第43話
馬車に乗って港町へ向かうのは、予定より遅く太陽が天頂を通過して少し経った時だった。というのは俺が寝坊した所為だ。夜にアイラと話した後すぐに部屋に戻って眠ろうとしたのだが、あんな会話をしたのだ、直ぐに眠れる筈もない。悶々とした思考が睡魔に打ち倒された時には、既に東の空が白みがかっていた。
カイムも起こしてくれれば良かったのだが、気を遣って起こさなかったらしい。アイラはアイラで、夜に自分と話した事が原因で俺が寝坊したと思い込んで謝ってきた。結果的に言えばアイラとの会話が原因なのだが、その状況を作ったのは俺の所為なのでアイラが謝る必要はない。まぁ、特に期限がある訳でもないし、数時間の遅れぐらいは問題ではないか。
馬車で港町に向かう途中、俺はルシルにサンヤスクでの力に尋ねた。ルシルが言うに、あの力こそ以前まで体に纏わせていた白い光りの本来の力で、光りをもたらす者と言うらしい。実に覚え辛い名前だが、効果は身体能力を飛躍的に上げ、光線を放ったり光りを集束させて武器や防具を編み出すといった分かりやすい万能能力だった。
今はまだ形を取り戻しただけで光りを操れるのは右手だけなのだが、ルシルの部下を取り戻していけば両手どころか一定範囲内の光りを操れるそうだ。まだ変身を二回残しているなどと自慢げに話されたが、その辺りは半分聞き流していたのでよく覚えていない。今は手に入れた力をどう使っていくか考える方が重要だ。
そろそろアーガの事を紹介して欲しいところなのだが、未来を元に戻したりルシルが殴り飛ばしたりで気絶中らしい。サムエルがアーガを酷使した時は怒っていたくせに、ルシルもアーガの扱いが酷いじゃないか。
他には特に目ぼしい話しはなく、他愛のない雑談をしたりカイムに稽古を付けてもらったりしながら、無事に港町へ到着した。
アイラが初めて見る海に興奮気味だったので、砂浜近くの食堂で少し遅めの昼食を摂った。
「さてと、これからの予定なんだけど……」
食後に一息入れてからアイラへ視線を向ける。視線が重なると気まずそうに俯かれてしまったが、俺は気にせず話しを進める。
「とりあえず宿を確保して、ネイトはアイラを美容院に連れて行ってくれないか?俺とカイムは消耗品の買い出しに行こうと思うんだけど」
全員の顔を一瞥するが、不満を抱く様子はない。カイムとネイトは了承の意を示す為に小さく頷き、アイラは驚いて目を丸くしているが、俺と目が合うと直ぐにネイトへ顔を向けた。
「アイラの事はお任せください」
視線を感じたネイトは自分の意を口に出す事でアイラを落ち着かせた。
「うん、お願い。それぞれ予定を済ませたら後は自由行動ってことで良いかな」
「異論は無い」
三人を代表してカイムが答えると、俺達は食堂を後にして宿を取りに向かった。
恙無く宿を取り終えて荷物を下ろして直ぐ、二組に分かれて行動する事にした。宿の受け付けで美容院の場所を聞いたところ、宿よりもう少し陸の方へ奥まった場所にあると教えられた。港の方にある市場とは逆方向だったのでネイト達とは宿を出た所で分かれた。
潮風の匂いを嗅ぎながら、閑散とした通りを男二人が肩を並べて歩く。互いに口数が多い方ではないので、海辺で鳴くカモメの声に耳を傾けながら歩くことにした。特に俺は馬車での移動の間を持たせる為に、当たり障りなく話せそうな事は話したし、聞いたので正直会話のネタが尽きている。
今更だが、五人いるのにおしゃべりが居ないというのも中々に珍しい集まりだと思うんだ。ルシルはどちらかと言えば多弁なのだが、どうも秘密主義なところがあって自分からは話題を作りたがらない。
沈黙が気まずい訳ではないのだが、一緒に旅をする仲間なのだからある程度お互いの事を知っておきたいと思うのは自然な考えだと思いたい。
「明日の今頃にはテイングに着いているのか」
「え?」
言葉は確かに聞こえていたのだが、思考に耽っていたので思わず聞き返してしまう。カイムは歩みを遅くすることも、視線をこちらに向けることもせず言葉を紡ぐ。
「エフィムがアイラを助けたいというのなら私も力を貸すが、何が起きても良いように覚悟はしておくのだな」
「覚悟……」
呟きつつ、無意識に右の掌へ視線を落とした。マユラを殺した時の光景が鮮明に思い出される。
「他人を助けるというのは自分が思っている以上に困難だ……エフィムはもう体験してしまったが、誰かを助ける為に誰かを殺める必要も出てくるだろう」
俺はそんな覚悟を持たずに一人で突っ走っていた。だから最終的に、一番大事な場面でマユラに言われた通りに動いた。姉妹を助けるという自分の意志を曲げて事態を終息させても、結局残ったのは強い後悔だ。自分の意志でマユラを殺していたら後悔しないで済むかと言われたら勿論違う。たとえ望まぬ結末しか待っていなくとも、自分から歩み進んで行かねばならない。結末に迎えに来られるようじゃ、いつまで経っても前を向けない。時間切れで過ぎていく過去をずっと後悔していくだけだ。
自分の意志で進んで行こう。右手を強く握り締めて決意を自分の体の中に入れ、心に刻む。
「人は全ての状況を予測出来んし、ましてや自分の理想の未来のみを選ぶことも出来ない。だが、自分の道を決める意志も、どんな苦境をも受け止める覚悟も、全てを覆せる可能性を持っている。加えてエフィムには天使の力もある……エフィム、どんなに苦しくても自分の意志でやり遂げてみせるんだ。人は……」
カイムは突然言葉を途切れさせた。周囲に異変でも感じたのかと思い、慌てて辺りを見渡すが町は平和そのもので、市場からは商人の元気な声が聞こえてくる。
「すまない、少し喋り過ぎたな。覚悟しろとは言ったが、一人で重荷を背負う必要はない。私やネイトも居るという事を忘れないでくれ」
「あ、ああ……」
一体どうしたのだろうか。話しの続きが気になるが、聞いたところで話してはくれないだろう。
「尤も、戦うことしか知らない私が助けられる事は少ないだろうがな」
「そんなことないよ。カイムとここで話さなかったら俺、また中途半端な覚悟でアイラを助けようとしてた、ありがとう」
薄く笑って自嘲するカイムに感謝を告げるも反応は返って来ず、代わりに商人の大きな客引きの声が俺達を迎えた。
買い出しは順調に終わり、西の空が赤く染まる頃には宿に戻れた。宿の受け付け前の広間では、先に戻っていたネイトとアイラが椅子に座って話しをしていた。
「お帰りなさい」
俺達の存在に気付いたネイトが立ち上がって出迎えてくれ、その後ろからはアイラが恥ずかしそうに顔を覗かせていた。
「ただいま。こっちは粗方買い揃えられたけど、そっちはどう?」
覗かせている顔を見るだけでアイラが髪を切った事は明らかなのだが、敢えて気付かぬ振りをして聞いてみる。すると、ネイトは自身の後方を見やってアイラを俺の前に出してくれた。
胸元まで伸びていた前髪は目にかかる程度まで短くなっており、お腹の辺りまで伸びていた横髪は緩く編み込まれたハーフアップになっていて長さが分からないが、短くはなっているだろう。膝下まで伸びていた後ろ髪は腰の辺りまで切られていた。全体的に長めではあるが、綺麗に切り揃えられた髪はアイラの大人しい性格と良く合っていた。
薄く頬を赤く染めながら上目遣いに俺の様子を窺ってくるので、笑顔を見せる。
「うん、とても似合っているよ。髪型はアイラが決めたのか?」
ハーフアップの髪は明るい紫色のリボンで結ばれていたので、俺はしゃがんで髪型が崩れない程度に軽くリボンを触りながら尋ねた。
「はい。えへへ……」
控えめに頷くアイラの顔は照れ隠しで破顔しており、とても愛らしい。素直にそう思った俺は無意識のうちにアイラの頭を撫でていた。
「私はもう少し短く切った方が良いと言ったのですが……」
「うーん、アイラが良いっていうならこれで良いんじゃないかな」
ネイトの言う通り、直ぐに前髪が伸びて来て邪魔になりそうだが、本人がこれほど満足そうにしているのだから周りがとやかく言う必要もあるまい。
アイラの身なりも整ったし、買い出しも終えた。後は明日、列車に乗ってテイングに戻るだけだ。きっとアイラを平穏な生活に戻してやる。たとえ教会と対立する事になってもだ。
「(悪いなルシル、もしかしたら俺は天子としての資格を無くすかもしれない)」
「(構わねぇよ、死なない程度に好き勝手やれば良いさ。寧ろ俺は悪魔を庇った天子がどうなるか楽しみだぜ)」
「(ルシルは本当に、天使とは思えない発言ばっかりだな)」
「(エフィムこそ、まだ俺が一般の天使と同じだと思ってたのか?そろそろ俺の偉大さに気付けよな)」
脳内でルシルと軽口を交わしていると、ネイトが俺を呼んだ。
「エフィム……その、いつまでアイラの頭を撫でているのですか?」
「あ!」
慌ててアイラの頭から手を離す。ルシルとの会話に集中していたから、周りからは無言でアイラの頭を撫で続けている様に見えたのだろう。ネイトが怪訝そうにしているのも当然だ。
「ごめん、ルシルと話してて気が付かなかったよ」
「い、いえ、わたしは構いませんから」
そう言うアイラの表情は柔らかい。どうやら俺に気を遣った発言ではなさそうなので一先ず安心する。
それから俺達は明日の朝、出発する時間を決めてそれぞれの部屋で休むことにした。




