚えはないが、マユラの最期を思い出せば俺がマユラの願いを受け継ぐのが当然だろう。今まで自分の意志でアイラの平穏を取り戻す事ばかり考えていたが、アイラの事は俺一人の問題ではなかったのだ。マユラの命を背負うという事の重さに、いつの間にか視野が狭くなっていた。俺一人の考えが通じなかったからと言って簡単に諦めて良い問題ではないし、そもそも俺に諦める権利は無い。
ここで諦めてはきっと、昔マルカと距離を置いた時のような後悔に付き纏われるに違いない。あの時も今と同じように、自分の中だけで考えて、勝手に諦めて、逃げた。
「後悔するって分かってるのに、どうして逃げ腰になるんだろうな」
多分それは俺が周りの流れに逆らわずに生きてきたからだ。何も考えず、世界の在り方に従って生きるのは楽だし、人はどうしても楽な方を好んで生きてしまう。だが、楽なだけで楽しくはない、生きている実感など得られない。俺は今を確実に生きていて、楽な人生を選ぶにはまだまだ若すぎる。
「マユラ、エフィムさんに酷いこと言わないで!エフィムさんはわたしやマユラのことを人間として見てくれて、必死に助けようとしてくれたんだよ。今までのこと見ていたなら分かるでしょ!?」
マユラに怒鳴られ、俯く俺を気遣ったのだろう。アイラが珍しく強い口調で叱りつけた。
「分かってるよ。でも結局は教会に預けることにした!口ではあたし達のことを人間だって言いながら、本心では悪魔を宿している厄介者だと思ってるんでしょ!?」
マユラが負けじと声を荒げると、アイラは悲しそうに眉尻を下げて一歩後退った。もしかしたらマユラの今の発言と同じ事を、アイラも心のどこかで感じていたのかもしれない。考えないように、気付かないようにしていた事をマユラが口にした為に、アイラはもう俺を疑わずにはいられなくなったのだろう。
泣き出しそうな目と、怒りを露わにした目、それぞれをゆっくりと一瞥してから俺は開口した。
「俺は二人を厄介者だと思ったことはない」
好意と反感が俺の双眸を射ったが気にしない。俺は俺の意志を告げる。
「ただ、マユラの覚悟や願いの強さに気付かず、アイラの思いを聞こうともしなかった。独善的にアイラの幸せや平穏を決めつけ、勝手に諦めた。誰かの願いや命を背負うなんて、俺には荷が重すぎたんだ」
「ふざけないで!それじゃあやっぱりあたしたちの事が邪魔だって言うの!?」
堪らないといった様子でマユラが掴み掛かってくる。痩せ細った体とは不釣り合いに大きい眼が、殺意の光りを宿しており、伸び切った髪も相俟って飢えた野生動物に噛みつかれたと錯覚させられた。けれど、俺は怯まず真っ直ぐにアイラへ視線を向けた。
「だから、アイラ、お願いだ。マユラの願いを俺と一緒に背負って欲しい。もし俺と一緒に願いを背負ってくれるなら、アイラ、君がこれからどうしたいか教えてくれ。マユラの願いはアイラの幸せだから、アイラにしか決められないんだ」
突然の要求に困惑したアイラは俺とマユラを何度か見やった後、口を小さく動かしながら俯いてしまった。
クオリアに時間がないと言われたのを思い出したが、アイラの答えを急かす気はない。最悪、この空間が消えてもアイラとは現実で会えるのだから、今はこの空間でしか会えないマユラに思いを告げよう。
「マユラ、心配かけてごめん。でもこうして出会えて確信したよ。やっぱりマユラは人間だ。悪魔を宿しているとか、悪魔が作りだしたとかなんて関係ない、誰よりも姉妹を大切に思っている優しい女の子だ」
俺の服を強く掴んでこそいるものの、見上げてくる眼に殺意は無い。俺は優しくマユラの頭を撫でた。
「……ほ、本当に心配したし怒ったんだからね!またアイラを悲しませることしたら、今度は三日三晩、枕元で怒鳴り散らしてやるんだから!」
「ははっ、それは怖いなぁ」
口調は強いものの、頭を撫でられてくすぐったいのか気持ち良いのか、マユラは目を細めて頬を緩ませていた。その姿がとても愛おしくて緊張が緩んだのだろう、思わず笑い声を上げた。その反面、マユラを助けられなかったことが本当に悔しくて堪らない。アイラの幸せはアイラにしか決められないと言ったが、恐らくアイラとマユラは二人が一緒であればそれだけで幸せなのだろう。俺が二人の幸せを奪ってしまったのならば、別の幸せに辿り着くまで面倒を見のが当然の行いだろう。
「わたしは……教会に閉じ込められたくありません。マユラの分まで外を、世界を見たいです」
胸元に両手を重ね、小さな囁きとも取れる声でアイラが自分の思いを口にしてくれた。普通なら雑音に掻き消されてしまったかもしれないが、無音の空間はアイラの思いを尊重し、俺の耳へ届けてくれた。
「うん、分かった。少し危険があるけど、俺がアイラと一緒に世界を回るよ。教会に文句は言わせない」
マユラの頭から手を離し、アイラへと手を差し出す。
俺がアイラの居場所になれるかは分からない。けれど、アイラが幸せに暮らせるまでは一緒に居よう。それはきっと、天使でありながら人の可能性を信じ、選択を委ねてくれるルシルを宿す俺にしか出来ないことだから。天使と人間と悪魔が共存出来る可能性ってやつを、世界に見せてやろうじゃないか。
「よ、よろしくお願いします」
一瞬躊躇ったが、アイラは笑顔で俺の手を取ってくれた。いつの間にか周囲の景色は慰霊碑と花畑に戻っており、マユラの姿も無くなっていた。クオリアが無事なのか確認しようと辺りを見渡したが、どこにもその姿は見当たらなかった。
「なんだか、不思議な体験をしましたね」
「そうだね。でも良かったよ、俺が諦め切る前にアイラの気持ちを聞けて」
「いつかクオリアさんにお礼をしないとですね」
「うん。また……きっと近い内に会えるよ」
俺とアイラは手を繋いだまま慰霊碑を後にする。教会に俺がアイラを引き取ると伝えに行かねばならない。多分反対されるだろうが、強行突破だ。
「アイラのこと悲しませたら今度こそ許さないからね!」
優しく世界を照らす夕日に混じって、悪戯っぽい笑い声と共にマユラの声が聞こえた。聞こえる筈はないのだが、気の所為ではないし、不思議にも思わなかった。聞こえるべくして聞こえたのだろうと、なんとなくだが自然と納得できた。
————夕日が届かぬ薄暗い路地裏で、ローブで全身を隠した少年が胸を押さえて蹲っていた。
「くぅ……やっぱり絶対悪を抑えるのは無理があったかな」
少年は苦痛に顔を歪めながら、ふと口端を上げる。
「でも、苦労した甲斐はあったよね」
「な~にニヤニヤしてんだ。まったく、勝手な事と無茶はすんなっていつも俺に言ってるクセによ」
声の主が路地奥の闇の中から姿を現すと、クオリアはゆっくりと立ち上がる。
「ヘルムートにそんな事を言われるなんて……そうだね、少し無茶したかも」
「あいつらを助けるのに文句は言わねぇけどな、俺は堕天使を殺すまであいつらを追いかけるぞ」
おどけて笑うクオリアを一瞥し、ヘルムートは大柄な戦斧を片手で肩に担ぎあげた。
「あ、うん。その事なんだけど、シュバルツがボクとヘルムートを呼んでるんだ」
「ああ?また随分と急だな」
「シュバルツの気まぐれは今に始まったことじゃないでしょ」
「それもそうだな。ちっ、じゃあとっとと用事を済ませてに行くか」
苛立ちを隠そうともせず戦斧を地面に突き立てたヘルムートに苦笑しつつ、クオリアは転移用の紋章を取り出し、術名を口にする。一陣の風が駆け抜けると、路地裏には静寂だけが取り残されていた————




